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第34回 奥の細道を歩く 羽黒山~月山、湯殿山 2008年7月24~26日 [奥の細道を歩く]

第34回 奥の細道を歩く 羽黒山~月山、湯殿山 2008年7月24~26日
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九合目 仏生池小屋の夕食

 2008年7月24日、午後から上越新幹線、特急いなほを乗り継いで、鶴岡に着いた。奥の細道の最大の難所である羽黒山頂(標高414m)から月山(標高1979m)、湯殿山を歩く行程に挑戦した。月山の山開きが7月1日からというので、これまで歩けなかった区間だ。
鶴岡駅に近い「家庭料理で・・・」の文句に魅せられ「いさみや旅館」に宿泊。夕食が凄かった。夕食付き5,500円(税込)でこの料理とは、驚き!翌朝、朝食・昼食がないと困ると気がつき、5時に旅館をでて、食べ物屋さんを探す。ようやく、仕出し弁当屋「おま~ん」の戸が開いていたので、「鳥飯」「おにぎり」を作っていただいた。よし、これで万端、と思いきや、駅に行くと駅構内のコンビ二が5時45分から開業しているではないか。

小雨の中、羽黒山頂に6時50分到着。旧道を下って吹越神社をえて荒沢寺に出る。
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羽黒山頂からの古道
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荒沢寺 ここからも古道が続く

古道は雨上がりで、運動靴はすでにずぶずぶ。奥に回りこんで、さらに古道を歩く。どくだみの花が目立つ。「どくだみの 花可憐(はなかれん)月 山の古道」7時40分車道に出る。やすらぎの森公園入り口7時58分通過。8時38分に二合目。
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あじさいが目立ってきた。9時10分三合目。私が羽黒山頂行きに乗った路線バスが、その後月山八合目へ行き、帰りのバスに出会った。運転手に挨拶で手を振る。羽黒山頂のトイレで「ここから月山へ歩くんです」というと「ここから歩く人はいない!」と驚いていた運転手だ。ここでずぶぬれの靴の中に新聞紙を敷く。9時32分、四合目の強清水。10時07分、五合目の狩篭(かりごめ)で霧に包まれる。10時30分、六合目の平清水。霧が晴れ、トンボが乱舞。右手に山道らしき道、入ると避難小屋跡、ここから旧山道を登ることにする。小さな渓流沿いの山道で、近年ほとんど歩いた跡がない様子。倒木が道をふさいでいたり、
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荒れ果てた登山道に倒木が・・・

枝が左右に伸びていたり、背の高い雑草が群生し、道に迷いそうになったり、藪こきの苦闘の連続。11時30分、曇り間の間に大岩に火山灰が被った見晴らしの良いところで、昼食のおにぎりを食べる。おにぎりはつぶれて芸術的に変形。
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そこからすぐに七合目の標識があり、深い藪こきが終わったら、突然視界が広がり、雪渓と水芭蕉の群落が眼前に現れた。
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雪渓と水芭蕉の群落

「凄い!」ここは私しか知らないところだと思うと・・・感動!「藪こいて 雪に水芭蕉 月の山」
12時に一旦車道に出て、8分で再び山道へ。沢には10センチほどのいもりかヤモリが生息。今度はニッコウキスゲの群落が続く。
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山道脇にも咲き乱れ、手でよけて歩くようだ。「山道の キスゲ紅付く 月の山」12時27分、八合目の御田原神社参拝、参篭所で400円のなめこ汁をいただく。腕・肘などに傷ができ、温泉水「神秘の水」を吹き付け治療する。

いよいよ高山の登りだ。12時45分に発つ。高山植物のハクサンフウロ、イワカガミなどが咲き乱れる。13時37分、雪渓に出会う。
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九合目の仏生池小屋

14時、九合目の仏生池小屋に着く。ここでは力餅(おしるこ)を食べる。「頂上小屋に泊りたいのだが、連絡をしたほうがいいかな?」小屋の若い男性に聞くと「大丈夫、連絡しなくとも泊れますよ」との声に出発。14時39分、小さな祠、来名戸神社を通過。雪渓の脇を通って15時30分、雲霧のなか月山頂上に着く。
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途中の高山植物

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雪渓の登山道

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頂上の月山神社

月山神社のお祓いを受けた(祈祷料500円)後、一旦出て右周りで裏の山頂に出る。下って、月山頂上小屋に宿泊を頼む。
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頂上小屋

若い男性が出てきて「予約無しは泊められません」という。「えっ そんな!どこでもいいですから、片隅においてください!」と頼んだが、九合目に戻りなさいという。仕方なく、月山神社に泣きを入れ、もう余力がないので、何とか取り次いでほしいと頼んだ。しばらく山頂小屋に電話をしていたがどうしてもだめだという。「それでは、神社に置いてほしい。おにぎりが一個あるので、食事はいらないので、部屋に置いてくれるだけでいい」それでもだめだった。怒りでいっぱいだった。山小屋は宿泊拒否はしないものだとなんとなく思っていただけにショックだ。お寺なら泊めてくれるのに・・・。神社はだめか。頂上近くの登りから左足のひざに違和感があったのが不安だったが、仕方がない。16時に戻る決断。小雨と強風にさらされながら、下山。登ってくる人たちが最後の踏ん張りを見せて、続々と登ってくる。途中転んで、右手親指の付け根を強打、みるみる紫色に変色してきた。温泉水「神秘の水」をスプレーする。不思議に九合目に着くまでに変色が消えてしまった。痛みもない。16時40分、無事到着する。

九合目の仏生池小屋の宿泊者は2名のみ、頂上小屋の満杯とは大変な違いだ。やはり、少しでも頂上に早く行きたいとの心理的欲望か。山小屋でお風呂に入れたのは意外だった。
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二階の部屋

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夕食は温かく美味しかった

山小屋の夕食も良かった。天ぷら、大椀のおでん、蕗の煮物、なめこと大根のオロシ、こごみ、オレンジにデザート、きのこ味噌汁にご飯。兵庫県から来たという男性と話をしながらの食事は楽しかった。部屋は2階で12畳ほどに2名の布団。畳は新しく、扇風機もある。20時には就寝。7月26日午前3時に自家発電の音が始まる。3時30分には登山客が休憩に立ち寄り、なめこ汁、味噌汁などを注文している。もう寝てはいられない。「雲海の朝 軽油の匂い 小屋の床」

4時20分、仏生池小屋を出る。
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雲があり、日の出は見られなかった

二度目の頂上挑戦だ。日の出の時間だが、雲に阻まれしばらく太陽が出ない。上るにつれてめがねが冷気で曇り、視界が妨げられる。キスゲ群落、木道、三度目の雪渓を踏み、頂上(標高1979m)には5時9分に着く。「イワカガミ 冷気で曇る 月の山」
5時15分 芭蕉記念の碑に出会う。雲海と雪渓が眺望。
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月山頂上からの下り・・・雲海が

下りにつれて左足膝に痛みが走る。これから3時間ほど持つのだろうかと不安を感じる。同ルートを行く人は皆無。6時10分、下りきって牛首で右折。金姥を右折した水場の金剛沢で朝食をとる。右側の上流は雪渓があり、じきに冷気がジワリと漂う。
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雪渓から、じわりと冷気が漂う

「雪渓の 冷気せまる 湯殿みち」この場所でお尻に敷いていた合羽を忘れてきた。左足はまっすぐに下ろす以外は痛みが出る。平らな道をまっすぐ歩く分には支障なし。標高1500mの湯殿山が見え、
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おむすび型の湯殿山

装束場から右折してからが、鎖場の難所だ。
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<<長い鎖場が続く

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最後の下り・・・湯殿山神社ののぼりが見える

標高差220mの急坂ではしごがかけられている。渓流沿いなので運動靴は滑りやすい。
7時57分、ついに湯殿山神社に到着。神社の人たちの勤務時間が始まったばかりで、本日の参拝客の一番乗りのようだ。泥だらけの靴と靴下を脱ぎ、お祓いを受ける(祈祷料500円)昨年、10月に添乗で来て以来の4度目の参拝となる。湯殿山神社は、昔から「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた神域で、写真撮影は禁止。神域で知ったことはすべて外部に漏らしてはならないとされていた。社殿はなく、赤茶色の大岩から熱い湯が湧出していて、参拝後に大岩の周りを流れる湯に裸足で歩き、禊をするという趣向だ。湯は大岩の左側にある湯室から流れており、下から湯を引き湯しているようだった。芭蕉はここで「語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな」の句を詠んでいる。私も駄作を一句「出羽の山 上り下りに 銭払い」「痛む足 熱さに耐える 湯殿かな」「四度目には 湯の元チェック 湯殿山」
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足湯に浸かり、疲れを癒す

芭蕉はここまで来て、同じルートを羽黒山まで戻った。1泊2日の山小屋とまりでも往復だった。驚異的な脚力だ。私はこれまでで、戻らない。私の特別ルール(往復同工程の場合、片道のみ歩く)で象潟から酒田までのルートに次ぐ4度目の適用とする。
神宮バスで10分の社務所まで下り、さらに特別にお願いして湯殿山ホテルまで貸切で送っていただいた。
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湯殿山ホテル正面

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ロビーとフロント

(500円)湯殿山ホテルは、昭和初期に営業を始めて以来、冷鉱泉を利用していた。湯殿温泉「薬師の湯」は、14.6度のナトリウム・カルシウム塩化物冷鉱泉で加温している。炭酸成分を含む薬効成分の多い温泉で、薄い茶褐色、油膜が浮き、湯の華が出て、いかにも効能が高そうだ。口に含んでみると塩辛く苦い味だ。慢性婦人病、冷え性、不妊症、疲労回復、病後の回復に効能が期待される。
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大浴場「薬師の湯」

ホテル湯殿山前バス停から、11時05分に鶴岡行きにバスに乗車。山形方面からの高速バスでほぼ満席。最前列の席に座り、隣席の年配の女性と話をしながら、鶴岡へ。新潟を経由し、東京へ戻った。これで「奥の細道」歩きは、日本橋・深川から鶴岡・大友まで繋がったことになる。最大の難所を乗り越えたが、大変な経験をさせていただいた回だった。


奥の細道を歩くhttp://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/

中国・杭州黄山登山と西湖散策  http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2007-12-01-1
全国おすすめ温泉宿http://www.a-spa.co.jp/onsen-yado-index.htm

温泉水ショップhttp://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/index.html

旧街道をあるく旅http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/

温泉夜話 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm





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「奥の細道」最大の難関、月山頂上小屋で宿泊拒否!交渉実らず! [奥の細道を歩く]

「奥の細道」最大の難関、月山頂上小屋で宿泊拒否!交渉実らず!

2008年7月24~26日にかけて、芭蕉「奥の細道」最大の難所、月山・湯殿山の完全徒歩登山を遂げた!ハプニングもあり、最後には左足ひざを痛めてしまった。

7月24日午前6時50分、羽黒山山頂から旧道を歩いて、無住の荒沢寺をえて、さらに荒れ放題の参道を行く。途中車道に出て、6合目までは車道を歩く。六合目の避難小屋から旧道を見つけた。倒木で道がふさがれていたり、何とか藪こきをしながら、八合目に出た。七合目の先では、藪こきの後、突然雪渓に水芭蕉の群落に出会った。
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月山 旧道七合目 雪渓と水芭蕉

八合目の直前には、キスゲの群落に出会い、足元に咲くレンゲを手でよけてもびしょぬれパンツに花粉がついてしまう。つい一句も詠みたくなる。「残雪に 水芭蕉咲く 月の山」
「山道の レンゲ紅付く 月の山」

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八合目に着いたのが、12時27分、羽黒山山頂から5時間37分。それではと九合目の山小屋に向かい、雨風にもまれながら、14時に到着。小屋の方に「山頂小屋に泊りたいが、連絡をしないでもいいいかな?」と聞くと「連絡をしなくても、大丈夫ですよ」
そからは岩山の登山で、風も強くなる。高山植物の咲き乱れる美しさに疲れを癒されながら、頂上に15時30分に着き、月山神社の祈祷を受ける。さて、下って山頂小屋に宿を所望すると、「予約がなければ泊められません!」「えっ・・・そんな・・。」九合目に戻りなさいという。月山神社に泣きを入れ、「もう脚力がなくて無理だから、なんとか頼んでほしい」と電話を入れていただいたが、だめだった。「もう悔しい!」という思いでいっぱい。
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月山頂上の月山神社

暴風雨やけが人の登山者にもこうして拒否するのだろうか?お寺であれば泊めてくれるのになあと思いながら、月山神社には、「予定時間に九合目の山小屋についていなければ、救助に来てくれよ」と私の携帯番号を教えて泣く泣く下った。携帯は繋がらないので無駄だとはわかっていたが・・・・。こうして16時にUターンをして、九合目の仏生池小屋に着いたのは16時40分。

 翌日4時20分に小屋を発つ。晴れ間を見せたので、昨日の悔しさを紛らすことができた。そこで悔しさついでに一句。「拒否されて 雪渓三度 月の山」
前日の山頂あたりから、左足ひざに違和感があり心配していたが、ついに痛みに変わってきた。湯殿山への道はずっと急な下りだった。
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頂上から下ったところからの眺め

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標高差220mという鎖場の一部

装束場からの鎖場の下りは、標高差220mという。通常の二倍の時間をかけてなんとか湯殿山神社に行き着いた。湯殿山のお祓いを受け、ご神体の岩に流れる熱い湯を足裏で感じて、無事の感謝を念じた。足湯に浸かったあと社務所に向かった。「出羽の山 上り下りに 銭払い」
「四度目には 湯の元チェック 湯殿山」
神宮バスに頼んで、貸切で500円を支払い、ホテル湯殿山へ送っていただいた。

08.7.24~26 奥の細道を歩く 第34回 羽黒山~月山、湯殿山 120.jpgホテル湯殿山

ホテル湯殿山で入浴を頼み、今回の締めとして、私の温泉巡浴1,352湯目となった。月山は日本百名山の一つであり、十年ぶりの登山で百名山踏破は27になる。


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松尾芭蕉の「奥の細道」歩きとmy俳句 [奥の細道を歩く]

芭蕉の「奥の細道」歩きと私の俳句(挿絵はすべて、金森達 画)
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 「コツコツ 歩き始める。周到な準備がなくとも、とにかく行動を起こす。そこから、新たな課題が見えてくる」単純な私の人生の哲学になるだろうか。勿論、周到な準備した上で行動を起こすに越したことはないが、それを待っていたら、行動をせずに後で後悔をすることになる。
 奥の細道を2006年1月(当初は旧日光街道)、日本橋から歩き始め、雪のため月山・湯殿山を除いて、最北の秋田県象潟(きさかた)から戻り、鶴岡・大山まで2年半、33回にわたり繋いで歩くことができた。芭蕉の俳句に触発され、私も我流ながら俳句を詠んでみようという気になった。どんな句を詠んでいたのかと整理してみたら、この項を書く気になった。
 今度は他人の目にさらされても恥ずかしくないような句を詠みたいとの願望が強くなる。物忘れが激しいながら、まだ学習能力を衰えさせたくない。各句に金森達画伯に挿絵を描いていたものを添付している。

私の俳句集 2006年1月から「奥の細道を歩く」開始~2年半、鶴岡まで。

2006年1月12日  日本橋・深川 「奮い立て 齢重ねて 奥の細道」

2006年1月15日 草加     「草加宿 競うせんべい 年新た」
2006年3月09日  古河・小山  「十九夜の 祈りあつめて 奥の細道」
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2006年4月26日  宇都宮・日光  「葉桜に 杉並木みち 愛であるき」
2006年6月22日  黒羽から雲巌寺「城枯れて あじさい満る 黒羽や」
                 「塩焼きと おとり鮎並ぶ 黒羽や」
                 「雲巌寺 生き死にほどの 蝉時雨」
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雲巌寺

2006年8月03日  那須湯本   「南風 熱きかぶり湯 冷やしおり」
「那須岳の 帰りのバスに トンボ飛び」
2006年9月28日  芦湯・遊行柳 「田の柳 幾世の収穫(みのり) 眺めおり」  
2006年10月11日  白川の関   「秋雨や 他人(ひと)の情け知る 関の跡」
2006年11月7日  乙字ヶ滝   「朱の橋と どうっと鳴る滝 紅葉晴れ」


2006年12月6日  安積山    「身知らずの 柿朽ち落ちる 安積山」
2007年1月31日  安達ヶ原   「ばっこする 鬼だらけなり 節の分」
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2007年2月13日  文智摺石   「つもる雪 文智摺石(もちずりいし) 忘れさせ」
2007年4月17日  大河原    「太か夢 叶う櫻に 大河原」
2007年9月03日  平泉     「稲穂垂る うらみつらみを 飲み込んで」
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2007年9月25日 上街道 「上街道 いが栗に飛ぶ 蛙かな」 
2007年9月26日  栗駒     「栗駒や 落穂待つ烏鷺(うろ) 足踏みす」
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2007年11月13日  山寺     「山寺や 石段蹴散らし 秋時雨」
2007年12月18日  鳥越     「腿張りて 雪の鳥越え 一里塚」
2008年04月07日  最上川    「最上川 よく見てくれと 福寿草」
2008年05月12日  鳥海山    「早苗立つ 鳥海風に 波高し」
 「羅漢岩 鯉ひきちぎる 吹浦かな」
2008年06月10日  象潟     「波たちぬ 象潟の苗 偲ぶ島」



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岩手・宮城内陸地震被害にお見舞いを申し上げます。 [奥の細道を歩く]

6月14日(土)、岩手県奥州市と宮城県栗原市で、震度6強という記録的な大地震「岩手・宮城内陸地震」に見舞われ、甚大な被害を及ぼしました。

私は、2年半前から、松尾芭蕉の「奥の細道」を辿って歩いてきました。「岩手・宮城内陸地震」の地域は、2007年6月から9月にかけて宮城県石巻から、登米、一関、平泉、栗原と広範囲に私が辿った道にあたり、多くの方にお世話になりました。「奥の細道」の資料をいただいた一ノ関市役所、栗駒商店会・一迫総合支所産業建設課の方、食事や飲み物の差し入れをいただいた多くの方々、ご無事でしょうか。

この度の岩手・宮城内陸地震により被害を受けられた皆様に、心よりお見舞い申し上げますと共に、1日も早い復旧をお祈り申し上げます。

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奥の細道を歩く 第33回吹浦~象潟(きさかた)、酒田~鶴岡・大山 [奥の細道を歩く]

第33回奥の細道を歩く 吹浦~象潟(きさかた)、酒田~鶴岡・大山
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奥の細道 最北端「象潟(きさかた)」の能因島

2008年6月10日、新宿西口からハイウェイバスで酒田へ。6月11日7時30分着、JR羽越本線で吹浦着が8時15分。水道も出ないトイレで歯磨きを済ませ8時23分に出発。前回、十六羅漢岩まで歩いたが、同じ道を歩くことになる。
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十六羅漢岩

さざ波に潮の香り、街中歩きとは異なり、癒しを堪能。湯ノ田温泉に着き、最初の宿で入浴を断られ、次の宿「のとや旅館」で入浴を済ませる。私の温泉巡浴1,345湯目の宿になる。源泉が21.8度の自然湧出のナトリウム-塩化物泉。源泉はタオルが茶色に染まるのでろ過しているという。タイル張りの浴室・浴槽の窓外は、海が眺望できる。
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湯ノ田温泉「のとや旅館」

9時15分に宿を出て30分、女鹿(おが)の延命地蔵尊に出会う。
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延命地蔵尊

じきに三崎公園、ここは不動崎、大師崎、観音崎があるためにこの名がついた。元禄2年6月16日(陽暦8月1日)、帰路は18日に芭蕉は通過した。10時12分、秋田県にかほ市に入る。象潟まで13km。
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三崎公園

小砂川の旧道を歩き、10時50分小砂川駅前を通過、さらに30分歩いて蕎麦処「大師庵」で昼食をとる。丸い豆腐の南禅寺豆腐が有名だそうで、それと手打ち蕎麦をいただいた。おばあさん一人の賄いで、ゆっくり。私ものんびりいただいた。
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奥の細道を歩く 第33回吹浦~象潟(きさかた)、酒田~鶴岡・大山 024.jpg
南禅寺豆腐

象潟市内に入ったのは、13時頃。駅前の信号を左折し、すぐ北都銀行手前を右折。カーブを切った先に芭蕉が泊まった向屋跡と対面の女性客でいっぱいで泊まれなかった能登屋跡。
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向屋跡

すぐ先に紅蓮尼生誕跡の標柱。松島瑞巌寺の紅蓮尼のことだ。本堰川にかかる欄干橋の近くに熊野神社。

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熊野神社

欄干橋から眺める九十九島を前景にして鳥海山の眺望は、象潟八景の一つといわれていた。この橋のたもとに船つなぎ石があり、芭蕉はここから船に乗り島巡りをした。
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欄干橋
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船つなぎ石跡

国道7号線を横切り、線路を渡るとすぐ蚶満寺参道になる。広い庭園に芭蕉立像と「西施」の碑がある。
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芭蕉の句にある「象潟や 雨に西施が ねぶの花」の「西施」である。紀元前5世紀、世紀の美女を杭州の美しい西湖にたとえて詠ったもの。昨年暮れ、杭州黄山登山と西湖散策をしてきたたばかりなので、親しみがわいてくる。江戸中期の山門、樹齢700年の「夜鳴き椿」、本堂裏手に芭蕉句碑や西行法師の「歌桜」の跡(約800年前)がある。
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江戸中期の山門
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弁天島
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蚶満寺本堂
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西行法師の「歌桜」の跡
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芭蕉句碑
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境内にある植物の芭蕉

芭蕉が訪れた当時、東西2.2km、南北3.3kmにわたり陸地が陥没した入り江で、九十九島、八十八潟があった。しかし、文化元年(1804年)芭蕉が訪れてから115年後に、大地震で隆起し、入り江は陸地になり、ところどころ松が茂る小丘となってしまった。これらの島が、駒留島、弁天島、奈良島、能因島と呼ばれている。かつては松島のような眺望だったが、今は穂波となってしまった。
ここで私も一句「波たちぬ 象潟(きさかた)の苗 偲ぶ島」
駅への途次、能因島へ立ち寄る。
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能因島

象潟から酒田まではJR羽越本線で移動する。酒田から象潟までは、しっかり歩いたので、復路は同じルートなので、私の特別ルール(往復同ルートの場合は、片道のみを歩く)に基づいて3回目の実施となる。16時15分の象潟駅発で酒田駅着は16時53分。観光案内所で無料レンタサイクルを借りようと立ち寄ったところ、「あら、どこかで会いましたね」と係りの高橋洋子さん。「私は1ヶ月に1日しか出ないのに、また会うなんて奇遇ですね」レンタサイクルで日和山公園へ向かう。途中、250年前の欅造りの浄福寺唐門に出会う。
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奥の細道を歩く 第33回吹浦~象潟(きさかた)、酒田~鶴岡・大山 082.jpg欅造りの浄福寺唐門

日和山公園入り口に芭蕉像と句碑がある。「温海山や 吹浦かけて ゆふ涼」
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江戸時代の豪商河村瑞賢の立像が公園中央に立つ。市内のある本町温泉「スパ・ガーデン」に入浴する。源泉は37.4度の単純泉で、加温・加水・循環・塩素殺菌。
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スパ・ガーデン

宿の「かんぽの郷酒田」に着いたのが、18時30分。
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湯治プランの1泊2食付6,950円という特別料金で和洋室に泊めていただいた。508号室の和洋室は、トイレ・洗面所付、ツインと応接間、6畳の和室という贅沢な造り。
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5階フロアの和洋室

浴室は1階に大浴場、露天風呂、箱蒸し風呂など12種類があり、日帰り入浴客も受け入れている。源泉が40度の単純泉で市内の「スパ・ガーデン」と泉質はほぼ同じ。
夕食は1階のレストランでいただいた。お造りが甘海老・はまち・鯛、焼き物は黒鰈(かれい)、煮物は有頭海老・鶏治部煮・細竹など、赤いその唐揚げ、小田巻蒸しむきそばあんかけ、ご飯・味噌汁・香の物にデザートは西瓜にさくらんぼ。湯治料金にしては上出来だ。
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翌6月12日、重い荷は宅急便で送り、軽装で8時10分にレンタサイクルで駅に向かう。中町1丁目の伊東玄順宅「不玉亭」に立ち寄る。
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伊東玄順宅「不玉亭」

芭蕉が象潟に向かう前後に宿泊・滞在した場所だ。ここで芭蕉は名句を残した。9時にレンタサイクルを返し、歩き始める。上日枝神社、山居倉庫を通過し、112号線出羽大橋を渡る。今朝出てきた「かんぽの郷酒田」入り口は9時47分通過。10時過ぎに十里塚、市斎場入り口で休憩、ここから湯野浜温泉まで9kmとある。このあたりに海岸から1km以内の庄内海岸砂防林(くろまつ林)で砂地。
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ビニールハウスやビニールかけ栽培の西瓜やメロンなどの産地だ。
11時35分浜中を通過。358mの庄内空港地下道を過ぎ、県道43号線を突っ切り、いこいの村温泉に立ち寄る。もう疲れているので入り口から800m奥にあるのが恨めしい。源泉は40.1度のナトリウム-塩化物泉、無色透明の湯で、珍しく飲泉所が作られている。慢性消化器病、慢性便秘に効能あり。
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いこいの村温泉内にある飲泉所

私の温泉巡浴1,348湯目の温泉。2階の食堂でざる蕎麦を食す。この先羽越本線羽前大山駅まで5km、鶴岡駅行き発時間は15時15分というので急がなければならない。

2kmで曹洞宗の3大祈祷所(豊川の豊川稲荷、小田原の大雄寺)の一つ善宝寺に着く。
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海の守護神、龍神の寺で知られる。門前の土産屋の方に「芭蕉が辿った道に間違えありませんか」と聞くと「海岸の湯野浜温泉から加茂経由で大山へ出た」といわれ、道を間違えたかと悔やんだ。石鳥居の椙尾(すぎのお)神社を通過。慶長16年(1611年)建立の県有形文化財。
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石鳥居の椙尾(すぎのお)神社

松倉山馬頭観音 仁王門脇に縄巻地蔵尊(六面憧)、元和4年(1617年)京都東寺の陽海上人によって遷座されたという。
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縄巻地蔵尊(六面憧)

羽前大山駅手前の和菓子屋でも「芭蕉は湯野浜温泉経由で大山に来た」といわれた。

羽越本線で鶴岡駅に着き、観光案内所に立ち寄り、芭蕉のルートを確認の試みをする。鶴岡市郷土資料館の方に聞いていただいたら、「芭蕉は湯野浜温泉に立ち寄ってはいない」との返事で安心した。今回は吹浦~秋田県象潟、酒田~鶴岡・大山までを歩き、新たな温泉を4ヶ所入浴することができた。


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長野亘著「奥の細道を辿る絵巻」 異色のベストセラー! [奥の細道を歩く]

私の手元に「奥の細道を辿る絵巻」がある。私が2008年4月8日に新庄から奥の細道を歩いた折、最上川舟下りを終えて、草薙温泉に入浴した折、売店で購入したものだ。消費税込みで2,100円だった。よくできていて、コンパクトで若草色を下地に芭蕉が辿り各地で詠んだ有名な俳句30点を書と絵で紹介しながら解説を加えたものだ。
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作者は、芭蕉の没後300年、平成6年(1994年)に出版した元山形大学教授の長野亘氏。(当時85歳)長野氏が念願の奥の細道行脚に出かけたのが、齢80に達していた平成2年5月16日。芭蕉が奥州に向けて江戸から出立した日から、300年目である。大垣に達したのは、平成4年7月、途中2ヶ月の入院も体験しながらの大事業だった。
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温泉にかかわる記述もある。山中温泉で「山中や 菊はたおらぬ 湯の匂い」と詠んだ。奥の細道に「温泉に浴す。その効、有馬に次ぐといふ」と書かれた。芭蕉は山中温泉に9日間滞在した。この絵巻には、明治末期に建てられた芭蕉堂が描かれている。
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発行以来、山形県内での販売という限られた条件ながら、マスコミが取り上げ、すでに13,000部を超えるこの分野では異常な人気作品となる。俳句や奥の細道など旧街道歩きに興味のある人には大いにお勧めしたい作品である。

奥の細道を辿る絵巻 価格 2,100円(税込)+梱包・配送料600円(振込料・代引料は別途)
発売元:中央印刷株式会社 
販売先:アスパサービスセンター ℡0428-24-2790 ファックス0428-24-7425
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奥の細道を歩く 第32回羽黒山~鶴岡、酒田~吹浦(ふくら)2008年5月11~13日 [奥の細道を歩く]

奥の細道を歩く 第32回羽黒山~鶴岡、酒田~吹浦(ふくら)2008年5月11~13日
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吹浦の宿からの展望・夕焼けに沈む夕陽

羽黒山から月山、湯殿山へ芭蕉は歩いたが、月山の山開きが7月1日なので、今は歩けないので、しばらくその区間は保留して、羽黒山から鶴岡へと歩くことした。5月11日、鶴岡行きの夜行バスは、通常のバスでトイレ無しのバスしかなかった。片道4,000円と安かったが、トイレ休憩の度に起こされて熟睡できなかった。12日7時に鶴岡駅に到着し、羽黒山行きの7時52分発のバスで羽黒山へ移動する。宿坊街に羽黒温泉・鉱泉宿生田坊があり、訪ねて入浴を頼んでみたが、沸かしていないのでだめと断られた。
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羽黒温泉 生田坊

羽黒山正善黄金堂を参拝する。国指定の重文で33体の御本尊が金色に輝くという鎌倉時代の建築物。
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羽黒山正善黄金堂
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山門の仁王像

8時45分、羽黒山から県道47号線で鶴岡へ目指す。天候は快晴で、南に見える標高1,984mの月山、
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残雪の月山

北に見える標高2,236mの鳥海山が残雪もあざやかに勇姿を見せている。今回の目標は、鳥海山の麓に位置する吹浦までだ。芭蕉が鶴岡から船で移動した酒田まではバス移動にすることにしていたので、それでも述べ40kmを歩く予定だ。街道沿いは水を張った田んぼ、ところどころに名産・庄内柿の古木が緑濃い豊かな葉をつけている。
10時20分、黒瀬橋を左折、400mも行くと山伏温泉「ゆぽか」に着く。
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第32回奥の細道を歩く 羽黒山~鶴岡、酒田~吹浦 2008.5.11~13 048.jpg

源泉71.1度のナトリウム・カルシウム-塩化物泉でナトリウムが2964、カルシウム2082、塩素8237という強濃度泉。湧出口からの湯を口に含むと強塩味。加水・循環・塩素殺菌。露天風呂から月山が見える。
また県道47号線に戻り、11時40分に赤川にかかる羽黒橋を渡る。橋上からの月山が美しい。ずっと鳥海山と月山の両側の眺望に首を左右する。
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庄内柿と鳥海山

和食食事処「幸亭」でランチをいただく。これが700円の当たり物だった。「がや」という大柄の魚塩焼き、はまちのかぶと煮、こごみの胡麻和え、民田茄子の粕漬け、豆腐とわかめの味噌汁。
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「幸亭」でのランチ

芭蕉は民田茄子を題材に一句詠んだ。「珍しや 山を出羽の 初茄子」

鶴岡駅入り口を通過し、鶴岡市役所はす向かいにある「庄内藩校致道館」に行ったが、月曜日は休館日だ。
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庄内藩校致道館

市役所の観光課に立ち寄り「芭蕉は、鶴岡から酒田まで船で移動したがいつから船が廃止されたのかを知りたい」と調べていただいたが解らなかった。戻って、内川沿いに鶴岡駅方面に行く。大泉橋を渡った右に「奥の細道内川乗船地跡」碑がある。
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元禄2年(1689年)、6月10日(陽暦7月26日)から3日間滞在し、13日に船で酒田へ発った。7里の船旅で半日かかったという。本当は私もここから船に乗るんだが・・・。近くの芭蕉滞在の場所、長山重行宅跡を探す。
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長山重行宅跡

ここに標柱と芭蕉の句碑「珍しや・・・」さらに日枝神社を参拝する。弁天堂脇に芭蕉句碑が立つ。
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日枝神社弁天堂脇にある芭蕉句碑

鶴岡駅15時17分発酒田駅行きに乗車し、15時55分着。
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JR羽越本線鶴岡駅

今日の宿泊先は吹浦にある鳥海温泉遊楽亭にしていた。JR羽越本線吹浦に行くのには、酒田駅17時34分発まで待たなければならない。

酒田駅構内の観光案内所で、船は昭和初期に電車が開通したと同時に廃止されたことがわかった。無料レンタサイクルが17時まであるとわかり、早速借りる。無料レンタサイクルは酒田が発祥で鶴岡市でも実施している。酒田には元禄2年開業の豪商本間家旧本亭があり、本間美術館、米問屋だった旧鎧屋、山居倉庫、土門拳記念館などがある。1時間で回るのは、至難の業だが、本間家旧本亭
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の前を通り、明治26年の創建された山居倉庫を見学、
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木造の太鼓橋?を渡って旧鎧屋を覗き、酒田駅まで戻った。今度は芭蕉の句碑がある日向山公園と料亭相馬亭を見学し、本町温泉スパ・ガーデンに入浴したい。泊まりは、市内にある温泉宿「かんぽの郷 酒田」に決めた。

吹浦駅に到着し、鳥海温泉湯楽里に着いたのは18時を過ぎていた。
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鳥海温泉湯楽里

私のへやは、5階の和室6畳+広縁・洗面所トイレ付のコンパクトな部屋。
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2階の大浴場は、5×3mの内風呂のみ。
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隣接して日帰り入浴施設・鳥海温泉保養センター「あぽん西浜」があり、そこには大浴場と露天風呂・サウナがある。源泉45度のナトリウム・塩化物泉で、ナトリウム1232、塩素1988、炭酸水素564.3、メタケイ酸144.5、メタホウ酸32.8mg。弱黄緑色の湯。

夕食は7階の展望レストランで。18時41分窓外の展望は、丁度夕陽が沈むところ。夕焼けに夕陽がすばらしい。
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宿泊料金が1部屋1名利用で12,000円にしてはなかなか凝ったお料理。流石に日本海の宿で、みずと桜えび和え・南蛮漬け・蛍烏賊とこごみの先付け、お造りのかんぱち・ヒラメ・メバル、ふくと筍・福寿草など山菜天ぷら、本鱒の木の芽焼き、庄内豚と孟宗竹の味噌粕仕立て、庄内豚の豆乳しゃぶしゃぶなど・・・。旬の素材をふんだんに使う。
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翌日5時に目が覚め、海岸を2kmほど歩いたところにある十六羅漢岩、
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出羽二見、
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遊佐芭蕉句碑「あつみ山や 吹浦かけて 夕涼み」風が強く、すれ違ったあばぁさんから「風がつよいの~」と声をかけられる。引きちぎられそうな鯉のぼりを見て、私も一句「羅漢岩 鯉ひきちぎる 吹浦かな」朝食後、JP羽越本線で酒田に戻る。9時、ロッカーに荷のほとんどを置き、空のリュックを背負い、吹浦に向けて出発。県道353号に沿い一路、正面に、右手にずっと残雪の鳥海山を見ながら歩く。海岸まで3kmの近くなので周りの畑は砂地で、野菜の栽培が大変だろうと予想が付く。10時50分藤山神社(左)、
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皇大神社(右)、ついで208号線交差。ねぎ畑でおばあさんに声をかける。「スプリンクラーの水はいつからですか?」「十数年前からで、その前は人力で水を運んでいた」「海側の山側の一町歩の畑にメロン栽培をしているんだよ」という彼女は82才。迎えに来た軽トラックの旦那さんは84才と元気だ。芭蕉は砂浜と岩山とを難儀して歩いたと記録している。かつてはどれほどの道だったか。12時12分、高速道のガードをくぐると月光川(がっこかわ)にかかる菅里橋を渡る。
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菅里橋から眺めた鳥海山

左手に昨日宿泊した鳥海温泉湯楽里が見え、正面はJ吹浦駅だ。
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月光川には海から鮭が遡上してくる。海に近く浅瀬なので、鮭は痛まずに捕獲され珍重されると聞いた。今日は一日中、鳥海山と向き合って過ごしたような気がする。鳥海山から吹き付ける強風に、一句「早苗立つ 鳥海風に 波高し」

吹浦駅発の13時37分まで待つのに、ドライブイン・民宿「よしの」で、昼食をとる。酒田駅で特急に乗り換え、新潟経由で東京に戻った。半そでの私の姿は、2日間雨続きの東京では、違和感をもたれていた。日焼けして体温が熱くなったためか電車内ではそれでも暑い。


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奥の細道を歩く 第31回 新庄~最上川舟下り、羽黒山 2008年4月7~9日 [奥の細道を歩く]

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羽黒山山頂に立つ三神合祭殿

昨年末以来、3ヶ月ぶりの奥の細道歩きだ。夜行バスで新庄に着いたのが6時10分。芭蕉が最上川下りの乗船場だった本合海へ向かう。国道47号線(鶴岡街道)をただひたすら、1時間で大日神社、八向中信号手前で小雨。今日の天候は曇り後雨の予報だったので、雨合羽に傘の容易も万全。何度か雨合羽を着たり脱いだり・・・。内川橋を渡り、600mも行くと本会海大橋手前左手に、元禄2年6月3日芭蕉が最上川乗船の地の跡がある。桜の古木を背に最上川上流の空を見上げている芭蕉と曾良の像だ。
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今はこの先の古口の最上川船下り乗り場まで行かないと船下りができない。9時10分、気温は10度に下がり、又雨が降る。左手に「左折600mへ新庄温泉」の看板。入浴したことがあるかなと思案すると「毎日源泉かけ流し 旅館あぶら山」の旅館名を見て思い出す。私の温泉巡浴1134ヶ所目の温泉。上蔵岡に入り、左崖下に「薬師如来堂」あり。ご本尊は10センチほど。鐘楼もあり、お寺か。最上川土手のいたるところに福寿草が群生している。そこで私の一句「最上川 よく見てくれと 福寿草」

9時40分、とざわ道の駅「高麗館」に着く。
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韓国風の建物が散在する。中央の建物に入ると妙齢の女性が3人。韓国のある町と姉妹交流があり、それで韓国風の建物と商品を扱っているという。「コーヒーはないの?」と聞くと扱ってないのでと「従業員のですけど・・・」とインスタントコーヒーとお茶受けにとらやの羊羹をいただいた。妙齢の女性と思っていたら、それぞれお孫さんが、4人、4人、1人いると聞いてびっくり仰天。山形美人恐るべし。

10分も歩くと最上川舟下りの戸澤藩船番所に着く。10時50分の定期便という。旅行業のお付き合いで、小林係長にお願いして特別料金で乗せていただく。斉藤舟長と斉藤案内ガイドさんのダブル斉藤で出帆。
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定期路線だがお客は私一人の貸切舟で驚いた!お酒の熱燗に玉こんにゃくをつまみながら、各所の案内を聞く。途中で立ち寄る休憩所で鮎の塩焼きを購入。柳巻き、多くの滝や抱き石の瀬(今は抱き石はない)、両岸の原生林を愛でながら約12kmの川下り。雪解け水で水量は豊か。
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表面は穏やかながら、平均4~5mの深い底の流れは3~4倍の速さという。芭蕉の句「五月雨を 集めてはやし 最上川」を実感する。真室川音頭、最上川唄の熱唱に合いの手を入れて楽しく舟下り降船所に着く。

すぐ近くに草薙温泉臨江亭滝沢屋に入浴を請う。
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平成2年改装の浴槽は1.5×4mほど赤御影石造りの立派なもの。窓外には最上川を眺め、対岸の白糸の滝が見える。源泉は23度の単純硫化水素泉でわずかに硫化水素臭がある。加温・循環・塩素殺菌だが塩素臭は感じられなかった。私の温泉巡浴1233ヶ所目の温泉となる。最上川リバーポートで山菜蕎麦を食べた後、12時30分出発。35分歩き、清川で最上川の支流・立谷沢川を越して左折、JR陸羽西線を渡り羽黒山へ。清川風は有名で、東風が背を強く押す、突然北風にも変わる。左手の立谷沢川に沿って松並木が続く。旧道の跡だろうか。14時10分、肝煎(きもいり)に入り、羽黒山へはまだ10kmもある。このあたりで足腰が痛んでくる。最上川舟下り乗り場の小林係長に頼んで、ムチウチ症や腰痛に効くという療養温泉「筍沢温泉」に宿泊予約をしていただいていた。これまで宿泊したい宿だったが、療養のお客が条件とかで、3泊以上でないと予約を受けてくれなかったのだ。小林氏がこの近くの出身だと知ったので、無理にお願いしもらった。看板がまだかまだかと首を長くしながら歩き・・・。ついに大きな白地に「・・沢温・・」と何とか読める看板を見つけ「助かった!」
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宿に確認の電話を入れたときに「清川駅まで迎えに行きますよ」といわれていたが、羽黒山まで歩かなければならないので、清川から羽黒山へのびる立川羽黒山線の筍沢温泉の看板まで歩くと伝えていた。看板から山奥へ3.5kmのところに宿があり、5分ほどで迎えが来た。

筍沢温泉は噂通り、ムチウチや腰痛の人たちが来ていて、皆1週間滞在の人ばかりだった。私は療養用の部屋ではなく、特別室のような二間続きの立派なつくりの部屋に泊まることになった。
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詳しい宿の取材記を追ってお知らせしたいので、ここでは省かせていただく。翌日、9時に看板のところまで送っていただき、芭蕉の道をたどることになった。木の沢橋の手前から羽黒山山頂に向かう3kmほどの羽黒山古道が近いことがわかったが、近所の人に尋ねると「だめだめ!雪でそんな格好では無理だよ」と断念。第31回奥の細道を歩く 新庄~最上川舟下り、羽黒山 093.jpg

30分歩いた杉林の右手に水芭蕉の群落を見つける。10kmほど先の羽黒山道路から山頂に抜けようと思ったが、料金所のおじさんに断られ、さらに4km先の随神門まで行くことになる。滝の沢橋の先を右折し、上り坂の九十九折となる。11時43分、宿坊街を抜けて随神門に着くと、高校生百人ほどの一団が下ってきたところ。室町時代の作、国宝五重塔まで雪解け道のため水浸しで往生する。五重塔は平将門によって創建されたと伝えられる。
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12時25分、二の坂を登ったさらに100m先を右折して15分歩いたところにかつて芭蕉が滞在した南谷別院があった。途中に芭蕉の句碑が立つ。「涼しさや ほの三日月の 羽黒山」「雲の峰 幾つ崩れて 山の月」
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300坪を超える大きな建物だったという。今は雪に閉ざされて池の一部と雪が解けた周辺には福寿草が咲き乱れている。別院跡の礎石も見つからなかった。古木の根本に外人の男性と日本人の女性のカップルが肩を並べて座り、静かに池を眺めていた。13時05分、茅葺屋根で朱塗りの三神合祭殿に到着。1818年文政元年の建立。
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周辺は積雪で自由に歩けなかった。社務所の巫女さんに尋ねて菰に覆われた芭蕉の立像を教えていただく。
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駐車場のレストハウスで遅めの昼食に山菜蕎麦、もつ煮込みをいただく。
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14時15分発、羽黒山下経由鶴岡駅(15時05分着)までの路線バスに乗る。前方の景色を見たいと最前列の席に乗ったが、ほとんど居眠りしていた。


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奥の細道を歩く 第30回 大石田~新庄 2007年12月18日~20日 [奥の細道を歩く]

奥の細道を歩く 第30回 大石田~新庄 2007年12月18日~20日

 12月18日夜、旧友の「こうち書房」のK氏と打ち合わせに東京八重洲口で会い、20時50分発山形県村山駅行きのハイウエイバスに乗り込んだ。翌日19日5時25分に降りたつと、足元は凍った雪・・・。昨夜あわてて出てきたので、折りたたみ傘、皮手袋を忘れ、通気のよい運動靴を履いてのいでたちであった。JR村山から大石田駅に移動し、歩き始めたのが6時54分。

周りは雪景色、道路の融雪口から水が噴出し、車の走行タイヤがはねる融雪水が私の足元にかかる。北大石田駅あたりから大雪が降り始める。運動靴のつま先から水がしみて、新聞紙を丸めてつま先につめて、少しでも足先の暖をとる。

8時10分、芦沢山種林寺の延命地蔵様。

参拝している間に雪は小止みになる。もう少し歩こう。防寒ジャンパーに降りかかる雪の結晶が溶け始める。モーテルグリーンウッドを過ぎたところで、工事中の男性に「芦沢駅はどちらですか?」と聞く。「戻ったモーテルの手前を左折したところだよ。どこから来たの?」「青梅から」と答えると「俺は前に小平に8年住んでいたんだ。青梅にもよく行ったよ」
この雪では仕方がない。芦沢駅に向かう。

無人駅の芦沢駅で列車を待つが、下り列車の時間がわからず、仕方なく大石田観光協会に電話して、下り列車の時間を教えていただく。50分も待つ間、暖房のない待合室で体操やらをして体を温める。新庄駅に移動し、駅構内の手打ちそば屋「あじさい」で早めの昼食。

11時10分発の便があると観光案内所で教えていただいた。後に宿泊予定の羽根沢温泉加登屋に連絡を取ると「11時10分の便は春から廃止です。若旦那が仕入れで新庄に行っているので、迎えにいかせます」と若女将のありがたいお言葉。バスの便は今や朝と夕方の2便だけという。11時30分まで時間があるので、芭蕉が行ったらしい新庄城址の最上公園に向かった。途中で長靴と折りたたみ傘を調達した。新庄城跡は寛永2年(1625年)完成後243年間、明治時代戊辰戦争で消失するまで、新庄藩政の中心となった。新雪に覆われた城内には戸沢神社、天満宮、護国神社が並ぶ。残された堀と石垣の冬景色が美しい。

駅へ戻る途中、新庄市民プラザ前に平成9年に建立された芭蕉句碑「風の香も 南に近く 最上川」に立ち寄る。

新庄駅から加登屋の若旦那の運転する車で北西へ、雪道を走る。次第に晴れ間がさし、遠方には上部が雲に覆われた鳥海山(標高2236m)が見える。25分ほどで羽根沢温泉に到着する。

早速2階の奥の部屋「月の間」に案内される。和室床の間付10畳に障子で仕切られた6畳ほどの広縁にテーブル椅子が置かれている。トイレは共用で冷蔵庫、テレビ、エアコン、洗面所付。昼間から温泉三昧とわくわくする気持ち。

早速一階の大浴場へ行く。この宿は2005年9月に新庄周辺の温泉巡浴で入浴したことのある温泉宿で2年ぶりだ。48度の自家源泉で泉質は、ナトリウム・炭酸水素塩-塩化物泉。特にやけど、切り傷、飲泉で胃腸病等に効果があるといわれてきた温泉である。神経痛、筋肉痛、リウマチ、冷え性、慢性皮膚病、慢性婦人病にも効能が期待できる。「アトピーはどうですか?」と若旦那に尋ねると「アトピーの症状により効果が異なるようです」入浴中の50歳代の男性は「この温泉は飲んで胃腸病によく、息子は二日酔いにてきめんだといっている。ここと肘折温泉によく行くんだよ」と話してくれた。

ホテルパンフレットの写真提供

鉄筋の浴室はタイル張りで広い。横1.3m×7mほどの浴槽、端のほうに源泉口があり、飲用にコップが置かれている。口に含むと硫黄臭と硫黄味がする。2月からの時期は湯治の客でにぎやかになるという。年間を通じ湯治客は2割というから湯治いまだ健在というべきか。母上の出身地庄内地方からのお客が半数を占めるという。宿泊料金は「最低の料金で」とお願いして1泊2食付で6,650円(税込)なので、料理は期待していなかった。が、たいしたものだった。迎えていただいたときに「馬刺しは食べられますか?」聞かれたので馬刺しが出るのかな?と期待をしていたがやはり出た!

まあ詳しくは後日公開する「湯治・療養温泉宿」でごらんあれ。

翌日朝食の後、若女将が中学生の娘さんを庄内中学校へ送るので、ついでに乗せていただいた。前日の芦沢駅に戻り、歩き始めたのは9時18分発。昨日以上に吹雪模様で零下2度の寒さだ。じきに名木沢小学校前を通過、さらに十数分で毒沢入り口に着く。

ここから右折して旧道を登ると猿羽根山地蔵尊がある。旧道で数少ない史跡なのでぜひ行きたかった。高速自動車道のガードをくぐり、山道は人跡未踏の雪道で積雪15センチはあろうか。150mほどずぼっずぼっと歩くが、これではこの先どうなるのか不安で戻ることにした。

県道13号線にそって歩くが、歩道の雪が深いので車道の端を歩く。左手に雪景色の最上川が美しい。

長靴で普通使わない腿の筋肉を使うためか張って痛みを感じてくる。上り坂の猿羽根山トンネルを抜けると右手にコンクリの大鳥居。ここが北側からの旧道猿羽根山峠への入り口だ。

10時53分、舟形町役場手前に「肘折温泉郷左折25km」の看板がある。

舟形街道か。5分で舟形駅前を通過する。小国川・陸羽東線を過ぎて、右手に3km行くと「舟形若あゆ温泉」私の温泉巡浴1138湯目の温泉。ここから3.5kmは単調な道のり。南新庄駅から3kmほど歩いたところでY字路の旧道の上り坂を右折する。途中雪かきのお母さんに「鳥越神社と一里塚」を訪ねると「すぐに一里塚があり、そこから100mで神社だよ」と聞いたが、神社が右側にあり、一里塚はずっと先だった。

神社本殿は寛永15年(1638年)に建造され新庄最古の建築物という。元禄二年(1,689年)に芭蕉が来たのでここも参拝しているはずだ。ここから1km先バイパスを過ぎた右手にブナの一里塚があった。

さらに100m右手に柳の清水。ここに芭蕉に句碑「水の奥 氷室尋ぬる 柳かな」

対面に延命地蔵尊と湧き水があった。

零下で寒いせいか清水が暖かく感じる。

12時58分、新庄駅に向かう途次、味一番「うめ本(中華)」で昼食をとる。

野菜炒め定食と餃子に冷酒で体を温める。雪道を履きなれない長靴で、腿や腰、全身に痛みが走る。そこで一句「腿張りて 雪の鳥越し 一里塚」8年前から旧道歩きを続け、これまで旧東海道五十三次、旧中山道六十九次、旧青梅街道、旧日光街道を歩いてきたが、一時的な吹雪は体験したがこれほど長い時間の雪道歩きは初めてだった。
2年前からはじめた奥の細道も、今年は福島県二本松から引き継いで、山形県新庄まで来ることができた。さらにあと一年でどこまで行くことができるのか、楽しみでもあり、またつらい行進もあるのかなと複雑な思いで新庄駅に着いた。

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肘折温泉 若松屋村井六助 http://www.a-spa.co.jp/spa/wakamutuya/
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奥の細道を歩く第29回 尾花沢~山寺、大石田 2007年11月12日~14日 [奥の細道を歩く]

奥の細道を歩く第29回 尾花沢~山寺、大石田 2007年11月12日~14日

 ハイウエイバス、東京から山形県JR村山駅までの乗車券を購入した。バスに乗り込んでから、行き先に尾花沢バス停留所があることがわかって、行き先を変更した。翌日5時45分に到着し、まだ暗い道を歩きはじめた。旧羽州街道を20分も歩くと「おもだか温泉鈴の湯」を通過する。6時26分村山市に入り、あと1㎞でバイパス道13号線に合流し、大石田への分岐点に出る。山寺

への帰りは、ここから大石田へ歩くことになる。

 昨年7月20日~21日に黒羽から雲巌寺へ片道12kmを歩いた時、「往復同行程の場合、片道のみ歩く」というマツノ特別ルールを適用した。その例に倣って、今回は尾花沢・追分からの山寺のルート(片道25㎞ほど)を第二回目の適用とすることにした。芭蕉は尾花沢から楯岡(村山)まで馬で行ったという。

このあたり、さくらんぼの産地で、ビニールハウスの骨格が残り、時期の過ぎた風情を見せている。六面幢(六角石幢)を右手に見る。中国唐時代に広まり、日本では六面又は八面の柱状石に仏像・梵字をあらわしたもの。高さが台座を含め170㎝、幅は40センチほど。

7時45分、東から太陽の日差しを強く浴びて、頬に熱く感じながら、樹齢600年という「尾上の松」に着く。

相生マツとして雌雄二株だったが、大正12年の雪で折れ、枯れた。樹木周り3.15m、高さ20m。8時34分、楯岡大市姫神、

すぐ右側が愛宕神社で神社の岩石の割れ目から生えている12本のケヤキ株で有名。

ご神木のケヤキは樹齢220年と言うから芭蕉が来た頃はまだ無かった。8時50分、JR村山駅前を通過。30分で温泉町2丁目のコンビニを左折して東根温泉街に着く。湯量が豊富で街のあちこちに「東根温泉由来記」の表示と湧出口から59.1度の湯がほとばしっている。

弱い硫黄臭がある。足湯もあり地元のおじさんたちがわいわい楽しんでいる。さくらんぼ東根温泉郵便局を探しあて、預金をする。

六田の観音様に出る。元禄時代白水川の上流から流れ着いた石仏を祀ってから宿場町として栄えた六田村の氏神様だ。コロリ観音と慕われる。10時25分、興次郎稲荷神社に珍しい石鳥居があるというので行ってみる。

慶長年間の石鳥居だそうだ。東根の松並木跡、何本かの見事な松が残る。JRさくらんぼ東根駅前を通過。11時25分讃岐うどんの「うどん市」でざる天丼セットを賞味。


オーナーの渡辺さんが「私の家内の実家の軒下を芭蕉が通ったんだよ」と話す。あとで奥さんも顔を出してくれ写真も撮らせてくれた。天童温泉を過ぎて、13時25分舞鶴公園の南側、一日(ひといち)町一丁目で床屋「とら床」の角に「奥の細道ゆかりの地翁塚参道」の柱標に到着。

ここが「うどん市」の奥さんの実家だ。突き当たりに1879年(明治12年)建築の洋風建築物「天童市立旧東村山郡役所資料館」が周りの紅葉に映えている。

県道111号線山寺街道に合流してから、足の歩みがのろくなる。いよいよ足腰に来たか?果樹園でラ・フランス一個皮を剥いていただいて、水分と糖分を補給する。大きなラ・フランスで一個2百円。14時34分、原町から山寺に至る分岐点にあった高さ2.4m、幅75㎝の追分碑。宝暦8年(1,758年)6月10日建立。250年前の人の肌を感じられるか石碑を触ってみる。

 15時26分、ついに山寺の入り口、瀧不動に到着。

10分で登山口正面の根本中堂を参拝する。左手に芭蕉の句碑「閑かさや 岩にしみ入 蝉の声」が鎮座。

力こんにゃく売りの茶店のお姉さんの声が飛び交う。いよいよ登山開始だ。入り口で入山料を支払うと、休憩所のお母さんが「荷物を預けなさい」と声をかけてくれた。雨が心配だったので「傘は大丈夫かな?」「大丈夫よ!」というので荷を全て預けて登り始める。山寺(宝珠山立石寺)は、貞観2年(860年)慈覚大師によって開かれた天台宗の霊場で、奇岩怪石の宝珠山に建てられたもの。


姥堂から登りに行くと極楽浄土へ近づくという。一気に石仏や杉木立、奇岩怪石を横目にしながら・・・。尾花沢から30kmも歩いたので、どこまで持つかな?と思ったが、意外といける。1015段上りきって奥の院に着く。

 眼下の景色を見るまもなく、雨粒が落ちてきた。「しまった。頂上でゆっくり紅葉あざやかな景観を楽しもうと思っていたのに・・・」山寺随一の展望を誇る五大堂まで登り、

そこから戻ってどんどんと石段を駆け下りる。
一句「山寺や 石段蹴散らし 秋時雨」

 山寺は十数年前に3月下旬に、老人会旅行の添乗で来たことがある。その時は途中から上にはまだ雪が積もっていて参加者の内10人ほどしか頂上まで行くことができなかった。でもすがすがしい感慨を持ったことを覚えている。雪に覆われていたので、奇岩怪石や杉木立などの印象は無かった。四季によりこれほど印象が異なるかと思った。

山寺から大石田へ戻るのに、「マツノ特別ルール」の「往復同ルートで片道は歩かなくとも良い」ルールで、とりあえず天童温泉へ向かうことにするが、足がない。土産店の方に教えていただいた「ワンコインタクシー」に電話すると、2名からの営業とかで断られる。天童温泉の「古代檜風呂のつるや」に宿泊することにし、バスの便も無く、結局タクシーでの移動となった。つるやは、2階建ての肌に優しい落ち着いた旅館で、部屋のお風呂も天然の温泉だった。




平日で空いていたので、古代檜大浴場は、貸しきり状態で贅沢な入浴。三十数キロを歩いて頑張った足腰を揉み解した。お料理はお部屋でいただく。庄内豚と山形牛のしゃぶしゃぶ、黒酢あんかけの焼き物、麩の煮物など初めて賞味するものがあり、うれしい。


 翌日、歩いて15分ほどのJR天童駅へ。

流石に天童は将棋の産地

 8時20分発の列車で移動し袖崎駅で下車。昨日の尾花沢と大石田の分岐点「追分」まで歩く。9時33分、追分を左折し大石田へ向かった。しばらく行くと穏やかな最上川を左側に見ながらの歩きとなる。JR奥羽本線のガードを過ぎて、大石田の市街地へ入る。郵便局を過ぎ、左手に折れると大石田河岸、舟役所跡へ行く。

芭蕉が訪れた当時、大石田は最上川を行き来する交易船で賑わっていた。1日に大石田船は290余隻、酒田船は250余隻を数えたという。戻って、浄願寺山門に立ち寄ってから、

元禄7年に京都から運ばれた乗舩寺の釈迦涅槃像を見に行く。

寺の外観はもう冬支度で青いテントに包まれている。市内の道路の中央は融雪口からちゃんと水が出るか点検中だった。芭蕉の句碑があるという西光寺に向かう。

観音堂の裏に新しい句碑が、さらに奥には小さなお堂に入れられた明和6年(1769年)建立の古碑「五月雨を あつめて早し 最上川」があった。

もう足が持たないので、JR大石田駅12時04分発で山形へ向かう。JR山形駅で新幹線へ乗り換える。昨日の尾花沢から山寺、さらに山寺の1015段の登り下りは芭蕉並みの歩きだった。

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