SSブログ

伊豆西海岸・土肥温泉のはなし ③桂川シーサイドホテルの紹介 [温泉巡浴]

伊豆西海岸・土肥温泉のはなし ③桂川シーサイドホテル

 孫たちとの初めての旅行に西・奥伊豆温泉/土肥温泉・大沢温泉を選んだのには理由があった。大沢温泉は、30年前長女が生まれてすぐに宿泊した宿で、武田家が滅亡した時の重臣依田家が奥伊豆に逃れた歴史のある温泉宿だった。手前の土肥温泉は

 海水浴場が目の前で、8月18日から4日続けての花火大会が催されていた。ホテルには温泉プールがあり、子どもたちが楽しめると同時に、翌日の移動に便が良いことから選んだ温泉地であった。土肥温泉へ行く前に、伊豆長岡温泉にあるかつらぎ山パノラマパークへ寄り道した。長いロープウエイに乗り、

標高720mのかつらぎ山の頂上へ向かう。高所恐怖症気味の者が多く車内では大騒ぎだった。

14時には桂川シーサイドホテルへ到着。


桂川シーサイドホテル玄関の屏風絵

ロビー(桂川シーサイドホテル写真提供)

子どもたちは早速1階にある温泉プール(大人・子ども用)へと出かけた。6階の部屋から水着にバスタオルを掛けて、エレベーター移動で1階の裏口からプールへ行くことができる。

私は土肥温泉の歴史を訪ねて、安楽寺の「まぶ湯」、土肥神社、共同浴場の「楠の湯」で入浴、「屋形共同浴場」へも立ち寄った。帰りには地酒の冷酒「純米吟醸 土肥」を購入して、部屋でいただく。天候が良いので、ホテルからフェリー乗り場から土肥海水浴場の眺めはすばらしい。

 夕食は小宴会場でいただいた。

夕食膳、後でカレイの唐揚げが出される。

百合根のしんじょ、生海老、小鰺のマリーネ、カニグラタン、イカの塩辛、蛸・金目鯛・もちのしゃぶしゃぶ、鮪・しゃこ・鯛・赤貝・鯵のお造り、カレイの唐揚げ、デザートに洋ナシムース。いかにも海の幸満載で満足でした。子ども用は鮪の刺身、鳥のから揚げや肉団子、卵焼き。

午後8時30分からの花火大会は、6階の部屋の正面で見られた。歓声を上げながらの花火鑑賞。旧盆に続いての4日間の連続の花火大会で客は増えているのかな?
お部屋は入り口からの上がり間は2畳板の間、左手に洗面所とバストイレ、本間は12.5j畳に4.5畳の広縁にテーブル椅子が置かれている。我々夫婦と長女夫婦に5才と2才の子どもたちで2部屋で、1泊2食付で、大人13,800円(税込)は安いと思う。

 夕食後は、3階のお風呂へ行く。「岬の湯」は木の床に浴槽、「磯の湯」は石・タイル張りで、それぞれに石組みの露天風呂がある。浴槽は長さ13m、幅は2~3mでガラス越しの見る土肥海岸の眺望はすばらしい。「岬の湯」と「磯の湯」は深夜3時に男女交代となる。

岬の湯(桂川シーサイドホテル写真提供)

磯の湯(桂川シーサイドホテル写真提供)

源泉は57.8度のカルシウム・ナトリウム-硫酸塩・塩化物泉で神経痛、リウマチ、動脈硬化症、高血圧症、運動器障害、火傷、皮膚病更年期障害などに効能が期待できる。浴槽は循環で塩素殺菌をしているが、塩素臭はあまり感じられない。

入浴後、3階の女性浴場前にある「整体」で、首から腰のマッサージ(40分4,000円)をやっていただいた。最初だけ、「あ~極楽だな。」との記憶があるが、「ハイ、終わりました!」の声で目が覚め、ほとんど覚えていなかった。
翌朝の朝食は、バイキングは7時から食べられたが、私たちは8時に出かけた。普段、朝食は7時頃なので、珍しくおなかが空いて食べられた。土肥温泉松原公園に花時計があるので、花時計の周りに健康石畳道路があった。足の裏を強く刺激して、体を調整するようで、皆痛い痛いといいながら大騒ぎ。

二日目の宿は、奥伊豆の大沢温泉ホテルで近いのでゆっくりできる。堂ヶ島で遊覧船に乗り、松崎を経由して14時頃にホテルへ向かう予定。

土肥温泉・湯の花亭http://www.a-spa.co.jp/spa/toi/
大沢温泉ホテルhttp://www.a-spa.co.jp/spa/osawa-hotel/index.html
エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
旅と温泉の相談室http://www.a-spa.co.jp/
秘湯・異色の温泉宿http://www.a-spa.co.jp/hitou/
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
海外温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

伊豆西海岸・土肥温泉のはなし ②「まぶ湯」、共同浴場「楠の湯」、「屋形共同浴場」へ [温泉巡浴]

 伊豆西海岸・土肥温泉のはなし ②「まぶ湯」、共同浴場「楠の湯」、「屋形共同浴場」へ

 2,007年8月21日、土肥温泉歴史めぐりに出かけた。20数年前に安楽寺境内の「まぶ湯」を見学し、30年前から入浴を禁じていたにもかかわらず、誰もいないことを確認し、入浴したことがあった。途中役所手前にある郵便局へ足を運んだ。温泉ファンとして「温泉郵便局」での貯金のためである。ここの郵便局は「土肥郵便局」だが、受付で預金の際に通帳に押してくれるスタンプを見せていただいた。「伊豆西海岸土肥温泉 土肥郵便局」であった。「ビンゴ!」すでに4時を過ぎていたので、貯金は翌日に来ることにした。そこで「土肥温泉の温泉旅館最初の創業した朝香旅館の朝香平十郎、朝香平蔵をご存知ありませんか?」と訪ねると目の前にいた女性が「私の身内です。」という。ネームプレートを見ると「朝香礼子」さん。「詳しくは判らないので、隣の洋服屋に私の伯父さんがいるから知っているかも知れない。」そこへ行くと結局、役所で聞いたらと言うことになり、伊豆市土肥支所へ。
担当者に資料をいただき、①朝香家の子孫を知りたい。②営業をしていない民家で温泉を自宅に引いているようだが、実体を知りたい。③温泉ホテル・旅館の温泉は今どう管理しているのか。を訪ねた。①は馬場地区に朝野屋旅館があり、子孫が経営している。海岸側で勝呂宗平の明治館も子孫が経営をしている。②温泉資源を守るために昭和44年に集中管理方式に切り替えた頃、以前から温泉の権利を持っている人たちが個人に売買していたこと。最低限の売買金額を決めていたこと。現在の世帯数150世帯に対し約200世帯が自宅に温泉を引いていること。1分間に1.8ℓで月3,780円、3.6ℓで7,460円が最低の基準料金であること。③集中管理方式と自家源泉を持っているところと併用式であることなどがわかった。

 その後、安楽寺の「うぶ湯」へ向かう。樹齢1000年(樹高25m、根回り14.2m)県天然記念物の大クスの巨木に驚く。

住職に150円を支払い、6体の子宝地蔵が立ち並ぶ入り口を抜けて、洞くつの手前にある「まぶ湯」に対面する。


檜作りの浴槽(1.5m×2m)が半分に仕切られている。手を湯につけると45度位で結構熱い。昔の湯温32度ほどとは相当違う。奥には金鉱跡の坑道が15mも続く。昔来たときは、坑道の記憶はもう薄れていた。住職に再度温泉はなぜ変わったのかを訪ねると、集中管理の温泉と混ぜているとか。昔からの湯は枯渇したのかも知れない。
 このあたりは山の傾斜だが、温泉旅館や民宿が何軒かある。近くにある土肥神社へ移動する。

ここも「大湯」「小湯」と呼ばれる「古湯」があった場所である。ここにも「平安の大クス」(樹高16m、根回り11m)が鎮座する。海上からの目印だったとか。参拝の後、馬場温泉共同浴場「楠の湯」で入浴する。

内湯は45度位で熱く、入浴者は温い露天風呂のほうから入浴する。内湯で熱い湯を掛け湯で体を慣らしながら、何とか入浴する。本日の宿泊は、温泉街の西のはずれ、桂川シーサイドホテルなので、向かう途中、土肥金山の西側・海岸ぶちにある屋形共同浴場にも立ち寄る。

土肥海水浴場沿いには土肥マリンホテル、たたみの宿「湯の花亭」、グランドホテル明治館が立ち並ぶ。

たたみの宿「湯の花亭」は、館内が畳尽くしで、湯船の底も畳という徹底振りで、異色の宿である。

異色の温泉宿 畳の宿「湯の花亭」

☆鎌倉街道を歩く 第2回 高崎~山名 https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/2022-02-28 ☆「多拠点生活」ADDressを試してみる! https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/2021-10-24 ☆過去に旅した印象深い景を描こう!シルクロード、スペイン巡礼を。  https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/2021-10-03 ☆エッセイ温泉夜話 https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/archive/c35629-1 ☆スペイン「聖地サンティゴ巡礼」の旅 2012年12月~2013年7月15日の記録  https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/2017-07-20 ☆シルクロード・敦煌の莫高窟、鳴沙山、月牙泉へ。https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/2019-10-22 ☆信州・白馬温泉に長期滞在し、ハイキング三昧へ! https://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2019-06-14 ☆ミャンマー最大の名所・仏教建築群バガンに来た! https://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2019-02-15 ☆インドネシア滞在の旅 出国審査で「違法滞留」https://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2018-07-01 ☆奄美大島へ友人と古民家探しに行く!http://hide-tabi.blog.so-ne.t.ne.jp/2017-12-28 ☆危機一髪エッセイ http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2017-02-26 ☆四国歩き遍路 第1番・霊山寺~第6番・安楽寺http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-25 ☆北国街道を歩く 軽井沢追分宿からの挑戦!http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2016-08-12 ☆旅と温泉の情報室 http://aspa.starfree.jp/ ☆マツノヒデマサの旧街道を歩く旅 http://aspa.starfree.jp/tabi/nikko/index.html ★スペイン聖地サンティゴ巡礼を歩く 初日サン・ジャン・ピエ・ド・ポーから  http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2013-06-19 ☆海外温泉入浴珍道中 http://aspa.starfree.jp/junyoku/matsuno.htm ☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/ ☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾  http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

☆エッセイ「温泉夜話」http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
☆温泉郵便局のはなしhttp://www.a-spa.co.jp/yawa/yawa1.htm#post


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

伊豆西海岸・土肥温泉のはなし ①土肥温泉の歴史 [温泉巡浴]

伊豆西海岸・土肥温泉のはなし ①土肥温泉の歴史

20年前、旅行業界に身をおいた初期の頃、中野区、練馬区の老人会を対象にした営業をしていた。中野区のある老人会の会長がハイカラな女性で、よく昔の旅行の話を聞かせてくれた。お名前が「矢作(やはぎ」さんという珍しい名で、愛知県岡崎・矢作(やはぎ)川そばの八丁味噌を思い出したものだ。
 彼女が戦前に(当然若い頃だ)西伊豆に旅行したことがあり、修善寺から馬車で塩原峠を越して、土肥へ抜けた。宿が3軒ほどあり、堂ヶ島を経由して松崎へ泊まったとか。堂ヶ島にはまだ宿がなく、土産屋があっただけとか。松崎には沼津などからの船便で賑わい、木賃宿に泊まったという。旅行者がほとんど無く、船原峠などは、追いはぎが出ても不思議ではなかったほどの山道だった。この話にとても興味を持ち、ずっと心に残っていた。温泉めぐりをしてから、各地の温泉開発の歴史にも興味を持った、きっかけだったように思う。

 さて、土肥温泉の歴史は平安時代中期にもさかのぼるという。

稲宮神社の境内に「ぬる湯」を発見した何代目かの水口秀次が、この湯を利用して「共同浴場」と早場米育成に成功した。韮山代官を通じ、毎年旧暦6月5日(新暦7月中旬)に日本一の早場米を江戸幕府に献上した。(参考資料:木蓮社発行伊豆の國第二集 土肥温泉誌 永岡治著)江戸時代初期慶長15年(1610年)に、安楽寺の山腹に金鉱が発見された。

坑道から湧き出た温泉は、「まぶ湯」として長く「共同湯」として使われた。他にも土肥神社境内に「大湯」「小湯」と呼ばれる「古湯」があった。明治37年(1904年)、地元の名士が共同で温泉ボーリングに成功し、勝呂宗平が明治館を、朝香平十郎、朝香安蔵は朝野家を創業した。次いで明治41年(1908年)、野毛新兵衛が海岸部に新温泉で土肥館を創業した。大正末期には8軒の温泉宿があった。大正8年(1918年)1月に若山牧水が初めて土肥に来る。それ以降、ぼつぼつ文人墨客が来るようになるが、観光客としての往来が盛んになるのは、バスの便が整備された昭和7年(1932年)まで待たねばならなかった。金山開発が盛んになるとともに、温泉は枯渇の一途をたどり、昭和15年についに枯渇する。昭和28年(1953年)金山坑道内の高温(57度)温泉を町へ供給する協定が結ばれ、温泉が復活。昭和40年代に八木沢、水口、馬場、中村、小土肥も温泉ボーリングで湧出される。最盛期の昭和50~60年代には旅館・ホテルが54軒、民宿が110軒、年間宿泊数が90万人を超えた。

土肥温泉・湯の花亭http://www.a-spa.co.jp/spa/toi/
旅と温泉の相談室http://www.a-spa.co.jp/
秘湯・異色の温泉宿http://www.a-spa.co.jp/hitou/
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
海外温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

海外の温泉 タイ北部・チェンマイの温泉巡りのはなし [海外のはなし]

温泉夜話 タイ北部・チェンマイの温泉巡りのはなし

2004年8月24日から5日間のチェンマイ温泉巡りに出かけた。事前に温泉めぐりに同行してくれる人を探し、タイ在住で情報誌を主宰している山内恵二氏にお願いした。彼はチェンマイ郊外の温泉特集で34ヶ所もの温泉をすでに取材していた。私にとって願ってもない同行者だった。結局彼に二日間同行をお願いして7ヶ所の温泉入浴と取材をすることができた。

いずれもチェンマイ北部の温泉で、1.公営の市民憩いの硫黄泉「サン・カーペン温泉」、

2.高級リゾートスパ施設で私営「ルン・アルン温泉」、

3.どぶ臭い洗濯温泉「ドイサケット田舎温泉」、

4.整備された公園内の「バーン・ノーンクロック温泉」、

5.素手で河原を掘って入る「ピン河川原温泉」、

6.国立公園内の露天風呂「ポーン(グ)アーン(グ)温泉」、

7.川原近くに涌く温泉に日本人が手造りの湯船を造った「バーンヤーンプートッ温泉」である。
特に印象の深かった7番目の「バーンヤーンプートッ温泉」の話をしようと思う。山間の森林野生動物管理局ゲート脇、川原のそばに涌く温泉で、白い湯花がでる無色透明の硫黄泉で、かすかに硫黄臭がする。温度は40度くらいの常時30数度の気温のこの地にはちょうど良い温度だ。2004年1月にチェンマイ在住の温泉好き日本人が集まり、其の温泉地に湯船を造ろうと一人当たり個人で100バーツ、法人からも寄付を募り、コンクリ造りの湯船を完成させた。直径1.5m、深さ1.2mの円形の筒に湯を注いでいる。ここから車で20分のところに住むT氏は毎朝朝風呂の来て、入浴後清掃して帰る。日本人にとっては、温泉は体に染み込んだ温泉好きDNAがうずき、苦労をいとわない癒しの存在である。欧米人には「コンクリでこんなものを造って、自然環境破壊だ!」と抗議をされたという。湯船は抗議の対象でしかない。

私が内山氏と彼の車から温泉七つ道具(大たらい、バケツ、手桶)を持ち出し、コンクリの湯船に交代で入浴する。川原では子どもたちが川遊びをしている。「温泉にはいろうよ」と内山氏が声をかけるが、「こっち(川)の方が気持ちいい」と断られている。バイクで来た女性の二人組みに声をかけると、黒い長袖シャツにジーンズ姿の若い女性が湯船にそのまま入ってきた。思わぬ女性との混浴に驚きの瞬間だ。そういえば、マレーシアの温泉でも、水着着用の温泉プールで洋服を着たままプール遊びをしている姿は、珍しくなかった。

海外温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉マニアのページ http://www.a-spa.co.jp/maniya/index.html
温泉水サーチhttp://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/search.html
旧街道をあるく旅http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

山梨県嵯峨塩温泉など 「信玄公の隠し湯」めぐり [温泉巡浴]

NHK大河ドラマで「風林火山」の影響を受けて、武田家終焉の地・山梨県田野や信玄隠し湯めぐりに出かけた。

武田家終焉の地景徳院の山門・仁王像

立川で旧友と待ち合わせ、中央本線甲斐大和駅に降り立ったのが、2007年8月14日9時27分。

駅前にはもう甲州市(塩山市などが吸収合併で市名変更)営の路線バス「やまと」が停車していた。天目山までの運行で、どこまで行っても1回100円という安さ。

目的地はまず、信玄の隠し湯の嵯峨塩温泉「嵯峨塩館」に向かう。途中、景徳院、大和福祉センター(田野の湯)、日川渓谷レジャーセンター、やまと天目山温泉を通過して、終点の天目山に着く。ここは臨済宗の古刹栖雲寺、

1348年業海本浄が開山した名刹栖雲寺、巨石の自然庭園、

信玄の鉄の軍配や軍旗が保存されているという。
無人なのか、入り口に庭園参拝の参拝料箱が置かれ、300円を入れて入場する。和室の休憩所の縁側から自然庭園を鑑賞する。秋の紅葉がすばらしいとか、手入れが良くない印象である。宝物館を見たかったが、「たのもーう!」と声をかけたが誰も出てこない。境内に蕎麦切り発祥の地の碑がある。

後にお蕎麦をいただいた砥草庵の女将に聞くと「90歳のおばあさんしかいないので、大声で呼ばないと気がつかないようだ」とのこと。

 これから北へ向けて約3kmを歩く。嵯峨塩館は標高1300mなので、晴天とはいえすごしやすい。日川渓谷沿いの道路を上る。ずっと先は上日川峠を抜けて国道411号線の雲峰寺へ抜けて大菩薩峠へ抜けられる。人も車少ない。途中に何ヶ所かのキャンプ場がある。11時、嵯峨塩館の入り口は行灯風の「嵯峨塩館」の看板があり、レトロ風の世界へ導いてくれる。

入浴料500円を支払って、浴室へ行く。

日川渓谷沿いにある浴舎は、レトロな雰囲気に統一され、自然の樹木をふんだんに使っている。大浴場は床・壁・天井の梁・浴槽など総檜造りで肌に優しい。壁側に細長い湯上り場に手桶が置かれている。この湯と湯蛇口は、天然掛け流しで、つるつる感が一番ある。露天風呂は石組みの浴槽で、日川を眼下に、対岸の緑豊な眺望がすばらしい。大浴場の浴槽は、2×3.5mで10人はいっぺんに入ることができ、この宿の収容10部屋にしては十分だ。

源泉25度、ph10.2という強アルカリ性単純泉で、無色透明、無臭の温泉。昔から信玄の隠し湯として有名で、切り傷、打撲、腰痛、火傷、皮膚病、婦人病、胃腸病、冷え性、美肌効果がある。浴室入り口脇には、恵林寺の開山堂兼法堂に使われた鬼瓦が展示されていた。

 創業110余年、信玄公の隠し湯として秘湯にふさわしい環境を残すことを心がけているようで、カラオケはご法度だそうだ。川のせせらぎと小鳥のさえずり、四季の移り変わりを愛でながらの酒を一献という雰囲気だ。ここで出される料理は、食前酒からデザートまで全て手作りの山家料理。ロビーに樹齢560年という大楠の幹が飾られ、囲炉裏の間もあり、

いかにも秘湯を実感させる。

嵯峨塩館を出て天目山へ戻る。帰りは下り坂でずいぶん楽だ。栖雲寺を過ぎて、標高1,000mのやまと天目山温泉に着いたのが、12時36分。

施設は「やまとふれあいやすらぎセンター」で県外者の入浴料は800円。湧出して13年目で、ここから山へ800m行ったところが源泉。最初は村民のためだけの温泉だった。タイル張りの内湯と露天岩風呂がある。

源泉31.9度、ph10.3の強アルカリ性単純泉。嵯峨塩温泉より、成分が陽イオンのナトリウム、カリウム、カリウム、アルミ二ウム、鉄、陰イオンの塩素、硫酸、炭酸が多い。メタケイ酸が79.6mg。温度が30度以上で強アルカリ性温泉は珍しい。温いが天然源泉のみの湯船があり、ここが人気だ。この湯は飲泉もできる。売店で10ℓポリ容器を500円で販売している。アトピーや胃腸病、に効能がある。浴用では、神経痛、筋肉痛、打ち身、消化器病、疲労回復とうに効能がある。

 13時08分発の市営バスに乗り、天目山温泉で教えていただいた、そばの美味しいところレジャーセンターの「天目庵」で降りるが、そばは品切れだった。仕方なく、この店にいた方が営業しているというさらに下ったところまで歩く。右手に「土屋惣造片手切」の碑を通過し、蕎麦街道砥草庵に着く。


ここは十割そばも作っているところで、早速生ビールで乾杯。田楽みそと茄子油炒めもいただく。

 熱暑で水分を十分に補給し、次の目的地「田野の湯」へ向かう。1980年6月一度訪れたが、宿泊者以外は入浴できないと諦めたところだ。こちらも信玄公の隠し湯として石黒館、石川館の二軒あった旅館は廃業し、今は大和福祉センターのみが経営している。

明治時代から湯治湯で知られ、源泉は22.1度、ph10.3の弱硫黄を含む強アルカリ性単純泉。ここも肌につるつる感がある。内湯はタイル張りで、露天風呂は岩風呂。


ここから近道5分で武田勝頼公の菩提寺である景徳院に出る。

天正10年(1582年)武田勝頼公、北条夫人他50数名がこの地で最後を迎え武田家が滅亡した。その後、家康が入国し勝頼公らの菩提を弔うために田野寺(現在の景徳院)を建立した。弘化2年(1845年)、明治27年(1894年)の大火によって焼失、現在の山門のみが唯一焼け残った。山門の両脇に鎮座する木造の仁王像は迫力がある。

境内には自ら命を絶つための場所「生害石」、勝頼公、北条夫人、信勝公の「生害石」が残されている。

北条夫人の辞世「黒髪の乱れたる世ぞ果てしなき 思いに消ゆる露の玉の緒」14歳で勝頼の元へ嫁ぎ、19歳の生涯であった。

勝頼公のj重臣で依田家を名乗るものがいた。後に武田家の再興を期して、伊豆半島奥へ奥へと逃れ、松崎の近く那珂川沿いの大沢地区・長九郎山麓へ居を置いた。時代は変わり、豪族や絹織物や炭焼きの豪商をやり時代を生き延びた。昔からの言い伝えで、中秋の名月に一族郎党を集め、武田家の再興を祈念して、杉の桶にご飯を盛り、ご飯の上に野菜や魚を乗せたご馳走を振舞ったという。今で言う「散らし寿司」である。その豪商を引き継いだ依田家は昭和36年に庄屋時代の遺構を生かして旅館業に転じた。今の大沢温泉ホテルである。来週、武田家との詳しい話を聞きにいこうと思う。

旅と温泉の相談室http://www.a-spa.co.jp/
療養・湯治の温泉宿http://www.a-spa.co.jp/totugeki/index.html
秘湯・異色の温泉宿http://www.a-spa.co.jp/hitou/
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
海外温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
奥伊豆・大沢温泉ホテルhttp://www.a-spa.co.jp/spa/osawa-hotel/index.html


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

初めて四季劇場の「ライオンキング」を鑑賞!

初めて四季劇場の「ライオンキング」を鑑賞する!

わが夫婦は孫の長女(5歳)そらを連れて「ライオンキング」を見に行った。そろそろ理解ができる年頃になったことと休憩時間をはさんで3時間飽きずにもつだろうとの判断である。この年になって、四季劇場の鑑賞は初めて。オーケストラは若い頃好きでよく行ったものだが、最近は映画もトンと行かない。

さて、8月9日JR浜松町駅に降り立ち、13時30分開演に先立ち、昼食をどこで食べるかを歩きながら考える。近くにインターコンチネンタルホテルのレストランでランチタイムが評判だが、四季劇場に隣接する「弥生会館」に行くことにする。1階にもレストランがあったが、12階展望レストランに行く。


北側に浜離宮が見下ろせる。緑いっぱいの中に汐人の池がちょっと色彩の異なる緑色の水面をたたえている。

そらはお子様ランチ。妻は「海鮮グリルランチ」。

銀串に刺された帆立・海老・魚に野菜、サラダ、コンソメスープにパンコーヒー付きで1,200円。

私はちょっと贅沢に「刺身膳」で、刺身は鮪・サーモン・鯛・帆立、筍・里芋・蕗などの煮物、ひじきの小付け、シラスゴマふりかけのご飯、味噌汁、香の物にコーヒーが付いて1,500円。

毎週水曜日のランチタイムは、5種類のカレーとサラダ、ソフトドリンクが食べ飲み放題だ。土・日・祝日は、ファミリービュッフェでケーキ・フルーツを含む食べ放題でソフトドリンクにワインもつく。大人1,500円、小人900円、幼児600円という激安でお勧めだ。

さていよいよ観劇だが、夏休みのためやはり子供連れのお客が多い。

アフリカの広大なサバンナを舞台にライオン王の息子シンパの成長を描いた物語で、動物たちの命の連鎖をテーマにしている。130センチ以下の子供用のシートクッションを借りて、大人と同じ目線でそらも準備万端。ライオンキングの開演直後の動物たちが勢ぞろいする場面には驚いた。舞台は勿論、左右の階段も使って舞台へ移動するサイ、ゾウ、キリンなどの勇姿は子どもでなくとも驚嘆する。舞台が予想よりも狭いという印象だったが、前列から19列目という席順からちょうど良かったと思う。これでもかこれでもかという人間が演じる動物たちの姿には、第一回目の演出と比較してみて見たいと強く思った。休憩時間中、子どもたちが舞台の下を覗いているので、孫を連れて見に行ってみた。舞台の下は音楽を担当する専属のオーケストラが陣取っていて、何人かの演奏家が音だしをしているところだった。子どもたちにとっても好奇心を持たせる場面だったと思う。5歳の孫にどのような印象をやわらかい頭脳にインプットされたのだろうか。

エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉マニアのページ http://www.a-spa.co.jp/maniya/index.html
温泉水サーチhttp://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/search.html
旧街道をあるく旅http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:旅行

奥の細道を歩く 第25回 石巻~一関・花泉 登米に泊まる! [奥の細道を歩く]

奥の細道を歩く 第25回石巻~一関・花泉 2,007年7月29日~31日

 久しぶりに夜行バスでの移動で、新宿西口を7月29日23時30分に出る。翌30日午前5時30分、仙台駅前を経由し、石巻駅に到着したのが6時30分。昨日は参議院選挙投票日。オーストラリアに行っている娘から、二年目のビザを得るために、農場で青バナナを裂く1日8時間労働のアルバイトをやっているという知らせを受けたばかり。そこで目覚めの一句。「行く末を 案じ歩く旅 梅雨もあけ」 三陸自動車道を走るバスの窓外は、日本の田舎の風情を充分に残す、緑いっぱいの田畑や山々。

登米(とよま)市内の味噌醤油醸造元「海老喜」で生醤油の味見

 石巻駅で前回歩いた「道の駅 上品(じょうぼん)の郷」へのバスを乗り換える。

7時50分、上品の郷を出発。

今回は東北の明治村といわれる「登米(とよま)」を経て、一関まで行きたい。25分で飯野川橋をわたり、眼下に北上川を見る。そこから延々と左手に北上川を見ながら歩く。8時36分芭蕉公園、可動堰がある。

さらに50分、「桃生(ものう)町山口」右の看板のところで休憩。石巻港河口から23kmの地点だ。
10時02分、柳津虚空蔵尊入り口につく。


 右手に赤い大鳥居が鎮座し、脇には宝暦3年の刻印がある石碑が建つ。日本三所の一、奥の細道8番札所とある。800mも行くと柳津虚空本堂(柳津山本性寺)がある。神亀3年(726年)秋、行基菩薩が東方を巡礼しこの地で21日間修行し、自ら一尺二寸の虚空蔵尊を刻み「天下泰平・国家安穏」を祈ったという。

 国道45号線から国道342号線に別れ、上品の郷を出て3時間、初めての集落、津山町柳津につく。11時15分、「柳津本町」信号そばの料亭旅館に接する食堂「みうら」で早めの昼食をとる。

カレイの塩焼き膳を所望する。流石に料亭旅館を兼業する食堂だ。鮮度がよくうまい。旅館業は8代目とか。50分で店を出て、30分後、両側に古木の桜並木(日根牛桜並木)が続く。しばらくして登米大橋をわたり、登米市内に入る。川を渡った右手に「芭蕉翁一宿之跡」碑がある。

元禄2年5月10日(陽暦6月27日)に登米に到着、儀佐衛門又は庄佐衛門宅に泊まったと曾良は日記に記した。実は歩きながら、今日の宿を打診していた。市内の鮱武(えびたけ)旅館に相談した。登米からさらに一関方面に10kmほど歩き、バスで戻るのに路線バスがあるのかどうか、先に宿があるのかどうか・・・。どちらも否だった。仕方なく、登米市内観光に時間を費やすことした。橋の角に天保4年(1833年)創業の味噌醤油醸造「海老喜」の蔵が公開(蔵の資料館:有料200円)されているので、主人に案内をしていただいた。

醤油蔵で、できたての生醤油を小皿で味見をさせていただいた。こくのある旨みのある味だ。

 登米(とよま)は、3年前に金華山から涌谷経由で立ち寄ったことのある場所で、教育資料館、水沢県庁記念館、警察資料館を見学した。水沢県庁記念館でレンタサイクル(1回300円)を借り、

400年以上の歴史を持つ武家屋敷の「春欄亭」下座敷で和菓子付き抹茶(500円)を開け放たれた縁側から中庭を眺めながらいただいた。

隣室は囲炉裏の間で客が誰もいないのは気分爽快である。それから芭蕉の句碑がある登米神社に行く。

長い階段を上り詰めた本殿の前に古い句碑がある。刻印が判読できない。明和7年(1770年建立)「降らずとも 竹植うる日は みのとかさ」大垣で作った句という。神社入り口付近は醤油の匂いがプーンと香る。「海老喜」の主人がいっていた醤油醸造元「ヤマカノ醸造」の2軒目がここだ。

 さらに警察資料館へ進む。明治22年建築の洋風木造2階建ての建物で、昭和43年まで登米警察署として使用された。

最後に教育資料館へ。ここは明治21年建築の洋風2階建て木造建築で、コの字型の校舎に中央2階のバルコニーがシンボルだ。

レンタサイクルを水沢県庁記念館へ返却する。自転車での移動は本当に楽でいい。宿へ行く途中に「フッドマッサージ」の看板に目が行き、40分2,500円でやっていただき、極楽の時間帯だった。鮱武(えびたけ)旅館に着いたのが、16時。

創業250年という老舗旅館で6代目から旅籠をやり、鮱名武治から宿名をとったという。初代は履物屋などをやり、今は9代目。2階の部屋12号室は、和室6畳は青畳の匂いがする。

古いが掃除が行き届いている。トイレは廊下を回りこんだところにある。お風呂は1階で浴槽は大型のユニットで3人は入れるか。湯船には檜造り人口温泉箱「玉川の湯 ゆけむり」とか刻印されたものが沈んでいた。今宣伝している1個10万円という代物か。
夕食はお部屋に運んでいただいた。

冷豆腐、うなぎ、牛タン、蒸しほや、鰹のお造り、なすなどの煮物、仙台麩の味噌汁、香の物にご飯、デザートはメロン。お酒は地酒の冷酒を入れて、1泊夕食付きで7,200円。朝食は5時に出る予定なので、頼まなかった。明日は5時に出るので、というと知的美人な若女将が「明日は起きてお送りします」という。水沢県庁記念館、春欄亭の職員、エステの職員、宿の女将と皆そろって美人なので、「登米な美人を作る何かがあるのか?」と聞くと皆そろって地元ではなく嫁に来た人たちだった。美人が嫁に来たくなる何かがあるのか?

翌日5時に宿を出た。若女将は起きてこなかった。市街地を過ぎて、国道342号線、右手に北上川を見ながらの歩きとなる。年配の男性が早足散歩でずっと私の前を歩いている。北上川は穏やかな川面を見せて、流れを感じさせない箇所もある。5時40分「澤泉」あたりで其の男性は右手のたまりによけた。通りすがりに「お散歩ですか?」と声をかけると「いつも1時間30分歩くんだ」と応えた。時々霧雨が降ってきて、傘をさしたりする。5時43分「月輪館」を通過。6時この地区の有線放送で童謡が流れる。すぐに国道342号線と右手に行くと南三陸方面の398号線と交差する。すぐ先を左折する。6時10分、左手に「長谷寺入り口」の看板が。

 案内に「芭蕉が元禄2年に通過した一関街道の長谷寺入り口、奥州札所第24番長谷寺」さらに1時間歩き、中田町上沼に入り、左手に日本三弥勒の一つ弥勒寺の看板がある。もう2時間も歩いて食堂がなく、朝食を取れるところがないか何度か尋ねたがだめだった。
弥勒寺の階段を上り詰めると公園があり、さらに奥に広大な敷地を持つ弥勒寺本堂があった。

 1300年前の開山で、ご本尊は県指定の重要文化財。トイレをお借りして、北側の出口を出ると国道342号線の旧道に出る。畑で手入れ中の年配女性に声をかけた。「このあたりに食事をとれるところはありませんか?」すると彼女は「このあたりはないニャー。おにぎりを食べるか?」と私に聞く。「えっ、あるんですか?」「ご飯はあるから、作るんだよ」ということで、ご自宅にお呼ばれして、おにぎりを作っていただいた。話をしている内に漬物、味噌汁、ご近所からいただいたという鰊の昆布巻きも出てきた。彼女のお兄さんが私の住んでいる青梅在住とわかって、双方が驚いた。おにぎりに出会う不思議な縁があったというべきか。後に青梅せんべいをお礼にお送りすることを約束して、結局1時間20分ほど滞在することとなった。

 9時02分、文化6年創建の山神さま高森神祇を通過。

9時16分一関市に入る、9時30分、「花泉まで15km、一関まで25 kmの表示版。左手に金華山公園、「花泉町内史蹟および『奥の細道』芭蕉・曾良の足跡マップ」が展示されている。

裏の丘は江戸中期から先祖が祭事を行った霊地らしい。晴天の中、体力を消耗しながらの歩き、夏の奥の細道はつらいが、雨よりはましだ。12時10分、予定より大幅に遅れてJR東北本線花泉駅に到着する。

 最近、左足膝下に違和感があり、筋が疲労していると医者に診断されていたので、無理はできない。駅員の方に、東京方面に帰るのに、仙台経由か一関経由が早いのかを調べていただいた。待ち時間を利用して、駅前左手の阿部屋食堂でざるそばをいただいた。

奥の細道を歩くhttp://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/
全国おすすめ温泉宿http://www.a-spa.co.jp/onsen-yado-index.htm
ペットと泊まる温泉宿http://www.a-spa.co.jp/pet/
温泉水ショップhttp://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/index.html
旧街道をあるく旅http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/


nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行