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奥の細道を歩く第27回  岩ヶ崎・栗駒~東鳴子温泉 [奥の細道を歩く]

奥の細道を歩く第27回  岩ヶ崎・栗駒~東鳴子温泉 2,007年9月25日~27日

 9月25日池袋西口23時発のハイウェイバスに乗り、翌日4時49分に岩手県東北本線JR一関駅前に到着する。一ノ関駅発の岩ヶ崎、栗駒行きのミヤコーバスは8時25分。東京から岩手県まで6時間、前回の歩いた場所栗駒まで
栗駒から一迫まで歩く途次、栗駒山が姿を見せる

戻るのに3時間25分待ちとは、いささか距離と時間の感覚が可笑しくなる。兎に角、駅の待合室で、池袋で購入したゆで卵とおにぎり、お茶で朝食、トイレ、仮眠で時間をすごす。8時に目の前の駅構内のお土産屋「ジャスター」にペット用お土産お菓子に目を留め、店員さんに話しかけ、しばしペット談義。

ペット用お土産に驚く!結構売れているそうな

 さて、8時25分にバスに乗ると、なんと運転手は前回と同じ方、清和さん。「あ~あの時の・・・」と彼も驚く。栗駒までの乗車中、彼の家族のことなどを伺う。10月からバス路線のバス会社が変わり、便数も減るという。栗駒を歩き出したのは、9時10分。一迫(いちはざま)を経由して、岩出山へ向かう。

刈り入れの風景に栗駒山

前回、栗駒商工会の方に紹介していただいた、一迫総合支所産業建設課にお願いして「奥の細道の資料」を送っていただいた。詳しい「奥州上街道」の資料で今回大変役立った。関係者に感謝を申し上げたい。

9時35分「首級清めの池と九の戸神社」通過、

58分、二迫川を渡り、20m先を右折する。この道が「上街道」で本当にこの道でよいのか迷って、この先にあるらしい看板の会社に電話をして念を押した。先で十字路を直進すると「芭蕉衣掛けの松」の標柱で突き当たる。左折徒歩20分とある。思い切って草ぼうぼうの轍で土が見える旧道を行く。10時36分、さらに人跡少なそうな山道に・・・大丈夫か?

右手にある神社の祠を過ぎて、左手に「芭蕉衣掛けの松」に出る。

 松の根元の碑は、昭和18年(芭蕉250年祭)に建立したもの。松は虫害で倒れ、2代目とか。すぐに舗装道に合流し、100mで又旧道。雑草が茂り、折れ枝が道を阻んでいる。下ったところに「祠堂ヶ森」の標柱、

栗原郡のこの一帯は平安時代、「姫松荘」といわれる藤原氏の別荘だった。干し藁の香りがすると思ったら、牧場レストランが目前に。牛・馬が放牧されている。遠くに栗駒山が見える。11時25分、さのや牧場レストランで昼食。

ベランダ席で手打ち蕎麦に野菜コロッケをいただく。そこで短パンに着替える。バスの運転手さんに「まむしがいるから、気をつけて」といわれていたので、万が一素肌はまずいかなと我慢していたが、こう暑くては仕方がない。

 12時発、すぐ「山神社」「正岡の墓」を過ぎて、一迫川を越して中心地へ。12時40分、真坂の秋葉神社に着く。

 境内に芭蕉・時雨塚がある。寛政12年(1800年)の建立で、「今日ばかり 人も年寄れ 初時雨」の句があるとされるが、判読できない。先を急ぎ、13時10分峠にでて「大崎市」へ。下って40分、潜松阪入り口に出る。前のバス停のところからの1.2kmの旧道の出口だ。見逃していた。馬館(まだて)の門に「千本松長根入り口」の看板が合ったが、地元のおばさんに「この先、岩出山にいけますか?」の問いに「わからない」と言われ、用心して先の真山小学校手前を右折する。14時52分、カッパ寅吉を祀った磯良神社に出る。

旧道千本松長根からの道だった。葛岡、酒屋のところを右折して、農道へ入る。この先の旧道の入り口が見つからず。農作業のお母さんに尋ねると、「よく間違えるんだな」と「通り過ぎたビニールハウスの骨の残るところを右折して、小松川を渡るんだよ」と教えていただいた。入り口に標識があるといっていたが、見当たらない。橋を渡り右折し、

橋を渡って右折すると、栗畑の山道を歩く・・・

 人家を過ぎると栗林が続く。落ちた栗を拾いながら山道を歩く。ここで一句が生まれる。
「上街道 いが栗に飛ぶ 蛙かな」 
わずかながら石畳も残る。「猪塚・猪塚古墳群」の標柱あり。

 すぐ県道と交わり、左手に古道あり。下ったところに天王寺一里塚。

その後は、県道を一気に下る。岩出山駅発の下り線の時間は、16時30分と聞いていたので、時々走る。7時間も歩いて足腰が痛いのに、よく走れるものだなと思いながら。
周りは田んぼの稲刈りの最盛期。コンバインで稲刈り、脱穀を一度に済ませてしまう。

 刈り取られた田には、白鷺とカラスがゆっくり足踏みをしながら、稲刈りの様子を伺っている。
 「栗駒や  稲穂待つ烏鷺(うろ) 足踏みす」

 線路が見えてきた。とても岩出山は間に合わない。次の有備館駅にするがどこかわからず、低学年の女の子に何とか聞いて、線路を走って何とかセーフ。無人駅だった。鳴子御殿湯駅16時52分着。

 旅館大沼は、温泉街の奥のほうで、かつて宿泊したことのある勘七湯の先になる。東鳴子温泉には1989年7月に田中温泉に初めて入浴し、私の温泉巡浴491湯目の温泉地だった。東鳴子温泉は650年の歴史を持つ、伊達藩時代は御用湯「御殿湯」として使われた。10軒の宿に39本源泉がある、個性的な重曹泉の郷である。詳しくは、別途「目の温泉 旅館大沼」を紹介したい。

 翌9月27日、重い荷を宿に預けて、出発する。御殿湯駅を8時29分に乗車、有備館駅到着は8時40分。駅前にある有備館は江戸時代、伊達家三代目伊達敏親によって岩出山の子弟に教育を授けるために1691年に開設された学問所である。芭蕉が来た時はまだ無かった。

 入り口を入って、奥には岩出山を借景にした広い庭園がある。豪快な赤松が植樹され、池中に茶島、鶴島、亀島、兜島を配した廻遊式池泉庭園で美しい。本町信号の先にある芭蕉像を見に立ち寄る。

 内川沿いの遊歩道で有備館へ戻る途中、二ノ構(にのかまえ)橋から岩出山を見る。ここからはほぼ国道47号線に沿って歩く。足元に雑草のノビルヒユ(通称ヒデリソウ)を見つけた。先日この農家の天敵といわれる雑草が、心筋梗塞や子宮筋腫に効果がある知り、欲しいといわれていたのだ。近くの花屋さんの倉庫に駆け込んで、大きなビニール袋を所望し、袋に入れて採集してきた。10時45分、「あ・ら・伊達な道の駅」で休憩。11時18分、伊達家の氏神となる荒雄川神社を通過、

 さらに25分で大黒崎に着く。左手が大黒崎観光センター、右手の山が標高145mの大黒ガ崎山。すぐ左手に2個目の「美豆(みず)の小島600m」の看板。足腰が痛んで迷ったが、左折する。川に向かって200mも行くと材木場に突き当たる。江合川上流に向かう矢印に従ったが、迷ってしまう。

裏から近くまで行ってみたが、わからず。多分、あの辺りが「美豆(みず)の小島」だろう。

 お兄さんに聞くと通り過ぎたようだ。川渡温泉への近道で、川の西側の山を背にした清涼な道を歩く。左手に一枚岩の岩盤を流れ落ちる「白糸の滝」に出る。麓にしゃくを持つ仏像?が安置されている。

 祥雲寺を過ぎて、右手に川渡大橋、左手が川渡温泉中心地だ。温泉石神社に立ち寄る。

 硫黄泉の香りが漂う。13時10分、郊外の中華飯店で30分ほど昼食。30分も歩くと左手に「馬場温泉」、聞くと重曹泉とこの地方では珍しい炭酸泉の温泉があるそうで、炭酸泉の浴舎には女性が入浴中で、諦める。もうすぐ東鳴子温泉で、

 御殿湯駅を越して昨日泊まった「目の温泉 旅館大沼」に到着。女将さんに頼んで、お部屋の写真と離れ山荘の露天風呂の写真を撮らせていただき、ついでに入浴させていただいた。 山荘の露天風呂は周りが自然の山の傾斜ですばらしい。

宿泊客には、山荘の露天風呂へ車で送迎してくれる。

 心身を清め、リラックスし、着替えて駅に向かう。御殿湯駅15時07分発古川駅で新幹線に乗り換えて、東京着は18時24分。第27回目の奥の細道も何とか無事終了。

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文学を訪ねる温泉紀行 鳥取県三朝温泉 [文学を訪ねる温泉紀行]

「文学を訪ねる温泉紀行シリーズ」と題して、 鳥取県三朝温泉をご紹介します。

 山陰の名湯・三朝温泉は、出雲風土記(733年)にも記載された歴史ある温泉である。源泉が100ヶ所以上、さまざまな泉質を持ち、ラドン含有最高702マッヘを記録する世界有数のラジウム温泉でも知られる。山陰有数の歓楽温泉であるとともに湯治宿が現在も活躍する保養温泉である。三徳(みとく)川にかかる三朝大橋の下の河原には、三朝音頭にも出てくる名物の混浴露天風呂がある。田山花袋、有島武郎、島崎藤村「山陰土産」、志賀直哉、与謝野鉄幹・晶子夫妻、城山三郎「山陰の温泉二つの顔」、斉藤茂吉など文人墨客が訪れ、多くのエッセイを残している。野口雨情作詞の「三朝小唄」は中山晋平作曲で昭和4年(1929年)に藤本二三吉の歌でレコード化された。松本清張の作品「Dの複合」では、雑誌社「天地社」の依頼を受けたあまり売れない作家の伊勢忠隆が「僻地の伝説(浦島・羽衣伝説)をさぐる旅」連載取材旅行で復讐事件に巻き込まれ、三朝温泉などへの事件調査へ赴く場面を描いている。

金森達画

追記; 三朝温泉にゆかりの文治墨客は数多いが、三朝温泉を舞台に描いた作品や三朝温泉の宿で有名な作品が生まれたという話がない。島崎藤村や田山花袋の定宿として知られる依山楼岩崎の女将さんに聞いても、短歌を色紙に残されただけのようだ。松本清張の父が三朝温泉の近くの出身地で、作品にもっと出てくるかと思ったが「Dの複合」に出てくる程度だった。

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なぜ温泉療養・温泉水の飲泉をすすめるか? [飲む温泉水]

なぜ温泉療養・温泉水の飲泉をすすめるか?

金森達 画

日本は昔から温泉天国で、療養温泉として医者が少ない時代や地方で大きな役割を果たしてきました。神経痛やリウマチに効く温泉、胃腸など消化器病に効く温泉、骨折に効く温泉、子宝の恵まれる温泉、がんに効果のある温泉など温泉地によっては長い歴史の中で経験的に効能が信じられている温泉地があります。欧州の国によっては入浴によるリハビリと飲泉による温泉療養が医療分野でも大きな比重を持ち、温泉地には立派な飲泉所が整備され、医者の処方箋により療養生活をおくっている国もあります。

 温泉療養の効果は、入浴によって体の皮膚をとおして、また蒸気を呼吸で吸収し、外部から作用し温泉水に含まれる化学的成分が体内に浸透します。また飲泉によって直接体内に取り込み、消化器系をはじめ内臓器官をとおして体内の全身に作用します。まだ科学的に十分に解明し尽くされていませんが、糖尿病の血糖値が西洋医学でも血糖値が一定の数値まで下がらないといわれている患者が飲泉と運動で劇的に正常な数値まで下げるという例も珍しくありません。私自身も6年前から、九州・鹿児島の温泉水で天然のゲルマニュウムを含む「薩摩の千年水」「星の雫」を飲泉してきました。以来、体内の循環が良くなったせいか、深酒をしても悪酔いをしなくなったこと、寒さに強くなり風邪をひかなくなったこと、飲泉して4年目から水虫がきれいになったことなどの効果を自覚しています。最低1日1リットルを目安に飲泉をしています。

金森達 画

 温泉は地球の地殻とその内部のマグマの活動によって、生成されます。降った雨が岩盤の隙間をぬって浸透し、地下数千メートルにある多孔質岩層に溜まります。その下にあるマグマ溜まりの600~1,300℃の高温の地下層に熱せられます。新たに浸透してくる雨水に比べて、比重が軽いので今度は地上に向かって上昇して地表に湧き出したのが温泉(循環水説)です。上昇してくる途中、ミネラル分や各有機成分などが溶け出し、さまざまな温泉水を造りだします。

 温泉にはさまざまなミネラルが含まれており、継続して適量を飲み続けることで血液の循環をより促し、免疫力を高め、健康な体をつくることができます。近年では、糖尿病、高血圧症、動脈硬化症、肥満、痛風などの生活習慣病に、大きな効果を挙げていると温泉療養が見直されています。
 今都会の水道水は濃度の濃い遊離塩素が含まれ、人体にさまざまな害をもたらすといわれています。人体の75%が水分です。体内を汚れの無い天然のミネラル豊富な温泉水で満たすことで健康を増進させ、健康を維持、回復することができます。飲用温泉水は、湧出した温泉水分析の結果、各都道府県知事や保健所にて飲用に適すると認可を得て販売されているものです。

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温泉夜話 温泉まんじゅうや温泉(鉱泉)煎餅の元祖は? [温泉マニア]

温泉まんじゅうや温泉(鉱泉)煎餅が、いつ、どこで、誰によって始められたのか?が気になり、調べてみた。百科事典やお菓子辞典を見たが、どこにも出ていなかった。図書館の人に頼み、「全国温泉大辞典」に、わずかに「温泉みやげ」の項に温泉まんじゅうなどが出ているのを探してくれた。その資料を元に現地に問い合わせをしてみた。

 一番古そうなのが、当初草津温泉の温泉まんじゅうかな?と思ったが、松村まんじゅう氏に聞くと、伊香保温泉の湯の花まんじゅうの方が古いとの証言をいただいた。そこで、伊香保温泉の7~8軒あるまんじゅう屋さんで、一番古い勝月堂の三代目、半田博氏によると初代半田勝三氏が、明治43年頃東京の風月堂にいたことのある職人に作らせたのが、初めてと言う。5年ほどして、田中屋さんが後を追ったという。

 次に、有馬温泉の有馬せんべいを造っている7軒の老舗のうち一番古い㈱三ツ森の三代目に聞かせていただいた。有馬温泉は、含鉄強食塩泉で塩分・鉄分が強く、利用出来ず、他の源泉の炭酸冷泉を使って、小麦粉、片栗粉、砂糖、塩を練って薄く焼き上げることで、お腹に優しい食品として人々の評価を得た。明治40年頃、三津森本舗の創業者三津繁松氏が始めたのが、最初と言われる。

 次に群馬県安中市の磯部温泉の磯部せんべい。


安中市商工観光課の土屋文男氏のご協力をいただいた。磯部温泉史を見せていただくと、「磯部煎餅は、明治の初期、初代の大手万平氏の発明にかかると言われるが、この他にも発明者と伝えられるものもいる。明治43年編纂の磯部町郷土誌には、東上磯部村 萩原偉吉 明治18年12月磯部煎餅を発明し広く之を発売せしが、・・・・その何れにしても、磯部鉱泉の開拓者であり、鉱泉地の最有力者であった大手万平氏の協力、後援に依ったものと思われるのである。」とある。又、安中市誌によると、「磯部煎餅は、昔から天然の鉱泉水を使った自然食品で、・・鉱泉の効能で、消化がよく、腹にたまることがない。」明治44年に、「皇孫殿下へ磯部煎餅献納」文書に記載された製法として、「麦粉百匁に上等なザラメ糖七十五匁鶏卵八匁、之を鉱泉水七合・・」とあり、「小麦粉とザラメは現在とほぼ同じ割合だが、鶏卵をいれている点で異なっている。・・戦前の磯部煎餅は原料として卵をいれることが契約の条件だったようである。」

肝心の誰が最初か?最も古い記録、先日私も神田の古書店で見つけた、山本有所著「磯部鉱泉繁盛記」明治19年7月、晩香堂刊に磯部煎餅については触れられていない。又、宇野直一郎編「磯部鑑」明治24年刊「磯部煎餅及び磯部飴は明治19年中鳳来館主大手氏の発明にして・・」「鉱泉を利用して製造する木の葉形煎餅は明治20年中田村仙岳氏の発明す所にして販路追追拡張し・・」などとあり、特定し得ないのが実情だ。

結局、磯部煎餅が明治初年から明治20年の間、次いで、有馬温泉の有馬せんべいが明治40年、伊香保温泉の湯の花まんじゅうが明治43年の順と考えるのが順当と言えようか。

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2年目のワーキングホリデイビザ取得のため、バナナ園で季節労働! [海外のはなし]

「オーストラリアへ来て早10ヶ月。28歳にして初めての海外留学は想像以上に厳しい状況で、もっと若い頃に来ていればと何度思ったことか…。」と始まったオーストラリア語学留学もブリスベンからゴールドコースト、ケアンズに移動して7月14日記に続くkaoruの現地レポートです。

オーストラリアにもう一年住んでみようと思ったのは決してオーストラリアが好きで日本に帰りたくなくなったわけではない。ただオーストラリアに来て10ヶ月まだ私は何も得ていない。だからもう一年ここオーストラリアで頑張ってみることにした。

もともとワーキングホリデービザで入国したためもう一年ここに残るためには二年目のワーキングホリデービザを取得する必要がある。そのビザを取得するためにはいくつか条件があり、その最大の条件が3ヶ月間の季節労働である。季節労働とは主に果物・野菜の収穫または動物の世話となっている。雇用地域も指定があり、大体の地域が都市から遠く離れた田舎町である。私はケアンズから南へバスで2時間半のタリーという小さな町を選んだ。といってもタリーに到着するまではここまで小さな田舎町とは想像もしていなかった。200m弱のメインロードに全ての店が揃うほどの小さな小さな町である。映画館のような娯楽施設は全く無く週末の過ごし方に困っている。





バナナ農場の消毒散布用飛行機

ここタリーはバナナとサトウキビが有名な町で季節労働のために多国籍の人々が集まってくる。もちろんその中には地元オーストラリア人も短期間でお金を稼ぐために出稼ぎにきている。


7月下旬にタリーに到着した私は、労働者用バックパッカーズという季節労働を紹介してくれる宿泊施設に泊まることにした。そこは男女混合の部屋で2段ベッド4台の8人部屋である。ちなみに1週間13,000円くらい。そんな共同生活はもちろん、こんなに汚い部屋やキッチンも私にとっては全てが初めての体験だった。

続きはまた…。

kaoru

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花巻南温泉郷 深い立ち湯の一軒宿 鉛温泉藤三旅館 [療養・湯治の宿]

 2007年9月4日、奥の細道を歩いて、平泉まで行った時、花巻温泉郷鉛温泉「藤三旅館」に宿泊した。


1984年8月に入浴していたので、2回目の訪問になる。昭和31年、高村光太郎が「旅の手帳」に投稿した鉛温泉投宿の様子が面白い。「非常に大きな湯舟(白猿)が一軒別棟でできていて、いっぱいの人が入っている。その様を小高いところから見下ろせるが、まるで大根が干してあるように人間の像がずらりと並んで、それは壮観である。たいていの温泉は、引き湯だが、鉛はじかに湯が湧いている。湯の起こりの底の砂利を足でかき廻すとプクプクあぶくが出てきて身体中にくっついてピチンとはねるのも面白いが、大変薬効のある温泉といわれている。・・・」

鉛温泉は、花巻市の北西、花巻南温泉郷の奥から2番目の一軒宿、高倉山麓、豊沢川沿いにある宿である。昔から効能高い湯治宿で栄え、今でも旅館棟と自炊棟がある。旅館棟の木造3階建ての母屋は、昭和16年の建築の総欅造りで、3階建ての6畳間の28号室に宿泊した。


和室6畳・書院障子戸で仕切られた広縁付き、トイレなし、テレビ、鏡台、扇風機付。かつて、田宮虎彦が一ヶ月逗留し、「銀(しろがね)心中」を書いた部屋〔28号室〕も3階にあり、見せていただいた。

障子やガラス戸、欄間などその時代の職人の技を振るった建築物で、釘を使っていないのに驚く。黒光りした階段や踊り場、古きよき時代を感じる。

四つある源泉があり、5ヶ所の湯船(龍宮の湯、河鹿の湯、白糸の湯、桂の湯、白猿の湯)にそれぞれ配湯している。

「桂の湯」露天風呂

特に有名なのが白猿の湯で「立ち湯」として知られている。


「白猿の湯」宿のパンフレット写真提供

白猿の湯は、もともと岩の底から湧き出て、深さが1.25mあった。昔、湯量が減ったので、さらに岩盤を掘り下げ、一部コンクリで固められ、どこからか湯が湧き出ている。今は深いところだと1.5mはあり、子どもたちにはおぼれそうな深さだ。男女別々に入り口があるが、戸を開けると眼下に石造りの楕円形の湯船(2.5m×4.5m)と小さな湯船(直径1.2m)、更衣棚が見える。小さな湯船は源泉が異なる温い湯で、長い時間入るか、熱い湯と交互に入ると良い。通常は今でも混浴だが、夜の7時から8時が女性専用風呂となる。他の浴槽も翌日は入れ替わるので、全ての浴槽で入浴することができる。「龍宮の湯」は本館2階にある旅館部の部屋からは一番近い湯で、源泉が45度とあるが、とても熱くて入れず、湯掛けだけして諦めた。

「白猿の湯」は、約600年前藤井家の遠祖がきこりをしていた頃、岩窟から出てきた白猿が、木の根元から湧いている温泉で手足の傷を癒しているのを見つけたという由来がある。源泉は自噴する57度の単純泉で、効能は神経痛、リウマチ、関節炎、筋肉痛、腰痛、アトピーなどの皮膚病、胃腸病、婦人病など。自炊部もあるが、最近は自炊客が減ったと番頭の菊池和雄氏はいう。湯治客は農家が冬支度で仕事が無い農閑期の2月に多く、ほぼ満室になるという。自炊部屋は、なんと言っても安いので人気だ。南向きの和室6畳間は、1泊2食付で1人から3人用で4,245円(税・入湯料込)、

南向きの和室6畳


北向きの和室8畳

北向きの和室8畳は、ガス器具、冷蔵庫付き4,560円(税込)だが、冷蔵庫や暖房費は別途かかる。日当たりが良く常連客に人気の部屋だという。自炊棟には自炊室があり、自炊客はそこに食材を持ち込んで、調理をする。食器や鍋などは無料貸し出しをしている。布団・毛布・丹前・浴衣・バスタオル・テレビ・コタツなど何でも貸し出しをしているが、それらの料金と宿泊日数を計算して、自宅から持ってきたほうが徳かを判断するようだ。1ヶ月どころか7年間自炊室に泊まっていた人がいたという。夏季プラン(4月1日~11月30日〕として、1泊室料+布団代+浴衣付き+テレビ使用料+入湯料で2,880円、冬季プラン(12月1日~3月31日)で、1泊室料+布団代+浴衣付き+テレビ使用料+丹前+毛布+コタツ+入湯料で3,615円。昼食は600円より、定食は2,100円より受け付けている。
 白猿の湯に入浴した後、自炊棟の売店に行って話を聞いた。

日用品や食料品がそろっている。おばあさんがいて、「ウチの湯は全て源泉掛け流しで、いろんな病気が治ったというお礼の手紙が来ている。私はいつも湯に感謝しながら、湯に入るんだよとお客に言っているんだよ。信じるものは救われるんだから」と手紙を見せてくれる。私が「藤三旅館」の名の由来を聞いた時、「藤三(とうさん)旅館」かと思った」というと即座におばあさんは「縁起でもない、倒産(とうさん)だなんて!」としかられてしまった。番頭の菊池和雄氏に話すと「おばあちゃんは、社長のお母さんですよ。藤井家の「藤」と先代の誰かの名前の三をとったのだと思う」と話してくれた。とんだ冷や汗ものだった。

夕食膳は部屋でいただいた。

前菜に焼魚・蕨・栗・ふきのとう味噌、ジンギスカン鍋、煮物と炒めの帆立・サーモン・アスパラ、茶碗蒸し、お造りはぶり・甘海老・鮪、うなぎにわさび付き、かにと卵豆腐、南瓜などの天ぷら、いくら・とろろの酢の物、デザートにぶどう。こんな山奥なのに、海の幸が多いとは驚いた。朝食も部屋でいただく。鯖の塩焼き、ポテトサラダとキャベツ、ベーコンと卵の目玉焼き、ぜんまい・蒟蒻などの煮物、納豆に焼き海苔。1泊2食付で、8,130円(税・入湯料込)でこの料理は、できすぎか?たまに一泊には良いが、これが毎日ではいくらご馳走でも参ってしまうのでないか。自炊棟の人気も理解できる。

〒025-0252 岩手県花巻市鉛字中平75-1 
電話番号0198-25-2311 ファックス番号0198-25-2312
自炊棟の電話番号0198-25-2901

アクセス:電車;JR東北新幹線新花巻駅下車、鉛温泉まで約60分、無料シャトルバスあり。
     JR東北本線花巻駅下車、鉛温泉まで約30分、無料シャトルバスあり。
    :お車;東北自動車道花巻南インターより、約20分。
    :飛行機;花巻空港より約30分。
     
遠赤外線パワーで冷え性対策!「田口式健康サポーター」http://www.a-spa.co.jp/taguti/ 療養・湯治の温泉宿http://www.a-spa.co.jp/totugeki/index.html
秘湯・異色の温泉宿http://www.a-spa.co.jp/hitou/
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
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JATA世界旅行博覧会に行く [海外のはなし]

JATA世界旅行博覧会に行く

2,007年9月14日~16日にJATA世界旅行博覧会が東京ビッグサイトで開かれる。海外旅行のための情報を一度に集めたアジア最大級の旅行博覧会で、世界の国と地域のホットな情報が多彩なプログラムとブースで用意される。14日は旅行関連業界対象の日程で、11時からのトラベルジャーナル主宰の旅行業ITセミナーに参加し、一通り会場を回ってきた。


毎年、本国のトップアーチストも来日するそうだが、今日はトップアーチストとは言いがたいパフォーマンスは何ヶ所で目にしたが、本番の明日以降は期待できるのかな?


イランブースで紅茶を、パキスタンブースで「ディツ」と呼ばれる果実や菓子をいただいた。


台湾のブースではカラーの粘土細工のような手造りを見てきた。

観客の要望に応えて、棒の先に猫や犬などを2~3分で造ってしまう。お父さんの代を受け継いで、巫佩玲(うん ぺい れいん)さんというこの道何十年という有名な方らしい。私もかわいらしい虎(タイガー)を造っていただいた。

造る時はやわらかいが、半日もすると硬く固まってしまう。型が崩れないように棒につけたタイガーを手に持って歩くと若い女性たちの視線がタイガーに集まるのが感じて気恥ずかしい。

各ブースで観光案内や地図などを手渡されるので、つい荷が重くなってしまうので、慎重に選ぶようにする。私の温泉好きが講じて、各国の温泉地の情報を仕入れてくる。でもここに来る人たちは、温泉についての知識がある方が来ているわけではないので、ほとんど当てにならない。トルコ、韓国のプサン、中国、欧州などの資料をいただいた。中国の黄山の麓に温泉宿があり、組まれるツアーは、ほとんど黄山の頂上を結ぶ日本製のロープウエイに乗った頂上のホテルに泊まる予定になっている。黄山の麓の温泉宿情報を訪ねたが、わかる人がいなかった。

 かつてパキスタンのペシャワールから、ナポレオンが通ったというカイバル峠にバスで行った時、途中の1~7世紀にまでに建てられた山岳仏教寺院に立ち寄った。その寺院の資料がないかを聞いてみた。ライフル銃を持った部族の警官2名を載せ、英語しか話せない現地ガイドの案内で行った印象深い旅行だった。その寺院はタフティ・バーイ(Takhe-i-Bahi)という寺院で、昔は体長が3m以上はある大仏像があったが、今は足の親指が十数本しか残っていない。国宝級の指だというが、粗末な簡単な鉄の檻に入っていた。そこにいた管理人が私を促して、折れた柱の上から、黒い包みを取り出した。その中から「親指」を出し、「いくらで買うか?」という表情につい「10ダーラー」と答え、購入してしまった。


足の指の裏側

当時、そのような闇売買は、99・9%偽ものだよといわれていたが、流石に出国手続きのとき、本物の国宝ものだとすると犯罪になるかもと背筋がヒヤッとしたものだった。

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神田神保町から、川瀬巴水(かわせはすい)の温泉場版画絵を求めて [温泉マニア]

 9月11日、東京神田神保町の古書店に出かけた。いつも古い地図や旅行関係の古書・古本が揃う泰川堂書店に行く。1時間ほど粘って、明治35年版の熱海温泉絵図

と伊香保温泉絵図、

昭和10年代の温泉旅館が発行したミニ歌本

を見つけ、購入した。また、松尾芭蕉の廟堂の絵(終焉の絵)を見つけた。大阪御堂筋の宿・花屋仁左衛門方で「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句を残したといいわれる。いつの時代のものかなと、店の人に聞いたが判らない。帰宅して調べたら、明治時代に書かれたものらしい。

居酒屋「旬里」でランチタイムの讃岐うどんセットを食べた。

牛肉と油揚げ、かまぼこが入った讃岐うどんと鮪の山かけが付いたものだ。990円とランチにしては、なかなか贅沢な内容だが、結構女性客が多く、人気のランチなのかな?

浮世絵版画を見に、蒐堂(あかねどう)や三田アートギャラリーに行った。そこで土井コレクションの巴水没後50周年特別展「川瀬巴水(かわせ はすい)木版画展 礫川(こいしかわ」浮世絵美術館 」

のポスターとチラシを見た。川瀬巴水(1883年~1957年)は温泉場を背景にした木版画を描いており、ここへ何度か見に来ていたところだ。同時代の風景画家で織田一磨の存在も知った。川瀬巴水の温泉場の版画絵が見られるかもと後楽園の礫川浮世絵美術館へ行くことにした。

地下鉄春日駅で降りて、信号の角にあるビル小石川春日ビルの5階にあった。一階に礫川浮世絵美術館の絵ポスター展示されているので、すぐ判る。

エレベーターで5階に上がり、ドアが開くとすぐ受付があり、靴を脱いで上がる。

ちょうど老人大学?の人たちが8人ほど鑑賞中で、大声で互いに解説をし合って?騒々しい。受付の女性に「温泉にこだわって、川瀬巴水の新版画を見に来ました」から始まって、温泉談義が始まった。彼女は実家が湯河原で温泉民宿をやっていたが、跡継ぎが無く温泉がでたまま、そのままにしているそうな。何でも湯河原の温泉の権利は、年間50万円、温泉を止めて権利だけを持つと半額の25万円という興味深い話を伺った。そのままにしておくのはもったいないと、そのうち1週間ほど温泉療養に使わせていただきたいと話をする。

さて、老人大学の面々が見終わった頃、じっくりと見せていただいたが、肝心の温泉場風景画が無かった。先の神田の古書店には「有福温泉」が2枚在庫あり、16万円の値がつけられていた。川瀬巴水の版画絵はもともと夕暮れを描いた暗い作品が多いのだが、もし購入するとしても毎日眺めたい私としては、明るい雰囲気のが欲しいと思っている。館長さんにお会いし、版画摺りが物によっては、200枚どころか千枚以上も摺ることもあると聞いて驚いた。パンスレットの写真で比較して見せられると確かに違いが大きいと理解できる。

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奥の細道を歩く 第26回 その2.平泉・毛越寺から岩ヶ崎・栗駒まで [奥の細道を歩く]

 9月4日8時にホテルを出てすぐ毛越寺につく。入場時間は8時30分だが、裏口から見ると園内にはすでにカップルがベンチで涼んでいる。庭園を撮影して8時10分には毛越寺を後にした。

平泉から一関に戻り、栗駒岩ヶ崎から真坂をえて岩出山へいったという芭蕉の道を探しに、一関市役所へ向かう。

9時55分、五階の観光課で資料「城下町探訪たより 旧街道を歩く一迫(いちはざま)街道―」の地図をいただいた。岩手県側の県境までは、近年草刈をしているので、いけるはずだが、宮城県側はわからないと言われてしまう。10時に市役所を出て、上ノ橋を渡り、左折して釣山公園前を通過、国道342号線に合流する。500mで願成寺 の先「旭町」でY字路の間を抜ける道が「迫街道」で迫街道追分・芭蕉の道標がある。

自動販売機もありそうに無いので、おにぎりと飲料水を購入する。1㎞ほどで右手に長昌寺(時の太鼓)。

炎天下で熱中症防止に水に浸したタオルを頭に巻いて歩く。国道4号線を過ぎ、11時32分、蔵主沢(そうずさわ)のY字の間、舗装されていない山道を入る。

草刈をしたという道だ。ところどころに「芭蕉行脚の道」の標柱がある。わだちが残っているので、かつては馬車が通ったか。東北道のガードを抜けて、さらに山道を10分ほど行くが、湿地帯で靴はずぶずぶぬかってしまう。藪に入り道がわからなくなり、仕方なく戻ることにした。

この看板の先を10分ほど行くが、湿地帯で靴はずぶずぶ・・・

この先に刈又一里塚があるといい(一関カントリークラブの岩手側)、そこまではいけるといっていたところだ。東北道沿いの舗装された道を2kmほど南下する。東北道のガードの切れ目から民家が見えるので、立ち寄って道を尋ねた。この場所は、宮城県側の片馬合手柄で小岩さん宅、足の不自由なおばあちゃんが「熱いのに、ご苦労さんなこと」とリポビタンと冷たい甘酒(缶)をご馳走になった。「サカキバラ事件の年、甥っ子が自転車で日本一週した時に立ち寄ってくれて、別れるときに涙が出てきたよ」と「気をつけていきらっしゃい」と見送ってくれた。12時50分、南下してT字路を左折し、国道4号線を通過、バス停の在るところ「椚崎」まで歩いたが、待ち時間が長いので、JR東北本線有壁駅まで行く。

有壁駅からのバスの便のほうが早いので、バスで一関まで戻る。14時25分着。本日の宿泊は、花巻温泉郷のひとつで鉛温泉、源泉掛け流しの木造三階建ての一軒屋「藤三旅館」に予約していた。




有名な底から湯が湧き出る「白猿の湯」 パンフレット写真ホテル提供

自炊もできる湯治宿で取材記は後に紹介したい。

 翌日9月5日、途中の大沢温泉に「大沢温泉郵便局」があると知ったので、立ち寄り預金をした。

新花巻から新幹線で一関に戻ったのが、11時46分、一関駅前から前日のバスで戻れる最奥の地点・椚崎(くぬぎさき)のバス停に戻ったのが、12時30分。前日の東北道ガードまで戻らなければならない。
 片道3km往復6km余分に歩くことになるが、仕方が無い。2.5kmほどで一関カントリークラブ入り口右折、左折すると市営牧場のアップダウンの道を歩き県道182号線の矢待沖に出る。出たところに色あせた「熊出没注意!」の看板があった。14時、壇の原には「芭蕉行脚の道」標柱と説明板がある。

10分ほどの峠で、「栗駒」にはいる。昔は馬の生産か?今は肉牛の看板が目立つ。15時ドラッグストアで道を尋ねる。町役場や栗駒駅は信号2つ先を左折という。栗原駅はくりはら田園鉄道の駅で、3月に廃止された。元駅の手前に商工会事務所があり、近くの公園前に「奥の細道」標柱と「鶴丸城跡」説明板がある。

商工会に立ち寄り、岩ヶ崎から真坂、岩出山へのルートの資料があるか尋ね、栗駒高原中心の観光資料をいただいた。元駅はミヤコーバスのターミナルになっており、駅舎内の自動販売機も機能していない。

元くりはら田園鉄道の栗原駅、今はバスターミナル

今日一関から椚埼まで乗せていただいた運転手さんもいて、「ここまできたの?」とご挨拶。「次回はここから歩き予定です」と応える。一関駅発の便は、8時25分か12時10分でここまで約45分かかる。9月3日から5日まで約55㎞から60㎞は歩いたと思う。今回のルートは、奥の細道のハイライトといわれる平泉を歩いた。何度か観光できたことがあるが、初めて訪ねる場所、無量光院跡や高館からの束稲山の遠望がすばらしかった。

奥の細道を歩くhttp://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/
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奥の細道を歩く 第26回 その1.一関・花泉~平泉・中尊寺まで [奥の細道を歩く]

奥の細道を歩く 第26回一関・花泉~平泉~岩ヶ崎 その1・平泉・中尊寺まで

 2007年9月2日、東京駅八重洲口前のカプセルホテル「湯楽三昧」に宿泊。翌9月3日東京駅6時04分発の新幹線で岩手県一関へ。昨年の1月から歩くはじめ、もう1年8ヶ月が過ぎたかと感慨深い。。8時36分に一関で東北本線に乗り換え、前回歩いた終点の花泉駅へ向かう。9時20分、駅員さん(駅長さん?)に旧道を教えていただき、出発。一関まで約15㎞。さらに平泉まで5km。

高館義経堂から束稲山の眺望

中尊寺金色堂

今回は一関に戻るので、駅のロッカーに重い荷を置いてきた。
北西へ足取り軽く進むが、すぐ左手に天満宮。

10時03分、4kmも行くと右手にセブンイレブン、左手はJR清水原駅。その信号を山側へ右折する。そこで車で来た方に呼び止められる。「奥の細道を歩いている」というと「私もやりたいと思っていたんですよ」とひとしきり団欒。30分で上り坂に「芭蕉行脚の道」石碑。曾良随行日記が側面に彫られている。

峠はもうススキ並木、りんごの収穫が行われている。下りきったところに横山不動尊分祀大平不動尊、

11時20分、信号を左折、下って国道342号線へ合流。左折して一関市街へ。駅へ着いたのが12時20分、ロッカーから荷を引き出した。花泉から3時間。駅構内の観光物産ショーケースで見た「世嬉の一酒造」の芭蕉の絵柄のラベルのお酒に注目し、造り酒屋へ立ち寄る。手前に江戸時時代後期の建物、旧沼田家住宅は休館日で残念。

すぐ先のはす向かいが「世嬉の一酒造」。大正7年、酒の仕込み蔵として建築された「酒の民族文化資料館」、売店、蔵元レストランがある。歴史的には、造り酒屋としては新しいほうだ。

蔵元レストラン「せきのいち」で、「土川(つちかわ)蕎麦セット」と「マスターのウインナー」、この敷地内で作られた地ビールをいただいた。一関は郷土料理もちが有名だそうで、蕎麦セットにも漆塗りの器に黒いあんかけのもちが出された。2008年平泉世界文化遺産登録に向けて、藤原三代時代の料理を復元した「奥州藤原膳」も用意されている。

 13時30分、世嬉の一酒造角を左折した駐車場前に、「松尾芭蕉二夜庵跡」と磐井橋脇に「奥の細道縮図」説明板がある。

 14時50分、炎天下、平泉町に入り、毛越寺入り口を通過。左右に実り豊な田んぼが続き、一句をひねり出す。「稲穂垂る うらみつらみを 飲み込んで」

昔の封建時代の農業や戦でのつらさは口では言い表せないほどのものであったろう。15時、平泉駅前の荷物預かり所で200円を支払い、出ようとするとちょうど、今夜泊まる予定のホテル平泉温泉元湯ホテル武蔵坊の車が目の前に。あわてて荷を預け直す。身軽になって、いよいよ平泉中尊寺へ。駅前を出てすぐ左折し、中尊寺通り(旧道)を行く。伽羅の御所跡は、今は住宅地で何も無い。無量光院跡は今一部発掘中で、広大な敷地。平安時代末期の藤原三代秀衝(ひでひら)が建立した寺院で宇治の平等院を模して作られた。

さらに右側に高館義経堂が高台にある。高館から西には北上側の向こうに束稲山(たばしねやま)が青空に映え、眺望がすばらしい。

丘には「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」の句碑が立つ。踏切を越え、弁慶の墓といわれる五輪の塔を見て、月見坂を上る。

二十数キロを歩いた後に上る急坂はきつい。杉並木は日光の杉並木の雄大さを思い出す。嘉祥3年(850年)、慈覚大師が開山し、清衡が堂塔40余、僧坊300余を完成させたという中尊寺を過ぎて、讃衡堂へ。

月見坂を上ったところに中尊寺

讃衡堂(さんこうどう)は三千点の国宝・重要文化財を所蔵する。中尊寺とセットの入場券(800円)。金色堂は、清衡が16年かけて完成させた阿弥陀堂、現世に極楽浄土を具現させるために完成させた。

中尊寺創建時代の現存する唯一の遺構だ。柱や須弥壇など全てが金箔と思っていたが、屋根が木造のままだとは気づかなかった。旧覆堂の前に芭蕉立像がたつ。

 素朴な疑問だが、当時粗末な身なりをした芭蕉が、覆いが無かった金箔の光堂に簡単に真じかに見られたのだろうか。警護のものは?拝観料は?時代考証の専門家の話を聞きたい。
こうしてようやく無事平泉を訪ね、毛越寺北側にある平泉温泉元湯ホテル武蔵坊に向かった。
平泉温泉元湯は10年ほど前に温泉が湧出、私は初めての温泉入浴となる。(温泉巡浴1224ヶ所)

部屋は5階のフロア、本間8畳に3畳広縁にテーブル椅子がある。温泉は42.6度のナトリウムー塩化物泉で特に切り傷、火傷、慢性皮膚炎、虚弱児童、慢性婦人病などの効能がある。大浴場は男女別にあり、翌日交換される。翌日入浴した展望風呂が良かった。

石・タイル張りの浴槽で、幅2m×横3~5mあり、窓外には竹林がある。こちらのほうが源泉に近いようで、湧出口からの温泉を口に含むと塩味・金属味がする。
 夕食膳は2階の食事処でいただいた。

食前酒は巨峰酒、先付けは沢蟹・鶏肉の実の実和え・アスパラ・うなぎ巻きまど、春マイタケ・人参・白身魚とごぼうの天ぷら、前沢牛鍋、蕗の煮物、帆立・うこん・トマトの酢の物、茶碗蒸し、お造りは鰤・鮪・甘海老、黒ゴマのポタージュ、

ご飯は十穀米の秋の実り炊き上げご飯、

薄味のすいとん、デザートはマンゴームース。

黒ゴマのポタージュにすいとんは珍しく美味であった。翌日の朝食は和・洋食のバイキングで、新鮮なイカ刺身、煮物が豊富、海の食材が豊かであった。

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