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温泉夜話 温泉付のお城があった?甲府城に温泉遺構が発見か! [温泉マニア]

温泉夜話 温泉付のお城があった?甲府城に温泉遺構が発見か!
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甲府・信玄公祭りの一場面

 2014年4月16日付けの毎日新聞夕刊に、甲府城の発掘調査で温泉遺構らしきものが発見されたという報道に興味を持った。内容は以下の通り。甲府城跡にあった県議会・委員会棟の建て替えに先立ち、山梨県教育委員会が行った調査で、温泉遺構の可能性がある江戸時代の敷石が見つかった。積み石の側面が変色しており、県教委は石に付着した成分を分析するなど詳しく調べている。この発掘調査で、2014年2月から約140㎡を実施、約1.3m掘り下げたところ、大きさ20~30㎝の石が約5m四方に敷き詰められているのが見つかった。県教委によると「江戸時代の甲府城を描いた17世紀半ばの古地図には『湯』と記された四角い石囲いが描かれ、今回の敷石遺構が見つかった場所に近い。又、城主・柳沢吉保の命で儒学者の荻生徂徠らが記した18世紀初頭の紀行文「風流使者紀」には「城内に温泉があり、かっけなどに効く」との内容がある。

 甲府城がある甲府市街地にはいくつかの温泉地や温泉銭湯、温泉を持つホテルなどが散在している。甲府城から500m先に天然温泉が湧出するホテル談露館や太宰治ゆかりの温泉銭湯「喜久乃湯」http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2009-03-10
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09.3.06 甲府市湯村温泉と「喜久乃湯」取材 017.jpg

もすぐそばにあり、有名な湯村温泉や武田信玄の産湯で「信玄の隠し湯」と言われる積翠寺温泉も近くだ。県教育委員会学術文化財課の保坂さんに聞くと「現在も発掘調査が続けられており、5月初旬を区切りに新たに調査内容が明らかにされるのでは。古書に記されたものと今回の遺構が年代的に合うのか、遺構が温泉施設の目的で造られたものかも調査中」ということだった。

 城郭に温泉遺構が見つかるとしたら、どこを掘っても温泉が出る土地柄、まず「おんせん県おおいた」の大分城(府内城)か温泉湧出量日本第二の諏訪市の高島城だろうと思っていた。私が昨年11月から4ヶ月余住んでいた天然温泉付マンションから大分城(府内城)まで1.2㎞、JR大分駅前のあたみ温泉や金地温泉まで800mという府内城に近いところにいくつもの温泉が湧出していた。諏訪市の高島城の近くには、一日11,500ℓの全国屈指の湧出量を誇る上諏訪温泉があり、学校、官公庁、公共施設、一般家庭にも温泉が配湯されている。JR上諏訪駅前の百貨店内には全国で唯一天然温泉入浴施設があるほど。http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2010-02-18
 高島城天守閣上階にあるガラスケースに「城内から出土した温泉の木製導入菅」が展示されている。植村佐著「諏訪高島城」日本城郭教会刊によると、源泉から石枡の穴に木製導入菅が挿入され、三之丸に温泉が導入されていたらしいと言う。三之丸は迎賓館のような御殿があった曲輪というから藩主が在国中は湯にのんびりと浸かったり、客人に入湯してもらったりしたのではないか。浅川清栄著「図説高島城と諏訪の城」郷土出版(1995年)でも「武士たちはここに入湯したのではないか」現在でも、共同浴場「三之丸温泉」がある。


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温泉夜話 イザベラ・バード著「日本奥地紀行」と温泉のはなし [温泉マニア]

温泉夜話 イザベラ・バード著「日本奥地紀行」と温泉のはなし
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イザベラ・バード

2013年10月に東洋文庫 イザベラ・バード著「日本奥地紀行」の新版が出たのを知り、彼女が訪れたルート上の温泉について読み直してみた。英国人イザベラ・バードは、1878年(明治11年)5月21日に18日間かかりシテイ・オブ・トキオ号で日本を訪れた。江戸東京から浅草、日光、会津、津川から船で新潟へ。中条、米沢、上山、山形、新庄、湯沢、秋田、黒石、青森から船で函館へ。函館から船で森、室蘭、白老、平取、長万部、函館から、船で横浜、東京へ。
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イザベラ・バード

 約7ヶ月にわたる紀行文から、温泉地の記述に限定して、記録を温泉マニアの私なりに精査してみた。彼女はこの時代の「外国人に」よく知られたところを完全に外れた(ヨーロッパ人が踏破したことのない)ルートを選んで組んだもので、特に蝦夷(北海道)の先住民アイヌの記述に力を注いでいる。
温泉地の記述があるのは、日光の後の「家のほとんどが『宿屋である日光湯元温泉』」、宿は吉見屋に宿泊(6/22)。吉見屋は、明治時代末に廃業し、宿の主人のことを伝えた石碑が交番の隣にあるという。
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茶屋(宿)の吉見屋の女中の絵

 その後日光に戻り、藤原、高原(6/25)へ。鬼怒川・川治温泉観光協会の方によると「藤原から鶏頂山の脇を抜けて高原へ抜けたらし」く、「川沿いに皮膚病に苦しむ人が大勢やってくる温泉が湧いている」のは、川治温泉という。米沢の先の硫黄泉の温泉町である「赤湯」に着いた。「できればここに泊まりたかった」が、とても騒々しいので「上山」の宿屋・会津屋―広い庭がある蔵(の部屋)に泊まった(7/14)。「蔵の庭には温泉を引いた湯壺があり、私はここにゆったりとつかった」。山形を過ぎて、天童に泊まる予定だったが、宿の部屋がすべて蚕でふさがっていたので通過。温泉地に宿泊したのは、日光湯元温泉と上山温泉、この先に行く黒石温泉郷の温湯温泉のみで、彼女が宿泊した温泉地で温泉に入浴したのは、上山温泉だけだった。

 その後、青森の「集落はほとんどが茶屋と宿や(客室)となって」いる黒石温泉郷の温湯温泉(8/6)の共同浴場(外湯)に興味をひかれる。「四つの別々の建物の両側の建物には女性と子供が湯船の使っており、真ん中の二つの建物では、混浴になっていた。だが、湯槽の回りを廻る木の縁に座っている人々は、男性と女性がその両脇に別々に座っていた」「・・・日本政府は混浴の禁止に躍起になって」いて「このような僻遠の地までこの改革が到達するには時間がかかるだろうが、遅かれ早かれやってくるとは思われる」「公衆浴場は日本の数ある特質のひとつである」
最後は蝦夷にわたり、森から幌別、白老に行く途中、「登別川に至」り「その水には温泉の硫黄が強く含まれていた」ことを発見するが、登別温泉に立ち寄った記述はない。白老(8/29)に着くと、アイヌ人の案内を付けて樽前川(白老川)源流調査に出かけ、温泉にも出会う。「一つの割れ目に硫黄の見事な針状結晶が線状にびっしりと付着していたが、ちょっと触ると壊れてしまった。また少し下の方には温泉が二つ出ており、その縁には硫黄分がたまり、ガスの泡が吹いていた。そのガスは強烈なニンニク臭からすると硫化水素だと思われる」・・・「とても高温で」「また卵をハンカチで包み、棒につるして熱湯の中に入れて見ると、八分半で硬くゆで上がってしまった」
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道中のほとんどは人力車に乗って
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時には馬にも乗った

 温泉地の様子を詳しく記述しているところは、湯治場の様子を描いた「日光湯元」や「上山温泉」「温湯温泉」である。いかに病気を治すために大勢の人々が湯治に通っているか、湯治の仕方や集落の中の共同浴場の位置についてよく理解できる。現代の湯治の歴史研究に貴重な資料となっていること、イザベラ・バードの分野を問わないたぐいまれな博識、勇気と好奇心、研究心に改めて脱帽する。イザベラ・バードの日本奥地紀行を成功に導いたのは、同行した通訳の伊藤、「通訳の弁勲」と称された伊藤鶴吉(1858年1月30日生~1913年1月6日没)の有能な能力に負うところが多い。

参考:上山郷土資料:「春秋上山・第二号(1931年)、白神龍也氏のエッセイ(2004年)
   各地の温泉観光協会など。

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温泉夜話 温泉療養・湯治や飲泉の効能について [温泉マニア]

温泉夜話 温泉療養・湯治や飲泉の効能について

 先日、熊本県杖立温泉に取材に出かけた時、O仲居さんにたまたま、この温泉に来た事情をお聞きした。「1年前に、痛めた膝が治らずに治療のために、杖立温泉の葉隠館に通った。すると間もなく痛みは改善し、その時女将さんから『よければ治療しながら、ここで働かないか』と勧められ、それ以来ここで働いている」という。私は退職したが、昨年まで旅行代理業を経営し、ネットで療養温泉の普及・啓蒙のための「療養温泉突撃取材」や湯治の一つの形態の飲用温泉である「飲泉」の普及と販売を14年前から行っていた。その時の経験から、Oさんのような話は療養温泉宿では珍しいことではない。
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飲泉のすすめ

 奈良県十津川温泉での取材時には忘れられない話があった。(参考:奈良県十津川温泉・上湯温泉 http://www.a-spa.co.jp/totugeki/totugeki-kamiyusou.html 他に「療養温泉突撃取材」で検索すると出てくる。)
 上湯温泉保養館 神湯荘では、1週間以上の滞在客を条件に受け入れていた。若い女性のほとんどが病院で治らない医者から見放されたアトピー性皮膚炎の患者で、来るときは全身真っ赤で痒くて掻き傷がいっぱいあった方が10日滞在し完治した。彼女は館内や通行人に「見て!見て!私の体がこんなにきれいに治ったのよ!」とはずんで帰って行ったという話を聞かせてくれた。西洋医学では治らずに、仕事を辞め、日常生活もままならない患者が、藁をもつかむ思いで「療養温泉や湯治」に求めてくる人がいる。

 反面、西洋医学を学んだ医師は、糖尿病などの治療に患者が自分の判断で「天然温泉の飲泉」で効果を上げても、患者がそれを告げると「ああ~そんな民間治療は辞めなさい」と告げる。患者は医師が処方した投薬だけでは、血糖値200以下に下がらないので医師に内緒で「飲泉」を続けている人がいた。患者が飲泉を内緒にしているので、医師は「なぜ急に正常値になるんだ?」と理解できずにいる。「温泉療法医」という資格を持つ(学んだ)医師は温泉療養の知識があるので総合医療として温泉療養の意義も認めていて、症状によっては保険適用の指示をする場合もある。だが、全国に「温泉療法医」資格を持つ医師は、まだ全国に1025人(平成22年現在)を超えるほどしかいない。
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有馬温泉の飲泉所

 私は自宅にいつも効能抜群のゆの里温泉「神秘の水」を置いている。ときどきエッセイや「旧街道歩き」で紹介しているが、最近の事例をお知らせしたい。大分市での単身居住で小さなグリルをいつも利用していて、ときどきついうっかりじかにグリルの鉄の部分に触って火傷をしてしまう。其のままにすると火ぶくれで病院に行かなければならないが、私はすぐに「神秘の水」を患部にスプレーで吹きかける。5度ほど続けて吹きかけると、何もなかったかのように完治している。髭剃りはいつも使い捨ての髭剃りを使っていて、時々肌を傷つけて出血がするときもすぐにスプレーで吹きかけると止血する。また、歩行や登山などで転んで強く手などを打って、見る間に患部が紫色に変わる(内出血)と、すぐに「神秘の水」を取り出しスプレーすると40分後にはその紫色の色が消えている。いろんなミネラルを含むこの温泉の泉質が素晴らしいだけでなく特別に浸透力が強いこともこうした奇跡ともいうべき効果を著しているのだと思う。
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ゆの里温泉「神秘の水」※「月のしずく」を飲泉している人が購入できる逸品

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別府「温泉郵便局巡り」と別府・美肌の湯「ゆわいの宿 竹乃井」に入浴! [温泉マニア]

別府「温泉郵便局巡り」と別府・美肌の湯「ゆわいの宿 竹乃井」に入浴!
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温泉郵便局での入金時の押印スタンプ

 私は、郵便局名に温泉地名を冠するいわゆる「温泉郵便局」に預金する温泉マニアだが、温泉名が付かなくとも預金時に通帳に押すスタンプに「温泉」や「[いい気分(温泉)]マーク」が記され、明らかにこの郵便局が温泉地であるとわかる郵便局も加えることにしている。これまで平成元年から25年までの通帳が53ヶ所で各1万円預金していたので、53万円の残高だった。昨年2013年に退職後、6月にスペインサンティアゴ巡礼の旅(約800㎞)歩き35日間の費用に充てるためその通帳から預金を下ろした。
参考:温泉夜話 全国でも希少価値!「温泉郵便局」のはなし
    http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2007-03-12
参考:温泉夜話 温泉郵便切手のはなしhttp://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2007-04-29

 改めて、おんせん県おおいたに居住することになったので、新規に温泉通帳預金を始めようと思い立った。JR別府駅北口から西へ1㎞も歩くと別府上田ノ湯郵便局がある。ここは預金した時のスタンプはマークの中に「別府上田ノ湯」と書かれている。ここで新規に通帳を作った。その後、JR別府駅南側の別府北浜郵便局へ。こちらの預金した時のスタンプは、「竹瓦温泉[いい気分(温泉)]別府北浜郵便局」だ。
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別府上田ノ湯郵便局
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別府北浜郵便局
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別府八湯絵葉書

 10号線を北へ2㎞いくと別府郵便局がある。「過去に温泉の絵柄の切手発行の申請を九州郵政局にしたことがあるか」と尋ねたが、担当の職員も局長も「そうした記録はないし、聞いたこともない」という。仕方なく戻って、北浜郵便局の竹下勇司局長に同じ質問を投げかけた。「平成20年に発行したオリジナルフレーム切手『別府八湯』は、別府市観光協会の提案で、その前に発行していた別府八湯絵葉書をモチーフにしていくつかの郵便局が相談して半年ほどで発行にこぎつけた」「温泉絵柄の全国版切手発行は、地方からの提案では、売れ切れるのかが疑問で、提案や発行申請もしたことがない」という。

 どうも採算を先に考えて、「温泉切手」の発行そのもののアイデァが考えられていなかったようだ。今人気なのはお花や野菜切手シートで、一般の切手は手紙離れで売れ行きが落ちているのだという。温泉マニアにしてみれば「だからこそ温泉ブームを背景に『全国の有名な温泉切手シリーズ』で日本の温泉文化を発信する絶好の機会だと思うのだが・・・。とても残念である。それではいよいよ九州郵政局の本丸を攻めるしかないか?

 別府郵便局からの帰途、アスファルト道路に「別府八湯」のタイル絵が置かれていた。八か所の紹介がされている。いかにも「おんせん王国・別府」だなと感心しきりだった。
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 別府湾側に北浜温泉(テルマス)の前を通過。別府温泉「ゆわいの宿 竹乃井」に入浴することにした。
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別府湾に面した遊歩道と海岸
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別府温泉「ゆわいの宿 竹乃井」
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玄関入口

 かつて500円で購入していた「別府八湯 温泉本」の巻末に「今号限定 特別優待入湯券『厳選券』で楽しむ 無料11湯めぐり」11ヶ所に入っているホテルで、無料で入浴することができた。ここの温泉は、メタケイ酸が大量に含まれる美肌の湯で、源泉が50.6度のナトリウムー炭酸水素・硫酸塩泉。「九州八十八湯めぐり」に選ばれたホテルでもある。1階には二か所の貸切家族風呂(有料)がある。8階の展望大浴場に行く。4×5mの湯船縁は木造り、床は石造り。隣接する屋根付きの半露天風呂は手前が浅い寝湯で底はタイル、頭の部分に枕木、湯船縁は木造り。外側の湯船は2×2.5mの石造り。8階からの市街地や別府湾の大展望。湯の調節をしていた男性に声を掛ける。9時半過ぎから毎日清掃が始まり、男性用だけで湯を抜き、清掃し、湯を張るまで2時間半かかるという。湯量が豊富で源泉掛け流しを維持するのに清掃の大変さを語ってくれた。
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ロビー
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男子更衣室
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展望大浴場
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隣接する半露天風呂
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半露天風呂からの展望
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JR別府駅への途次、街灯に飾られた旗

☆第1回「豊後街道を歩く」 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2013-12-15
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☆スペイン「聖地サンティアゴ巡礼」の旅 初日サン・ジャン・ピエ・ド・ポーから
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☆温泉夜話 オーストラリアの温泉入浴に挑戦する!http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-23

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旧道街道歩き閑話 子供たちの参勤交代「九州横断徒歩の旅」のはなし [温泉マニア]

旧道街道歩き閑話 子供たちの参勤交代「九州横断徒歩の旅」のはなし

 2013年暮れ、大分の鶴崎から熊本への参勤交代道(豊後街道)を歩いた。第5回目に久住の光照寺に立ち寄った時に、庫裏の玄関で「参勤交代徒歩」と書かれた菅笠を見つけ、尋ねると「熊本の200人以上の小中学生が旧街道を歩いた時にこの寺で休憩をとるのです」という。
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 この先の「殿様の籠置き石」の残る村上治夫氏宅でも休憩所としての接待をしていることを知った。村上宅ではとうもろこしを1人当たり2本、500本近くを用意するというのだ。2013年度は第36回目を数え、毎年8月15日~21日(バス移動があるため実質的に6日間)の一週間、豊後街道の125㎞を小中学生152人、このイベントを支えるスタッフや熊本学園大学の留学生4人など合計222人が大分市の鶴崎から熊本城までを徒歩で歩いている。「参勤交代・九州横断(豊後街道)徒歩の旅」と題してNPO法人自然を愛する会JOC(阿南誠志会長)が主催。会の基本理念である「自然と共に育ち、共に生きる 共育・共生」の実践プログラムである。子供たちの成長を願い、関係スタッフやOBなどが一緒になって計画・準備をすすめキャンプ実践し、子供たちと共にすべての参加者が共に育つことを宣誓している。
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 私は14年前から旧街道歩きを始めた。東海道五十三次から始め、中山道、日光街道次いで奥の細道、青梅街道、甲州街道と続けた。歴史ある旧道を歩くことで歴史に対する好奇心が湧き、地域の人たちとの交流がもて、旧道を探し計画的に歩くことで適度な緊張感も持てる。あえて歩くことで、便利さの象徴である車社会や携帯電話の弊害を切実に感じることもできた。便利さを追求して得るものと同じほど失うものがあることに気づかされた。こうした体験から「少年時代にこそ、旧街道を歩く機会を持つべきだ!」と修学旅行に是非旧街道歩きを!とブログ等で推奨していた。参考:旧街道歩き閑話 江戸時代の旅・伊勢参り三話http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2013-03-16

 「参勤交代・九州横断徒歩の旅」の報告書を手に入れ読んでみた。この旅の共通目的の一つ目は、歴史体験学習。二つ目は、天候や体調にかかわらず頑張って歩き通す完歩へのチャレンジ。三つ目は、集団生活と沿道の人々との交流を通じて学ぶ人と人との心の学習、毎日いろんな方が君たちを応援してくれます。思いやり、感謝の大切さを体感してください。旅の途中は不便・不自由・不足なことが一杯です。今の生活は当たり前ではなく贅沢なんだということを知って下さい。有難味を知ること、自分の可能性や力を知り自信を持つことは、これから大人になって行く君たちにとって、とても大切なことです。(団長の巻頭言より)

 旧街道歩きを支えるスタッフや現地のさまざまな人たちの援助ボランティアが大きな役割を果たしていた様子がうかがえる。大きな荷物を運ぶ輸送隊や救護隊、事前に昼食や休憩を行う場所やお宅との打ち合わせ、当日の確認など自然が相手なので予期せぬトラブルもあったと思う。宿泊所は公民館や体育館、お寺、昼食はドライブインや公園を利用した。おやつ場所は旧街道沿いの個人宅が設定されスイカやかき氷、トマト、とうもろこしなどの差し入れがあった。これらは旧街道歩きが36回を数え、長い経験の積み重ねが実っていることを実感する。報告集を読んで、子供たちの参加者の中で、2回~6回目という子たちがいた。毎回苦しい思いをしてもまたやりたいという本人、家族の思いが強いのだろう。63歳になった私もいつもそう思う。一日大変な思いをしても学ぶこと、まだやり足りないことを感じる。更なる高みを見つけたいと思う。

 私が旧街道歩きを始めるはるか前から、大勢の子供たちを率いて実践してきた先人たちに敬意を表したい。とりあえず全国の多くの方にこうした活動をお知らせし、全国の各地の少年たちに(大人でも勿論)大人たちがこのような機会を作っていただきたいと思う。

☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
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 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01



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温泉夜話 別府温泉指南書「別府八湯 温泉本」のはなし [温泉マニア]

温泉夜話 別府温泉指南書「別府八湯 温泉本」のはなし
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 2013年11月20日に東京を出て、おんせん県おおいたの大分市に居を構え、温泉が身近にある生活をしている。当初は別府市に住みたいと思ったが、別府の隣町・大分市に激安の源泉掛け流し温泉付賃貸マンションを見つけた。重いトランクを持ちリュックを背負い、別府の駅前高等温泉で2泊過ごした時に、駅構内の観光案内所で「別府八湯 温泉本」を500円で購入した。これはいかにも「温泉天国 別府」ならではの温泉道名人への登竜門的指南書&お得チケットである。

 個性豊かな別府八湯(別府、浜脇、鉄輪、明礬、亀川、観海寺、柴石、堀田温泉)の141湯の内、「八十八湯を巡るスタンプラリー」や「九州八十八湯めぐり 九州温泉道」の他、「別府八湯温泉道初級認定」や「タツノコスタンプラリー」「グルメスタンプラリー」ありとスタンプラリーもややこしい。実際に18ヶ所ある(不老泉は立替中で休館中)市営温泉めぐりで驚いたのは、一部を除いてほとんど100円か210円の入浴料であること。市営温泉の他にも地区営の温泉銭湯もほとんど入浴料は100円だ。「街を歩けば、入浴料100円の銭湯に当たる」のだ。そのほかにホテルや旅館で入浴を楽しめるのだから、別府に1ヶ月は滞在しないとこの温泉本を使いきれない。因みに別府「八十八湯を巡るスタンプラリー」を満願成就すると「ひょうたん温泉」の「温泉殿堂」に肖像写真が永年展示される。長い間の努力が形として表彰され、名誉欲をくすぐるという訳だ。何事にも一途に努力するとその道の知識や知恵が付くものである。そうして温泉や別府に対する愛着精神が育まれるのはうれしいことである。

 一番のおすすめの理由は、何といってもお得だということ。巻末に「今号限定 特別優待入湯券 無料11湯めぐり」と無料入浴券1枚と100円割引券2枚、施設利用チケット100円引き券、10%引き券1枚が付いてくる。12軒のホテル・旅館の入浴料が無料になる合計7,000円以上の価値がある。別府名産の竹細工にこだわる「竹と椿のお宿 花べっぷ」や鬼山地獄が源泉の巨大露天風呂の「おにやまホテル」など宿のロケーションや浴室、浴槽、泉質やホテルのこだわりや雰囲気を五感で感じることができる。

 勿論、地域の温泉銭湯巡りも魅力である。昔から地域の温泉共同浴場は、地域社会の核として大きな役割をしてきた。明治4年の別府港改修で人の往来が盛んになったことから一層広い範囲で町営、市営だけではなく個人や周囲の旅館などの寄付によって建築や改修が行われ、今の原型が形成されてきた。地域の方々は年会費のあるなしもあるが1家族1ヶ月1,200~1,500円ほどで毎日温泉を利用している。彼らとの裸でのおつきあい、井戸端会話も別府を知る良い機会である。私は東京から移住して別府に来たという人二人と知り合った。温泉の魅力に取りつかれて別府にふらっと来たのは私だけではなかった。

☆第1回「豊後街道を歩く」 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2013-12-15
☆高野山麓の天然水「月のしずく」http://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/
☆旅と温泉の相談室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆スペイン「聖地サンティアゴ巡礼」の旅 初日サン・ジャン・ピエ・ド・ポーから
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2013-06-19
☆温泉夜話 オーストラリアの温泉入浴に挑戦する!http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-23

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温泉夜話 オーストラリアの温泉巡りに挑戦する。2013年4月26日~5月9日 [温泉マニア]

オーストラリアの温泉に入浴に挑戦する!
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金森 達 画 

2012年10月にオーストラリアのゴールドコーストに住む次女に二番目の孫娘が生まれた。私の妻は一度リタイアして再雇用で働いていたので「孫の面倒をみに来てほしい」と娘に言われても行くことができなかった。2013年3月いっぱいで退職をするので夫婦で孫の顔を見に行こうということになった。温泉マニアの私はこの機会に、温泉入浴する機会を狙っていた。

オーストラリアにはいくつかの温泉があり、効率よく入浴するには今回の目的地をメルボルン周辺と決めた。近年有名になった温泉で「ペニンシュラ・ホットスプリングス」がある。オーナーのチャールズ・・デビットソンさんは日本をはじめる世界の温泉地を訪れて研究し、「オーストラリアにも温泉を」という夢を実現させた。オーストラリア二番目の都市メルボルンから車で1時間半ほどのモーニントン半島にある複合的温泉ラ・ホットスプリングスである。日本の温泉を模したもの、打たせ湯、洞窟温泉、立って首まで浸かる歩行温泉、「月見」風呂、トルコ式スチームバスなど39の多彩なお風呂が用意されている。

ヘップパーンスプリングスもこの地域にある。オーストラリア最古の湯治場で1895年、ヨーロッパの入植者によって発見された。メルボルンから北西に約1時間30分のところにあるこの温泉は、ゴールドラッシュの時代にスイスやイタリア系の鉱山労働者が利用する温泉として発展した。鉱泉の温泉プールやマッサージなどが利用できるレジャー&トリートメント施設だ。プライベートスパでは、ミネラル100%のバスに入ることができる。成分はマグネシウム、カルシウム、ケイ酸、重炭酸塩、鉄分などを含む重炭酸水素塩で泉温は32度。冷え症、切り傷、人マシン、末梢神経障害などに効能がある。温泉施設の他にかつての面影を残す煉瓦やステンドグラス、使命を終えた飲泉場の蛇口、バスタブも見ることができる。

ゴールドコースト滞在のうち3泊4日でメルボルンに飛行機で移動し、温泉めぐりに行く予定にした。ペニンシュラ・ホットスプリングスは、一日日帰りツアーがありそれに参加、ヘップパーンホットスプリングスは、個人でアスセスを確保し、温泉地近くののホテルに泊まって取材をする予定である。どんな温泉巡りになるのか楽しみだ。


☆高野山麓の天然水「月のしずく」http://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/
☆旅と温泉の相談室 http://www.a-spa.co.jp/
☆飲泉のすすめ http://www.a-spa.co.jp/shop/insen-susume.html
☆簡単スキンケア http://www.a-spa.co.jp/shop/yunosato-cosme.html
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温泉夜話 蛇が由来の開湯伝説の温泉のはなし [温泉マニア]

温泉夜話 蛇が由来の開湯伝説の温泉のはなし
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金森 達 画

2013年は巳年で、蛇にちなんだ話題が好まれる新年。蛇による開湯伝説を調べてみた。
静岡県「梅ヶ島温泉」1980年11月、私の温泉巡浴130湯目の温泉。
群馬県「老神(おいがみ)泉」1977年3月、私の温泉巡浴20湯目の温泉。
群馬県「川古温泉」1989年1月、私の温泉巡浴477湯目の温泉地。
宮城県「中山平温泉」1989年7月、私の温泉巡浴495湯目の温泉。
東京都桧原村「蛇の湯温泉たから荘」1982年1月、私の温泉巡浴233湯目の温泉。

梅ヶ島温泉は、約1700年前、応神天皇の御世(270年)きこりによって発見されたという説。そしてもうひとつ、後水尾天皇の第八王子の良純親王が甲州で療養中「駿河の安倍奥に霊湯あり」との夢のお告げ。そこで安倍峠を越してやっと頂上に近い逆川のほとりまで来たときに、三匹の赤い子蛇が出てきて、親王の足元を回ったり道案内をするようなしぐさだった。導かれた場所には温泉が見つかり、入浴すると3日で痛みがとれ、10日ほどで難病が全快した。親王は蛇が仏様の仮の姿と確信し、その慈悲に感謝して所持していた備前長船の刀、紺紙金字の願経と水晶八房の数珠を祠にささげたという。奇しくも相模の国の江ノ島にある弁財天の2体ある1体が梅ヶ島温泉梅薫楼に奉納されている。

老神温泉は、赤城山の神様である大蛇の神と日光を統治しているムカデの神が神域を争っていた。戦場ヶ原での戦いで日光のムカデ神が放った矢に大蛇神が大きな傷を負って、老神付近まで逃げてきた。体に刺さっていた矢を地面へ突き刺したところ、そこから温かい湯が湧き出しあっという間に湯の泉を作った。その湯に大蛇神が浸かるとたちまち傷が治ってしまった。そしてムカデ神を日光へ追い返した。このとき神を追い払ったというので「追神」温泉と命名され後に転じて「老神」温泉となった。

川古温泉は、三国峠の東南麓の赤谷川沿いにある一軒宿「浜屋旅館」。蛇が沢山集まっていたところを掘ってみると温泉が湧いてきたという。皮膚病・糖尿病・リウマチなどの特効ある国民保養温泉指定地。

中山平温泉は、鳴子温泉郷のひとつでこの一帯を「蛇の湯」と言っている。昔、花淵山に花潜という主で絶世の美女がいたと言う。夜な夜な姫を訪ねる山主(犬柴山・矢盾山・鍋倉山・黒森山・耳突山)たち、つまり蜘蛛・蟹・亀・大蛇・大百足の主たちから求愛の争いが続いた。最後に小野原で大蛇と大百足の大決闘が七日七晩続き、黒森山の大蛇がおお百足に痛めつけられ、血だらけになって東沢の流れを逃げ切り、犬谷の主流に出て失神した。この流れに身を浸して十日あまり。気がつくとあれほどの傷がきれいに治っていた。大蛇は神の恵みに感謝し、薬師如来に化身して里から郷へと行脚を続け温泉の効能を伝えたと言う。蛇の毒と火傷に効き目があると有名になったので、やがて里人はここの地域を「蛇の湯」と語り伝えた。

蛇の湯温泉たから荘は、傷ついた大蛇が川原に湧く湯で傷を治したという開湯伝説がある。数馬の郷独特の兜造りといわれる合掌造り建物で有名。



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温泉夜話  映画「テルマエ・ロマエ」と温泉のはなし [温泉マニア]

温泉夜話  映画「テルマエ・ロマエ」と温泉のはなし
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映画「テルマエ・ロマエ」のパンフレットから

  「テルマエ・ロマエ」は、“すべての風呂はローマに通ず“シリーズ爆笑コミック漫画で、ヤマザマリ著超ベストセラー作を映画化したものだ。主人公の阿部寛が演ずるルシウスは、古代ローマ帝国の浴場設計技師。仕事熱心なあまり現代の日本の銭湯や湯治場にタイムスリップしてしまう。日本の風呂事情を目のあたりにして衝撃を受けたルシウスは、古代ローマに戻ると浴場にそのアイデアを生かし活躍する。評判をえて時の皇帝ハドリアヌス専用の浴場設計依頼を受けることになる。古代ローマと現代日本のお風呂事情のギャップと日本の銭湯や湯治場にかかわる人のいい日本人のじじいや漫画家志望の山越真美(上戸彩)たちのリアクションに抱腹絶倒うけあいの映画だ。
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テルマエ・ロマエ」ルシウスと漫画家志望の真実.jpg

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映画「テルマエ・ロマエ」のパンフレットから

 温泉マニアの私は、割りに冷静に見続けることができた。結局は「温泉大国日本独特の文化」を世に知らしめた映画だと思ったが、上映中の回りの若い人たちの時々の爆笑場面に「温泉好き人間を対象とした爆笑コメデイ」なんだと納得した。トラヤヌス浴場は紀元104年着工、109年にオープンし古代ローマ浴場を中心とした複合施設で、5世紀初頭までローマ市民の男女別浴場として使用された。後に古代ローマ時代の浴場建設の手本となった。最後は日本の戦国武将傷病兵の「隠れ湯」よろしく、戦闘後の傷病兵を療養温泉オンドル小屋(岩盤浴)で傷を癒したという場面を壮大に描いている。ヨーロッパの海外の温泉は、主に飲泉が療養の方法だが、大浴場やコンサート会場も兼ねたレストランは貴族たちの社交場として利用された。イギリスのバースに残る古代ローマ時代の様式(入浴はできないが飲泉ができる博物館)が残されている。この映画の撮影は、イタリア最大の撮影場「チネチッタ」で古代ローマ時代の巨大オープンセットで現地エキストラ1,000人を動員して2週間撮影が行われたという。
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那須・北温泉(パンフレットから)

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那須・北温泉(パンフレットから)

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オンドル小屋((パンフレットから)

 映画の魅力は、撮影の温泉地がどこだったのかにもある。栃木県の秘湯北温泉、静岡県大滝温泉天城荘はすぐにわかった。銭湯は富士山のタイル画かトタン絵から大田区の温泉銭湯「秀の湯」かと思ったが、北区の「稲荷湯」だそうだ。北温泉は山に囲まれた古い建築に四角の広い露天風呂と天狗の大きなお面が飾られた天狗の湯が特長だ。1980年12月23日に入浴に訪れた私の全国入浴151湯目の温泉地。夕方から大雪で翌朝2mもの積雪で車が埋もれてしまい、翌日のクリスマスイブには手前の旭温泉に泊まる羽目になった思いでの温泉地だ。宿泊夕刻にたまたま居合わせた温泉マニア3人は、スコップで雪かきをして大雪の中ようやく露天風呂に入浴することができた。天城荘はいくつもある露天風呂の奥に大滝が見える。実はこの右手に奥行き20mほどの穴風呂が有る。はじめて穴風呂に入浴したときに、奥には若い女性の外国人が入浴しており、私の姿を見つけあわててさらに奥のほうへ四つん這いで白いお尻を見てしまった思い出の宿でもある。

☆鎌倉街道を歩く https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/2022-11-09
☆「多拠点生活」ADDressを試してみる! https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/2021-10-24
☆過去に旅した印象深い景を描こう!シルクロード、スペイン巡礼を。
 https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/2021-10-03
☆エッセイ温泉夜話 https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/archive/c35629-1
☆スペイン「聖地サンティゴ巡礼」の旅 2012年12月~2013年7月15日の記録
 https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/2017-07-20
☆シルクロード・敦煌の莫高窟、鳴沙山、月牙泉へ。https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/2019-10-22
☆信州・白馬温泉に長期滞在し、ハイキング三昧へ! https://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2019-06-14
☆ミャンマー最大の名所・仏教建築群バガンに来た! https://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2019-02-15
☆インドネシア滞在の旅 出国審査で「違法滞留」https://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2018-07-01
☆奄美大島へ友人と古民家探しに行く!http://hide-tabi.blog.so-ne.t.ne.jp/2017-12-28
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☆北国街道を歩く 軽井沢追分宿からの挑戦!http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2016-08-12
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☆マツノヒデマサの旧街道を歩く旅 http://aspa.starfree.jp/tabi/nikko/index.html
★スペイン聖地サンティゴ巡礼を歩く 初日サン・ジャン・ピエ・ド・ポーから
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☆スペイン聖地サンティゴ巡礼を歩く・全行程の記録 https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/2017-07-20
☆海外温泉入浴珍道中 http://aspa.starfree.jp/junyoku/matsuno.htm
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温泉夜話 東京都稲城市から青梅市へ来るきっかけ [温泉マニア]

温泉夜話 東京都稲城市から青梅市へ来るきっかけ
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雲取山の帰りに「三条の湯」に入浴!

私は1977年(昭和52年)2月29日に結婚し、独身時代に住んでいた東京都墨田区立花の倒壊寸前の木造一軒家から稲城市に引っ越した。稲城といえば、梨が名産で梨農家の平屋一軒家を借りて過ごした。翌年4月22日に長女が生まれ、翌々年次女が生まれた。共稼ぎの妻は二人の子供たちをベビールームと保育園に送ってから仕事に行き、私は旅行業に就き、世田谷の経堂営業所に通っていた。梨畑に囲まれた場所で、夏になると梨畑を通るたびに蝉が驚いて一斉にピュッとおしっこをかけながら一斉に飛び出すという東京都内とは思えない環境で申し分なかった。あるとき、1階が庭付マンション分譲のチラシが舞い込んできた。場所は東京都青梅市で当時、稲城からは「とても田舎で遠い場所」と思っていた。それから時々車で青梅市の分譲マンションを見に通い、ついに1982年(昭和57年)青梅市天ケ瀬に引っ越した。子供たちが3歳と4歳のときだった。

青梅市は青梅街道の中継点で、歴史が古く、多摩川に面し奥多摩の山々も近く、子供たちを育てるには最適の環境と思われた。何といっても北海道の山奥に育った私の子供の頃の環境に似たところで育てたいという思いがあった。休日には家族で御岳山や大岳山に登り、川遊びをしたりした。60室の大きなマンションだったので同じ年頃の子供達が走り回るにぎやかなマンション住まいだった。青梅市内には東京唯一の温泉郷「岩蔵温泉」(アルカリ性単純硫黄泉)があり、引越し前の1981年(昭和56年)12月22日に温泉宿が数件ある中で明治16年創業の老舗旅館・儘田屋(ままだや)の岩風呂に入浴した。私の全国温泉巡浴227湯目の温泉だった。12月29日には奥多磨町川井の松乃温泉「水香園」にも入浴した。この頃は毎週、稲城から青梅へ通い、マンションの下見ついでに温泉入浴を楽しんでいた。
 青梅には1月12日の青梅だるま市、2月の青梅マラソン大会、2~3月の青梅「梅の公園」の梅まつり、5月2~3日の青梅大祭、5月の重要文化財指定の本堂、仁王門、阿弥陀堂のある塩船観音のつつじ祭り、8月の花火大会など歴史ある有名なイベントや花祭りがあり、子供たちにとっては四季折々の移ろいや文化に親しめる環境だった。青梅に引っ越した後、数年花火大会の会場である永山公園に家族そろってござや弁当、ビールを持参して見に行った。どーんと花火を打ち上げるたびに感じる地響きの体感がこれほど大きいものだと知ったのもここでの花火大会が初めてだった。それまでは空に打ち上げられた花火を遠くから見るものだと思っていた常識を打ち破ってしまった。

1986年(昭和61年)8月17日、東京の最高峰である雨模様の雲取山(標高2017m)に片道3時間かけて登り、帰路途中「三条の湯」(源泉10.5度の自噴・単純硫黄冷鉱泉)に入浴をし、ずぶぬれの親子がこの「三条の湯」で生き返って「辛抱して登ってよかったね」と喜び合った思いは忘れられない。私の全国温泉巡浴392湯目の温泉である。雲取山の最高峰は東京都内だがこの「三条の湯」の住所は山梨県北都留郡丹波山村になる。なお、「三条の湯」は奥多摩の「お祭り」バス停留所から歩いて30分ほどのところ。

エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm

温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html

旧街道をあるく旅 http://aaspa.web.fc2.com/index-tabi.html
温泉グッズ 譲ります、譲ってください。http://www.a-spa.co.jp/mania/index.html



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