東京都内・等々力渓谷と自由が丘のベネチア La Vita(ラ・ヴィータ)散策!2011.11.20 [東京・青梅周辺]
東京都内・等々力渓谷と自由が丘のベネチア La Vita(ラ・ヴィータ)散策!2011.11.20
自由が丘のベネチア La Vita(ラ・ヴィータ)
東京都23区内唯一の自然渓谷といわれる等々力(とどろき)渓谷は、夏の避暑散策地として時折話題になっていたので、一度は行ってみたいと思っていた。JR南武線立川駅から溝ノ口駅へ、そこで東急大井町線に乗り換え、等々力駅で下車、徒歩5分のところ。ゴルフ橋から下流へ約1kmに及ぶ渓谷である。
東急大井町線等々力駅からすぐ
等々力渓谷入り口、目印は大ケヤキの木
ゴルフ橋の手前右
等々力渓谷の絵地図
玉沢橋ガード下
等々力渓谷
稚児大師
不動尊、稲荷大明神と不動の滝
日本家屋の休憩所
11時15分、ゴルフ橋の手前右手から降りるともう渓谷で、風景が一変する。天候は快晴だが、ここではとても涼しく歩いていてちょうどよい。ゴルフ橋の名は、かつてゴルフ場がありそこへ行くのに渡った橋だそうだ。渓流矢沢川に沿った遊歩道が整備され、片側は石垣とコンクリ、片側は自然を装った岩組になっている。途中には日本庭園や不動尊、稲荷神社、不動の滝、稚児大師などがある。
日本庭園入り口
みかん畑
日本庭園の入り口
日本庭園には、ノシラン、イロハモミジ、アカメガシワ、ウメ、フキ、大きな実を結んだミカン畑もある。不動滝は、修験者役の行者(役の小角)が不動尊を彫ったという伝承がある。ここには休憩所として日本家屋の茶屋があり、池には錦鯉も泳いでいる。日本家屋の屋根には落ち葉が散り、周りの景色に溶け込んで日本家屋があるとは気がつかないほどだ。その東側に滝轟山満願寺があり、広い敷地内に弁天堂もある。七五三の参詣客で賑わっている。
滝轟山満願寺
弁天堂
矢川橋を渡り、すぐ左へ戻る形でUターンすると先の万願寺入り口に出る。12時過ぎにここから1km環八通りを突っ切って、等々力駅へ向かう。駅の手前のてんぷら屋「天兼」の880円のAランチ(海老・カニコロッケ・一口かつ・サラダ・味噌汁・香の物)を賞味する。ここの女将さんに話を伺った。祖父が生前、「等々力渓谷は水量が多く泳いで渡ったものだ。原っぱで経営していた養豚業者は新たに東急線が敷かれるというので、敬遠してよそへ越してしまった」と今から80年前の話をしていたという。
等々力駅のすぐそばにあるてんぷら屋「天兼」
Aランチ
東急線で自由が丘駅に移動する。自由が丘のベネチアLa Vita(ラ・ヴィータ)を見に行くのだ。駅前を右手に道なりに歩くと途中の電柱に「ラ・ヴィータ」の看板があり矢印で案内してくれる。 10分も歩くと左手にそのショッピング゙モールがある。ベネチアの水路を模して、ゴンドラ風の小船が係留しているが、赤い布で覆われているのでその雰囲気は少々マイナスだ。「ええっこれだけ?」と思うほどの小ショッピングモールだ。インテリアショップ、ペット用アクセサリーショップ、雑貨屋、へア・エステショップなどの店が並んでいて、観光客がベンチに座り、水路を見つめている。ドラマなどの撮影に使われているという。1933年に日本に初めてモンブランを提供した洋菓子の老舗「モンブラン」が開発・竣工した話題のショッピングモールである。
自由が丘駅前
駅前の自由の女神像「蒼空」・1961年(昭和36年)彫刻家澤田政広氏の作品
自由が丘のベネチア、La Vita(ラ・ヴィータ)
自由が丘のベネチア、La Vita(ラ・ヴィータ)
向かいに日本家屋の喫茶室「古桑庵(こそうあん)」があり、コーヒーをいただいた。この店は1999年に開業した築55年~85年の日本建築。入り口の説明書によると、昭和の初め、夏目漱石の長女筆子の婿松岡譲氏と現在のオーナー中山勢都子氏の祖父渡邊彦氏はテニス仲間として交流があり、隠居所として茶室をときどき使用し、宿泊をしたという。中山氏は中学2年の15歳までこの家に住み、おじいさんだった松岡譲氏に会った思い出があるという。店内の骨董類は祖父が収集したもの、絵画は昔からあったもの、人形は母上が作られたものだという。灯篭や臼の敷石は昔のままで、敷地は100坪。隣接して熊野神社がある。
日本家屋の喫茶室「古桑庵(こそうあん)」
部屋に飾られた古い看板「御茶所」
母上が作られたお人形達
祖父が収集した骨董品の一部
コーヒーをいただいた
隣接する熊野神社
熊野神社本殿
賑やかな近くのショッピング街
エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
旧街道をあるく旅 http://aaspa.web.fc2.com/index-tabi.html
温泉グッズ 譲ります、譲ってください。http://www.a-spa.co.jp/mania/index.html
自由が丘のベネチア La Vita(ラ・ヴィータ)
東京都23区内唯一の自然渓谷といわれる等々力(とどろき)渓谷は、夏の避暑散策地として時折話題になっていたので、一度は行ってみたいと思っていた。JR南武線立川駅から溝ノ口駅へ、そこで東急大井町線に乗り換え、等々力駅で下車、徒歩5分のところ。ゴルフ橋から下流へ約1kmに及ぶ渓谷である。
東急大井町線等々力駅からすぐ
等々力渓谷入り口、目印は大ケヤキの木
ゴルフ橋の手前右
等々力渓谷の絵地図
玉沢橋ガード下
等々力渓谷
稚児大師
不動尊、稲荷大明神と不動の滝
日本家屋の休憩所
11時15分、ゴルフ橋の手前右手から降りるともう渓谷で、風景が一変する。天候は快晴だが、ここではとても涼しく歩いていてちょうどよい。ゴルフ橋の名は、かつてゴルフ場がありそこへ行くのに渡った橋だそうだ。渓流矢沢川に沿った遊歩道が整備され、片側は石垣とコンクリ、片側は自然を装った岩組になっている。途中には日本庭園や不動尊、稲荷神社、不動の滝、稚児大師などがある。
日本庭園入り口
みかん畑
日本庭園の入り口
日本庭園には、ノシラン、イロハモミジ、アカメガシワ、ウメ、フキ、大きな実を結んだミカン畑もある。不動滝は、修験者役の行者(役の小角)が不動尊を彫ったという伝承がある。ここには休憩所として日本家屋の茶屋があり、池には錦鯉も泳いでいる。日本家屋の屋根には落ち葉が散り、周りの景色に溶け込んで日本家屋があるとは気がつかないほどだ。その東側に滝轟山満願寺があり、広い敷地内に弁天堂もある。七五三の参詣客で賑わっている。
滝轟山満願寺
弁天堂
矢川橋を渡り、すぐ左へ戻る形でUターンすると先の万願寺入り口に出る。12時過ぎにここから1km環八通りを突っ切って、等々力駅へ向かう。駅の手前のてんぷら屋「天兼」の880円のAランチ(海老・カニコロッケ・一口かつ・サラダ・味噌汁・香の物)を賞味する。ここの女将さんに話を伺った。祖父が生前、「等々力渓谷は水量が多く泳いで渡ったものだ。原っぱで経営していた養豚業者は新たに東急線が敷かれるというので、敬遠してよそへ越してしまった」と今から80年前の話をしていたという。
等々力駅のすぐそばにあるてんぷら屋「天兼」
Aランチ
東急線で自由が丘駅に移動する。自由が丘のベネチアLa Vita(ラ・ヴィータ)を見に行くのだ。駅前を右手に道なりに歩くと途中の電柱に「ラ・ヴィータ」の看板があり矢印で案内してくれる。 10分も歩くと左手にそのショッピング゙モールがある。ベネチアの水路を模して、ゴンドラ風の小船が係留しているが、赤い布で覆われているのでその雰囲気は少々マイナスだ。「ええっこれだけ?」と思うほどの小ショッピングモールだ。インテリアショップ、ペット用アクセサリーショップ、雑貨屋、へア・エステショップなどの店が並んでいて、観光客がベンチに座り、水路を見つめている。ドラマなどの撮影に使われているという。1933年に日本に初めてモンブランを提供した洋菓子の老舗「モンブラン」が開発・竣工した話題のショッピングモールである。
自由が丘駅前
駅前の自由の女神像「蒼空」・1961年(昭和36年)彫刻家澤田政広氏の作品
自由が丘のベネチア、La Vita(ラ・ヴィータ)
自由が丘のベネチア、La Vita(ラ・ヴィータ)
向かいに日本家屋の喫茶室「古桑庵(こそうあん)」があり、コーヒーをいただいた。この店は1999年に開業した築55年~85年の日本建築。入り口の説明書によると、昭和の初め、夏目漱石の長女筆子の婿松岡譲氏と現在のオーナー中山勢都子氏の祖父渡邊彦氏はテニス仲間として交流があり、隠居所として茶室をときどき使用し、宿泊をしたという。中山氏は中学2年の15歳までこの家に住み、おじいさんだった松岡譲氏に会った思い出があるという。店内の骨董類は祖父が収集したもの、絵画は昔からあったもの、人形は母上が作られたものだという。灯篭や臼の敷石は昔のままで、敷地は100坪。隣接して熊野神社がある。
日本家屋の喫茶室「古桑庵(こそうあん)」
部屋に飾られた古い看板「御茶所」
母上が作られたお人形達
祖父が収集した骨董品の一部
コーヒーをいただいた
隣接する熊野神社
熊野神社本殿
賑やかな近くのショッピング街
エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
旧街道をあるく旅 http://aaspa.web.fc2.com/index-tabi.html
温泉グッズ 譲ります、譲ってください。http://www.a-spa.co.jp/mania/index.html
第5回 甲州街道を歩く 相模湖・小原宿~野田尻・犬目宿~鳥沢宿 2011.11.13 [旧街道を歩く]
第5回 甲州街道を歩く 相模湖・小原宿~野田尻・犬目宿~鳥沢宿 2011.11.13
甲州街道道中の石仏
中央高速道上にある与瀬神社
慈眼寺と隣接した与瀬神社
15分先へ行くとラーメンと餃子の店、中央道のガードを過ぎた先、Y字の右手の旧道へ。国道20号線、JR中央本線、中央高速道を突っ切る形。7時28分、富士山の頭がわずかに見える。気温は14度、快晴で気分爽快。左下に相模湖畔が眺望、右手に小さな秋葉神社の祠と小さな石仏。ここで暑くなって半そでシャツに着替える。小さな案内板に書かれた「子の入」「赤坂」「桜野」「矢部」まで順調だったが、それ以降は行ったり来たりと道に迷う。結局、階段を下りて下川橋を渡って「椚戸」へ出た。7時58分、高札場の案内板で国道20号線に出て右折。セブンイレブンで朝食におにぎりと暖かいお茶を購入する。5時10分には家を出ているので、相当遅い朝食だった。
吉野宿手前の旧道 階段を下りて下川橋を渡って「椚戸」へ
吉野宿高札場跡
8時10分、吉野宿本陣跡に着く。向かいは藤野町郷土資料館、もちろんまだ開館していない。日本橋から68kmの表示板あり。8時23分、藤野中学校を通過、陣馬山まで走るイベントがあるのか藤野中学校に車を駐車して会場へ向かう大勢の若者と出会う。JA藤野支店を右折して4kmで「陣馬の湯」。すぐ先の右手がJR藤野駅。
吉野宿本陣跡
対面にある藤野町郷土資料館
JR藤野駅
9時00分、信号「名倉入口」で左折し、旧道へ行く。5分で相模(神奈川県)と甲斐(山梨県)の国の境、境沢橋を渡る。100m先で広い道に出て境川橋を渡る。この先2kmほど登り過ぎてから、逆方向へ歩いていることに気づき引き返す。駆け足で境川橋まで戻るが30分無駄に歩いてしまう。「橋上からの釣りは禁止」だそうで川に船を浮かべての釣人がいかにも風流だ。
相模(神奈川県)と甲斐(山梨県)の国の境 境沢橋
間違えて戻ってきた境川橋
境沢橋からの鋭角に上り坂を行き、10分で諏訪関跡、番所跡碑がある。宝永4年(1707年)諏訪神社東より番所坂上に移転、明治2年に制度閉止された。9時48分、諏訪神社着。
諏訪関跡
諏訪神社
13分後、中央高速道陸橋を過ぎてすぐ右手に疱瘡神社。裏手にカヤの木が植えられていたという日本橋から18番目の塚場一里塚。
疱瘡神社
疱瘡神社の裏手に「塚場一里塚」
新町2丁目信号左折2kmでJR上野原駅。三井屋など上野原宿の旧商家風の建物が残る。
上野原宿の旧商家風の建物
上野原宿の絵図
20号線のY字路を左折し、ガソリンスタンドの先の三叉路路道橋を右折、鶴川・野田尻宿へ。鶴川橋を渡ると右手に「鶴川宿」碑。
「鶴川宿」碑
上り坂が続き、切通しの道を歩く。中央高速道に突き当たると「蔦ヶ崎橋」を渡り、300m先に日本橋から19番目の大椚一里塚へ11時07分に到着。8分後、大日如来坐像、千手観音菩薩坐像二納められる大椚観音堂。不動院行満寺の廃寺跡に建立。しばらく中央高速道沿いに歩き、11時38分、中世の山城・長峰砦跡着。下り線談合坂サービスエリア500.m手前か。近くに芭蕉句碑が立っていたらしい。
大椚一里塚跡
大椚観音堂
大椚観音堂に大日如来坐像、千手観音菩薩坐像が納められる
中世の山城・長峰砦跡
中央高速道の「新栗原橋」を右折、ここから野田尻宿が始まる。12時、小集落が続き、野田尻宿中心地でトイレを借りる。ここで食事場所がないか作業中の男性に尋ねると「談合坂サービスエリアしかない。入り口を案内してあげる」と少し戻って談合坂サービスエリアの高速バス入り口立ちだというトンネルに入り、2ヶ所の入り口にたどり着いたが、フェンスで囲まれたドアは鍵がかかって入れない。仕方なく、泥棒の心境でフェンスを乗り越えてサービスエリア内のレストランに入る。休日昼時の時間で大変な混雑振り。一番すいていた「瓦家のうどん」で900円のてんぷらうどんを食べた。私はとても暑くて半そで姿で汗をかいていたが、周りは長袖シャツに人によってはジャンパーを着ている人もいて私だけがリュックを背負って浮いていた格好。またフェンス越しに越境して野田尻宿に戻る。40分の昼食時間だった。
野
田尻宿中心地
談合坂サービスエリアへの上り口
談合坂サービスエリアのレストラン
本陣跡を通過して、12時50分に甲州霊場第7番札所・西光寺を通過。裏手に回って中央高速道を越え、20分で日本橋から20番目の荻野一里塚跡着。かつてはヒラマツと呼ばれた老松があったと古老が話していたという。中央高速道の陸橋「矢坪橋」を渡りY字路の右手の旧道へ、舗装道からがけっぷちのじゃり道、さらに山道へ。「座頭ころがし」と祠「天王」を通過、じきに県道に合流。
西光寺
西光寺門前に掛けられる書
高速道高架上にある書
荻野一里塚跡
座頭ころがし
新田の尾張殿様の定宿だったという家に着く。犬目宿の入り口あたりか。朝の富士山の眺めがすばらしいことが理由だとこの家のご子孫に説明していただいた。右側の旧道入り口に寛永元年刻の仏像と石碑が見える。犬目宿は、葛飾北斎の「富嶽三十六景甲州犬目峠」で有名で、甲州街道でもっとも標高が高い。富士山眺望の名所だが、今日は曇っていてまったく見えない。犬目宿碑前に野菜産直センターがあり、「お茶でもあがんなさい!」の声につい一服。100円の蕪の漬物と150円のきのこを購入。ここには登山客が立ち寄るという。飴玉をいただいて歩きを続行。3~4軒先に「犬目の義民兵助の生家」跡がある。
新田の尾張殿様の定宿だったという屋敷跡
寛永元年刻の石仏と石碑
犬目宿碑まえに産直センター
「犬目の義民兵助の生家」跡
古道
君恋一里塚跡
小祠と石仏
ときどき本道を交差して残る古道を歩きつづけると突然「君恋温泉」に着く。玄関でたずねると温泉ではなく、ただの地下水を沸かしたものだとかで通過。14時30分、日本橋から21番目の君恋一里塚に着く。塚の形は残るが木はない。14時43分、小祠と石仏を見つける。
国道20号線手前の下り坂
馬頭観音と頭なし石仏群
一気に下ると中央高速道のガード下へ。突き当たる国道20号線手前左手に、馬頭観音と頭なし石仏が3体。日本橋より87kmの表示板。国道20号線沿いに歩き、15時22分、JR鳥沢駅に到着する。今回の甲州街道歩きは、JR模湖駅からJR鳥沢駅までの間、8宿(与瀬・吉野・関野・上野原・鶴川・野田尻・犬目・下鳥沢宿)約30kmを歩いた。
鳥沢宿の風情ある建物
JR鳥沢駅
☆エッセイ温泉夜話 https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/archive/c35629-1
☆水戸街道を歩く⑦土浦宿から石岡宿 https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/2021-05-25
☆水戸街道を歩く⑥牛久から土浦宿 https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/2021-03-25
☆水戸街道を歩く③松戸宿~小金宿~柏へ。https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/2021-01-10
☆シルクロード・敦煌の莫高窟、鳴沙山、月牙泉へ。https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/2019-10-22
☆信州・白馬温泉に長期滞在し、ハイキング三昧へ! https://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2019-06-14
☆ミャンマー最大の名所・仏教建築群バガンに来た! https://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2019-02-15
☆インドネシア滞在の旅 出国審査で「違法滞留」https://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2018-07-01
☆奄美大島へ友人と古民家探しに行く!http://hide-tabi.blog.so-ne.t.ne.jp/2017-12-28
☆危機一髪エッセイ http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2017-02-26
☆四国歩き遍路 第1番・霊山寺~第6番・安楽寺http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-25
☆北国街道を歩く 軽井沢追分宿からの挑戦!http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2016-08-12
☆旅と温泉の情報室 http://aspa.starfree.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://aspa.starfree.jp/tabi/nikko/index.html
★スペイン聖地サンティゴ巡礼を歩く 初日サン・ジャン・ピエ・ド・ポーから
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2013-06-19
☆海外温泉入浴珍道中 http://aspa.starfree.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01
甲州街道道中の石仏
中央高速道上にある与瀬神社
慈眼寺と隣接した与瀬神社
15分先へ行くとラーメンと餃子の店、中央道のガードを過ぎた先、Y字の右手の旧道へ。国道20号線、JR中央本線、中央高速道を突っ切る形。7時28分、富士山の頭がわずかに見える。気温は14度、快晴で気分爽快。左下に相模湖畔が眺望、右手に小さな秋葉神社の祠と小さな石仏。ここで暑くなって半そでシャツに着替える。小さな案内板に書かれた「子の入」「赤坂」「桜野」「矢部」まで順調だったが、それ以降は行ったり来たりと道に迷う。結局、階段を下りて下川橋を渡って「椚戸」へ出た。7時58分、高札場の案内板で国道20号線に出て右折。セブンイレブンで朝食におにぎりと暖かいお茶を購入する。5時10分には家を出ているので、相当遅い朝食だった。
吉野宿手前の旧道 階段を下りて下川橋を渡って「椚戸」へ
吉野宿高札場跡
8時10分、吉野宿本陣跡に着く。向かいは藤野町郷土資料館、もちろんまだ開館していない。日本橋から68kmの表示板あり。8時23分、藤野中学校を通過、陣馬山まで走るイベントがあるのか藤野中学校に車を駐車して会場へ向かう大勢の若者と出会う。JA藤野支店を右折して4kmで「陣馬の湯」。すぐ先の右手がJR藤野駅。
吉野宿本陣跡
対面にある藤野町郷土資料館
JR藤野駅
9時00分、信号「名倉入口」で左折し、旧道へ行く。5分で相模(神奈川県)と甲斐(山梨県)の国の境、境沢橋を渡る。100m先で広い道に出て境川橋を渡る。この先2kmほど登り過ぎてから、逆方向へ歩いていることに気づき引き返す。駆け足で境川橋まで戻るが30分無駄に歩いてしまう。「橋上からの釣りは禁止」だそうで川に船を浮かべての釣人がいかにも風流だ。
相模(神奈川県)と甲斐(山梨県)の国の境 境沢橋
間違えて戻ってきた境川橋
境沢橋からの鋭角に上り坂を行き、10分で諏訪関跡、番所跡碑がある。宝永4年(1707年)諏訪神社東より番所坂上に移転、明治2年に制度閉止された。9時48分、諏訪神社着。
諏訪関跡
諏訪神社
13分後、中央高速道陸橋を過ぎてすぐ右手に疱瘡神社。裏手にカヤの木が植えられていたという日本橋から18番目の塚場一里塚。
疱瘡神社
疱瘡神社の裏手に「塚場一里塚」
新町2丁目信号左折2kmでJR上野原駅。三井屋など上野原宿の旧商家風の建物が残る。
上野原宿の旧商家風の建物
上野原宿の絵図
20号線のY字路を左折し、ガソリンスタンドの先の三叉路路道橋を右折、鶴川・野田尻宿へ。鶴川橋を渡ると右手に「鶴川宿」碑。
「鶴川宿」碑
上り坂が続き、切通しの道を歩く。中央高速道に突き当たると「蔦ヶ崎橋」を渡り、300m先に日本橋から19番目の大椚一里塚へ11時07分に到着。8分後、大日如来坐像、千手観音菩薩坐像二納められる大椚観音堂。不動院行満寺の廃寺跡に建立。しばらく中央高速道沿いに歩き、11時38分、中世の山城・長峰砦跡着。下り線談合坂サービスエリア500.m手前か。近くに芭蕉句碑が立っていたらしい。
大椚一里塚跡
大椚観音堂
大椚観音堂に大日如来坐像、千手観音菩薩坐像が納められる
中世の山城・長峰砦跡
中央高速道の「新栗原橋」を右折、ここから野田尻宿が始まる。12時、小集落が続き、野田尻宿中心地でトイレを借りる。ここで食事場所がないか作業中の男性に尋ねると「談合坂サービスエリアしかない。入り口を案内してあげる」と少し戻って談合坂サービスエリアの高速バス入り口立ちだというトンネルに入り、2ヶ所の入り口にたどり着いたが、フェンスで囲まれたドアは鍵がかかって入れない。仕方なく、泥棒の心境でフェンスを乗り越えてサービスエリア内のレストランに入る。休日昼時の時間で大変な混雑振り。一番すいていた「瓦家のうどん」で900円のてんぷらうどんを食べた。私はとても暑くて半そで姿で汗をかいていたが、周りは長袖シャツに人によってはジャンパーを着ている人もいて私だけがリュックを背負って浮いていた格好。またフェンス越しに越境して野田尻宿に戻る。40分の昼食時間だった。
野
田尻宿中心地
談合坂サービスエリアへの上り口
談合坂サービスエリアのレストラン
本陣跡を通過して、12時50分に甲州霊場第7番札所・西光寺を通過。裏手に回って中央高速道を越え、20分で日本橋から20番目の荻野一里塚跡着。かつてはヒラマツと呼ばれた老松があったと古老が話していたという。中央高速道の陸橋「矢坪橋」を渡りY字路の右手の旧道へ、舗装道からがけっぷちのじゃり道、さらに山道へ。「座頭ころがし」と祠「天王」を通過、じきに県道に合流。
西光寺
西光寺門前に掛けられる書
高速道高架上にある書
荻野一里塚跡
座頭ころがし
新田の尾張殿様の定宿だったという家に着く。犬目宿の入り口あたりか。朝の富士山の眺めがすばらしいことが理由だとこの家のご子孫に説明していただいた。右側の旧道入り口に寛永元年刻の仏像と石碑が見える。犬目宿は、葛飾北斎の「富嶽三十六景甲州犬目峠」で有名で、甲州街道でもっとも標高が高い。富士山眺望の名所だが、今日は曇っていてまったく見えない。犬目宿碑前に野菜産直センターがあり、「お茶でもあがんなさい!」の声につい一服。100円の蕪の漬物と150円のきのこを購入。ここには登山客が立ち寄るという。飴玉をいただいて歩きを続行。3~4軒先に「犬目の義民兵助の生家」跡がある。
新田の尾張殿様の定宿だったという屋敷跡
寛永元年刻の石仏と石碑
犬目宿碑まえに産直センター
「犬目の義民兵助の生家」跡
古道
君恋一里塚跡
小祠と石仏
ときどき本道を交差して残る古道を歩きつづけると突然「君恋温泉」に着く。玄関でたずねると温泉ではなく、ただの地下水を沸かしたものだとかで通過。14時30分、日本橋から21番目の君恋一里塚に着く。塚の形は残るが木はない。14時43分、小祠と石仏を見つける。
国道20号線手前の下り坂
馬頭観音と頭なし石仏群
一気に下ると中央高速道のガード下へ。突き当たる国道20号線手前左手に、馬頭観音と頭なし石仏が3体。日本橋より87kmの表示板。国道20号線沿いに歩き、15時22分、JR鳥沢駅に到着する。今回の甲州街道歩きは、JR模湖駅からJR鳥沢駅までの間、8宿(与瀬・吉野・関野・上野原・鶴川・野田尻・犬目・下鳥沢宿)約30kmを歩いた。
鳥沢宿の風情ある建物
JR鳥沢駅
☆エッセイ温泉夜話 https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/archive/c35629-1
☆水戸街道を歩く⑦土浦宿から石岡宿 https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/2021-05-25
☆水戸街道を歩く⑥牛久から土浦宿 https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/2021-03-25
☆水戸街道を歩く③松戸宿~小金宿~柏へ。https://hide-tabi.blog.ss-blog.jp/2021-01-10
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☆インドネシア滞在の旅 出国審査で「違法滞留」https://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2018-07-01
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http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01
温泉夜話 NHKBSプレミアム「熱中」について思うこと [温泉マニア]
温泉夜話 NHKBSプレミアム「熱中」について思うこと
2004年12月、フジテレビのテレビカスタマー「イドの神様」に出演
2011年8月19日に制作会社からNHKプレミアム「熱中」出演の打診を受け、「温泉の認知度」を高める機会になればと一旦快諾したが、収録日が私の中国東北部温泉めぐりの取材日に当たっていたので、お断りさせていただいた。どのような番組なのか気になって、10月下旬2夜にわたった放送を見て、私の出る幕ではなかったかなと思った。珍しい全国の温泉にいかに入浴したか、どのようにかかわったかを個性的な温泉マニア「温泉熱中人」たちが挑戦している場面だった。温泉熱中人といっても、温泉入浴や飲泉というとても狭い意味での熱中人の紹介だった。
「温泉」熱中人たちがいかに温泉にかかわって生きてきたのかを、紹介してほしかった。そこで思い立って、私の自己紹介をさせていただきたい。①1977年に増富温泉ホテル不老閣に宿泊した時、医者に見離されてここの増富温泉で療養し生還した各種癌患者がホテルに宛てたお礼の手紙を多数読んで、温泉の不思議さを改めて感じ、温泉めぐりを始めるきっかけとなった。以来、平成23年(2011年)現在全国の温泉巡浴を1,360ヶ所、海外温泉巡浴60ヶ所を記録する。②平成2年(1990年)、温泉を意味する名称(スパ)を掲げる旅行代理店「旅と温泉の相談室 アスパサービス有限会社」を立ち上げる。将来の業種を旅行代理店に限らず、療養温泉や飲泉の紹介など「温泉」にかかわる事業をしたいと思いあえて、社名にトラベルやツーリストをつけなかった。
アスパサービスのシンボルマーク
③平成12年(2000年)3月、ホームページを立ち上げ、「療養温泉突撃取材シリーズ」など療養温泉・湯治宿の紹介を始める。④2002年~2010年の9年間に延べ19種類、取扱額2億2,261万円の温泉水を販売普及する。⑤温泉の認知度を高めたいと各種温泉水や温泉グッズの普及のためにテレビや雑誌社からの依頼に応じて、資料や商品の提供をして、いわゆる「温泉ブーム」の火付け役を果たしてきた。⑥2001年3月テレビ東京「クイズ赤恥青恥」に出演し、飲む温泉水「薩摩の千年水」の紹介。2004年12月、フジテレビのテレビカスタマー「イドの神様」に出演。
2005年2月、TBSテレビ「世界ふしぎ発見!」「日本の温泉特集番組」
2005年2月、TBSテレビ「世界ふしぎ発見!」「日本の温泉特集番組」で製作会社からの依頼で、飲む温泉水の資料や温泉水3種類の商品を提供し、黒柳徹子氏らに飲泉体験をしていただいた。その他多数の雑誌社、ラジオ局などからの資料提供に応じた。
温泉の利用の仕方にもいろいろ
⑦1999年10月から旧街道歩きを始め、東海道五十三次、中山道六十九次、青梅街道、日光街道、奥の細道、甲州街道(途中)を歩きつなぎ、道中記や途上の温泉地入浴記をブログで紹介してきた。2011年11月まで旧街道を約4,600kmを歩いたことになる。⑧平成20年(2008年)2月14日、ブログ「温泉マニアの巡浴紀行」を開設し、全国・世界の温泉巡浴を公開する。温泉巡浴、温泉夜話、海外温泉巡浴、旧街道歩きシリーズを書き続ける。2011年11月11日現在、約116万ページの検索数を記録する。
旅と温泉の思い出ショップhttp://aaspa.web.fc2.com/shop/
旅と温泉の相談室アスパサービスhttp://www.a-spa.co.jp/
まつの家の温泉尽くしの1日http://www.a-spa.co.jp/matunoke/index.html
ペットと泊まる温泉宿 http://www.a-spa.co.jp/pet/
エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
温泉水サーチhttp://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/search.html
旧街道をあるく旅 http://aaspa.web.fc2.com/index-tabi.html
冷え性対策に!田口式健康サポーターhttp://www.a-spa.co.jp/taguti/
温泉グッズ 譲ります、譲ってください。http://www.a-spa.co.jp/mania/index.html
2004年12月、フジテレビのテレビカスタマー「イドの神様」に出演
2011年8月19日に制作会社からNHKプレミアム「熱中」出演の打診を受け、「温泉の認知度」を高める機会になればと一旦快諾したが、収録日が私の中国東北部温泉めぐりの取材日に当たっていたので、お断りさせていただいた。どのような番組なのか気になって、10月下旬2夜にわたった放送を見て、私の出る幕ではなかったかなと思った。珍しい全国の温泉にいかに入浴したか、どのようにかかわったかを個性的な温泉マニア「温泉熱中人」たちが挑戦している場面だった。温泉熱中人といっても、温泉入浴や飲泉というとても狭い意味での熱中人の紹介だった。
「温泉」熱中人たちがいかに温泉にかかわって生きてきたのかを、紹介してほしかった。そこで思い立って、私の自己紹介をさせていただきたい。①1977年に増富温泉ホテル不老閣に宿泊した時、医者に見離されてここの増富温泉で療養し生還した各種癌患者がホテルに宛てたお礼の手紙を多数読んで、温泉の不思議さを改めて感じ、温泉めぐりを始めるきっかけとなった。以来、平成23年(2011年)現在全国の温泉巡浴を1,360ヶ所、海外温泉巡浴60ヶ所を記録する。②平成2年(1990年)、温泉を意味する名称(スパ)を掲げる旅行代理店「旅と温泉の相談室 アスパサービス有限会社」を立ち上げる。将来の業種を旅行代理店に限らず、療養温泉や飲泉の紹介など「温泉」にかかわる事業をしたいと思いあえて、社名にトラベルやツーリストをつけなかった。
アスパサービスのシンボルマーク
③平成12年(2000年)3月、ホームページを立ち上げ、「療養温泉突撃取材シリーズ」など療養温泉・湯治宿の紹介を始める。④2002年~2010年の9年間に延べ19種類、取扱額2億2,261万円の温泉水を販売普及する。⑤温泉の認知度を高めたいと各種温泉水や温泉グッズの普及のためにテレビや雑誌社からの依頼に応じて、資料や商品の提供をして、いわゆる「温泉ブーム」の火付け役を果たしてきた。⑥2001年3月テレビ東京「クイズ赤恥青恥」に出演し、飲む温泉水「薩摩の千年水」の紹介。2004年12月、フジテレビのテレビカスタマー「イドの神様」に出演。
2005年2月、TBSテレビ「世界ふしぎ発見!」「日本の温泉特集番組」
2005年2月、TBSテレビ「世界ふしぎ発見!」「日本の温泉特集番組」で製作会社からの依頼で、飲む温泉水の資料や温泉水3種類の商品を提供し、黒柳徹子氏らに飲泉体験をしていただいた。その他多数の雑誌社、ラジオ局などからの資料提供に応じた。
温泉の利用の仕方にもいろいろ
⑦1999年10月から旧街道歩きを始め、東海道五十三次、中山道六十九次、青梅街道、日光街道、奥の細道、甲州街道(途中)を歩きつなぎ、道中記や途上の温泉地入浴記をブログで紹介してきた。2011年11月まで旧街道を約4,600kmを歩いたことになる。⑧平成20年(2008年)2月14日、ブログ「温泉マニアの巡浴紀行」を開設し、全国・世界の温泉巡浴を公開する。温泉巡浴、温泉夜話、海外温泉巡浴、旧街道歩きシリーズを書き続ける。2011年11月11日現在、約116万ページの検索数を記録する。
旅と温泉の思い出ショップhttp://aaspa.web.fc2.com/shop/
旅と温泉の相談室アスパサービスhttp://www.a-spa.co.jp/
まつの家の温泉尽くしの1日http://www.a-spa.co.jp/matunoke/index.html
ペットと泊まる温泉宿 http://www.a-spa.co.jp/pet/
エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
温泉水サーチhttp://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/search.html
旧街道をあるく旅 http://aaspa.web.fc2.com/index-tabi.html
冷え性対策に!田口式健康サポーターhttp://www.a-spa.co.jp/taguti/
温泉グッズ 譲ります、譲ってください。http://www.a-spa.co.jp/mania/index.html
伊豆稲取温泉と下田遊覧船、河津噴湯公園、伊豆東ワイン工場へ行く!10・24~25 [温泉巡浴]
伊豆稲取温泉と下田遊覧船、河津噴湯公園、伊豆東ワイン工場へ行く!10・24~25
毎年6月に催される稲取どんつく祭りで担がれる神輿
ある老人会の旅行の添乗で、10月24~25日の1泊2日で伊豆稲取温泉へ出かけた。行程は、東京青梅から圏央道、中央道、東富士五湖自動車道、東名高速を乗り継いで沼津インターで下りる。韮山の願成就院を見学・参拝。北条政子の父・鎌倉幕府初代執権北条時政公が、頼朝の奥州藤原氏討伐の戦勝を祈願して建立した寺。運慶作といわれる阿弥陀如来坐像、毘沙門天像、不動明王像などで有名。建久四年(1193年)運慶が造った大日如来が2008年にクリスティーズ競売で1,280万ドル(当時のレートで約12億五千万円)で宗教法人真如苑が落札したことで運慶作品が一躍脚光を浴び私もこの寺へ何度も訪ねた。
願成就院入り口
願成就院本堂
本堂に鎮座する重要文化財指定阿弥陀如来坐像
近くの代官屋敷という食事処で昼食をとった後、一気に天城トンネル・ループ橋を抜けて峰温泉大噴湯公園へ。河津噴湯公園での噴出する時間が13時30分に間に合うように着いた。噴出塔の近くに温泉たまごを作る人たちがまだ群がっていたので、源泉が100度を越える湯が噴出するのに「大丈夫なのか?」と聞くと売店の人が「大丈夫。一瞬のうちに冷めて落ちてくるときは水になっています」という。半信半疑でいると噴出が始まった。霧雨状に落ちてくる。観客側が風下なので、相当広い範囲で温泉霧が舞ってくる。カメラのレンズやめがねが腐食しないか心配になる。
峰温泉大噴湯公園のシンボル?
噴泉の様子
100度の温泉で玉子をゆでて、温泉玉子ができる。
河津浜から稲取温泉を一旦通過して伊豆東ワインの見学に行く。オレンジやみかんのお酒・ジュースを造っている。アロエのジュースもある。試飲ができて人気のスポットだ。私はたまたま最後にアロエの生ジュースを飲んでしまったので、いつまでも口の中に苦みがのこってしまった。健康には良いのだろうが、これは私には合わない。
伊豆東ワインの社屋
工場見学の様子
オレンジジュースなどが試飲できる。
稲取温泉「貸し切り風呂の宿 海誠廊・赤尾ホテル」に15時に着いた。フロントは3階フロアでロビーからの海の眺望はすばらしい。
稲取温泉「貸し切り風呂の宿 海誠廊・赤尾ホテル」入り口
海を望むロビー
ロビーには、女性限定の色浴衣(有料)もある。
客室
私の部屋221号室
部屋にはタイル張りの湯船
6階の大浴場(男性用)
6階の大浴場・つながっている(男性用)
大浴場・女性用
6階の展望露天風呂
無料貸切風呂「吾妻屋露天風呂」
貸切風呂のいろいろ
21時30分から60分はサービスの半ラーメン
館内の案内で15時から17時30分の間、生ビール小ジョッキのサービス、21時30分から60分は半ラーメンのサービス、6カ所の貸し切り風呂が1回45分間無料で利用できるという。18時の宴会時間までに各お風呂、貸し切り風呂の写真撮影に忙しい。それぞれのサービスもしっかり取材しなければ・・・・。私の部屋は、3階フロアの221号室、踏み込み和室12畳バストイレ付き・縁側3畳。夕食は老人会料金(お酒又はジュース1本付)で格安なのにサザエや鮪の釜も出るというなかなか豪勢なお料理で満足。
宴会場
お料理
お料理の一部・サザエと鮪のかま
翌朝、5時30分に近くを散策。一旦港へ下り、八幡神社から燈台の方へ登ると赤尾ホテルの東側へ出る。右折していくと児童公園の先にどんつく神社があった。6月のどんつく祭りで有名な神輿に使われる男性のシンボルが祭られている。敷地内には江戸城の石垣に使われた「築城石」で鳥羽一郎唄・船村徹曲「愛恋岬」記念碑が建つ。ここから港へ下る山道は原生林で、りすが飛び回っている。
赤尾ホテルを下りたところの神社
海沿いにある江戸城を築いた伊豆石「築城石」
八幡神社
どんつき神社
どんつく神社に納められたどんつき神輿
鳥羽一郎唄・船村徹曲「愛恋岬」記念碑
どんつく神社から海側へ下りる山道
二日目の行程の最初は、下田港の遊覧船「黒船サスケハナ」で20分間の遊覧(団体で900円)。再び河津浜から天城超えで浄蓮の滝観光センターで昼食。沼津インターから行きの行程を逆コースで帰京した。
下田港から出る遊覧船「黒船サスケハナ」
黒船サスケハナの2階客室
浄蓮の滝観光センター
伊豆の踊り子像
旅と温泉の思い出ショップhttp://aaspa.web.fc2.com/shop/
エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
旧街道をあるく旅 http://aaspa.web.fc2.com/index-tabi.html
温泉グッズ 譲ります、譲ってください。http://www.a-spa.co.jp/mania/index.html
毎年6月に催される稲取どんつく祭りで担がれる神輿
ある老人会の旅行の添乗で、10月24~25日の1泊2日で伊豆稲取温泉へ出かけた。行程は、東京青梅から圏央道、中央道、東富士五湖自動車道、東名高速を乗り継いで沼津インターで下りる。韮山の願成就院を見学・参拝。北条政子の父・鎌倉幕府初代執権北条時政公が、頼朝の奥州藤原氏討伐の戦勝を祈願して建立した寺。運慶作といわれる阿弥陀如来坐像、毘沙門天像、不動明王像などで有名。建久四年(1193年)運慶が造った大日如来が2008年にクリスティーズ競売で1,280万ドル(当時のレートで約12億五千万円)で宗教法人真如苑が落札したことで運慶作品が一躍脚光を浴び私もこの寺へ何度も訪ねた。
願成就院入り口
願成就院本堂
本堂に鎮座する重要文化財指定阿弥陀如来坐像
近くの代官屋敷という食事処で昼食をとった後、一気に天城トンネル・ループ橋を抜けて峰温泉大噴湯公園へ。河津噴湯公園での噴出する時間が13時30分に間に合うように着いた。噴出塔の近くに温泉たまごを作る人たちがまだ群がっていたので、源泉が100度を越える湯が噴出するのに「大丈夫なのか?」と聞くと売店の人が「大丈夫。一瞬のうちに冷めて落ちてくるときは水になっています」という。半信半疑でいると噴出が始まった。霧雨状に落ちてくる。観客側が風下なので、相当広い範囲で温泉霧が舞ってくる。カメラのレンズやめがねが腐食しないか心配になる。
峰温泉大噴湯公園のシンボル?
噴泉の様子
100度の温泉で玉子をゆでて、温泉玉子ができる。
河津浜から稲取温泉を一旦通過して伊豆東ワインの見学に行く。オレンジやみかんのお酒・ジュースを造っている。アロエのジュースもある。試飲ができて人気のスポットだ。私はたまたま最後にアロエの生ジュースを飲んでしまったので、いつまでも口の中に苦みがのこってしまった。健康には良いのだろうが、これは私には合わない。
伊豆東ワインの社屋
工場見学の様子
オレンジジュースなどが試飲できる。
稲取温泉「貸し切り風呂の宿 海誠廊・赤尾ホテル」に15時に着いた。フロントは3階フロアでロビーからの海の眺望はすばらしい。
稲取温泉「貸し切り風呂の宿 海誠廊・赤尾ホテル」入り口
海を望むロビー
ロビーには、女性限定の色浴衣(有料)もある。
客室
私の部屋221号室
部屋にはタイル張りの湯船
6階の大浴場(男性用)
6階の大浴場・つながっている(男性用)
大浴場・女性用
6階の展望露天風呂
無料貸切風呂「吾妻屋露天風呂」
貸切風呂のいろいろ
21時30分から60分はサービスの半ラーメン
館内の案内で15時から17時30分の間、生ビール小ジョッキのサービス、21時30分から60分は半ラーメンのサービス、6カ所の貸し切り風呂が1回45分間無料で利用できるという。18時の宴会時間までに各お風呂、貸し切り風呂の写真撮影に忙しい。それぞれのサービスもしっかり取材しなければ・・・・。私の部屋は、3階フロアの221号室、踏み込み和室12畳バストイレ付き・縁側3畳。夕食は老人会料金(お酒又はジュース1本付)で格安なのにサザエや鮪の釜も出るというなかなか豪勢なお料理で満足。
宴会場
お料理
お料理の一部・サザエと鮪のかま
翌朝、5時30分に近くを散策。一旦港へ下り、八幡神社から燈台の方へ登ると赤尾ホテルの東側へ出る。右折していくと児童公園の先にどんつく神社があった。6月のどんつく祭りで有名な神輿に使われる男性のシンボルが祭られている。敷地内には江戸城の石垣に使われた「築城石」で鳥羽一郎唄・船村徹曲「愛恋岬」記念碑が建つ。ここから港へ下る山道は原生林で、りすが飛び回っている。
赤尾ホテルを下りたところの神社
海沿いにある江戸城を築いた伊豆石「築城石」
八幡神社
どんつき神社
どんつく神社に納められたどんつき神輿
鳥羽一郎唄・船村徹曲「愛恋岬」記念碑
どんつく神社から海側へ下りる山道
二日目の行程の最初は、下田港の遊覧船「黒船サスケハナ」で20分間の遊覧(団体で900円)。再び河津浜から天城超えで浄蓮の滝観光センターで昼食。沼津インターから行きの行程を逆コースで帰京した。
下田港から出る遊覧船「黒船サスケハナ」
黒船サスケハナの2階客室
浄蓮の滝観光センター
伊豆の踊り子像
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エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
旧街道をあるく旅 http://aaspa.web.fc2.com/index-tabi.html
温泉グッズ 譲ります、譲ってください。http://www.a-spa.co.jp/mania/index.html
甲州街道を歩く 第4-3回 小原宿大名行列を見る! 2011年11月03日 [旧街道を歩く]
甲州街道を歩く 第4-3回 小原宿大名行列を見る! 2011年11月03日
小原宿本陣で大名行列前の記念写真
1999年10月から東海道五十三次を歩き始めて以来、12年かかり中仙道六十九次、日光街道、青梅街道、松尾芭蕉の奥の細道を歩き、約3,400kmの旧街道を歩いた。大名行列に出会ったのは、東海道五十三次の箱根大名行列を見て以来だった。2011年5月22日から甲州街道を日本橋から歩き始めた。神奈川県小仏峠を下りた小原宿に築200年以上の本陣が現存することを知り、何度も訪れ11月03日に大名行列を見に出かけた。
JR相模湖駅を下りると大名行列を見に来る観光客らしい人達について小原宿までの路線バスに乗る。本陣の手前から街道筋には「小原宿本陣祭」の旗がたなびき、地元の人が用意する焼き鳥やトン汁、野菜売りなどの店が立ち並んでいる。本陣では10時から「相模湖の歴史講座 照手姫伝説について」遊行座 東の宮美智子氏によるおどろおどろしい声が響いてくる。本陣の座敷には高齢者のおじいさんおばあさん達がびっしり座り講談を聞いている。
本陣前
照手姫伝説についての講談
地元の人たちが開く露店
冨士宮の焼きそば
私は小原の郷で焼き鳥(1本100円)とビール、富士宮のB級グルメで有名になった焼きそば(小盛り300円)を賞味する。「A級麺士による」と紹介の看板があったので、聞いてみると、冨士宮へ行って焼そば講習に出かけ資格を取り、食材は冨士宮から仕入れているという。
本陣前では11時30分から奉行(実行委員長)や大名(相模原市長)の挨拶があり、12時前には大名行列をする60人ほどの役者さんの記念写真撮影。
悪代官さまとひそひそ話のような雰囲気
お姫様
彩り鮮やかな腰元
行列前のひととき
12時に陣太鼓の後にいよいよ12時30分大名行列が出発する。甲州街道は片側通行で先導、供侍、奉行、やっこ、近習、殿(加山相模原市長)、駕籠かき、小姓、典医、茶坊主、家老、姫(松浦幸子)、姫の傘持ち、腰元がそれぞれ紹介される。華やかな衣装の姫や腰元が目だって注目される。役者は公募で選ばれる。大勢の場合はどうするのかな?年齢制限があり、姫は25歳まで、腰元は35歳までと一応基準がある。今年は定員どおりだったとか。道路沿いにはカメラを構えた観光客が鈴なりに並んでいる。「今年は去年に比べて少ないようだな」の声が聞こえてくる。
大名行列がはじまる
同じ日に箱根湯本では、「箱根時代祭り」が行われ、大名行列は180人と観光客の規模も異なるが、小原宿祭りは現存する本陣を中心に小さな町の町ぐるみの取り組みが感じられる感動のイベントだ。役者は地元以外からの参加も受け付けているようだ。大名行列は15時には小原の郷に帰ってくる。本陣では野点、小原の郷では剣術愛好家による戸山流居合芸が行われている。
本陣前の庭で野点
居合芸
エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
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小原宿本陣で大名行列前の記念写真
1999年10月から東海道五十三次を歩き始めて以来、12年かかり中仙道六十九次、日光街道、青梅街道、松尾芭蕉の奥の細道を歩き、約3,400kmの旧街道を歩いた。大名行列に出会ったのは、東海道五十三次の箱根大名行列を見て以来だった。2011年5月22日から甲州街道を日本橋から歩き始めた。神奈川県小仏峠を下りた小原宿に築200年以上の本陣が現存することを知り、何度も訪れ11月03日に大名行列を見に出かけた。
JR相模湖駅を下りると大名行列を見に来る観光客らしい人達について小原宿までの路線バスに乗る。本陣の手前から街道筋には「小原宿本陣祭」の旗がたなびき、地元の人が用意する焼き鳥やトン汁、野菜売りなどの店が立ち並んでいる。本陣では10時から「相模湖の歴史講座 照手姫伝説について」遊行座 東の宮美智子氏によるおどろおどろしい声が響いてくる。本陣の座敷には高齢者のおじいさんおばあさん達がびっしり座り講談を聞いている。
本陣前
照手姫伝説についての講談
地元の人たちが開く露店
冨士宮の焼きそば
私は小原の郷で焼き鳥(1本100円)とビール、富士宮のB級グルメで有名になった焼きそば(小盛り300円)を賞味する。「A級麺士による」と紹介の看板があったので、聞いてみると、冨士宮へ行って焼そば講習に出かけ資格を取り、食材は冨士宮から仕入れているという。
本陣前では11時30分から奉行(実行委員長)や大名(相模原市長)の挨拶があり、12時前には大名行列をする60人ほどの役者さんの記念写真撮影。
悪代官さまとひそひそ話のような雰囲気
お姫様
彩り鮮やかな腰元
行列前のひととき
12時に陣太鼓の後にいよいよ12時30分大名行列が出発する。甲州街道は片側通行で先導、供侍、奉行、やっこ、近習、殿(加山相模原市長)、駕籠かき、小姓、典医、茶坊主、家老、姫(松浦幸子)、姫の傘持ち、腰元がそれぞれ紹介される。華やかな衣装の姫や腰元が目だって注目される。役者は公募で選ばれる。大勢の場合はどうするのかな?年齢制限があり、姫は25歳まで、腰元は35歳までと一応基準がある。今年は定員どおりだったとか。道路沿いにはカメラを構えた観光客が鈴なりに並んでいる。「今年は去年に比べて少ないようだな」の声が聞こえてくる。
大名行列がはじまる
同じ日に箱根湯本では、「箱根時代祭り」が行われ、大名行列は180人と観光客の規模も異なるが、小原宿祭りは現存する本陣を中心に小さな町の町ぐるみの取り組みが感じられる感動のイベントだ。役者は地元以外からの参加も受け付けているようだ。大名行列は15時には小原の郷に帰ってくる。本陣では野点、小原の郷では剣術愛好家による戸山流居合芸が行われている。
本陣前の庭で野点
居合芸
エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
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