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奥の細道を歩く 木の芽峠のTV放送「新日本風土記 奥の細道・新潟・北陸」を見て。 [奥の細道を歩く]

奥の細道を歩く 木の芽峠のTBS放送「新日本風土記 奥の細道・新潟・北陸」を見て。

 2014年10月3日、TBS放送「新日本風土記 奥の細道・新潟・北陸」を見た。芭蕉は今から1689年8月、奥の細道の途次、越後と若狭の国境の木の芽峠を超えた。
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奥の細道の芭蕉と曽良

 この峠は、芭蕉だけでなく親鸞聖人、道元禅師が、又幾多の戦場となり朝倉一族や織田信長、豊臣秀吉、源義経なども通ったといわれる。放送では芭蕉の道をたどり、木の芽峠を管理していた前川家20代目、前川永運氏が登場した。前川家は、平安時代中期の武将平貞盛を祖とする前川永運氏は第43代目。前川家には、天正元年(1573年)に羽柴秀吉が朝倉討伐の際、立ち寄りこの茶屋で兵たちを休ませた。その時、秀吉から拝領したという陣中釜(重さ40㎏、高さ39㎝、直径44㎝、口径23㎝)が安置されている。前川家26代義次の時、木の芽峠に定住し、茶屋番・山回り役として峠に残った。
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木の芽峠にある前川家
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家の前に元気に吠えていたワンちゃんがいた
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囲炉裏におわす前川氏
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 私が2010年7月18日に奥の細道を歩いて、朝に菓子を食べて以来食べるものが無く、木の芽峠にさしかかり、築550年の茅葺屋根の峠の茶屋・前川家に所望して、味噌汁、胡瓜の一夜漬け、大椀のおかゆ、永運氏手作りのラーメンをいただいたことのある懐かしの映像だった。参考:奥の細道を歩く第50回 今庄~木の芽峠、敦賀、色の浜http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2010-07-22

 この放送では、264年前から続く木の芽峠を越えた蓮如上人御影道中(合掌の道)を取り上げていた。京都東本願寺第8代蓮如上人(1415年~1499年)の没後、1752年・宝暦2年、北陸での教化のご苦労とその徳を偲んで吉崎御坊での御忌法要に、上人の御影を本山よりお迎えして勤められたという。今年で341回目となる。5月17日、御影をリヤカーで引く神輿に載せ、「蓮如上人様、東本願寺おたちー」の掛け声を合図に東本願寺を出発、上人が歩かれたという吉崎別院までの約240㎞の道程を目指した。6泊7日をかけ、木の芽峠で休憩に立ち寄った後、23日に吉崎別院で法要を営み、5月2日に出発、9日に東本願寺に戻る。
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峠道は狭いので、御影は、背負って運ぶ
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前川家を立つ
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峠からの幻想的な風景

 木の芽峠は、標高628mの勾配のきつい最大の難所。リヤカーが通れないので、御影を交代で担いだり背負ったりして運ばれる。木の芽峠の前川家の接待を受け、下山する。約140ヶ所の会所に立ち寄られるという。道々、蓮如上人の御影を目のあたりにする人々は、合掌して見送られる。

 何百年前からの歴史や伝統を継承して残されたこれらの儀式や、古の残された道や代々のそれぞれに任せられた人たちの生きざまを見ることができるのは、幸せなことだと改めて実感させられた思いだ。前川家や前川永運氏のますますのご健勝を祈らずにはいられない。

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☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
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第52回奥の細道を歩く 関ヶ原~垂井~ついに終点の大垣 2011.3.05~07 [奥の細道を歩く]

第52回奥の細道を歩く 関ヶ原~垂井~ついに終点の大垣 2011.3.05~07
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大垣城から見下ろす・・・ついに最終地点

 前回は2010年9月以来半年振りの歩きとなる。思えば、一昨年末に前立腺肥大症、膀胱頚部硬化症で入院手術をし、その後も膀胱結石手術、尿道狭窄手術と続き昨年は4回しか歩くことができなかった。ようやく体調も回復し、まる5年かかっての終点・大垣を迎えることになる。5年間に運動靴は2回履き替えた。2,400km歩き通した割にはよく2足でもったなと思うが・・・。「芭蕉追い 五年二足の 朧月(おぼろづき)」

 2011年3月05日(土)、新宿西口ハルク前から名鉄岐阜駅行きのハイウェイバスに乗る。名鉄岐阜駅には6時05分着、JR岐阜駅に乗り換えてJR関が原駅へ。ここで大変な失態に気付く。「デジカメを忘れてしまった!」充電器は持ってきたのに・・。絶句である。52回の奥の細道歩きで始めてだ。ハイウエィバスに乗り遅れて自宅に帰ったという大失態もあったが。前回歩いた秋季には伊吹山行きのバスがあったが、今の時期は路線バスの便がなく、タクシーで前回の到着地点である「伊吹山ハイウエイ入り口」バス停「玉」まで行く。カメラは、コンビ二で使い捨てカメラを調達した。「玉」は、美濃に入っての最初の集落で、ここから関ヶ原宿までは約3km。中山道関ヶ原宿は、かつて「旧中山道を歩く旅」で2005年5月13日に訪れている。

 7時に出発し、国道21号線関ヶ原バイパスを交差して旧道に入る。すぐ小屋かけの馬頭観音、三面お不動様のようだが・・・。気温が低く、ペットボトルの水が温く感じる。伊吹山の南側には雪がなく、北側は白い雪で覆われている。しばらく歩くと左手丘に、関ヶ原合戦の跡を知らせる旗がたなびいている。「西軍石田光成陣の跡」や「関ヶ原決戦地の碑」に立ち寄る。田畑にはペットボトルの空き容器を利用した鳥よけのペットが林立している。あたかも合戦の旗がたなびいているように見える。「耕しや 鳥よけペット 旗のごと」(関ヶ原にて)この周辺で8万8千人対8万6千人の兵士の決戦が行われたとは・・・。芭蕉はここでどのような思いを感じたのか?南下してすぐ、東首塚を経由して、中山道脇本陣を通過。
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前回の到着地点「玉」

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関ヶ原決戦地の碑

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東首塚

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旧中山道脇本陣跡

 8時02分、旧道松並木に入る。右手に家康最初陣跡の旗が見える。30分後、南側の一基だけが残る垂井一里塚に出る。東海道本線の踏切を渡り、しばらく行くと八尺地蔵尊のある「西の見附と広重の絵」の標識がある。芭蕉が住職の規外を訪ねて本龍寺に冬籠りをし、「作り木の庭をいさめるしぐれ哉」の句を詠んだ。文化6年(1809年)建立の句碑がある。県道215号線で、赤坂宿へ向かう旧中山道と美濃路に分かれる「追分」の美濃路へ向かう。宝永6年(1609年)垂井宿問屋奥山文左衛門が建立した中山道で7番目に古い道標。ユニチカそばの美濃路松並木を過ぎて、ようやく大垣市へ。
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松並木

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垂井一里塚

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西の見附

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芭蕉が冬籠りをした本龍寺

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芭蕉句碑

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追分道標

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美濃の松並木

 10時52分、愛宕神社に隣接した正覚寺の「芭蕉塚」「史跡 芭蕉・木因遺跡」に立ち寄る。元禄7年(1694年)芭蕉が大阪で病没すると大垣俳人・如行らが深く悼み路通筆の「芭蕉翁追悼碑」を、また木因の死後、芭蕉と木因の親交を偲び木因碑を建て「芭蕉・木因遺跡」とした。
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正覚寺の芭蕉塚

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正覚寺「芭蕉・木因遺跡」

 北上して、大垣藩主戸田家廟所である円通寺の句碑「こもり居て木の実拾八はや」に出会う。水門川の流れにたゆたう緑色の大きな藻が美しい。
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円通寺の句碑

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水門川の流れ

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八幡神社

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大垣の湧水

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駅前通りの居酒屋「飲食空間 芭蕉」

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動くうさぎの餅つき「餅惣」

八幡神社入り口に冬ごもり塚「折々に伊吹をみては冬こもり」「大垣の湧水」を汲みに来る人が続く。私も一句「翁を追い柿菓食らふや梅香かな」駅前通りに居酒屋「飲食空間 芭蕉」を見つけた。芭蕉を追い最後の大垣にふさわしい思い出の食事をと考えていたところだ。ランチは700円で、生姜焼き、豚カツ、秋刀魚塩焼き、コロッケ、うどんなど14種から2種をチョイスできるボリューム満点のランチ。とても寒かったので熱燗を一本追加。午後はレンタサイクルで市内を回ることにした。「大垣観光物産所」でレンタサイクルを無料で借りる際、女性職員が「主人が昔旧中山道を歩いたのに、リタイアすると何も運動せずに太ってしまった」と嘆いていたので、「又、旧街道歩きに挑戦して~!」とエールを伝言するようお願いした。
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美濃路の老舗和菓子屋「つちや」

 まず「奥の細道 むすびの地記念館」前の観光案内所に立ち寄る。自らドイツに留学した経験があるという女性職員とひと談議。現代の若者気質の話から、やはり「可愛い子には旅をさせよ」との結論を得て、「記念館」へ。「記念館」には大垣俳壇の先駆者・谷木因との交流の資料が豊富で、芭蕉再会の場面が展示されている。旧美濃路の古建築に魅せられて立ち寄ったところが、老舗の和菓子屋の柿洋羊羹で有名な宝暦5年(1755年)創業の「つちや」竹包みの容器の柿羊羹は、昔からの伝統の味だという。お茶と一緒にサービスでいただいたので、つい購入してしまった。
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「奥の細道 むすびの地記念館」(パンフレット)

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内部(パンフレット)

最後は大垣城に登城してみる。昭和20年7月に消失するまで現存していたとは驚いた。昭和34年に鉄筋造りで天守閣が再建された。体験用の槍、弓、鉄砲が展示されており面白い。

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大垣城

 市内東へ1km行ったところにショッピングストア、パチンコ、ゲームセンター、ボーリング場、映画館などがある「大垣コロナワールド」があり、その一角に2006年12月オープンの日帰り入浴施設「天然温泉コロナの湯」がある。通常は800円のところが謝恩サービス期間中で、なんと300円だった。地下から湧出する泉温62度の単純温泉。内風呂に白湯とかかれた源泉の湯船が二つ、ジェット風呂、露天風呂には、岩風呂の他に桧炭酸風呂、壷湯、木化石風呂がある。桧炭酸風呂に入ると肌に水泡が沢山ついてくる。人工的に作られたものだ。いかにも血圧や心臓病に効きそうだ。この温泉はとくに肌がすべすべになるというのではない。全ての浴槽は、循環・塩素殺菌になる。
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「大垣コロナワールド」の「天然温泉コロナの湯」

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露天風呂(パンフレット)

本日の宿は、養老温泉「ゆせんの里 ホテルなでしこ」JR東海道本線大垣駅から車で20分。宿のシャトルバスが無料送迎している。大垣駅前を16時10分発。

 ホテルなでしこ「みのり乃湯」は、各種内風呂と養老山脈を望む開放的な露天風呂。地下約1700mから1日800トンという豊富な湯が湧き出て、泉温が42度のカルシウム・ナトリウム塩化物泉。源泉掛け流しの湯船で循環・塩素殺菌がなく塩素臭がないのがうれしい。サウナ、韓国伝統の赤外線ドームサウナ・養老汗蒸幕、岩盤浴もある。隣接して、水中運動浴場・温水プールがある天然温泉「バーデンゾーンささら」は、水着着用での歩行浴、圧注浴、打たせ湯、水風呂、薬草蒸し湯などさまざまなスパが楽しめる。詳しくは、「療養温泉突撃取材シリーズ」として後に紹介したい。
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養老温泉ホテルなでしこ

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南欧風の中庭

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自慢の養老汗蒸幕

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露天風呂(パンフレット)

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天然温泉「バーデンゾーンささら」

 翌日、大垣市内に戻り、レンタサイクルで中山道赤坂宿を訪ねることにした。芭蕉は元禄2年(1689年)秋に二週間滞在して立ち寄った赤坂の法泉寺、虚空蔵菩薩で有名な明星輪寺に向かった。住吉燈台と船町港跡は、旧中山道を歩いた時(2005年5月13日)の記憶を呼び戻して懐かしい。
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住吉燈台と船町港跡

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美しい古い建物が残されている

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赤坂の宿

 法泉寺の前に藤棚があり、その中に芭蕉句碑「草臥てやとかる頃や藤の花」がある。
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法泉寺

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入り口に藤棚のなかに芭蕉句碑

旧道に戻り、金生山(通称虚空蔵山)に鎮座する虚空蔵さん明星輪寺へ上る。レンタサイクルを押してのこの長い急坂が辛い。ただ、帰りは楽だぞ~!の一心で耐える。この一山全体が明星輪寺のようで、旧参道を右手にすすむとかつての茶屋跡が無残な姿で残っている。水仙や梅の花が咲いて香りを振りまいている。拙句「ひと山の虚空蔵参り春香かな」「赤帽の地蔵に匂う梅香かな」
本堂の手前に室町時代作の梵鐘が置かれている。明徳4年(1393年)の銘がある。山門手前左に芭蕉句碑「鳩のこえ身に入わたる岩と哉」本堂の内陣の奥に回って驚いた。岩屋になっていて岩窟の奥に虚空蔵本尊が祀られ、ここ三十数年も公開されていないという。本堂の上を仰ぐと石灰岩の奇岩が見える。大垣市名勝の岩巣公園で、ここから見下ろす大垣市内の夜景もすばらしいという。
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金生山明星輪寺への長い登り

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参道の途中にある数々の地蔵さん 

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室町時代の梵鐘

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本堂

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秘仏の御本尊(パンフレット)

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石灰岩の奇岩・岩巣公園

2006年1月12日に江戸・日本橋(旧日光街道)から歩き始め、2011年3月07日まで、5年2ヶ月。基本的に月に1回を目標にして延べ52回で約2,400kmの奥の細道を歩き繋いだことになる。突然の吹雪で長靴を購入して歩いたり、月山の山小屋の宿泊を断られたり、いくつもの危機を乗り越えて終点までたどり着いた感慨は大きい。さらに多くの方と出会い、助けられ、多くの感動を体感することができた。人間の体力の偉大さ、最初の一歩、こつこつ継続することの大事さを改めて知らされた思いだ。最終回にデジカメを忘れて、写真の質が落ちてしまったのがとても残念だが、それがまた後に強い思い出と残るのだろう。

第51回奥の細道を歩く 市橋・疋田~玄蕃尾城跡~木之本~関ヶ原
第50回奥の細道を歩く 今庄~木ノ芽峠~敦賀、色の浜、敦賀~市橋
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2010-07-22
第49回奥の細道を歩く 福井~鯖江~今庄、敦賀 その①
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2010-03-26
第49回奥の細道を歩く 福井~鯖江~今庄、敦賀 その②
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2010-03-23
第48回 奥の細道を歩く 大聖寺~天龍寺~永平寺~福井
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2009-11-19
第47回 奥の細道を歩く 那谷寺~山中温泉~大聖寺
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2009-10-23
冷え性対策に「遠赤外線 田口式健康サポーター」http://www.a-spa.co.jp/taguti/
旅と温泉の相談室アスパサービスhttp://www.a-spa.co.jp/
ペットと泊まる温泉宿 http://www.a-spa.co.jp/pet/ エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
温泉水サーチhttp://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/search.html
旧街道をあるく旅http://aaspa.web.fc2.com/index-tabi.html

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奥の細道を歩く 第51回 市橋・疋田~玄蕃尾城跡~木之本~関ヶ原 2010.9.18~20 [奥の細道を歩く]

第51回奥の細道を歩く 市橋・疋田~玄蕃尾城跡~木之本~関ヶ原 2010.9.18~20
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疋田から市橋への途中の壁画

 芭蕉は敦賀から北国街道で関ヶ原へ向かったといわれるが、よくわかっていない。9月18日、東京新宿から夜行ハイウェイバスで福井駅へ。JR北陸本線で敦賀駅に移動。乗り換えて新疋田駅へ。前回の到着地点市橋まで戻る。8時13分、曾々木の八幡神社に着く。村人たちが「放生会ほうじょうえ」のために集まってくる。「昨夜、祭だったんだ」という。
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曾々木の八幡神社

空は鱗雲で快晴。さわやかな風が吹き抜ける。8時35分、3つのトンネルが並ぶ刀根トンネルを過ぎて、天然記念物のツガがある気比神社。
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気比神社

9時22分、柳ケ瀬トンネルを左折して回り込んでいよいよ羽柴秀吉と柴田勝家との戦いの舞台・玄蕃尾城跡に向かう。織田信長の家督相続を巡り、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで、羽柴秀吉は木之本に柴田勝家はこの中尾山(柳ヶ瀬山)の玄蕃尾城に陣を敷いた。賤ヶ岳は木之本の北西、玄蕃尾城の南10kmの位置にある。しばらくは整備されたアスファルト道路を上る。9時53分、山道の登りに変わるところに軽トラックと体長1mほどの小さな猪が血を流して倒れている。「どこから落ちてきたのか?」
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中尾山の玄蕃尾城跡登山道入り口

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大権現様の祠

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旧道

すぐ大権現様の祠あり。久々坂峠に着くと「上に500mで玄蕃尾城」の標識があり、素直に従って登るが、相当きつく息も絶え絶えだ。しばらくするとなだらかな山道が続き、玄蕃尾城南端の入り口に着く。天正11年(1583年)3月、織田信長の後継者を巡って羽柴秀吉と柴田勝家の争いで、ここは柴田側が陣どったところだ。15万8772平方メートルという広大な城跡の形状が良く残されている。400年以上もたっているとは思えない。
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玄蕃尾城跡

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玄蕃尾城跡

 峠に戻ったところで、白い柴犬とおじいさん、5~6人のハイキンググループの人達がわいわいと賑やかしい。10才の柴犬レオ君が昼寝している子猪を急襲し谷底へ突き落としてきたのだという。私が入り口で見た子猪も、レオ君が同じように臭覚で居所を突き止め、首根っこに噛みついて射止めたのだという。地元の椿坂から来たという木村利雄(78歳)さんは洋服に猪の血しぶきを残しながら「今日の二頭の猪で、6年前から13、14頭目だよ」とレオ君の頭をなでながら誇らしげだ。そういえば、里でおばあさんから「そんな短パンに半袖で、鈴は持ったかね?」「熊でも出るんですか」という会話をしたばかりだった。後日伺ったら、さらにその後2日間で2頭の猪をしとめたという。
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木村利雄さんと柴犬のレオ君

 滋賀県側の柳ケ瀬へ一気に下る。11時17分柳ケ瀬側入り口着。木村利雄さんに聞いた2㎞先にあるというレストランがなかなか見えない。12時20分にようやく「レストラン法師」に出合い助かる。カツカレー&サラダとビールで一息入れる。35分間の食事時間中に高月駅近くの宿「住吉屋旅館」の予約を入れる。1泊2食付きで5,000円、どんな食事が出していただけるのか楽しみというか不安というか・・・。昼食後、暑さは厳しくJRガード下の日陰で昼寝を取る。それからはタオルに水を浸して頬かむりして涼をとる。
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柳ヶ瀬への旧道下り坂

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レストラン法師での昼食

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意波閇神社

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木之本宿手前の祠

 意波閇神社、市街地まで1.5km手前に顔の表情も判別できないお地蔵様の祠を過ぎると木之本町へ入る。木之本牛馬市跡には旧民家が立ち並ぶ。室町時代から昭和初期まで年二回20軒の民家を宿として牛馬市が行われた。有名な山内一豊が名馬を購入した馬宿「平四郎」もあった。老舗酒造り「山路酒造」の建物が目立ったので、立ち寄る。女将さんが応対してくれた。創業470年、現在の建物は昭和初期のものだが、隣接した門は300年前のものという。ここにしかないものを訪ねると「桑の栽培が盛んな昔、先祖が夢枕に桑を用いて酒を造れとのお告げで創業以来の桑酒があります。」旅先なので一番軽い容量の桑酒を購入した。歩いて観られる観音様を尋ねると、店の角を東へ200mほどの意冨布良神社に隣接する田神山観音寺を教えていただいた。無住寺で地元の担当者が説明に来て扉を開けて、説明をしてくれる。伝教大師が開いたと伝えられるが、詳しくは判らない。ご本尊は元禄時代作といわれる160センチほどの聖観世音菩薩立像。脇侍とは、明らかに造りが異なる。
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牛馬市跡・山内一豊が名馬を購入した馬宿「平四郎」

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老舗酒造り「山路酒造」

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「山路酒造」の店内

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「山路酒造」創業時からの桑酒

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田神山観音寺

 目の仏様で有名な木之本地蔵院、日本で第一号の薬剤師で薬の古い看板が立ち並ぶ薬屋の旧本陣跡、酒造り老舗「富田酒造」、昭和10年に湖北銀行木之本支店として新築された鉄筋の洋風建築物「きのもと交遊館」、を過ぎる。畳屋さんで高月への旧道と近くの温泉「北近江リゾート」の道順を教えていただく。
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木之本地蔵院

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薬の古い看板が立ち並ぶ薬屋の旧本陣跡

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酒造り老舗「富田酒造」

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旧湖北銀行木之本支店

「北近江リゾート」の「北近江の湯」は、平成10年に湧出した36.4度のナトリウムー塩化物・炭酸水素塩泉。入浴料は平日900円だが、本日は1,200円。浴室は広く、大浴場リラックスジェットバス(寝湯)、打たせ湯、サウナ、露天バイブラバスなどがある。全て循環式、塩素殺菌で、塩素臭が強く私には耐えられない。隣接して、同経営の「愛・地球博 エジプト館」がある。
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「北近江リゾート」の「北近江の湯」

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「北近江の湯」のロビー

 本日の宿泊場所、高月駅近くの「住吉屋旅館」までは、約2km。高月町は「観音の里」といわれ、観音様が多く、参拝者の為の旅館が多いようだ。1階の和室6畳でトイレやユニットバスは共用。夕食膳は1階の食堂。茸と小松菜の炒め、お造りは鮪・鯖・帆立、かに蒲鉾と胡瓜の酢の物、鯖の煮魚、キャベツと焼肉、炊き込みご飯に味噌汁、デザートはみかんと5,000円の宿泊料金にこのお料理は凄い!
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高月駅近くの住吉屋旅館

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1階和室

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食堂での夕食膳

 翌朝は7時25分に出発。関が原の中心地までは無理なので、伊吹山ドライブウェイ入り口にバス停があり、12時30分、13時、13時30分に間に合うように行けば、JR関が原駅まで行くことができる。天候は曇りで、歩くにはかえって歩きよい。国道365号線沿いに歩く。8時10分、「群上」辺りから左手に日本百名山の一つ伊吹山(標高1,377m)が見えてきた。ここで私の拙句「足元で 虫の音響くや 伊吹山」浅井長政の居城「小谷城跡」入り口を通過。8時30分、お市の方も入湯したという秘湯「須賀谷温泉」入り口を過ぎる。この温泉は2005年6月に宿泊入湯取材した私の温泉巡浴1,911湯目の温泉。9時50分、左手の「姉川古戦場跡」を通過、この辺りから、もう足が辛くて「ヒッチハイクをしようか、いやそうすると次回そこまで戻るのに大変な思いをする・・・」と悩み悩みする時間帯だった。大野木から登り坂になり、藤川西から下りに転じる。気温は29度まで上がり、また水に浸したタオルを頬かむりして歩く。伊吹山ハイウェイ入り口のバス停「玉」に12時50分に到着。「助かった・・・・」という実感。
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浅井長政の居城「小谷城跡」入り口

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伊吹山の遠望

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秘湯「須賀谷温泉」入り口

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途中でこんな看板があった

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「姉川古戦場跡」

 ここからJR関が原までは、バスで10分、歩けば2時間くらいか。関ヶ原は中山道の宿場町で、私は「旧中山道六十六次を歩く」旅で2005年5月13日に一度歩いている。今回の2日間で45kmほど歩いたことになる。

第50回奥の細道を歩く 今庄~木ノ芽峠~敦賀、色の浜、敦賀~市橋
 http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2010-07-22
第49回奥の細道を歩く 福井~鯖江~今庄、敦賀 その①
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2010-03-26
第49回奥の細道を歩く 福井~鯖江~今庄、敦賀 その②
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2010-03-23
第48回 奥の細道を歩く 大聖寺~天龍寺~永平寺~福井
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2009-11-19
第47回 奥の細道を歩く 那谷寺~山中温泉~大聖寺
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2009-10-23
冷え性対策に「遠赤外線 田口式健康サポーター」http://www.a-spa.co.jp/taguti/
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奥の細道を歩く 第50回 今庄~木ノ芽峠~敦賀、色の浜、敦賀~市橋 [奥の細道を歩く]

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木ノ芽峠の「言奈(いうな)地蔵」、世にも恐ろしい弘法大師ゆかりの説話

3月20日(第49回)以来の奥の細道歩きである。昨年末に前立腺肥大、膀胱頚部硬化症の手術をし、ようやく回復したかなと思った矢先、5月下旬に6ミリの尿道結石が見つかり緊急手術を6月2日に行った。半年に2回の手術をしたことになる。体調を考えて、多少減速気味での奥の細道歩きになりそうだ。7月17日の夜行バスで福井駅へ、東京駅前での乗車時に「敦賀へは寄らないの?」と運転手に聞くと「敦賀に変更しますか?」翌18日午前5時10分、敦賀で降りるとそこは北陸自動車道のインターだった。一瞬考えたが、福井駅まで行って1時間遅く行動するよりもここで降りたほうが早いと判断し、そこで降りた。その判断が甘かった。道がわからず、結局民家にいる人に頼んで駅まで送っていただいた。JR敦賀駅からの列車は坊主頭の高校生がちらほら。「朝列車 背あてに坊主 夏の風」 前回の到着地今庄駅に着いたのが、6時20分。

梅雨明けの快晴で、日差しがとても強い。南今庄・木ノ芽峠方面へ向かう。清心寺に「地蔵祭り 7月18日」の案内が・・・。夏祭りの時期だなと実感。右折し旧道沿いに歩くと、地蔵様がところどころに鎮座する。コツラの清水を6時40分に通過。式内鹿蒜神社、往還一里塚跡を過ぎる。田圃の緑がまぶしい。「風になる 燕青田を 駆け巡り」下新道地区に高さ150センチもの石版彫りの地蔵に出会う。道の真ん中で大きな亀につまずいて、亀を脇によける。しばらくして今度は大きな蛇が横たわる。両うでに鳥肌がたつ。
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道端に石仏が・・・。

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式内鹿蒜神社

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大きな亀が横たわる

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下新道地区に高さ150センチもの石版彫りの地蔵

木ノ目峠への分岐点からしばらくして、7時30分に二ツ屋。宿場こうえんで清掃中のおばさんに声をかけると「鈴を持ってきたかね?」に「エッ!熊が出るんですか?」と驚く。亀、蛇の次は熊かよ~と頭をよぎる。8時にはまた往還一里塚跡、さらに小道になる。宗天寺無縁の墓には、文政6年の銘が刻まれる石仏が並べられている。8時27分、石仏「山神」顔の目鼻の彫りはすっかり欠けている。木の芽峠上り口からさらに道は細くなり、雑草の深い山道になる。
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山道はさらに狭く

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宗天寺無縁の墓

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木ノ芽峠への雑草生い茂る山道

 9時15分、小屋掛けの「言奈(いうな)地蔵」に到着。石版に地蔵様が彫られ、弘法大師作といわれる。いわれは怖い話だ。
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「言奈(いうな)地蔵」

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「言奈(いうな)地蔵」

 さらに15分で、白い犬にワンワン吼えられて木ノ芽峠(鉢伏山)に到着。越前と若狭の国境の標高623mに建つ番所兼茶屋だった歴史を持つ。朝からお菓子しか食べていないので、「こんにちは。この近くに食事場所はありませんか?」と訪ねると「ラーメンでも食べるかね?」の返事。これはありがたい!味噌汁に胡瓜の一夜漬け、大椀に盛られたおかゆ、しばらくしてさらに大椀のラーメンが・・・。これも食べなさいとメロンが。流石にこれはもう食べられないと辞退した。彼は代々前川家を継ぐ前川永運氏で平成4年にお父上の後を次いで、言奈地蔵など近隣の管理、木ノ芽峠にかかわる宗教界などの諸行事を司っている。築550年の土間や囲炉裏のある建築物は、私の生家北海道開拓農家時代を思い出す。家の前には、永平寺開山の道元禅師碑(1,253年、病気療養のため永平寺から京都へ行く途中に立ち寄った。5月20日前後に法要)が立ち、かつて峠を越えた平安時代の紫式部、鎌倉時代以降は親鸞、蓮如、南北朝時代は新田義貞率いる将兵が雪中で凍死。戦国時代には朝倉氏や一向一揆勢と織田・豊臣軍との戦の舞台となった。
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木ノ芽峠の碑

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永平寺開山の道元禅師碑

 前川家が織田信長と縁があることを知った豊臣秀吉が賜ったという金の茶釜や戦中茶釜などが残され、過酷な時代を一身に背負ってきた家柄を感じさせる。前川氏の生い立ちや普段の修行や行事などの話しを伺うことができた。2km先にある坂東の岩での修行は年に30、30、10日で、私より10才も年上とは思えない過酷な修行を今も続けられていることに感動。気がつくと12時、土間に置かれた陣笠をいただいて下山を始めた。彼の守り神は龍神だそうで、途中であった亀、蛇は、龍神様のお使いだったわけだ。
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築550年前川家の土間

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囲炉裏の間

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前川永運氏

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秀吉から賜った戦中釜

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木ノ芽峠からの眺望

 800m下ったところに「弘法の爪描き地蔵」に出会う。山道は胡桃の木が多いのか。「胡桃踏む 木ノ芽峠の 古道かな」20分ほどで敦賀側木ノ芽峠入り口へ。新保、葉原、腰坂を得て敦賀市内へ。緑一面の田圃に風が強く吹き、一瞬緑の色彩も形も変化する。「波打って ドミノがわりの 青田かな」気温36度の炎天下で、陣笠が役立った。
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「弘法の爪描き地蔵」

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木ノ芽峠下りの古道

 15時40分、津内町のわたなべ旅館に到着。今回新調の靴のせいか、足の甲が痛む。真っ先にお風呂に入り、6時に夕食をいただいた。牛すき焼き鍋、蛸の酢の物、甘エビと飛び魚の刺身、すいとんの餡かけ、鯛の御頭焼と1泊2食で6,000円とは思えないほどの料理に感激。重い荷を持ちたくないので、もう1泊することにした。
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敦賀市内のわたなべ旅館

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夕食膳

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朝食膳

 翌18日(月)6時20分に朝食をいただき、敦賀駅まで送っていただいた。7時発の立石行き「色の浜」へのバスに乗車する。芭蕉は敦賀から船で色の浜へ行ったので、わたしもバスで行ってもいいだろう。今日も快晴、右手に海を見ながらの路線で、昭和38年までは道路がなく交通機関は船だった。40年に敦賀原発誘致の関係でできた道路らしい。路線バスの市内は一律200円もそうした原発誘致による予算で可能になっているのか?7時35分に色の浜着、海岸へ下ってすぐに、左手に本隆寺開山堂がある。左手に芭蕉句碑がある。「寂しさや 須磨にかちたる 濱の秋」
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色の浜バス停から

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本隆寺開山堂

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芭蕉句碑

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本隆寺本堂

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本隆寺境内の円形の芭蕉句碑

 さらに100mも行くと本隆寺本堂が。境内にある「小萩ちれ ますほの小貝 小盃」円形の新しい句碑には「衣着て 小貝拾わん いろの月」ますほの貝が見られる美しい海岸はどこだ?と漁師に尋ねると「ここがそうだよ。一昨年暮から桟橋工事を始めて砂浜がなくなってしまった。約束が違う!」と憤っていた。芭蕉関係者や環境保護団体などが反対したが押し切られ、砂浜が消失してしまった。「埋め立てて ますほの貝も 夏の夢」目の前にある水島は海水浴場で、若い家族やアベックたちが、船の乗船待ちで大勢並んでいる。干潮時なのか時間がたつにつれて、水島は左手の半島部に繋がる砂州のような感じになってきた。
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一昨年末から埋め立てられた海岸線

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海水浴は、水島へ船で行く

 ますほの貝が見られる砂浜を見たいと6km先の常宮(じょうぐう)へ向かうことにした。バスの便がないので、歩いたが次のバスに間に合わないと、民家のおじいさんに頼んで軽トラックに載せて送っていただく。彼はやまもと旅館を経営するご隠居だった。手(た)の浦にある常宮神社入り口の鳥居そばには、「国宝朝鮮鐘」の石碑が建ち、右隣には芭蕉句碑も建つが朽ち果ててほとんど判読が不能だ。
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常宮神社入り口

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芭蕉句碑があるが朽ちて判読不能

 灯籠には正保2年(1,645年)の刻銘が見える。海側に面して拝殿があり、普段は参拝客の休憩所をして提供している。気比神社との結びつきが深く7月22日の総参祭(そうのうまいり)には、気比神社宮司以下神職者を御座船神宮丸を海上より拝殿に渡られるという。正月には正面から、日が昇るという。宮川宮司に朝鮮鐘を見せていただくよう案内をしていただいた。豊臣秀吉が新羅の慶州から持参した1,300年経つ世界的な名鐘で、慶長2年(1,597年)に奉納され、国宝に指定された。上下の帯には蓬莱山の図、上部の突起の乳は、三段三列で松がさをかたどっているがほとんど欠けている。表と裏に鼓を打つ天女が舞っている。宮川宮司は「最近見えた韓国の若い女性が、『私の国の宝がこんなところにあるなんて、許せない!』と泣き叫んでいました。」この近海にも北朝鮮の船が来ているはずだから、保管は厳重にしていますが・・・」とおっしゃる。
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常宮神社本殿

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本殿前にある古いがしゃれたデザインの灯籠

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海に開かれた拝殿

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展示されている「ますほ貝」

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展示されている「ますほ貝」

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国宝の朝鮮鐘

「ますほ貝は、もう限られた場所にしか見られないので、教えてあげましょう。」と地図を描いていただいた。5分も歩いた縄間の海岸で、ますほ貝を見ることができた。5~8ミリの白や桃色の小さな貝で片側がほとんどで、形がそろっているのは茶色っぽい。広い砂浜の海岸がもう見られなかったのはとても残念だった。
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常宮ちかく縄間の海岸

 11時20分発の路線バスに乗車し、20分ほどで敦賀駅へ戻る。昼食場所を探しながら、国道8号線沿いに疋田方面へ歩く。休日でファミレスは順番待ちでどこもいっぱい。コンビ二でサンドイッチと牛乳を購入し、歩きながら食べることになる。炎天下の35度は慣れたとはいえ、2日目の歩きはきつい。小河の日吉神社を通過、疋田の手前の市橋バス停に木陰があるので小休止。バスの時間がこの便(13時10分)の後に戻るのは18時過ぎなので、気弱になりこの辺で戻ることにした。

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小河の日吉神社

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市橋のバス停近くの案内板

第49回奥の細道を歩く 福井~鯖江~今庄、敦賀 その①
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第48回 奥の細道を歩く 大聖寺~天龍寺~永平寺~福井
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第47回 奥の細道を歩く 那谷寺~山中温泉~大聖寺
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奥の細道を歩く 第49回 福井~武生~今庄、敦賀 その2 2010・3・20~22  [奥の細道を歩く]

第49回奥の細道を歩く 福井~武生~今庄、敦賀  2010・3・20~22 その2
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北国グランドホテルからの敦賀市内眺望

 3月21日(日)JR今庄駅から敦賀駅に移動して12時55分着。この後の予定を敦賀市観光案内所で相談。今庄から敦賀まで距離約25キロメートルを一気に歩くには、途中は交通機関がないため、朝一番から歩く他はない。とりあえず、市内にある私がまだ未入浴温泉の敦賀きらめき温泉「リラ・ポート」へ行く。通常1,000円のところ本日のみの割引価格500円。水着着用のバーデプールを持つ大規模な日帰り温泉施設。引き湯している25・7度のアルカリ性単純温泉(内湯の高温浴槽)と敷地内1,500mから湧出した32.5度のナトリウム炭酸水素塩泉(内湯の中温浴槽)と2種類の泉質を持っている。内湯の38度の温湯浴槽は、強いぬるぬる感が感じられたが、露天風呂の方はほとんど感じられない。源泉からの距離や加水量や循環の関係か。年間23万人が訪れる。
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敦賀きらめき温泉「リラ・ポート」

一端、敦賀駅まで循環バス(1回200円)で戻り、その後芭蕉ゆかりの史跡めぐりに行く。まずは地元では「けいさん」と呼び親しまれている気比神社へ。日本三大鳥居で朱塗りの木造大鳥居の高さは10・9m。松尾芭蕉のブロンズ像が境内にある。台座に「月清し 遊行のもてる 砂の上」の句。其の像の隣に30トンもの巨石に刻まれた句碑。2010.3.20~22 第49回奥の細道を歩く 福井~鯖江~今庄、敦賀 137.jpg
気比神社

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芭蕉像と句碑

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巨石の句碑

次いで、芭蕉が泊まった出雲屋の跡へ向かう。相生町商店街レストラン梅田の前に標柱と案内板がたつ。さらに芭蕉を色の浜へ案内した廻船問屋「天屋五郎右衛門宅跡」へ。魚問屋街の一角にある蓬莱客館「料亭あみや」の裏手にその標柱があった。
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芭蕉が泊まった出雲屋の跡(今はレストラン梅田)

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芭蕉を色の浜へ案内した廻船問屋「天屋五郎右衛門宅跡

本日の宿は、敦賀トンネル温泉を持つ北国グランドホテル、16時50分に敦賀駅まで迎えにきていただいた。高台にある宿の眺望は抜群。フロントは2階で浴場は1階。私の部屋は4階フロアの和室8畳バストイレ付き。数年前に3・4階の客室の半分は改装して新しいが、私の部屋は古いままだ。温泉は北陸トンネルを掘削の折に湧き出した温泉で、その名も「敦賀トンネル温泉」。1989年の21年前(温泉巡浴500湯目)に東京から家族で「青春きっぷ」で琵琶湖や日本海に泳ぎに行こうと敦賀に宿泊・入浴した温泉だ。(温泉巡浴500湯記念http://www.a-spa.co.jp/junyoku/500/onsen-jyunyoku500.htm )
25・7度のアルカリ性単純温泉。1階フロアの大浴場は、2面ガラス張りの敦賀市内が展望できる。肌につるつる感が強い。
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北国グランドホテルの全景

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ホテルからの敦賀市内の眺望

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展望のよい大浴場

夕食膳はお部屋出し。満室で忙しいためか、後出しの料理をご飯と、まとめて一緒に持ってきていいですか?という。料理を運んでくる度に「はぁ はぁ」と息を切らせている・・・。大変なのはわかるけど、お客にあわせてくれないと・・・。先付けは卵焼き・じゃこ・あけび煮・魚、松葉ガニ、里芋等の煮物、カニ鍋、天ぷらはレンコンのハム巻き・海老・サツマイモ・ししとう、お造りは鮪・烏賊・鰤・甘海老、蒸し物、デザートにご飯、お吸い物。2日続けての会席料理に体重が心配だ。
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夕食膳はお部屋で・・・

翌日は結局、今回は木の芽峠や国道365号線を諦めて、敦賀市内を散策することにした。今日は朝から快晴ですばらしい。昨日の春嵐、雨・強風・あられ・一瞬の晴れ間など、人の世の波乱万丈を一日で体験したような感じだ。9時に敦賀駅への送迎ワゴン車で金ヶ崎城跡で下ろしていただいた。元亀元年(1,570年)、金ヶ崎城お戦いで信長、秀吉・家康・利家揃いの地として国の史跡に指定されている。高台に金ヶ崎城跡が、麓に金崎宮が建つ。裏手に芭蕉句碑がある。南北朝時代の沈鐘伝説を聞いて詠んだという「月いづく 鐘は沈める 海のそこ はせを」芭蕉はここから、西行ゆかりの地「色の浜」へ舟で出かけた。今はその船便がない。敦賀駅からの路線バス、午前7時ころの一便のみで復路は10分後発というから徒歩で向かうのは不可能だ。
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金ヶ崎城跡の金崎宮

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裏手にある芭蕉句碑

9時30分、近くの敦賀市立博物館へ立ち寄ったが、10時からの開館のため、先に気比の松原へ行く。真っ青な空にゆったりと長浜に打ち寄せる白波は美しい。赤松中心の約17,000本の日本三大松原。(他は、清水市の美保の松原、唐津市虹の松原)ここには芭蕉句碑はなかった。
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気比の松原に行く途中の港

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気比の松原入り口

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気比の松原に打ち寄せる白波

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気比の松原の古木

 再び戻って、敦賀市立博物館へ行く。「奥の細道と芭蕉のかかわり」についての展示があった。敦賀市郊外に住む西村家に残されている芭蕉自筆の表紙がある「素龍清書本」(元禄7年初夏・重要文化財)の複製本などが展示している。ここで「平成17年度特別展 ほそ道追憶」を購入。
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敦賀市立博物館

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芭蕉自筆の表紙がある「素龍清書本」(複製)

ここから気比神社を経由してJR敦賀駅へ向かう。途中の本町商店街、駅前商店街の両脇に松本零士の「銀河鉄道999」「宇宙戦艦大和」の名場面のモニュメント像が見られる。
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松本零士の作品名場面のモニュメント像

今回の歩きは、福井~今庄までの約40km、敦賀市内の芭蕉ゆかりの地巡り10kmほどだろうか。次回は早朝に今庄に戻り、木の芽峠経由で敦賀へ、さらに翌日路線バスで『色の浜』へ行き、芭蕉ゆかりの地を散策する予定だ。

第49回奥の細道を歩く 福井~鯖江~今庄、敦賀 その①
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第48回 奥の細道を歩く 大聖寺~天龍寺~永平寺~福井
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第47回 奥の細道を歩く 那谷寺~山中温泉~大聖寺
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冷え性対策に「遠赤外線 田口式健康サポーター」http://www.a-spa.co.jp/taguti/
旅と温泉の相談室アスパサービスhttp://www.a-spa.co.jp/
ペットと泊まる温泉宿 http://www.a-spa.co.jp/pet/ エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
温泉水サーチhttp://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/search.html
旧街道をあるく旅http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/

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奥の細道を歩く 第49回 福井~武生~今庄、敦賀  2010・3・20~22 その1 [奥の細道を歩く]

第49回奥の細道を歩く 福井~武生~今庄、敦賀  2010・3・20~22 その1
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今庄宿に残る旧商家「堀口酒造」

 年末に前立腺肥大症・膀胱頚部硬化症の手術をして、しばらく動けなかったので、4ヶ月ぶりの奥の細道歩きとなった。2010年3月19日(金)から3泊4日(夜行1泊)で出かけた。当初は旧友が車で送迎してあげるよなんて言っていたので、往復の交通機関を当てにしていたのに、3日前になって、出られないと言うので、慌てて夜行バスの手配をした。ようやく八王子から金沢駅経由、終点加賀温泉駅行きの切符がとれた。

 JR加賀温泉駅前に着いたのが、3月20日(土)7時05分、特急で乗り継いで福井駅着は8時10分。4ヶ月前の到着地点だ。天候は快晴。東口を出てすぐに左折し、泉橋をわたり国道229号線沿いに歩く。本田四つ辻に長慶寺。8寺35分、左手に木田荒町一里塚、福井市内に4ヶ所の一里塚があるという。奥には世直し神社があり、念入りに参拝した。
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木田荒町一里塚跡

じきりっぱな山門に惹かれて立ち止まった専照寺。山門には「鹿苑山」の大きな額が・・・。9時03分、花堂(はなんどう)を通過。25分後、福井県最南の一里塚「荒井一里塚」を通過。
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荒井一里塚跡

5分後、親鸞上人旧跡の石像が立つ。40分後、屋根付きの6地蔵に出会う。「上今市」バス停前だ。右手には城山が見える。西行法師の和歌で有名な朝六川にかかる「朝六橋」に突き当たる。何度も通行人に聞いてようやくたどり着いた。西行の「越に来て 富士とはいはん 魚原の 文殊だけの雪のあけぼの」芭蕉の「朝六や 月見の旅の 明けじゃなれ」私も2句「朝六や 病後の歩きに 古紅梅」「病(やまい)えて 春爛漫や なおいとし」
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芭蕉が訪ねた「朝六橋」

10時20分、泰燈大師生誕地に着く。三十三カ所観世音菩薩の一つだ。大師堂に参拝。5千坪の敷地という。
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泰燈大師生誕地

「西縦貫線」を間違えて直進し、10時40分にレストラン「千阿木」で昼食。トンカツ定食650円。トンカツの他に煮物、おからが付く。ここでご主人や女将さんとの話で道を間違えたことに気が付く。
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昼食「千阿木」でとんかつ定食

朝水川の手前で右折し、「神明橋」を渡り旧北陸街道へ戻り、鯖江市に入る。近松門左衛門の生誕地だそうな。福井鉄道福武線「神明駅」の東側にある「三六温泉神明苑」で入浴する。入浴料500円。浴室はタイル張りで男性用は内風呂のみ。1リットル中にナトリウム115・03、カルシウム41・21、マグネシウム4・90ミリグラム、クロールイオン136・33、硫酸83。99、ヒドロ炭酸225・98ミリグラムの27・8度単純泉。無色透明無臭。浴槽は4×4.5m。30分で出る。
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「三六温泉神明苑」

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男性用浴室

午後からは風が強い。だが気温が高く23度まであがる。「風温し 子等のかけ声 心地よし」鯖江市役所を通過し、「西山公園」を右手に歩く。西山公園は、江戸後期幕府の老中職を勤めた鯖江藩第七代藩主間部(まなべ)詮勝(あきかつ)公が自ら鋤や鍬を持って造った「嚮陽渓(きょうようけい」という大規模な庭園を造ったのが始まり。4月から千本の桜、4万3千株のつつじで有名で、日本の歴史公園100選」に選ばれた。
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西山公園

桜町で左折、突き当たりを左折し、13時30分、日野川の袂にでる。「白鬼女観世音菩薩」の祠がある。ここは三国湊へ物資を運搬する重要な船着き場であった。橋がよく流され、旅人の安全を祈って建立された。
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「白鬼女観世音菩薩」の祠

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橋の欄干の彫り物絵

いよいよ薫風強く、両手を広げて体いっぱい風を受けたいと自然にそうした仕草になる。健康ならではの心地よさと実感・・・・。気温が上がる度に厚手のジャンパー、薄手のセーター、長ズボン下、足首健康サポーターを次々と脱いでいく。足が痛くなり、ホテルの迎えのバス時間である南条駅に15時40分には間に合いそうもなく、JR武生駅から列車移動にする。。明後日の東京行き特急、新幹線の切符を購入するが指定席は満席で取れない。15時29分発の敦賀行きの便に乗車し、南条駅へ。武生で地酒「本醸造花垣」とつまみに「うに昆布」を買い込み、列車内でちびちび・・・。
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地酒と名産でちびり・・・

 本日泊まる宿「花はす温泉 そまやま」は、7月~8月にかけて世界の花はす108種類が咲き誇る「花はす公園」の一角にある。南条駅からは車で10分。今日は三連休の初日、日帰り入浴者で盛況だ。2年前に武生市の経営から第三セクターに替わった。建物は市から貸与され、独立採算性だ。この地区は蓮の生産が日本一で、年間20万本を越す。昭和51年から生産が始まり、7月初旬から8月にかけて、蓮池はピンク色に染まる。花はすは、茎・葉・根・花とすべてが薬用になり、中国では不老長寿の薬」として楊貴妃も蓮茶を愛飲していた。宿でも食膳に蓮の食材を利用している。宿泊料金は、和室8畳+縁側2畳バストイレ付、2名1部屋で@11,500円、ルームチャージが1,500円増し。料金の割には、設備、料理、サービスは非常によいと思う。
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はな蓮公園

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「花はす温泉 そまやま」

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ロビー

 夕食膳は6時30分から、一階のレストランの個室食事処でいただいた。蓮ワインの食前酒、先付は、ゼンマイ・ほたるいか・蓮実の甘露煮・三色だんご、煮物は蕗・竹の子・里芋・たこ、天ぷらはわかさぎ・エビ・レンコン・蕗の薹、若草色の蓮うどん(蓮の葉の粉末で作った)、大きい鯛の甲焼き、お造りは鯛・甘エビ・ブリ、磯鍋、桜もち、ご飯・お吸物・香の物にデザートにイチゴと桜もち。前田板長は地元の食材をいかしたお料理を手がけているようだ。
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夕食膳、蓮の食材を使ったものも

 お風呂は1階フロアの奥になり、途中の廊下は内山正人氏の蓮をモチーフにした油絵と矢木篤氏の絵のギャラリーとなっている。どちらも学校の先生だ。男性用の浴室は、10×3mの加温・循環・塩素殺菌の26度の単純泉。蓮の湯もあり、蓮の葉と茎を蒸熱して成分を注出して湯に混入した湯だ。蓮の産地ならではのアイデァ。露天風呂は中央に岩を配したもので寝湯と露天風呂、強風にあおられた小枝が漂っている。
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内風呂

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露天風呂

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廊下に展示されている油絵

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売店には名産はすの関連ものも

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蓮台も販売

 フロントで明日の予定を相談する。フロントの高木さんと途中から谷口支配人にもきていただいた。交通の便が心配な木の芽峠が歩けるかが焦点だった。南今庄駅からの旧道は、交通の便がないことから、緊急時には、ホテルに電話するから、谷口さん助けてくださいよ。支配人は「峠周辺は携帯電話の圏外地域がありますので、助けに行けないかも・・・」と冗談も。結局、支配人が木の芽峠周辺のスキー場支配人から聞いた情報「頂上付近はまだ雪が残り、カンジキがなければ無理だよ」との話にがっくり。国道365号線(旧北国街道)で敦賀まで行くしかないか。
                  
翌3月21日(日)は低気圧が北上し、じきに天気が回復するとはいえ、今日は雨模様。7時に食事を済ませ、支配人に南条駅まで送っていただく。昨日の武生駅まで戻り、南下する。どこまで歩けるか?8時から歩き始める。フード付上下の雨合羽を着込む。風が強いので傘はあきらめた。9時、王子保駅前通過。側道にはつくしんぼが群落している。「保護色も 群れては目立つ つくしんぼ」10時南条駅着、駅舎で休憩をする。10分で右手に「鴬の関跡」石碑あり。
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「鴬の関跡」石碑

湯尾(ゆのお)を過ぎ、11時10分突然あられが降ってきた。直径3ミリほどの純白の玉だ。アスファルトにぶち当たり、四方八方に飛び散っていく。蜘蛛の巣をケチらすようだ。5分ほどでやんだ。7分後に今後は日が射した。春嵐、何でもありか?    11時40分、下今庄のJAにある「蕎麦屋「おばちゃんの店 ほっと今庄」で芽株入りからし蕎麦を賞味する。石臼で自社製粉したもので、コシがあり、美味。そば湯は濃厚だ。
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おろし蕎麦

今庄宿に入る。旧家屋が残り、町の文化財に指定されている。江戸後期に建てられた京藤甚五郎家、梅肉販売の高野由平家など本陣跡も整備されている。町並み保存の努力がされているのか、変わった形の瓦を展示している家もあった。JR今庄駅から西への交通機関がなく、やむなく一旦12時39分発の敦賀行きの列車で移動する。つづきは次回で・・・。
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堀口酒造

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京藤甚五郎家

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今庄本陣跡

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変わった瓦を展示

第48回 奥の細道を歩く 大聖寺~天龍寺~永平寺~福井
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第47回 奥の細道を歩く 那谷寺~山中温泉~大聖寺
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旅と温泉の相談室アスパサービスhttp://www.a-spa.co.jp/
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奥の細道を歩く 第48回 大聖寺~丸岡~天龍寺~永平寺~福井 [奥の細道を歩く]

第48回奥の細道を歩く 大聖寺~天龍寺~永平寺~福井
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天龍寺の芭蕉と北枝の像

2,009年11月14日~16日、越後湯沢まで上越新幹線。ここまでは空いていて、窓側の中年の女性はときどき紅を引いたり、お化粧に余念がない。「窓辺席 紅引く女性や 秋の雨」金沢までの特急「はくたか号」が大混雑で、自由席は立つ人でいっぱいだ。金沢駅で乗り換え、12時前にJR大聖寺駅に着く。
 前回は時間の都合で、芭蕉が泊まった全昌寺にいけなかったので、まずそこから。
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熊谷山全昌寺正面

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柳の木の下にある芭蕉句碑

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五百羅漢

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杉山杉風が彫った芭蕉座像

熊谷山全昌寺は、大聖寺城主玄場頭宗永公の菩提寺、芭蕉ゆかりの寺の他に五百羅漢でも有名。拝観料500円を支払い、ますは左手の芭蕉句碑「庭掃いて 出ばや寺に 散る柳」曽良の句「終夜(よもすがら)秋風聞くやうらの山」句碑は柳の木の下にある。五百羅漢は計517体あり、それぞれに寄進者の記録が書かれている。本堂で参拝後、左手にある展示品を鑑賞する。芭蕉の弟子・杉山杉風が彫った芭蕉座像が興味を引いた。15×15センチの木造。芭蕉は管生石部神社にも立ち寄ったが、駅からは遠いのであきらめた。

 雨が降ってきたので傘を差しながら、国道305号線に沿って歩く。吉崎御坊吉崎寺には14時着。蓮如上人が文明3年(1,471年)この地に来て浄土宗の教えを広めた。火事で焼け出された蓮如上人を背負った銅像や嫁脅しの肉付面、蓮如上人自画像を拝観。吉崎温泉の存在を訪ねると「もう20年も前に廃業し、資料館の一部になっている」といわれ、がっかり。
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吉崎御坊吉崎寺

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吉崎寺に寄贈にされた枯れた汐越えの松の一部

 汐越の松は、海と繋がる北潟湖に架けられた開田橋を渡り福井県の浜坂、芦原ゴルフクラブ内にある。305号線から900メートル入ったところ。14時20分に到着し、案内を乞うと岡田幸夫マネージャーがみえた。「土曜日はお断りしているんだが、空いている時間帯なのでご案内しましょう」丁度晴れ間がでて、松林の隙間から日本海の青い海、雄島(おしま:別名くじら島)が見えて美しい。レストハウスから5分歩いたところに枯れた松の巨木が横たわっている。「奥の細道 汐越えの松遺跡」碑がある。かつては「高さ七八尺から一丈六七尺ほどの御所松、根上り松、膝つき松、乱れ松」などがあったと記録に残る。
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日本海の眺望(雄島が見える)

ゴルフ場は50年前に造成し、そのときに残っていた枯れた一部を吉崎寺に寄贈していた。学生が卒論の準備で見学に来て、残っている枯れ木を切り取ろうとする不埒なものもいてけしからんという話も伺った。レストハウス正面に芦原温泉開湯100年記念の昭和59年に芭蕉訪歴碑を建立したのを最後に紹介していただいた。
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記念碑と岡田幸夫マネージャー

 北潟湖北側の国道305号線を歩く。ススキが強い夕陽に照らされて角度により穂が黄金色に輝いて見える。北潟湖に群れる鴨が並んで一斉に羽ばたき、そのときの水しぶきが噴水のように一瞬見えた。「噴水のごと飛ぶ鴨の しぶきかな」ここから芦原温泉まで歩きが長くつらく感じる。
共同浴場「セントピアあわら」に着いたのが17時30分。2階のフロントで入浴料500円を支払って浴室へ。男子用「地の湯」は、吹き抜けの広い浴室、高・低温の大浴槽、寝湯、釜風呂(蒸し風呂)もある。女子用は円形の大浴槽。交代制だという。44・3度のナトリウム・カルシウムー塩化物泉で外には足湯と飲泉用の湯口もある。ここからはバスでJR芦原温泉駅まで移動した。
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JR芦原温泉駅前の平和館

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平和館の夕食膳

宿は駅前にある「平和館」すぐに夕食を所望し、1階の食堂でいただいた。きのこやモヤシ・鳥肉のアルミホイル焼き、中華エビチリソース、ポテトサラダとしょうが焼き、マグロ刺身、ぶろっこり細切り炒めと皆温かい料理でとてもおいしかった。宿泊料は1泊2食つきで6,500円。お部屋は2階の和室6畳トイレなし、踏み込みにはテーブルイス付き、床の間付き。外はイルミネーション点火式だとかで21時までジャズ演奏が行われていた。疲れているので部屋で聞くだけだ。
11月15日
朝食後、7時30分に旅館をでて、JR芦原温泉駅で記念切符を購入後歩き始める。すでに雨が降っていたので、雨合羽を着ての歩行だ。風がとても強い。「木枯らしや カラスふらつく 田虫とり」9時20分、丸岡城に着く。芭蕉は丸岡を通過していないが、私は初めての場所なのであえてこのルートにした。天正2年(1,574年)、建築、昭和34年に売却、譲渡され、天守閣と石垣のみが残っている。
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日本最古の天守閣 丸岡城

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丸岡城2階からの展望

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丸岡城の内部

昭和9年に国宝に指定。23年に地震で倒壊、したが26年に復元、30年に完成した。別称「霞城」城周辺に400本のソメイヨシノが植えられ、満開の頃には桜の花の中に城が浮かんで見えるという。高さ22m、階段は高く結び付きロープが用意されている。1階の大黒柱は、直径45センチ、2階のは直径24センチはある。日本最古の天守閣という。435年前の大黒柱にさわり、戦国時代の武将の姿を夢想し時空を超えて感動!近くの喫茶店「ぶんぶん」でコーヒーを所望。丸岡城の一角に地震で唯一残ったタブの木を観る。県道17号線・寄永から県道110号線で九頭竜川にかかる五松橋をわたる。雨の中、フルマラソンが行われていた。「永平寺 散る秋四度目 芭蕉みち」「ただ歩き 不便またよし 晩秋や」

 踏切を渡り、「春日」を左折し左手に役場へ。対面で農家栽培の野菜がすべて100円で小母さんたちが売り子でにぎにぎしい。記念に写真を撮らせていただいき、銀杏一袋を購入。松岡小学校の対面が天龍寺で、入り口には2体の延命地蔵、すぐ芭蕉塚がある。芭蕉150年忌にあたり、天保15年に建立された。
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天龍寺入り口の芭蕉塚

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芭蕉と北枝の像

芭蕉は天龍寺和尚大夢を訪ねて元禄2年(1,689年)8月11日北枝とともに旅だった。途中の茶屋にて別れの句「物書きて 扇引きさく 金羽(なごり)かな」福祉会館の隣に建つ本堂、正面に芭蕉と北枝の像がある。13時に金龍レストランで野菜炒め定食。国道416号線、東古市で右折する。天山、荒谷を通過、観光案内所で宿探し。結局、東古市駅の近くの旅館「つむろや」を予約する。永平寺着は15時20分、門前町に入ると添乗の仕事でよく来た食事処&土産屋「井上」や「ほっきょ荘」を見て思い出した。銀杏ともみじの紅葉が美しい。拝観料500円を支払い、大忙しの参拝を試みる。
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永平寺入り口

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承陽殿

 参拝後のバスの便は、16時35分と知る。永平寺境内の紅葉は最盛期で美しい。中国人観光客が目立った。仕事で何度も来ているが、初めて宝物館に足を運んだ。1,774年(安永3年)作の達磨大師像、鎌倉時代1,327年(嘉暦2年)の梵鐘など。荒谷まで歩いてバスに乗る。東古市の「つむろや」津室屋旅館はバス停から近い信号の角。母屋は100年もたつ贅を尽くした古い建物で伊藤家三代目とか。九頭竜川の釣り師達には有名な旅館らしい。当家の娘夫婦が迎えてくれた。お風呂は広々として気持ちがよい。今日の客は私一人か?夕食は母屋の一角のお座敷でいただいた。食膳は、子持松葉蟹一杯と焼き肉と焼きニンニクがたっぷりはいったもの。じっくり味がしみこんだ里芋や厚揚げなどの煮物、キャベツ・ポテトサラダにしょうが焼き、子なす・こんぶをこうじでつけた「はまなみそ」、ご飯と味噌汁はおかわり自由セルフサービス。長男夫婦はオーストラリアゴールコーストのアジアンレストラン「ワンオーワン101キッチン」に勤め、将来は自分の店を持つのが夢とか。私の娘もゴールドコーストに嫁にいったので、店の名前を教えていただいた。朝食にも驚いた!お刺身のかんぱち、大根おろしにいくら、半塾目玉焼き、みそ、焼き海苔、しらす、豆腐の味噌汁にご飯。
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築100年という母屋とお座敷

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感激の夕食膳

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朝食

7時15分に女将さんに天山までおくっていただいた。芭蕉は松岡の天龍寺から永平寺へ越坂峠の道を往復したようだ。今の県道165号線で旧道はわからないのでせめて片道は越坂峠を超えようと思った。登りはなだらかで、15分もいくと右手にニ体のお地蔵様。そこから100mで下りになる。途中落石で車での通行を妨げている箇所があった。
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越坂峠にある道標

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落石のある道路

7時52分、町を見下ろす場所へ、国道416号線(トンネルのある新道)を越して国道113号線を交差する右折すると昨日行った天龍寺に行く。県道165号線からえちぜん鉄道に沿ってJR福井駅に向かう。長本で右手に「極楽湯」の看板を見つけた。右折して3分、営業時間は9時からで入浴料金は、内湯のみで370円。40・4度のカルシウム・ナトリウムー硫酸塩・塩化物泉。浴室は吹き抜けの浴舎でひろびろ。白湯、ジェット湯、電気湯の他に露天風呂、サウナもある。
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1「極楽湯」0時15分にJR福井駅に到着。観光案内所で芭蕉ゆかりの地を聞く。以外に残っていない。北西徒歩で15分の左内公園に行く。ここには橋本左内の像や顕彰碑があり、一角に芭蕉が福井を訪れたとき、俳人洞栽(とうさい)が迎えたがその住宅がこのあたりだった。「芭蕉宿泊地洞栽宅跡」碑と近くに句碑「名月の 見所問ん 旅寝せん」大理石なので白く光ってとても見にくい。
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左内公園

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「芭蕉宿泊地洞栽宅跡」碑

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JR福井駅に戻り、特急金沢、越後湯沢、東京で乗り換えて帰宅する。福井からの特急が遅れたことから、つなぎが悪くなり、ホームで待たされることもあり、つい一句。「秋日和 ホームで酒と 焼きアナゴ」

第47回 奥の細道を歩く 那谷寺~山中温泉~大聖寺
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第46回 奥の細道を歩く 金沢~小松~那谷寺
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第45回 奥の細道を歩く 高岡~倶利伽羅峠~金沢・東
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第44回 奥の細道を歩く 滑川~放生津八幡~高岡
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第43回 奥の細道を歩く 市振~魚津~滑川 
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第42回奥の細道を歩く 名立~糸魚川~親不知~市振
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第41回奥の細道を歩く 米山~鵜の浜温泉~直江津・高田~名立
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冷え性対策に「遠赤外線 田口式健康サポーター」http://www.a-spa.co.jp/taguti/
旅と温泉の相談室アスパサービスhttp://www.a-spa.co.jp/
ペットと泊まる温泉宿 http://www.a-spa.co.jp/pet/ エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
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旧街道をあるく旅http://aaspa.web.fc2.com/index-tabi.html

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奥の細道を歩く 第47回 那谷寺~山中温泉~大聖寺2009.10.17~19 [奥の細道を歩く]

第47回奥の細道を歩く 那谷寺~山中温泉~大聖寺2009.10.17~19
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山中温泉 鶴仙渓 こおろぎ橋

夜行ハイウエイバスでJR小松駅着6寺30分、バスが運休なのを確かめて、タクシーで那谷寺についたのが、7時25分。雨上がりの快晴。秋の花々の街道を歩く。「コスモスも アワダチもただ 咲きにけり」「残り柿 人の生きざま 重ねおり」8時23分、山代中学校前を通過、10分後「九谷焼窯跡展示館」九谷焼ルーツの地で、「吉田屋窯」の登窯跡が整備、保存されている。
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「九谷焼窯跡展示館」

 このあたりから、小雨がぱらぱら・・・。山代温泉総湯に。昭和46年築の「温泉浴殿」から今年8月2日に新しくなった。入り口に掛け湯槽、手前にぬるい浴槽で38.8度の単純温泉、奥には熱めの浴槽で63.2度のナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物泉。肌にぬるぬる感はない。
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山代温泉の共同浴場「総湯」

総湯を出ると大雨で驚いた。雨宿りに隣接する売店で、温泉玉子を食べる。味付けで65円。
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温泉玉子

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薬王院温泉寺

小雨の中、薬王院温泉寺を参拝してから、「はづちを茶店」で雨宿り。ここはNPO法人の運営で、山中温泉商店街の活性化のために様々な取り組みをしている。祭りやイベントの企画やサークル、教室などの会場の提供など。ここには山中温泉の和菓子屋製造の和菓子が交替で何種類も置かれて販売されている。地元醸造の銘酒も何種類も販売されている。4種類で600円利き酒セット飲んでみた。クリーム白玉ぜんざい700円も。雨宿りも大変な散財だ。ここの財源は、市や山中温泉組合などの支援の他に、個人の会員として月に五千円の会費からまかなっている。正社員3名の他にアルバイトでまかなっている。彼女らの写真を撮らせていただいた。「雨宿り 地酒試飲の 初紅葉」
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4種類で600円利き酒セット

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NPO法人「はづちを茶店」活性化に頑張る社員さんたち

 10時20分、小やみになったので、山中温泉へ出かける。11時10分、連如上人ゆかりの願誓寺前を通過、白山神社から山中温泉街に入る。
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連如上人ゆかりの願誓寺

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「桂清水」

「桂清水」からバスターミナルへ。ここにはロッカーがなく、近くの陶芸の「きぬや」に荷を預ける。ランチがおいしいとの評判の「けんさん亭」へ。メニューは、サバの味噌煮、身がプリプリ野海老フライ、エンドウと油揚げの煮物、ご飯味噌汁。美味で千円とは驚きだ。
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「けんさん亭」のランチ

さあ、これから大聖寺へというところでまた雨だ。仕方なく山中温泉の総湯に行くことに。山中温泉の共同浴場「総湯・菊の湯」は、男女別に棟が離れている。伝統芸能などに使用される「山中座」に並んで建つ「菊の湯」は女湯、向かいに建つ「菊の湯」は男湯。男湯の前には源泉がわき出ている。重厚な天平風の建物で、豪華な蒔の格天井、浴室の壁面は九谷焼タイル、吹き抜き天井に明るい天窓が・・・。入浴料420円を支払い浴室へ。48.2度のカルシウム・ナトリウムー硫酸塩泉、源泉掛け流しと循環の併用。湧出量は1分間に1474リットルと湯量豊富。5×8mの浴槽は深く臍の上まで湯が・・・。浴用は神経痛、リウマチ、胃腸病、外傷、皮膚病、疲労回復に効能あり、飲用は慢性胆嚢炎、胆石症、慢性便秘、肥満症、糖尿病、通風に効果があるといわれる。かつて、元禄時代に北前船の船頭衆が1年の疲れを癒すために、この温泉で湯治をした。その時に習い覚えた北海道の松前や江差の追分を湯の中で歌ったことから、山中節が生まれたという。
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山中温泉の総湯

 時々雨で大聖寺への歩きをあきらめ、先ほど荷を預けた「きくや」で荷を引き取り、芭蕉も歩いたという「鶴仙渓」を散策する。黒谷橋を渡り右折すると遊歩道がこおろぎ橋までに約1.3キロメートル、奇石、怪石、滝などが楽しめる。紅葉はまだ早くわずかに色めくのが確認できる程度だ。
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黒谷橋から見た鶴仙渓

渓流の北側には、いくつかのホテル建物群が乗り出すように見える。あやとり橋には、芭蕉の「山中や 菊は手折らじ 湯の匂ひ」の句碑、こおろぎ橋を渡って80mほどの左手に「かがり火に 河鹿や波の 下むせび」の句碑。
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「かがり火に 河鹿や波の 下むせび」の句碑。

橋の袂にある蟋蟀楼の前には、芭蕉と同道した北枝の「子を抱いて 湯の月のぞく 猿かな」の句碑。
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こ北枝の「子を抱いて 湯の月のぞく 猿かな」の句碑。

おろぎ橋を戻って、さらに西へ行くと加賀藩の武家書院の手前の売店の「スモーク玉子」が気になり食べてみる。1日100個の限定品で、15時間蒸すのだという。平成16年に特許登録済みという。私の時間調整に1時間ほど店員さんにつきあっていただいた。
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「スモーク玉子」

 これからさらに20分歩いたところに今日の宿公共宿泊施設「ほくりく荘」がある。山中温泉でも再奥に位置している。和室10畳に一人で泊めていただいた。雨でなければ、いつもは暗くなるまで歩いていたので、今回は随分と足腰が楽だった。山中温泉は仕事で何度かきているが、歩いて回ったことはなかったので、すべて新鮮な感動を持つことができた。だから観光バスでの旅行はほんの一部しかみていなかったのだな・・・と実感した。
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ほくりく荘の大浴場

翌日、10月19日(月)は朝から快晴。朝食は7時30分にすませ、宿の車で医王寺まで送っていただいた。山中温泉は、1300年前僧行基が北陸行脚の折りに、夢枕にたった薬師如来のお告げにより発見、後の戦乱で一時荒廃したが建久年間(1190~1198年)能登の地頭・長谷部信連が鷹狩のおりに、白鷺が足を流れに浸して癒しているのを見て温泉を復興。芦間から掘り出した薬師如来像をまつる国分山医王寺を創建し、本尊守護のため12軒の湯舎を営んだ。
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医王寺参道

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医王寺

参道左側には包丁塚や文学碑が沢山建てられている。兼好法師「死は前より来たらず かねて後に追われり」など。本堂正面右手には芭蕉句碑「やまなかや 菊も・・・」
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 昨日歩いた「塚谷西」信号まで戻り、大聖寺方面へ左折する。菅原神社(9時08分)、黒瀬(9時38分)、JR北陸本線ガード(10時08分)を通過し、すぐ左折すると大聖寺駅前に出る。芭蕉は、山中温泉から曾良と分かれて、曾良は大正侍(大聖寺)の全昌寺に泊まった。大聖寺は加賀藩支藩の大聖寺藩の城下町として栄えたという。芭蕉の足取りは確かではないが、曾良の同じルートをたどったのではないかという。熊谷山全昌寺は、大聖寺城主山口玄蕃頭宗永公の菩提寺、五百羅漢で有名である。来月、駅から全昌寺を通って吉崎へ抜ける予定なので、今日はここまでとする。


第46回 奥の細道を歩く 金沢~小松~粟津
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第45回 奥の細道を歩く 高岡~倶利伽羅峠~金沢・東
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第44回 奥の細道を歩く 滑川~放生津八幡~高岡
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第43回 奥の細道を歩く 市振~魚津~滑川 
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奥の細道を歩く 第46回 金沢~小松~粟津 2009年9月05~07日 [奥の細道を歩く]

第46回奥の細道を歩く 金沢~小松~粟津 2009年9月05~07日
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金沢で立花北枝が彫った芭蕉坐像(320年前のもの)

今回は、大人の休日倶楽部会員の特典で、JR東日本乗り放題(新幹線を含む)3日間の期間になっていたので、交通費は一万二千円ですむ。自宅を4時にでて、東京駅を7時発上越新幹線、越後湯沢で特急はくたか2号に乗り換える。金沢まで約4時間。山本兼一著「ジパング島発見記」集英社の読書で過ごす。金沢駅から前回の到着地点、金沢東山・卯辰山麓の手前、「山の上」までバス移動し、小坂神社へ向かう。

小坂神社は、芭蕉が句会を開いたところといわれる。バス停から南へ200mほど行き、階段を103段登ると本殿があるが、途中右手に、「芭蕉翁巡錫地」記念碑がたっている。
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小坂神社

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小坂神社途中右にある「芭蕉翁巡錫地」記念碑

曽良の句「此の山の 神にしあれば 鹿に月」の紹介あり。階段を登り始めた途端、蝉時雨。夏が雨続きだったので、残暑を惜しむか。月心寺前を通って、心連社へ。心連社は、芭蕉十哲の一人と称された立花北枝の墓を訪ねる。
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立花北枝の墓

159号線に戻り、先月出会った魚屋さん「おかや」のご主人に声をかける。町おこしで浅野川に川床を作り芸妓衆との宴会を楽しむイベントや歩行者天国の取り組みの話を聞かせていただいた。意欲的に取り組まなければ、時代は動かないとの思いを感じた。8月30日の政権交代がこうした変革の思いを実現に近づけるのか実感した次第。

12寺10分、浅野川を渡り、「金沢の三櫓(浅野川、犀川、下堤町)」の一つ橋場町の櫓を背景に写真を撮る。明治中期頃まで実在した。
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橋場町の櫓

兼六園脇を通る。過去に添乗で何度か行った場所だが、食事場所の堤亭や清水亭の風情が懐かしい。
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金沢城跡

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兼六園脇の食事処

下って広坂(真弓坂口)を右折し、百万石通りに入る。カレーハウスターバンで、ロースかつカレー(中・650円)を食べる。香林坊を左折、犀川の手前を左折する。川沿いに1km行くと室生星犀記念碑のところで、82才、85才のお年寄り夫妻に「日陰で休まんと!」と声をかけられる。桜の古木の並木道で4月中旬はさぞかしすばらしかろう。桜橋をわたって、つづら折りの階段を登り、長久寺に向かう。長久寺は、芭蕉句碑「秋涼し 手ごとにむけや 瓜茄子」の句碑がある。境内には、樹齢400年を越える銀木犀がある。

寺町通りに入り、本長寺にある芭蕉句碑「春もやや 気しき調(ととの)ふ 月と梅」がある。隣接して、忍者寺で有名な妙立寺があり、観光客で賑わっていた。その北側に願念寺があるが回り込まねばならず、入り口を探すのに閉口した。小杉一笑の菩提寺・願念寺は芭蕉が金沢で会いたかった俳人であったが、前年の12月に36才で亡くなっており、願念寺で追悼供養が行われた。そのときに詠まれた句「塚も動け 我が泣く声は 秋の風」芭蕉の慟哭の様子がうかがえる句だ。
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願念寺の追悼供養碑

「一笑塚」のある成学寺も捜し当てた。句碑「心から 雪うつきしや 西の雲」がある。宝歴5年(1755年)、俳人堀麦水らが「あかあかと 日は難面(つれ)なくも 秋の風」芭蕉墳を建立した。
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「あかあかと 日は難面(つれ)なくも 秋の風」芭蕉墳

157号線を小松方面へ歩く。北陸鉄道石川線の陸橋を渡り、信号「横宮」で今日の宿泊地「北山旅館」へ連絡を取る。ところが近くにオータム天然温泉「しあわせの湯」の看板が・・・・。入らねばなるまい。二階のフロントで入浴料550円を支払う。10年前の平成9年にオープン。地下1,300mから湧出した一分間に449リットル、源泉43.8度のナトリウムー塩化物泉。1リットル中にナトリウム2,692ミリグラム、カリウム113.9、カルシウム60.6、塩素4,097、硫酸水素486.3、メタケイ酸130.4。微黄色、透明、無臭で、源泉を口に含むと強い塩味がする。大浴場は43度の高温風呂、バイブラバス、ジェット風呂、薬草サウナ、水風呂に源泉掛け流しの露天風呂がある。浴室の入り口にが飲泉用蛇口がある。女性用のサウナは、高温黄土サウナ室がある。3階には源泉家族風呂(60分で2,200円~)思わぬ天然温泉に感激だ。
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オータム天然温泉「しあわせの湯」

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源泉掛け流しの露天風呂

北山旅館に着いたのは、16時40分、2階の6畳トイレなし和室、1泊2食付きで5,800円。夕食は1階の食堂でいただく。ホタテ貝柱や舞茸の陶板焼、海老フライに餃子、甘エビの刺身、むつの塩焼き、アサリ汁にご飯、香の物。生きがよく美味だ。
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旧北国街道沿いにある北山旅館

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食堂での夕食膳

9月06日(日)
 7時20分に旅館を出る。旧北国街道沿いに昔から有名な大銀杏の木は、布市神社だとわかった。戸樫又次館跡は判らなかった。
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江戸時代から知られていた大銀杏の木

右手にある重要文化財の喜多家住宅に立ち寄った。明治24年(1891年)の大火で土蔵の一部を残し消失してしまい、その後醤油屋の屋敷が移築された。ガイドのおじいさんが丁寧に案内してくれるのを遮って、「急いでいるものですから・・・」と早々に立ち退いたが怒りを買ってしまったようだ。
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重要文化財「喜多家」

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「喜多家」の母屋のいろり

街道のところどころに旧商家風の佇まいが残っている。8時35分、松任駅前を通過。天気はいよいよ快晴で、日照りが強い。10時53分、手取川を渡る。 国道8号線沿いを歩くが、余りの暑さでくらっときた。バイパスのガード下にへたりこんで、涼をとる。会社の水道を借り、タオルに水を含めて頭にかぶる。「涼もとめ ガード下には 虫の声」
11時50分、五間堂から東へ200m、和風中華「ひろちゃん」で野菜炒め定食の昼食をとる。
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炎天下の暑さに冷えた牧場ミルク

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長芋の畑が目立つ

午後は雲がおおくなり、涼しくなった。道路の左右に長芋の栽培が目立つ。小松市街に入り、北陸本線の西側にでる。県道25号線に「芦城温泉 さくら湯」を見つけたが15時の営業で通過。14時JR小松駅観光案内所で資料を求める。竜助町の商家街をみた後、芭蕉が泊まったとされる健聖寺を訪ねる。芭蕉を接待した俳人北枝が芭蕉座像を彫刻したという現物を所望した。住職のご夫人が快く見せてくれた。高さ19センチ、横幅14センチ、奥行き11センチの欅造りで、とても軽い。北枝はこれを竹で編んで作った厨子に入れ肩に担いでいたという。厨子は痛んで見ることができない。ご夫人は「暑いのにそれはご苦労様です」と氷が入ったコーヒーと今日作ったものですと六法焼きを二個出していただいた。残した一個を持たせてくれた。「芭蕉像 裾を駆け抜く 秋の風」
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健聖寺

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芭蕉句碑

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立花北枝が彫った芭蕉坐像(320年前のもの)

一度通った「芦湯温泉さくら湯」の営業時間になったので、入浴する。2階が浴室でタイル張り、露天風呂は岩風呂。源泉17度のナトリウム・マグネシウム-塩化物・炭酸水素塩泉で加温・循環・塩素殺菌あり。
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「芦湯温泉さくら湯」

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大浴場内風呂

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露天風呂

旧道に戻り、芭蕉が立ち寄り、芭蕉句碑がある本折日吉神社、
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本折日吉神社

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芭蕉句碑

多太神社「あなむざん 甲の下の きりぎりす」を鑑賞する。
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多太神社

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多太神社の句碑「あなむざん 甲の下の きりぎりす」

今江みゆき橋の脇に「今江温泉元湯」の建物が・・・。昭和58年の営業とか、飲泉も可で慢性消化器病、慢性便秘に効能あり。源泉が49.5度のナトリウム-塩化物泉。超音波風呂など2ヶ所の浴槽とサウナがある。湯はかけ流しで、飲泉用のコップが置かれる。塩味がある。
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今江温泉元湯

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今江温泉元湯のロビー

さらに遊女の墓の入り口を通過し、JR粟津駅に着いたのが17時40分。タクシーで粟津温泉「おびし荘」へ向かう。「おびし荘」など粟津温泉の詳細は、別途紹介する。
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粟津温泉「おびし荘」

9月07日、朝食前に粟津温泉街を散策する。総湯から、僧泰澄大師が開基したといわれる大王寺から、白山神社へ参拝した。大王寺の脇には僧泰澄大師の坐像が鎮座する。
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粟津温泉の共同浴場「総湯」

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僧泰澄大師が開基したといわれる大王寺

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白山神社

朝食後、JR粟津駅行きのバスに乗る。少しでも荷を軽くしたいと、ロッカーを探したがこの駅には無いことがわかった。駅前のタバコ屋さんに頼んでほとんどの荷を預け、身軽に那谷寺へ向かう。駅前から右折し、305号線に合流、「二つ梨」を南下し国道8号線ガードをくぐり峠を下ると那谷寺に出る。バス停で粟津行きの時間を確認して、山門へ向かう。1時間15分かかった。左側にある白山麓春木家を移築した普門閣(1847年築)の宝物館を見る。芭蕉は那谷寺で「石山の 石より白し 秋の風」の句を詠むが、金沢で詠んだ句に関する原書が掲げられていた。「とし頃我を侍りける人のみなかりけるつかにもうでて つかもうごけ我泣声は秋の風」写真撮影禁止が残念。奇岩遊仙境、本殿、三重塔、展望台から下り、芭蕉句碑「石より・・・」を鑑賞。護摩堂から鐘楼への階段は、箒で掃かれて周りの緑色の苔色に比べ白く見える。で、私も一句。「苔掃いた 段の白さに 秋の風」
那谷寺は、白山信仰の寺で717年僧泰澄が自ら彫った十一面千手観世音菩薩をご本尊として岩屋に納められた。南北朝(1338年)の争い、一向一揆(1474年)二度の争いで伽藍は消失、寛永年間(1640年)加賀藩主前田利常公の庇護の下、再建され今に残された。
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那谷寺の山門

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那谷寺の普門閣(宝物館)

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重要文化財 本殿

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奇岩遊仙境

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三重塔

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芭蕉句碑「石山の 石より白し 秋の風」

46回目の奥の細道歩きで、ようやく那谷寺まで来ることができた。今回は温泉めぐりも野々市の「しあわせの湯」、小松の「芦湯温泉さくら湯」、小松市今江の「今江温泉元湯」、粟津温泉と新たに4ヶ所入浴できた。

第45回 奥の細道を歩く 高岡~倶利伽羅峠~金沢・東
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奥の細道を歩く 第45回 高岡~倶利伽羅峠~金沢・東山 2009年8月1~3日 [奥の細道を歩く]

第45回奥の細道を歩く 高岡~倶利伽羅峠~金沢・東山 2009年8月1~3日
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倶利伽羅峠の木曽義仲「火牛の計」

 ハイウェイバスの発着地の夜の池袋。夏の宵は彩り豊かな浴衣姿の女性が目を引く。「浴衣着や 恥じらいの笑み こぼるるる」「浴衣着の 夜に漂う 冷気かな」「酔うほどに 媚びる肢体や 夏祭り」「碁盤石 斜線を引き行く ゴキブリや」

 8月01日、午前5時40分、高岡駅近くに到着。洗面を終えて、小雨の中を前回の到着地に戻る。しばらく行くと北陸本線の高架に出、そこを右折する。夏休み中の小学生が準備体操の会場へ急ぐ姿。上下の雨合羽は汗でぐっしょりなので、思い切って上はランニングに雨合羽、下は脱いでしまった。三枚橋を越して国道8号線に合流。8時50分、福岡の先でようやく雨が上がり、右手のなだらかな丘陵地に三基の風車が見えてきた。小矢部川にかかる石動橋を渡ると左手に福町神明社、続いて村社能堅神社。石動(いするぎ)駅で倶利伽羅峠への道の詳しい地図を手に入れる。駅隣接の蕎麦屋で昼食(てんぷら蕎麦・380円)を済ませる。この先に食事場所が無いという。倶利伽羅峠は平安末期の1183年、源氏と平家が歴史的な合戦をした場所で、木曽義仲が「火牛の計」の作戦で有名である。まず木曽義仲が戦勝祈願をし、芭蕉も訪れた埴生護国八幡宮に詣でる。木曽義仲はここに陣を置いた。さあ、いよいよ倶利伽羅峠へ向かう。
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埴生護国八幡宮(写真は、パンフレットから)

 医王院から右折して道なりに行くが、心配で草刈をしているおじさんに声をかける。訛りがひどく話の半分もわからない。持つ鎌を振り回しての道案内につい体を背けてしまう。石坂からは旧道を整備して残されている道を歩くのだが、草ぼうぼうでこの先大丈夫かなと不安も感じる。旧道へ入ると倶利伽羅公園までもう誰とも会わなかった。12時13分、峠の茶屋跡に到着。雨が降りしきる。雨が上がると「ケキョ ケキョ ホーホケキョ 」と鶯と蝉時雨の大合唱。昔は加賀藩の参勤交代時の往来道で栄え、茶屋が7つもあったという。砂糖の餅が名物と文政11年(1828年)、十返舎一九の書に紹介している。

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旧北陸街道の山道

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茶屋跡

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昭和12年の茶屋の写真

12時30分、砂坂の大池への分岐に到着。「この地より火牛突入」とある。4~500頭の牛の角に二本の松明をくくり付けて怒涛のごとく闇の中を疾走する姿はどんなだろうと想像をめぐらす。「紫陽花や しとど小雨に 火牛駆る」「蝉時雨 われも居るぞと 鴬も鳴き」「ほととぎす 雨後の倶利伽羅 鳴きにけり」
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砂坂の埴生大池への分岐

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「この地より火牛突入」

峠道の途中には、「熊出没注意!」の看板が出ているが・・・・注意のしょうがないと思いながら倶利伽羅公園に到着。
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熊出没注意!

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スズメバチに注意!(どう注意すればいいのだ?)

なだらかな一角で、中央に平家が本陣を張り、軍議に使われた横4メートル×縦2メートル×厚さ40センチ大きな平らな岩に強い雨がたたきつける。平家の総大将平維盛らがどのような面持ちで軍議を進めていたのか。「倶利伽羅や 軍議の大岩 夏の雨」
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平家が軍議を開いたという大岩

公園には「義仲の 寝覚めの山か 月かなし」の芭蕉塚、擬見風所造碑 金城馬佛建立 とある。河合見風が宝暦時代に、ここ猿ヶ馬場の建立したもので、風雨に晒され苔むし、ようやく読める程度だ。ここから倶利伽羅不動寺にわたって約7,000本の八重桜があり、桜の名所になっている。
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火牛の計の像

芭蕉の「わせの香や 分け入る右は 有磯海」は、ここから能登の海を臨んで詠んだ句だという。
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ここから能登の海を臨んで詠んだ句「わせの香や 分け入る右は 有磯海」

下ってしばらくすると、養老2年(718年)建立とされる倶利伽羅不動寺がある。日本三大不動と知られる。
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倶利伽羅不動寺

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下りの旧道

古道は下りも続き、相変わらず「熊出没注意!」の看板が目立つ。14時45分、ようやく集落地・津幡町竹橋に出た。村田酒店に立ち寄り、地酒の冷酒「能登路」を求める。女将さんはママさんバレーの練習で留守。普段は勤めに出ていて今日はお店の留守番役のご主人としばし雑談を楽しむ。津幡町経営の「道の駅 倶利伽羅源平の郷 倶利伽羅塾」まではすぐ10分ほどのところ。

倶利伽羅熟の玄関を入ると、津幡町の農産物や加工品、コンビ二商品で売店はいっぱい。お部屋は2階の和室「松」で、10畳トイレ・洗面所・金庫付き。お風呂は1階の「源平の湯」で人工的にナトリウム・炭酸水素塩化物泉の入浴剤を入れている。夕食は18時30分に1階「源平茶屋」で食べる。夕食膳は、煮物、天ぷらの盛り合わせ、ずんだ豆とししゃもの卵和え、ハマチ・サーモン・甘えびのお造り、茶碗蒸し、香の物、ご飯、味噌汁。これで1泊2食付7,900円(税込)だった。夕食は一番安い「源平弁当」で1,400円。
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道の駅の一角にある宿泊施設&日帰り入浴施設「倶利伽羅塾」

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倶利伽羅塾の農産物即売&コンビ二売店

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ロビー

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二階の和室10畳

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大浴場「源平の湯」

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夕食は「源平茶屋」で

翌日8月2日、朝食を7時に済ませ、7時20分に宿を出発する。国道159号線に沿って一途に金沢市内へ。芭蕉が俳人仲間、秋の坊が卯辰山蓮昌寺境内に秋日庵を結んでいたという資料にあるので、とりあえず卯辰山蓮昌寺を目指す。9時30分、「吉原温泉ディサービスセンター」の看板に近所の方に温泉入浴ができるかを訪ねたが、関係者以外はだめと判る。10時02分、芭蕉が神谷内で旧道の脇に鳥居と石碑があると記録した場所を探すと、旧道の一本東側に野蛟神社(のみずちじんじゃ?)があり、境内に「うらやまし 浮世の北の 山ざくら」の句碑があった。宝暦12年(1762年)、旧北陸街道にあったものを明治初年に移動したという。脇の石碑とは、延喜式云々の石碑か?
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野蛟神社

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境内の芭蕉句碑「うらやまし 浮世の北の 山ざくら」

10時27分、旧道を行くとで加賀鶴の「やちや酒造造り酒屋」に出会う。天正11年(1583年)神谷内屋(かみやちや)仁右衛門創業で426年の歴史を持つ。建物は200年を超える江戸末期の建築物で、有形文化財指定を受けている。現在の当主神谷昌利氏は14代目になる。当主は留守で女将さんに応対していただいた。「入り口のこの扉は珍しいものですよ」と一緒に写真撮影に応じていただいた。何種類もの醸造酒の試飲をさせていただき、珍しいブランデー梅酒を購入した。お酒の飲み方の案内で「和らぎ水」というネーミングを発想したのは当主だという。「アベリアや ブランデー梅酒 香りたち」
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老舗造り酒屋・加賀鶴の「やちや酒造」

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母屋の囲炉裏と帳場

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見事な天井の柱と梁

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築200年を超える入り口の木造り扉と女将さん

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銘酒の数々を試飲させていただいた

蔵を出て、すぐ左手に「大樋松門」がある。城下町の北の入り口に村との境界に小さな松を一株植えて目印にしたという。
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大樋松門(いったい何代目になるのか?)

前田利家公が天正11年(1583年)6月14日に金沢に入城した。これに因んでこの日に「金沢百万石まつり」が行われている。仕事で何度か金沢に添乗で来たことがあるが、2003年6月14日に行った「金沢百万石まつり」は印象深い。さて、目指す卯辰山蓮昌寺に着いたのは、11時45分頃。本当の寺の名は普香山蓮昌寺だった。句碑らしきものが見当たらないので、住職に尋ねることにした。境内に実教院という末寺があり、蓮昌寺住職の弟子が秋の坊も含め14人ほどそこに住んでいたという。秋の坊の石碑がそこにある」と石が積み上げられている所を指差した。秋山実氏や小林輝治氏の折り畳み式の芭蕉句碑案内書が出ていると教えてくれた。
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卯辰山麓の普香山蓮昌寺

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普香山蓮昌寺本堂

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秋の坊の石碑

その後、昼食目当てに、ひがし茶屋街へ足を向ける。卯辰山山麓の寺院群と茶屋街は、藩政時代の面影を残す魅力的なコースである。京都駅東口発のハイウェイバスの時間、13時30分に間に合いそうも無いのでバスで京都駅へ向い、駅構内の「黒百合」で昼食を済ます。
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ひがし茶屋街(観光客でにぎやか)

ハイウェイバスは、北陸・上信越・関越・圏央道を乗り継ぎ、石川県、富山県、新潟県、長野県、群馬県、埼玉県、東京都の1都6県をまたいで、7時間走り続けた。「夏の空 ハワイに行くほど バスに乗り」「芭蕉みち 靴の匂いに 夏の雲」「加賀発ちて 七国つなぐ 夏の雲」
時代の変化は恐ろしいほどだ。バスの旅7時間や、飛行機1時間ひとっ飛びで7ヶ国を移動してしまう。芭蕉が今句を詠むとしたら、どんな句を詠むだろうか。

第44回 奥の細道を歩く 滑川~放生津八幡~高岡
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第43回 奥の細道を歩く 市振~魚津~滑川 
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