奥の細道を歩く第44回 滑川~新湊(放生津)~高岡 2009年6月27~29日 [奥の細道を歩く]

富山港展望台
今回は「大人の休日倶楽部」JR東日本3日間乗り放題を利用しての奥の細道歩きだ。6月27日仕事を終えてから、上越新幹線・北陸本線を乗り継いで魚津へ。駅前のサンルート魚津に宿泊(素泊まり4,300円)。翌日6時21分発の特急で本日の宿泊地富山へ。重い荷を先にロッカーに預けてしまおうというのだ。それから、前回の到着点滑川へ。6時40分から県道1号に沿って歩き始める。富山まで約17km。磯原神社に立ち寄り、芭蕉句碑「しばらくは 花の上なる 月夜かな」安政2年(1855年)如青ら4名が発起人。

芭蕉句碑

「大岩道」しるべ
右手は日本海で高さ2.5mほどの海の堤防がしばらく続く。富山市に入り、すぐ右手に江戸後期の築造の一里塚が北側のみ残っている。

一里塚
8時、白岩川の浦の橋を渡る。「水橋温泉ごくらくの湯」の看板が・・・。尋ねると最近湧出した温泉という。常願寺川にかかる大きな橋「今川橋」を渡るが、河口側には釣り人がいっぱい。河川では大きな魚が悠々と泳ぐ姿が橋の上から見える。浜黒崎の松並木(かつては東岩瀬から浜黒崎にかけての8kmに及んだ)がわずかに数本残る。キャンプ場の対面にコンクリ造小屋の祠に石地蔵が安置。「キャンプ村 わずかに残る 松並木」

浜黒崎の松並木(今はわずかに数本のみ残る)

石地蔵
しばらく田圃が続き、烏と雉が集っている。珍しいことではないようだ。「雉烏 青田に集い 何をかや」
9時25分、トヤマライトレール岩瀬駅を左折。岩瀬は江戸時代末から明治にかけて北前船での交易が盛んで、回船問屋が隆盛を極めた。岩瀬カナル会館でつまみにシロエビの入ったかまぼこ「白えび家族」を立ち食いで賞味。

金比羅神社の常夜灯をモチーフにした高さ25mの富山港展望台に100段の階段で登る。


展望台から望む富山港
旧北国街道(大町新川町通り)の回船問屋「森家」を見学する。明治11年の建築で囲炉裏の間の木組みは重厚で美しい。土蔵の扉の彫り物が凄い。

回船問屋「森家」

囲炉裏の間、天井の梁や柱が美しい

奥にある土蔵の扉の彫り物
千原崎を右折して415号線へ、神通川を渡る。突き当りの「四方荒屋」の先の左手に料理旅館「鯨温泉」、隣接して銭湯があった。二種類の源泉、茶褐色の炭酸鉄泉と無色透明のナトリウム塩化物泉がある。加熱・循環・塩素殺菌あり。内風呂の右奥が茶褐色浴槽、岩露天風呂は無色透明でしぶきが口に触れ塩味がする。近所のおじさんの話では、「のこぎりで切った傷を医者に行かずにこの湯で治った」

鯰温泉と銭湯

鯰温泉の浴槽
12時15分、さらに海岸への道207号線を行く。左手でガサガサッという音、蓋なし配水溝の中に南側に向けて歩く土ぼこりの直径20cmほどの亀が歩いている。近づくと首をすぼめてじっとしている。産卵が目的なのか間違えて排水溝に入って直進するしかなかったのか?いったん放置して歩き始めたが・・・、このままでは海に戻れないぞと引き返し向きを海側に変えて置いた。

産卵の亀が迷ったか?
海岸に出て、雨祭りの貴船神社を通過。かつては沖へ8kmも突き出て北陸一の広さを誇ったという。「あたたまりの湯 足洗老人センター」が左手に見えた。おばあさんに聞くと「市内の人は200円だから、黙って200円で買いなさい」といわれたが、介護者の扱いの250円で入浴した。市内在住の老人以外の想定は無かったらしい。源泉32.8度のナトリウム・カルシウム-塩化物泉で20年前から営業している。奥にある食堂で冷たいそばと麩と油揚げの煮物、サービスに珈琲が付いて500円。隣席に月一回ボランティアの厚化粧の旅芸人?3人が食事に来た。

「あたたまりの湯 足洗老人センター」

500円の昼食
ここは足洗潟公園の一角で親鸞聖人像が建つ。14時20分、新湊の「堀岡古明神」を左折。富山新港を南回りに迂回しての歩きで、なかなか芭蕉が立ち寄っただろうといわれる放生津八幡まではまだ遠い。炎天下での工場団地のアスファルト道路、照りつけで日焼けが凄い。15時52分、ボケ封じの光明寺を通過し、ようやく放生寺八幡宮へ到着。芭蕉は滑川から富山へは行かずに放生寺へ入り、氷見の胆籠(たこ)へ行こうとした。辺鄙な場所で泊まる宿が無かろうといわれ、高岡へ向かったという。境内には芭蕉句碑「早稲の香や 分け入る右は 有磯海」天保14年(1883年)、郷土の俳人子遇が建立。

放生津八幡宮

本殿の彫り物

芭蕉句碑
今日はここまでと、2両編成のローカル線「万葉線」東新湊駅から高岡へ向かう。郊外の線路は、排水路に沿った民家の裏庭を通るような感じで、民家の自慢のお花畑が楽しめる。「紫陽花や 裏庭走る ローカル線」駅案内ガイドは、落語家の立川志の輔(土・日・祝祭日のみ)の声で案内されて面白い。約40分かかり高岡駅に17時28分着。

万葉線の新型車両(2両編成)
JR北陸本線で富山駅に移動し、夕は食駅構内の「越中茶屋」で姫御膳を食べる。南へ徒歩5分の「剣の湯 ドーミイン富山」に宿泊する。
「剣の湯 ドーミイン富山」は、天然の温泉で42.5度のアルカリ性単純泉、平成17年に3月に地下1,200mから自噴湧出した黄褐色の温泉。サウナ・半露天風呂もある。部屋はダブルベットで部屋は広く清潔だ。素泊まりで4,500円。

「剣の湯 ドーミイン富山」

シングル部屋

天然温泉浴室

富山城跡
翌6月29日、5時02分発の特急「しらさぎ」でJR高岡駅へ、荷をコインロッカーに保管。万葉線の始発が6時15分なので、その間南口にある国宝の瑞龍寺へ行く。

国宝の瑞龍寺の山門

山門の柱
加賀藩二代藩主前田利長公の菩提寺で国宝に指定されている。万葉線で新湊駅へ移動。しばらく万葉線に沿って歩く。樹齢数百年のアイグロ(黒松と赤松の雑種)傘松で有名な専念寺を見て庄川を渡る。すれ違う自転車乗り女子高校生がすれ違うと「ぷーん」と香水の匂いが鼻をつく。「初夏の風 通学生の 匂いたち」
7時56分、六渡寺駅を左折すると渡し舟が見える。

現代の渡し舟
「如意の渡」で小矢部川にかかる渡し舟で、歌舞伎「勧進帳」で描かれた義経一行のあの舞台である。高校生は自転車ごと乗り込む。乗船料は200円。JR氷見線の伏木駅の西に越中国府が置かれた寛政7年(1795年)の建立の重要文化財勝興寺がある。

重要文化財勝興寺の唐門

重要文化財勝興寺の本堂

本堂の正面
万葉の歌人大伴家持が5年間国守として赴任し多くの和歌を詠んでいる。156号線を南へ5.3km行くと左手に7万坪の高岡古城公園に着く。万緑の公園で堀、石垣は当時のままだ。堀には亀や鯉が泳ぐ。亀が岩の上に雄叫びの姿勢でじっとたっている。今回は亀を目にすることが多い。福となすか?

高岡古城

亀は何を思う?遠吠えに見える!
高岡大仏も近い。

高岡大仏
西側の旧北陸街道沿いにある土蔵造りの町並みに立ち寄ってみた。

高岡市土蔵造り資料館・旧室崎家

一階内部
駅前のウイングウイング高岡1階の「北前そば 高田屋」で天丼とそばのセット(880円)、松阪牛の牛筋(500円)を賞味、牛筋が柔らかくとろけるようで美味。今回は新たに3ヶ所の温泉に入浴し、滑川~新湊、高岡まで約40km歩くことができた。
第41回奥の細道を歩く 米山~鵜の浜温泉~直江津・高田~名立
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第42回奥の細道を歩く 名立~糸魚川~親不知~市振
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第43回 奥の細道を歩く 市振~魚津~滑川
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旧街道をあるく旅http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/
奥の細道を歩く 第43回 市振~魚津~滑川 2009年5月30日~6月01日 [奥の細道を歩く]

富山の名産「たら汁定食」
ハィウエイバスで北陸道黒部バスターミナル着が5月31日午前4時30分。事前に予約していたタクシーに乗り換えてJR黒部駅へ移動。待ち合わせ時間が長く、持参したバナナ1本、チーズを1枚の朝食を摂る。前回の到着地点「市振」に到着したのは6時41分。天気は雨。駅前のよろず屋で「長靴はありませんか」と聞き、「町へ出ないとありませんね」の答えに腹をくくった。もう靴がずぶぬれでもいい、とにかく歩こう!
雨合羽を着込み、雨傘を差して歩き始める。7時、境川を渡り、朝日町に入る。すぐ右手に「境一里塚」。

境一里塚
さらに12分で醸造場「桜関」。7時40分、越中・ヒスイ海岸「朝日さざなみ温泉」に到着。雨なので、無理をしないで温泉めぐりでいいか。源泉は43.3度のアルカリ性単純泉。平成7年の湧出で、最初は自噴、4年後にボーリングした。ナトリウム192.4mg、カルシウム14.31、塩素259.6、硫酸33.54、炭酸水素34.31の無色透明、無味無臭。入浴料500円。

朝日さざなみ温泉

朝日さざなみ温泉 大浴場
さらに左手に「たから温泉」があった。山から引き湯した温泉で、地下1,000mからボーリングして湧出。49.6度のナトリウム・カルシウム-塩化物温泉。無色透明・無臭だが口に含むと強塩味。ナトリウムが3,093mg、カルシウム1,603、カリウム26.7、バリウム26.0、塩素7,630、臭素34.3、ヨウ素11.6、炭酸水素23.8.、メタケイ酸27、メタホウ酸52.3。大浴場の他に隣接して屋根付き露天風呂がある。入浴料500円。

たから温泉

たから温泉 露天風呂
続いて、「境鉱泉」創業は大正3年で、現オーナーの祖父が営業した。茶褐色の源泉は、汚れているといって若い人たちに嫌われ、今はろ過して色はずいぶん薄くなった。入浴料は450円。入浴客の男性に聞くと「たから温泉は、熱くて長い時間は入っていられない、こちらの湯はのんびりできる」

境鉱泉

境鉱泉 脱衣所
9時15分、昼食とも朝食ともつかぬ食事を摂る。奮発してこの地の名産「たら汁定食」(1,100円)をいただく。このあたりは宮崎海岸、今はヒスイ海岸といっている。

名産「たら汁定食」
前回出あった男性が言うようにヒスイが採取できる海岸だ。10時、鹿嶋神社を通過し、

鹿嶋神社
朝日町下横尾町に入り、バイパスを左折してすぐの公園内に「芭蕉句碑」がある。「早稲の香や 分け入り右ハ 有磯海」

芭蕉句碑
しばらく北陸自動車道に平行して歩く。国道8号線「道下」を左折すると「小川温泉元湯おがわ(11km)」の看板。11時30分、小川橋を渡って、入善町。12時マクドナルドで昼食休憩を摂ろうとするが、ドライブスルー客が多く行列。あきらめて持参の「温泉水99」とウグイス豆、チーズを食べる。13時10分、上野神社を通過、10分後バイパスに合流、この周辺は田んぼが多い・・・。ようやく雨が上がり、雀の鳴き声が響く。「姿なき 苗田でおしゃべり 雀かな」14時20分、長さ580mの四十八滝大橋を渡る。

四十八滝大橋
黒部川は芭蕉の時代、氾濫すると一里の間、一面川だった。ことごとく水に浸り、集落もできなかった。内陸の愛本橋に迂回すると、2~3km遠回りになった。芭蕉は何ヶ所かの渡しを頼んで四十八滝を渡り、上飯野(けいの)、沓掛、三日市、魚津へ突っ切ったといわれる。信号「六天」を右折し、北陸本線の踏み切りを越した駄菓子屋さんで「魚の駅」の行き先を訪ねる。直進すると源兵衛橋の脇に「源兵サの清水」を見つけた。

生地(いくじ)の「源兵サの清水」
生地(いくじ)には、黒部川の伏流水が、こんこんと湧き出る「清水(しょうず)」が18ヶ所もあり、この名水から清酒、醤油、蒲鉾などの名産が輩出していることもわかった。清水は年間を通して11度で、水飲み場や共同洗い場などの生活水として使われてきた。片持式旋回橋「生地中橋」をわたり、「魚の道」へ立ち寄る。
「魚の道」

銘酒「幻の瀧」と鮪の中落ちを買い、外のテーブルでちびちびとやっていると、市内に泊まる観光客がふざけて、清水の足湯に下半身をどぼんっとはまって大騒ぎ。今日の宿は、生地第一温泉大坪で明治末代の営業。

生地第一温泉大坪

生地第一温泉大坪の和室

大浴場(写真はホテルパンフレットから)

部屋での夕食膳

旧館の宴会場
当時は銭湯と自炊客のみの湯治客を相手にしていた。昭和10年代に黒部川が氾濫し、隣接の薬師寺も含め全て流され、歴史的なものは全て失われたという。地価120mから湧き出る含硫酸苦土食塩泉は、塩分を含み鳥獣の傷や病を直す効果があると伝えられてきた。大浴場は円形の直径6.5mの石・タイル張りの浴槽で、二ヶ所に巨大な姫川産ヒスイ石が置かれている。効能は消化器病、皮膚病、神経痛、リウマチ、貧血。夕食は部屋に運んでくれた。夕食膳は、松葉ガニ、牛陶板焼き、煮物、はまちの刺身、ブリの塩焼きにご飯、味噌汁。朝は早い出立なので夕食のみで7,500円(税別)に値切った。昭和30年頃建築の49畳の大宴会場は総檜造りですばらしい。天井は一枚板、障子戸は手がかけられ、今では考えられないほどの採算を度外視した造りだ。
翌日4時50分にホテルを立つ。一路県道2号線を歩く。帰りにJR黒部駅に立ち寄るので、できるだけ荷物を軽くしたい一心で、駅のコインロッカーに荷を預けたいと思いJR黒部駅を目指すが道を間違えて、余分な歩行をして疲れてしまう。結局、JR黒部駅にはロッカーはなかった。今日は昨日と一変して快晴。今回の旅で、貴重な?異常な体験をした。黒部から魚津に行く途中、突然頭上をドンッとど突かれ、驚いて天を仰ぐと、カラスが電線に飛んで逃げていく。「こらっ 何をするかッ!」とこぶしを振り上げる。また歩き始めると、後ろからまた来て、「ドンッ!」何の恨みがあるんだ!と前方を歩きながら、両手を交互に頭の上に振り上げながら・・・。ところがまた来た!何なんだ こいつは!100mも移動しながら、私の頭を三度狙い撃ちしたのだ!そのうちに石田フィッシングセンターの案内板の方向が反対になっているのに首をかしげた。そう、道を間違えたことに気がついた。ひょっとして、私の背後霊が、カラスに道を間違えているぞと教えていたのかな?とも思ってみた。
片貝川の落合橋を渡り、経田へ入る。大観仏地蔵菩薩に出会う。

大観仏地蔵菩薩
行基菩薩が彫った石仏で、片貝川が氾濫する恐れがあると、旅人の前に僧の姿で現れ危険を知らせたという。魚津に入ると県道1号線に変わり、上杉軍十二諸将供養の寺・華王寺、魚津奉行所跡の本行山長敬寺を経て、8時35分に魚津水族館へ。

本行山長敬寺
早月川の河口で、蛍烏賊群遊海面として知られる。20分後、Y字を左折(旧道らしい)。滑川道の駅まで3.5kmの表示に励まされる。9時32分、県道1号線に合流する手前に滑川一里塚(南側)に出会う。

滑川一里塚(南側)
塚の傾斜に石を積み上げている。榎はないが塚の雰囲気は残っている。信号「坪川」を右折すると「道の駅ウェブパークなめりかわ」隣接する「ほたるいかミュージアム」を見せていただく。

「道の駅ウェブパークなめりかわ」
昼食を食べたいと二階のレストランに行くと営業時間は11時から。一旦JR滑川駅に行くが食事場所がなく、西側にあるショッピングセンター「エール」のラーメン越中で辛いカレー&わんたんラーメンセットを食べた。
JR駅に戻って、市内に二ヶ所芭蕉句碑があることを知り、神明山徳城寺に出かけた。中央公園の北西にある敷地のほとんどが保育園という寺だ。工事中で大きなクレーン車が動いている中をかいくぐって、ガラス張りの句碑を見学。「早稲の香や・・」の句で、宝暦13年(1763年)、俳人川瀬地十が芭蕉70年忌に翁を顕彰するために建立した。もともと北陸街道に在ったが、明治13年にここに移転した。芭蕉が元禄2年(1689年)7月13日(陽暦8月27日)に滑川に着き、旅籠屋の川瀬屋に泊まったと推測される。

神明山徳城寺の芭蕉句碑
芭蕉は市振から滑川までの8里10町48間を1日で歩行している。渡った川が10ヶ所、そのほとんどが徒歩という。対して私は1.5日もかかっている。しかもアスファルトで整備された道をだ。江戸時代人の健脚、精神力にはほとほと脱帽である。
第41回奥の細道を歩く 米山~鵜の浜温泉~直江津・高田~名立
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第42回奥の細道を歩く 名立~糸魚川~親不知~市振
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奥の細道を歩く 第42回 名立~糸魚川~親不知~市振 2009年4月16~18日 [奥の細道を歩く]

市振海岸で翡翠(ひすい)採集の人と出会う
2ヶ月ぶりの奥の細道歩きになる。夜行ハイウェイバスで直江津市イトーヨーカ堂前に5時35分に着いた。雨上がりで八幡神社の灯篭に灯がともり、満開の桜が境内に散って幻想的な雰囲気だ。「雨後桜 散り花明かり 八幡や」

直江津の幻想的な八幡様
前回の到着地点「名立(なだち)」に着いたのは、7時08分。芭蕉が訪ねた62年前の宝暦元年(1751年4月25日)の地震で山崩れがあり、約50丁(5.5km)海へ押し出され、75軒の家が流され、生き残ったのは2名のみとか。海岸線の国道8号線に沿って、ひたすら西へ。藤崎、百川を通過し、能生へ。春爛漫で左手の山側の狭い段々田畑には、花々が咲き乱れる。「段々の 畑花競い 越後浜」

田畑は春爛漫
マリンドリーム能生に着いたのは9時10分、まだ時間が早いのでカニ屋横丁は閑散としている。15分で能生漁港、灯台のある弁天島にかかる朱塗りの橋に平行して、こいのぼりが五十余匹泳いでいる。

能生の弁天島
珍しい地名「鬼舞(きぶ)」「鬼伏(おにぶし)」へ。10時40分、セブンイレブンの手前の食堂で早めの昼食をとる。手作りのフライ(甘エビと白身魚)アジ塩焼き、カレーに小皿サラダ二種類で780円。

中浜、梶屋敷を過ぎて、海川橋を渡り国道8号線と別れY字を左折すると糸魚川市街地へ。12時45分、7時から歩いて5時間半、もう足腰が痛んできた。T字路を左折すると急に賑やかな商店街に出、突き当りがJR糸魚川駅。

糸魚川駅前

資料を提供していただき、お世話になった駅前の「珈琲ハウス」
観光案内所で「この先のJR青海駅周辺の宿に泊まりたいが、宿の紹介と芭蕉関係の資料がほしい」と尋ねた。上杉謙信の塩の道関係の資料には詳しそうだったが、芭蕉関係はほとんど資料がないようだ。2軒ある青海駅周辺の宿は満室か休業中。隣接する「珈琲ハウス」で訪ねると女将さんとお客さんが何かと資料を持ってきてくれ、宿も青海手前の寺地の「たか松旅館」に頼むことができた。ここからは6km先か。1泊2食付5,500円。芭蕉が糸魚川に着き、左五左衛門の家に泊まり、大聖寺に行ったというが、観光案内所や横町のお寺のお坊さんに聞いても「そんな寺はない」姫川港は改修中で、クランク型に回りこんで姫川橋をわたる。

姫川港
折りしも、糸魚川市議会議員選挙中で宣伝カーが行き来をし、賑々しい。
寺地のたか松旅館の手前の「山崎文六商店」で地酒を求めて店内に。

山崎文六商店
「謙信」に決めて、芭蕉の話をすると、ご主人が出てきて「こちらに来ませんか。私は暇だから・・・」とお茶菓子にお茶付きで奥へ。山崎家の本家はここの地名「田海(とうみ)」の大地主だったこと、この店は昭和23年創業で、食料品店当主山崎惣一郎氏は二代目であること、日本百名山登山挑戦や詩吟にいそしんでいること、4月は蛍烏賊の時期で知り合いの漁師が沢山届けてくれることなど73歳とは思えぬ快活さで話してくれた。
「蛍烏賊 満月に酔い 春惜しむ」
宿泊先の「たか松旅館」は2階建ての旅館で1階の浴室は5人一緒に入ることができる大きな浴槽、ドライヤーやアメニティは全くなし。部屋は2階の212号室で6畳テレビ付き、トイレは廊下に出てすぐ。洗面所やトイレは新しいが毎日は掃除をしていないようだ。6時の1階食堂での夕食は、鶏肉の煮込み、ぶりの刺身、厚揚げ・がんもどきの煮付け、塩焼き魚、アジのフライ、味噌汁にご飯、漬物。すべてセルフサービスだが、料金の割には品数もボリュームも上々だ。

たか松旅館

和室2階

夕食膳・これで5,500円とは安い!
翌日4月18日6時半に朝食をいただき、7時00分に出発。今日は朝から快晴でさわやか。青海本陣跡「清水家跡」を通過し、国道8号線に合流し、青海川橋を渡る。

青海本陣跡「清水家跡」
7時32分、上杉景勝の城だった標高328mの勝山入り口を通過。いくつかの長い洞門を歩く。ほとんど歩道がなく、後ろから来る大型トラック運転手の良識を信じるしかない。このあたりの橋桁は海の中だ。


橋や洞門内はほとんど歩道なしで危険!
親不知の難所「駒返し」をえて道の駅 親不知ピアパークへ。

親不知ピアパーク
9時前なので橋立ヒスイ峡の翡翠を展示している「翡翠ふるさと館」を見ることができなかった。ここには世界最大102トンの翡翠があったのだ。親鸞ゆかりの立ち竦み如来・大雲寺に立ち寄り、先を急ぐ。

親鸞ゆかりの大雲寺
9時35分、親不知観光ホテルから海への階段を下りる。狭い急坂で海は周りが絶壁で高さ100mの落差が続く。海は美しく透明度が高い、波がざざっと押し寄せて引くときに丸い石も引き込んでいく。からころがらがら・・・・。かつて波打ち際は50~100mほどあり、引き潮のときにさっと石伝いに歩いたそうだ。断崖絶壁と日本海の荒波が旅人の行く手を阻んだ。波打ち際を駆け抜ける際に、親は子を忘れ、子は親をかえりみる暇がなかった。ここから「親知らず・子知らず」と呼ばれるようになった。丸い石を3個記念に持ち、展望台に行く。

親不知の海岸下へ降りる
ここには日本近代登山の父ウォルター・ウェストン像がある。ここから西へ1kmほどの旧道を歩く。この下が100mもの絶壁だとは想像できないほどの野鳥天国だ。

展望台のウォルター・ウェストン像

展望台の親不知の模型

親不知の上からの眺望

親不知の海の透明度が高い
8号線に合流すると市振海水浴場を右手に見る。左手に食事処ニュー親不知がある。海岸にウエットスーツを着た人が一人降りていった。もう一人車で降りる用意をしている男性に声をかけた。所沢市から来たというS・Nさんで、なんと翡翠原石を採集に来ている?もう10年通っているとかで、「その成果は?」と聞くと、車の中から小さい美しい翡翠石を見せてくれた。「市振や 翡翠も寝たり 春惜しむ」

所沢から10年来通っているという「翡翠採集マニア」

市振海岸、私も翡翠採集に挑戦!
この先の宮崎海岸もよく取れるという。打ち寄せる2~3mほどのところで探すのだという。冬の寒い時には岩のりやモズクが取れるとか春の満月の夜は蛍烏賊が寄ってくるとか・・・。面白い話に引き込まれた。・・・で、私も運が向いてきたか?と海岸に下りて、翡翠探しを30分ほどやってみた。
晴天の海岸で飛び石散策を楽しみ、ニュー親不知で昼食をとる。市振市街地へ向かい、長円寺の芭蕉句碑に立ち寄る。「一つ家に 遊女も寝たり 萩と月」隣接する白髭神社の春の祭礼で酒に酔った男たちが丁度帰るところだ。階段を下りて8号線をくぐり、市振旧市街へ出る。芭蕉が泊まったとされる桔梗屋跡の標柱を見る。

長円寺の芭蕉句碑「一つ家に 遊女も寝たり 萩と月」

桔梗屋跡の標柱
さらに西へ行くと市振関所跡をえて12時30分、JR市振駅へ着く。

市振関所跡

JR市振駅(無人駅)
直江津方面への時間が13時10分、それまでお腹の足しにとよろづやさんへ寄ってみるが酒の肴らしいものが何もない。仕方なく豆腐に醤油をかけてもらう。チューリップの咲くホームに腰掛け、美味しくいただいた。昨日の名立から糸魚川、親不知、市振までの約46kmの歩きは天候に恵まれ、すばらしい日であった。

チューリップの咲くホームで・・・
第41回奥の細道を歩く 米山~鵜の浜温泉~直江津・高田~名立
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奥の細道を歩く 第41回米山~上越・鵜の浜温泉~名立 2009年2月12~14日 [奥の細道を歩く]

鵜の浜温泉 ロイヤルホテル小林 玄関入り口には、人魚姫がお出迎え
今回は、JR東日本「大人の休日倶楽部」新幹線を含む乗り放題12,000円切符を利用して、2泊3日の奥の細道歩きになった。関越トンネルを抜けると、白銀の世界に一変。で一句「闇抜けて 水墨画かと 冬深し」
前回、米山の食料品店「府中屋」さんで昼食をいただいたお礼に、私の住む青梅の銘菓「青梅煎餅をお届けした。

米山の食料品店「府中屋」
10時25分、米山駅入り口を出発。
天候は雨が早くにあがり、快晴だ。しばらく国道8号線へ。10時45分、上越に入るところで大泉寺観音堂入り口を通過。

11時10分、Y字右129号線へ入る。おばあさん達の会話で「夕べの雷、でっかくて・・・」そういえば、米山あたりの路面が濡れていたっけ。柿崎にはいり、左手に教会かと見間違う浄福寺、枕石があるとかで行ってみたが、判らなかった。柿崎駅角の寿司屋「菊屋寿司」で刺身定食840円をいただく。ミル貝・大トロと赤みトロ・金目鯛、サラダ、ゼンマイ、味噌汁、ご飯にりんご。大とろが美味。

柿崎駅角の寿司屋「菊屋寿司」

刺身定食に大トロがでる。
このあたり、芭蕉が歩いた頃、満潮時に海面より低くなる土地に塩田を作り、桶で海水を汲む「入り浜法による塩田」が盛んだった。砂浜はとても柔らかく、芭蕉の時代には棒を差すとそのまま沈んでしまい、駕籠かきは40センチもある板に鼻緒をすげたものを履いて、ぺたぺた歩いたという今では信じられない話だ。
1時間で上下浜、右手に「上下浜温泉 ハマナスセンター」に立ち寄り入浴をする。

上下浜温泉 ハマナスセンター
隣接して「マリンホテル ハマナス」がある。初夏にはハマナスが咲き乱れる。源泉が40.3度のナトリウム-塩化物泉。ナトリウム5,006mg、塩素7,164、炭酸水素436.9、メタホウ酸169.5mgの塩辛い温泉だ。露天風呂は源泉掛け流しか?13時57分、今日の宿泊場所である鵜の浜温泉「ロイヤルホテル小林」に着く。ここに重い荷を置いて、上越(直江津)まで行くことにする。1kmで大潟町の火防地蔵尊に出会う。

火防地蔵尊
寛延・寛暦の頃との説明書きが読める。土底浜、渋柿浜、夷(えびす)浜、上荒浜と続き、黒井駅入り口で、直江津駅までたどり着けるか心配で列車時間を調べ、便がよければ黒井までにしようか?と弱気になる。結局時間がわからず、直江津まで頑張ることにする。佐渡汽船ターミナル前を通過し、16時24分に直江津橋で関川を渡る。芭蕉が訪れた聴信寺に立ち寄る。

芭蕉が訪れた聴信寺
参拝を済ませると、ご住職夫人が本堂の戸を閉めに見えて、長話になった。人との出会いの話から、20年前インドに二週間行かれたことなどのお話しを楽しくうかがった。芭蕉関係の資料は勿論、檀家の過去帳も何度かの火災で消失してしまったという。その後、芭蕉句碑「文月や 六日も常の 夜には似ず」がある琴平神社に立ち寄る。

琴平神社

芭蕉句碑
駅に着いたのは17時20分。鵜の浜温泉行きのバスに乗り遅れ、JRで潟町駅へ移動。迎えの車でホテルに着いたのが18時20分。お迎えの看板に、「芭蕉を訪ね奥の細道を歩く会」という東京の団体客があった。観光バスで移動し、芭蕉が訪ねた名所を歴史の先生に聞きながら巡るツアーだとその客が入浴時に聞いた。

鵜の浜温泉 ロイヤルホテル小林

玄関入り口には、人魚姫のお出迎え

ロイヤルホテル小林のロビー

ロビーには雛飾りが・・・
鵜の浜温泉には9軒のホテル・旅館があり、温泉は共同管理で各ホテルに配湯されている。源泉は27.4度のナトリウム-塩化物泉でナトリウム5482mg、カルシウム144.7、鉄Ⅱ13、塩素9,207、炭酸水素479.3、メタホウ酸136.4mgで上下浜温泉と泉質がほとんど似ている。黄褐色の湯で無臭。大浴場は逆L字の浴槽。右手前の浴槽の竹筒から出る湧出水が源泉で冷たいがいかにも濃度が濃く、神経痛や腰痛、切り傷などに効きそうだ。湯口からの温泉を口に含むととても塩辛い。

大浴場内風呂

露天風呂(風呂の写真は、ホテル提供)
3階の和室は12畳バストイレ付、踏み込みには小さい椅子・テーブルが完備。トイレと洗面所・バスは別つくりで広い。床の間には季節感を感じさせる雛飾りが・・・。織物の水仙絵の額縁も美しい。
夕食膳はお部屋でいただいた。数々の珍味を揃えた前菜、鰈の陶板焼き、お造りはほっき貝・甘海老・サーモン・金目鯛、鍋は寒ブリのしゃぶしゃぶ、合鴨の春盛り、ズワイ蟹、河豚の唐揚(温かくて美味)、止め椀は鵜の浜温泉名物の蟹汁、デザートはやはり名物の「いちじくのアイスクリーム」と完熟パイン。朝食は1階のレストランで。宿泊料金は14,000円(税別)で設備、料理、サービスを考えるとレベルは高い。

3階フロアの和室12畳


夕食はお部屋で
早朝散歩がてらに300m先の浜にある「人魚伝説の碑」を見に出かけた。その時の一句「砂防松(黒松) 苗を見守る 野水仙」次世代の黒松の苗を育てている地元の方の努力が偲ばれる。

砂防黒松と次代の苗

浜にある「人魚伝説の碑」
JR潟町から直江津駅に移動し、歩き始めたのは8時30分。義経と弁慶が泊ったという観音寺

義経と弁慶が泊ったという観音寺
をえて、加賀街道の十念寺

加賀街道ぞいにある十念寺
から五智国分寺へ。安政3年(1856年)に着工した未完の三重の塔、

五智国分寺 未完の三重塔

五智国分寺 未完の三重塔 芸術的な彫り物
鎌倉時代の本堂は昭和63年に消失、10年かけ総檜造りで再建した。経蔵は元禄6年(1693年)の棟札がある市内最古の建築物。

五智国分寺本堂

市内最古の建築物 経蔵

経蔵 いかにも年代(316年前)を感じさせる

五智国分寺境内にある芭蕉句碑
芭蕉は1689年に訪ねているので、まだ今のままの形ではなかったらしい。親鸞聖人ゆかりの旧跡でもある。芭蕉句碑には「薬欄に いずれの花を くさ枕」高田の医師細川春庵を訪れたときの句だ。山門を下ったすぐ右手にいくと、越後一ノ宮の居多(こた)神社。

越後一ノ宮の居多(こた)神社
同宿した奥の細道を巡る団体客と出合った。光源寺に立ち寄った後、加賀街道をひたすら高田へ向けて歩く。11時13分、「飯」で県道13号線を左折、北本町1丁目の土橋を渡り、突き当たりを左折したところに加賀街道と北国街道の交差点「道標」がある。

加賀街道と北国街道の交差点「道標」
さらに進んだ信号を右折すると童画の父小川未明の生誕地がある。

童画の父小川未明の生誕地
本町通りから駅前を左折し、高田城跡公園へ向かう。外堀は枯れ蓮が残り、夏の桃色のハス群落を思わせる。北城神明宮にある芭蕉句碑を訪ねて高田駅へ戻る。駅前の高田橋脇は芭蕉が宿泊したところだ。

高田城跡外堀の枯れ蓮

北城神明宮にある芭蕉句碑
高田から五知国分寺までは同じ道をたどるので、第4回目の「マツノの特別ルール」で「往復同ルートで片道は歩かなくともよい」を適用し、バスで移動する。このルールは、芭蕉は各地の俳人の計らいで、馬や籠で移動しているので、その分この程度の距離は歩く以外の交通機関を使ってもよいのでは・・・との考えからである。
さて、14時15分にイトーヨーカ堂前でバス下車し、468号線を歩くが、中華飯店「楼蘭」で遅い昼食を食べる。午前中に通った加賀街道の十念寺入り口まで戻り、郷津、岩殿山、谷浜駅、有間川を通過する。海は穏やかで、冬とは思えぬほどとても暖かい。自然遊歩道が整備されて、自転車と歩行者専用の道路なので安心して歩ける。宿泊予定地の道の駅「うみてらす名立」まで500mというところで酒屋の看板。朝食付き洋室で7,800円なので、お酒「雪月花」を購入。17時20分で気温が14度。店のお母さんが「こんなに暖かいのは、初めて・・・。どうなるのかね~去年の今頃、三度は雪が降っていたよ」という。これまでもお年寄りの会話で同じことを聞かされた。そこで一句「雪のうて 心配じゃのう 翁語り」
道の駅の手前は、漁港卸売りセンターで、鮮魚をトラックに積み込んでいる姿も見られた。宿に着く直前に雨が降ってきた。「うみてらす名立」は日帰り入浴施設で隣接して第三セクター経営のホテル光鱗が建つ。

ホテル光鱗

1階の洋室
1階の洋室101号室が本日の部屋。入室して驚いた。右手に洋服ダンス、左手はバストイレ。ツインベットとソファがあり、段上に応接セットとキッチン、冷蔵庫がある。これは広い間取りだ。
入浴は2階の連絡通路で移動して、大浴場に行く。露天風呂から風力発電の翼が目の前に見えて、怖い感じがする。最近、強風でプロペラが折れたというニュースを聞いていたからだ。脱衣所に温泉分析表がなく、温泉ではないと知ってショック!地図には温泉マークがついていたり、館内のガイドの一部にも「温泉」と印字されているのに・・・。その後ホテルのレストランで、天丼定食とビールをいただいた。鮮度のよい食材で美味しい。団体客は宴会場なのか、個人客は2組だけ。外は相当雨が強く降っている。

レストランで夕食を

釜炊きご飯で朝食
翌日7時30分に2階のレストランで食べた。雨模様で今日の奥の細道歩きは中止し、温泉めぐりに切り替えた。JR名立駅に送ってもらう途中、運転手さんが「翼は一辺が25mとかで、よく故障するんだよね。避雷針がついていないので雷が落ちて、炎に包まれた。三菱重工がより強度を強くするというので8,000万円の修理費を要求されたらしい」と話していた。直江津から長岡まで移動し、長岡郊外の「桂温泉」「麻生温泉」の温泉めぐりをすることになる。詳細は別途、温泉巡浴記を書くつもりなのでここでは省く。
冷え性対策に「遠赤外線 田口式健康サポーター」http://www.a-spa.co.jp/taguti/
ペットと泊まる温泉宿 http://www.a-spa.co.jp/pet/ エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
温泉水サーチhttp://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/search.html
旧街道をあるく旅http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/
奥の細道を歩く 第40回 出雲崎~柏崎、米山 2009年1月20~22日 [奥の細道を歩く]

雪割り草 「大崎温泉 雪割り草の湯」
2009年新年の奥の細道歩きで、気持ちも新たに歩いた。東京池袋から夜行ハイウェイバスで柏崎へ。4時30分にJR信越本線柏崎駅に到着したが、駅構内は閉鎖中で寒風の中、外をうろうろ。5時前に暖房のきいた待合室へ。テレビでアメリカ新大統領オバマ氏の就任演説を聞く。JR越後線出雲崎への始発は5時36分。6時08分にJR出雲崎駅から暗闇の中を40分歩き、先月の到着地点出雲崎海岸へ。

良寛記念館から海岸を眺望
途中、凍結の歩道や雪化粧の田畑を望みながら歩くが、明け始めると早い。「一瞬の 夜明けを歩く 大寒や」「オバマ発つ 越後の雪を 踏む我も」
6時45分、良寛記念館入り口から出雲崎市街へ入る。石井鮮魚店で「浜焼き」光景に出会い、しばし見学。炭火で赤魚、鯖などを串に刺して焼きあげる。いち早く焼けた鯖を300円でいただき、歩きながら食べた。油がのっていて美味しい!「浜焼きを 一献頬張る 大寒や」オーナーのおばあさんは、「この道50年や」
7時15分、良寛剃髪の寺・光照寺を過ぎ、国道352号線を進行30分後、勝見鉱泉に着く。

勝見鉱泉

勝見鉱泉の浴室

勝見鉱泉の浴室の廊下に古い分析表が掲示
実は昨夜、電話で「翌朝、7時頃うかがいますが、入浴をお願いできますか?」と連絡をしていた。9時以降の入浴時間を相当早めに湯を沸かしてくれていた。細山さがさんがおひとりで宿を賄っていた。大正10年からの営業である。20.1度のナトリウム・塩化物泉で、毎分9.4リットル湧出の加温している。ナトリウムが4,494mg、カリウム15.7、マグネシウム25.4、カルシウム43.3、塩素6,954、炭酸水素1,190、炭酸18.0、メタケイ酸16.6、メタホウ酸16.1。源泉を口に含むととても塩っ辛い。浴槽はタイル張りで、1.4×1.8m。わずかに油臭がある。茶の間の天然ガスストーブでしばらくおしゃべりをしてすごす。給湯・暖房はすべて天然ガスで賄っているという。入浴料は400円。
石地の羅石尊を通過し、

羅石尊
大崎へ。左手に「大崎温泉 雪割り草の湯」に出会う。かつては、海岸側にあったのを3年前に移転・新築し、柏崎市の営業となる。

「大崎温泉 雪割り草の湯」全景

「大崎温泉 雪割り草の湯」のロビー
20.6度のナトリウム・塩化物泉で、ナトリウム5,232mg、カリウム22.3、マグネシウム15.9、カルシウム46.0、塩素8,483、臭化物48.3、炭酸水素1,054、鉄Ⅱ3.3、メタケイ酸25.0、メタホウ酸71.3。浴室は石造りの2~2.5×5m浴槽、女子用は岩風呂風で露天風呂もある。奇数・偶数日で交替制だ。10時に出て、この先の椎谷の崖崩れのため、新たなトンネル工事中で7kmほど迂回するようだと職員に教えられるが、通行止めに知らん振りしてそのまま直進する。がけ崩れで地盤が高さ10~20センチほどずれている。これでは車は無理だ。

地震による崖崩れと地割れ
夕日が丘公園をえて

夕日が丘公園
11時、トンネル(886m)の対面に出る。12時35分、刈羽トンネルを通過すると、右手一帯は、柏崎刈羽原子力発電所。12時55分、東京電力サービスホールから下って、海岸の荒浜へ。
14時40分、鯖石川を渡って1km行った左手に大きな建物が見える。潮(塩)の天然温泉「リトル・スパ潮風」だ。

潮(塩)の天然温泉「リトル・スパ潮風」全景

「リトル・スパ潮風」の露天風呂
日帰り入浴施設で、34.4度のナトリウム-塩化物強塩泉、毎分140リットル湧出する。ナトリウムが5,751mg、カリウム341.2、カルシウム581.0、マグネシウム221.2、塩素10,690、臭素73.3、ヨウ素28.8、炭酸水素226.4、メタケイ酸25、メタホウ酸93.2mg。湧出泉を口に含むと強塩辛い。潮の湯と風の湯があり、奇数日と偶数日で交替制だ。塩サウナや露天風呂はどちらにもある。入浴料のみであれば、館内着不要で600円だった。こちらでうかがった情報で、近接の「柏崎温泉ホテル」には温泉はなく、鯨波の「メトロポリタン松島」が温泉だというので、今日はそちらに15,900円で宿泊することになった。JR柏崎駅から鯨波駅で下車し、徒歩3分のところに宿はある。
結婚式場やチャペルもある豪華なホテル、鯨波松島温泉「メトロポリタン松島」には、17時30分に着いた。

鯨波松島温泉「メトロポリタン松島」全景

「メトロポリタン松島」ロビー

「メトロポリタン松島」ロビーにある彫刻像

5階の和室

浴室
客室は5階、レストランは1階、大浴場は6階になる。今日は既に3ヶ所入浴したが、まず浴室へ。夕日が見られるというがもう遅い。これまでの温泉泉質とは、かなり泉質が異なる。35度のナトリウム・塩化物泉だが、ナトリウムが615.8mg、カリウム16.9、カルシウム17.3、塩素922.5、炭酸水素221.1、メタケイ酸82.7、メタホウ酸5.3mg。
夕食膳は部屋に運んでくれる。

夕食膳
先付は白子・松前漬けなど、八寸は鴨燻製・筍・鮭・サザエ・帆立、松葉ガニ、お造りは甘海老・ブリ・タイラ貝・鯛、寄せ鍋、茶碗蒸し、天ぷらは海老とししとう、帆立のムニエル、ご飯は炊き込みモズクのおじやと白飯。お酒は柏崎の地酒「越の誉れ・松島」をいただいた。鴨や白子が美味しかった。9時30分に床に就いたが、寝付かれずに寝込んだのは結局、11時過ぎか。翌日目が覚めて、驚いた!7時26分だった。1階のレストランで7時30分の約束だった。昨日の相当体を痛めての睡眠だったから、熟睡したのか?顔だけを洗って、レストランに駆け込む。

1階レストランでの朝食
JR柏崎駅に戻って、歩きはじめたのは、8時30分。駅前を直進した信号「西山」を左折、貞心尼の庵だった「不求庵跡」を通過、

「不求庵跡」
新橋を渡り、鯨波方面へ一目散。9時05分中浜、貞心尼剃髪の地「閻王寺跡」文政10年(1827年)貞心尼30才の時(良寛70才)に剃髪。

貞心尼剃髪の地「閻王寺跡」
すぐ右手を上がりきると日本海に突出した130年前建立の「番神堂」、日蓮聖人が佐渡から柏崎へ向かう途中、暴風雨で着岸したところ。

「番神堂」
冬囲いで御堂の美しさが隠されて残念。「冬囲い 寺社の御姿 異なことよ」御野立公園に突き当たり、カーブして国道8号線に合流し右折する。昨日宿泊した鯨波松島温泉「メトロポリタン松島」の前から右折し、駅前の旧道を線路沿いを歩く。再び国道8号線に出て、1.5kmでレストラン「キーウエスト」「日本海鮮魚センター」へ。

レストラン「キーウエスト」「日本海鮮魚センター」

鮭を干している
かつて団体旅行華々しき頃、観光バスでよく立ち寄ったところだ。今こうして歩いて訪れるとは・・・夢にも思わなかった。さらにかつて「柏崎トルコ文化村」だったところは、今は廃業してブライダル施設か?「ブランコートル・ブリヱ」と名を変えている。米山大橋から海岸下に、JR青海川駅が見えている。11時には晴れ間が見えてきた。上輪橋を渡って左手に胞姫神社、安産の神様だ。義経・弁慶伝説の史跡である。トンネルを抜けてじき左手に、日本三大薬師として有名な米山薬師標高993mの米山さんへの登り口が見える。「米山さんから雲が出た・・・」の三階節や「行こか参らんしょうか米山薬師」の米山甚句で知られた。芭蕉は、米山峠を通って米山(鉢崎)へ抜けた。
さて、11時55分JR米山駅に着いたが、何も無い。駅前のガラス張りのかつてお店をやっていたらしい家を除くと、大きな冷蔵庫に牛乳やヤクルトが沢山入っているので、「これは売っているのですか?」と聞くと「うちの息子が飲むんだよ。食料品店は市街地の府中屋しかないよ」と教えてくれた。先ほど通ってきたところだ。府中屋に着いて、店の娘さんに「弁当とか食べるものが無いですか?」と聞くと「弁当は無いです。なんでもいいですか?」というので「何でも結構ですが、食べられますか?」ということで食堂で待たされた。芭蕉の話をすると、「すぐのところに芭蕉が宿泊したといわれる庄屋だったたわらや跡があるのを見てきましたか?」という。

芭蕉が泊った「たわらや跡」
知らなかったので、すぐに見にいってきた。見逃すところだった。500円でよいという食事は、赤みの刺身、おでん、漬物、ご飯、大根の味噌汁で、さらに秋刀魚の塩焼きが出た。

思いがけない昼食
列車の出発時間が12時52分なので、もったいないが急いでかっ込んだ。娘さんは「間に合わないといけないから車で送ります」食事を作ってくれたお母さんと娘さんに感謝感激だ。
「冬ぬるむ 何でもいい?と ランチ出る」
新年初めての奥の細道歩きは、4ヶ所の温泉入浴と浜焼きや思わぬ食料品店での定食に出会うという幸先よい奥の細道歩きだった。
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奥の細道を歩く 第39回 弥彦~西生寺~出雲崎 2008年12月16~17日 [奥の細道を歩く]

出雲崎 「良寛と夕日の丘公園」
今年最後の「奥の細道歩き」になる。「奥の細道を歩き」はじめて丸3年になり、感慨深い歩きになりそうだ。この時期は、大人の休日倶楽部のプランで、3日間新幹線を含めて12,000円で乗り放題というお得な期間であった。東京から新潟へ、越後線・弥彦線に乗り換えて、前回歩いた到達点の弥彦へ着いたのが10時30分。1キロほど西へ行くと、観音寺温泉に着く。ホテル上州苑はペットと泊まれる宿と聞き、取材に立ち寄った。

観音寺温泉 上州苑
オーナーの徳永勇氏にお話を伺い、ついで部屋と浴室を案内していただいた。観音寺温泉は応徳元年(1084年)に岩脈を発見されたという歴史を持つ。東館の部屋と浴室を見せていただいた後、私がこの温泉はまだ未入浴だと話すと「じゃあ、入浴したら・・・」の声に甘えて、入浴する。25度源泉の含硫黄-ナトリウム塩化物冷鉱泉で加温・循環している。わずかに硫黄臭があったが、じきに慣れてしまうせいか感じなくなる。ジャグジーとサウナ用水風呂は、水道水を使用。男女別浴槽は、20時から23時まで交代制になる。窓外に見える桜の古木は、4月中旬が見ごろとのこと。

東館のお部屋

大浴場 浴槽が二つ

ジャグジー風呂

越後33観音札所23番「観音寺」
スカイライン入り口にある観音寺前を通過して、日本最古のミイラ寺で知られる西生寺を目指す。12時18分、弥彦山と国上山の鞍部にあたるところに荒れた小道跡があり「旧北国街道峠道」の標柱。

「旧北国街道峠道」
猿ヶ馬場を左折して、下った突き当りを右折し500m登ると西生寺。「西生寺 ここまで来たか 芭蕉みち」「西生寺 法話ひも解く 師走かな」

西生寺正面

西生寺本堂
海雲山西生寺は、12年に一度の秘仏・阿弥陀如来像が開帳され、今年10月2日~11月16日までご開帳だった。その秘仏は三千年前インドで鋳造された約6センチの純金物という。500円の拝観料を志納し、80才になられる前住職阿刀隆信さんの案内で、即身仏・弘智法印が安置されているお堂へ。300年もの歴史を重ねる建築物や精緻な一木一刀彫の欄間が素晴らしい。隆信さんは私の安全供養をしながら、片手で厨子を覆う幕に繋がる糸を操り、次第に弘智法印の御身を見せてくれる。深く胡坐をかいた姿はとても小さく見える。帰りの階段を下りながら、私が「奥の細道歩きの記念にお言葉を賜りたい」とずうずうしくも申し出ると、「私は色紙を書くのは苦手だが、前に書いた失敗したものがあるが、それでもよいか」とおっしゃるので、ありがたくいただいた。「掬水月 在手」(水を掬すれば月 手に在り)の色紙だ。境内には芭蕉句碑「ふみ月や からさけおがむ のずみ山」

即身仏・弘智法印が安置されているお堂


建造300は経つという見事な建築芸術

お堂内部の厨子
展望台からの日本海や佐渡島の眺望に感激の余韻を持ちながら、野積へ下る。

西生寺展望台からの眺望
13時35分、酒造り杜氏を育てた「野積杜氏」碑を通過、道路の上を這う「弥平のなげし松」をくぐる。右手から這う樹齢500年の松だ。別名「弘智法印道しるべの松」

「弘智法印道しるべの松」
14時25分、海岸を歩き、荷帰り入浴施設「寺泊岬温泉 太古の湯」でようやく昼食をとる。対面には、ホテル飛鳥。はたはた唐揚に岩海苔ラーメンを食べた後、入浴する。47.5度のナトリウム・カルシウム-塩化物強塩泉で、ナトリウムが5854mg、カルシウム2018、塩素12870、メタホウ酸126.3mgと濃度の高い温泉。味は塩辛いが、分析どおりであればもっと濃いはずだ。源泉が遠いのか循環が強いのか。2005年4月、地下1100mからの湧出で、1,300万年前の古代海水と呼ばれる「太古の湯」

「太古の湯」
16時10分、魚の徒町・寺泊に着く。一時ほどの賑わいはなくなったが、立ち並ぶカニや魚の店に買い物客が行き来する。

寺泊の魚市場
カレイの塩焼きを頬張りながら、本日の宿「割烹旅館 田甚」へ。朝6時には出たいので、夕食付きの7,150円と値切った。二階の和室6畳はバスなし・トイレなしの部屋で、廊下の行き来や話し声が聞こえて、気がめいる。1階の浴室は寺泊温泉で、3~4人は入れる岩風呂風浴槽。加温・循環で無色無臭。お客は私の外には、海釣りの男性客ひとりのみ。夕食はお部屋で、たら親子漬け、枝豆、お造りはトロ・鯛・甘エビ、松葉蟹、鰈の煮物(流石にこれはうまい)、鮭の塩焼き、冷めた鯵と牡蠣のフライ、寺泊自慢のかまぼこなど。

「割烹旅館 田甚」

田甚のお部屋

浴室・寺泊温泉

お部屋での食膳
12月17日、6時に宿を出て、暗い道を歩く。寺泊水族館を過ぎ、6時30分に夜が明ける。「師走なり 芭蕉歩きも 三歳(みとせ)経ち」 7時、郷本にはいり、「郷本空庵跡」「海蔵寺玄徳寺跡」碑あり。寛政8年良寛39歳の頃、円通寺での修業の後、出生地の出雲崎を素通りしてこの郷本に庵を構えた。ここから10m海中側だったという。通りの家の軒下に干し大根が見られた。「干し大根 越後の浜の 芭蕉みち」

「海蔵寺玄徳寺跡」碑
出雲崎へは入り、羽黒神社角の小林石材店前には、良寛さんがいっぱい・・・。流石に良寛さんの出身地だ。

良寛さんがいっぱい
お母さんに良寛堂の場所を尋ねると、「まあまあ 遠くからご苦労様。朝茶でも飲んでらっしゃい!」と店に招かれた。食堂浜勝の女将さんだった。「妻入りの町並」パンフレットをいただいた。この店も妻入り造りで奥行きが長い。壁に日本画が飾られていたので、訪ねると「ここに通ってくれた絵描きさんが良寛記念堂の丘から描いた風景画で、いただいたんです。田町さんという日展でも入選している絵描きさんです」「芭蕉が詠んだ天の川は、私はまだ見たことがないが、漁師さんが夜明け前の漁で天の川を見たことがあるといっていた。」

食堂「浜勝」の座敷

田町画家の絵
良寛堂に立ち寄ってから、長い階段を登って、良寛記念堂と「良寛と夕日の丘公園」に向かう。晴天のため日本海や佐渡島、弥彦山の展望がすばらしい。二人の子供たちに語りかけるやさしい良寛の風情が微笑ましい。

階段途中からの日本海の眺望

「良寛と夕日の丘公園」
旧道に戻り、芭蕉園へ向かう。生茂る古木の椿の前に芭蕉像と句碑「荒海や 佐渡によこたふ 天河」。投句ポストがあったので、「干し大根・・・」の句を投函した。はす向には、芭蕉が宿泊したという「大崎屋旅館跡」が残る。

芭蕉園の芭蕉像

芭蕉句碑

「大崎屋旅館跡」
さらに西へ行くと俳諧伝燈塚(芭蕉と焦門2世東華坊、3世3世廬元坊が出雲崎で詠んだ句を刻んだもの)がある妙福寺へ行く。細長い階段を104段登りつめる。宝暦5年(1755年)に建立されたとかで刻印は不明。

妙福寺に行く階段

妙福寺

俳諧伝燈塚
ここから出雲崎駅に移動しようと10時15分発のバスの便が気になる。
ここまでが今回の奥の細道歩きの目標だったので、この後は、温泉めぐりにする。信越線塚山駅の近くに「西谷鉱泉」があり、入浴を試みる予定だ。が、出雲崎駅からの柏崎駅方面の便が13時01分まで無いことを知った。仕方が無い。このバスの終点・長岡駅まで行くことにし、長岡駅から信越線で行くことにした。バスの車窓からは、冬支度の様子がうかがい知れる。椿の木が縄で縛られている様子も見られた。「冬支度 椿縛られ 花気丈」縛られても、花は「私は元気よ!」と訴えているようだ。

冬支度の椿の木
信越線塚山駅は静かで小さな駅だ。正面をまっすぐ道沿いに直進。橋を渡った突き当たりに、旅館が左から湯元旅館、中盛館、しぶみ館別館と三軒並んでいる。中盛館に入浴を所望する。約300年前から湯治宿として知られ、特に虫刺され、蛇などの傷に特効性があるといわれた。源泉は17度の硫黄泉だが、無色透明、加温・循環している。入り口上の壁には、明治10年の効能書き額が掲げられていた。

西谷鉱泉 中盛館

浴室

明治時代に書かれた効能書き
今回の「奥の細道歩き」で温泉入浴は、観音寺温泉、古代の湯、寺泊温泉、西谷鉱泉の四ヶ所入浴することができた。今回も多くの方々との出会いがあり、印象深い思い出が刻まれた。
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奥の細道を歩く 第38回 新潟~岩室温泉~弥彦 2008年11月26~28日 [奥の細道を歩く]
池袋を夜行ハイウェイバスで発ち、翌日4時30分に新潟万代バスターミナルへ。先月歩いた泰平橋近くの「女子短大前バス停」までのバス時間を見ると、6時35分発だった。こんなに待てないと、タクシーの運転手さんに交渉し2,000円で行ってもらう。5時08分からの歩きはまだ暗いが、街灯と信号の灯りで歩くには支障がない。気温は3度、風で耳が冷たい。県道3号線をひたすら西へ。6時数分前から近くの光照寺か?鐘の音が「ご~ん」と鳴る。栗ノ木橋を6時通過、東大通りを右折し、萬代橋に向かう。左手は新潟駅。萬代橋の手前に「萬代橋」の歴史的説明板がある。ようやく写真撮影ができる明るさになった。

「萬代橋」の歴史的説明板
芭蕉は築地から新潟までの8里ほど水運を利用し舟で新潟に移動した。萬代橋を渡った古町に泊ったと記録にある。国道7号線を行くと、新潟市役所、白山神社に行き着く。左折して旧県会議事堂だった県政記念館に行ってみる。明治16年の建立、無料で公開している。かつて観光バスで来たことがある。

白山神社

県政記念館
戻って、116号線を歩く。関屋、小針、寺尾上を過ぎ、8時35分「五十嵐一」の信号角「ガスト」で喫茶休憩。新潟市内から食事場所がなく、バナナ1本と菓子をつまんだだけで、3時間30分過ぎていた。116号線から坂井を右折し16号線(旧北国街道)へ越後線に沿って歩く。10時04分、村杜内野大神宮着。本殿両脇の根回り直径2mもある欅巨木が見事だ。

村杜内野大神宮
清徳寺を過ぎ、地酒「鶴の友」の造り酒屋「樋木酒造」前に「登録有形文化財指定」の表示板に気づき、玄関を開ける。登録指定の建物をお尋ねすると「まあ、あがんなさい」オーナーの樋木尚一郎氏の声に促され母屋の事務室に入れていただく。

造り酒屋「樋木酒造

奥座敷に置かれた有田焼などの収集品
創業は天保3年(1832年)で、芭蕉がこのあたりを訪ねた時期より、143年後になる。後に内野には安政2年に移った。樋木氏は五代目で、中小酒造メーカーが生き残るためには、地元の酒屋や飲食店や消費者との共存が必要との持論を持ち、銘酒「鶴の友」は県内でしか販売をしていない。私が観光業界にいると知ると、自然や歴史を保存、掘り起こし「30年前から日本は産業立国を!」と唱えてきたとおっしゃる。明治~昭和初期に新潟三大財閥といわれた斉藤喜十郎家が大正7年に建てた「旧斉藤家 夏の別邸」の保存運動や400年の歴史を持つ新潟漆器の発掘運動、鹿児島県の焼酎メーカーのかめ仕込みによる焼酎ブームの仕掛け人としても活躍された。奥座敷に置かれた有田焼などの収集陶磁器や明治初期から後期にかけて造られた酒蔵二階に積まれた収集品の数々に驚かされた。

明治初期から後期にかけて造られた酒蔵

酒蔵二階に積まれた収集品
隠れた観光の見所を紹介できるが、車で案内するがどうするか?あなたは歩きにこだわるかな?とせまられたが、今回は「奥の細道歩き」にこだわり、1時間でお暇することになった。「新川という立体交差の川があるから、ぜひ見ていきなさい!」との声で11時30分に別れた。

新川という立体交差の川
昼食時間だが、木曜日というので2ヶ所の蕎麦屋に遭遇したが、いずれも定休日。12時10分ようやく食堂「味の家」で食事にありつけた。750円の野菜炒め定食は、野菜炒めの他に牡蠣フライ、切り干し大根煮物も出る豪華版。

食後は晴天の単調な北国街道を歩く。冬の支度で、庭の雪吊りをするご夫婦の姿がほほえましい。で、つい一句「雪吊や 夫婦笑顔の 昼下がり」13時33分、白鳥などの渡り鳥の飛来地「佐潟公園」に出る。鴨の群れが悠々と泳いでいる。

佐潟公園
14時06分、松野尾バス停足元に「右やひこ」の道標。このあたりで道を間違えたか、遠回りでようやく芭蕉が通ったという旧宿場「稲島(とうじま)」入り口に14時47分。

旧宿場「稲島(とうじま)」入り口

懐かしい風景
旧宿場本道では、もう陽が陰って来た。土壁の軒に大根や柿が吊るされ、燃料の薪が積まれるという懐かしい風景が見られる。旧道沿いの両側は、新潟の名産おけさ柿が沢山。収穫を終えた柿の木やそのまま鈴なりの木、実が三個固まって残っている木、さまざまだ。地元の壮年の方に聞くと「刈取りが間に合わずに放置しているのだろう」とのこと。近隣に賃金を払ったのでは採算が合わないという。


角田山登り口に芭蕉句碑紹介板があった。「涼しさや すぐに野松の 枝のなり」この辺りから南下する途中、小雨に見舞われ、傘をさす。

芭蕉句碑紹介板
当初、弥彦神社を参拝後、観音寺温泉に宿泊したいと思ったが、とても無理とわかり、岩室温泉「旅亭松葉屋」に予約を入れる。大きなホテル「ゆもとや」の裏を通り、薬師堂の前を抜けてたどり着いたのは17時になった。実に12時間の行程だ。旅亭松葉屋は客室14室の小旅館、二階の部屋は和室8畳+4.5畳バストイレ付、エアコンが不調で急遽電気ストーブに切り替える。1階の大浴場は源泉掛け流しと循環併用の赤御影石造り湯船。源泉は41.8度のナトリウム・カルシウム-塩化物泉で加温している。ナトリウムが2161mg、カルシウムが812.9、塩素が4766という濃度が濃い温泉。口に含むと強い塩味と苦味がある。切り傷、やけど、慢性皮膚病、慢性婦人病、虚弱児童に効能あり。足腰の痛みによかれと湯船で入念にマッサージだ。

岩室温泉「旅亭松葉屋」

二階の部屋
岩室温泉は、300数十年前の開湯で北国街道の宿場町として、また弥彦神社の参詣客の基地として賑わっていた。弥彦温泉に比べ、しっとりとした落ち着いた温泉地だ。夕食は部屋に運んでいただいた。サワラのわさび巻き、菊の酢の物、松葉かに、鮭の塩焼き、牛鍋、下平目のスコレ、はまち、鮪、烏賊のお造り、のっぺ汁にご飯、味噌汁。夜は雨がしとしと降り続いていた。

翌28日、雨が小降りになった6時頃、源泉公園と薬師堂に行く。源泉公園の源泉口から今は湯が出ていない。

薬師堂

源泉公園
帰ってから、1階の広間で朝食をすませる。7時50分、小雨のうちに弥彦へ向かう。4キロほどの距離だが、昨日40数キロ歩いた足腰が温泉で癒したとはいえ、疲労で痛い。弥彦山頂は雲の峰みねがもこもこと移動し、山頂のパノラマタワーが上下に動いているように見える。弥彦競輪場に隣接する宝光院に詣でると芭蕉句碑があった。「荒海や 佐渡によこたふ 天河(あまのがわ)」

宝光院

芭蕉句碑
弥彦神社に到着し、本殿まで傘を指しながら参拝する。菊祭りは11月24日で終了し、後片付け中だった。芭蕉は弥彦神社を参拝したが、境内に芭蕉関係の史跡はない。

弥彦神社
土産店で弥彦発の弥彦線の時間を聞くと、10時05分までないという。燕三条駅で下車し、ハイウエイバスで帰京することにした。

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奥の細道を歩く 第37回 村上~石船神社~新潟 2008年10月16~18日 [奥の細道を歩く]

海岸沿いの田畑には、砂地対策のポンプが・・・。
奥の細道を歩く 第37回 村上~石船神社~新潟 2008年10月16~18日
1ヵ月半ぶりの奥の細道歩きになる。池袋から新潟駅まで夜行ハイウエイバスで行く。白新線・羽越本線で移動し、村上駅を出発したのが8時07分。明治36年に入寂された仏海上人、日本最後のミイラ仏のある観音寺を通る。無住寺か?玄関に拝観料200円の張り紙が。

観音寺
即身仏といえば、芭蕉はこの先700年前に行基が開いたといわれ、室町時代の僧弘智上法印の即身仏のある弥彦山の中腹にある西生寺を訪ねている。瀬波温泉の入り口に着く。瀬波グランドホテルの裏山あたりが源泉口か?湯煙が立ち上っていた。夕日が美しいといわれる海岸、汐美荘、大観荘を右手に見ながら、通過する。

通りにある足湯
9時、岩船鮮魚センターでトイレを借りる。
左手に桜の名所でもある諸上寺公園を見ながら、9時13分に石船神社へ。

石船神社入り口
10月18~19日は祭礼で、神社入り口では地元の方たちが、祭礼の準備をしているところだ。芭蕉の句碑を訪ねると、神社入り口階段右にある「ここではないのかな?」というが、句碑の内容が異なるようだと資料を改めてみると「石船神社の柵跡碑の右前方にある」と記載。

柵跡碑

芭蕉句碑

石船神社本殿
丁度作業をしていた方の衣服が碑にかけられていた。芭蕉句碑「文月や 六日も常の 夜には似ず」確かにあった。本殿に上ると本殿脇で落ち葉を清掃していた小母さんたちが、方言で笑い声が耐えない世間話中。こうした行事が地域のコミュニケーションになっているんだなと得心した。「秋祭り 準備に土地の 笑いたち」
9時45分、国道345号線に合流し幕場へ、右手にお幕場大池公園。奥のほうに白鳥が沢山飛来している。通り過ぎてから、時々白鳥がきれいに群れて飛翔する。

白鳥が飛来
しばらくは砂地に野菜畑を見ながらの歩き。ねぎ畑にポンプがいくつかある。砂地との戦いは今でもすざましいのだろうか。

10時40分、塩谷(旧塩屋)入り口を過ぎて荒川を渡る。塩屋は、村上藩の番所があったところで、旅人はすべてこの番所を通らなければならなかった。11時36分、信号「乙(きのと)」を右折し、200m奥にある乙宝寺を参拝する。「俳聖芭蕉の通った道」の標識が立つ。

本堂の脇にある観音堂の階段の左手にあった。「うらやまし 浮世の北の 山桜」この寺は昔から桜の名所として知られていたらしい。

「うらやまし 浮世の北の 山桜」
仁王門は延享2年(1745年)に改修。仁王門をくぐって右手にある三重塔がすばらしい。




慶長19年(1614年)に起工、元和6年(1620年)に竣工された。釘一つ使用していない江戸初期の建築で国の重要文化財。塔内安置仏普賢菩薩を拝観しようと入り口に身を寄せると、中から強い冷気が漂ってくる。
12時15分、名水「どっこん水の里」で昼食をとる。

13時30分、井上醸造所(味噌・漬物)で休憩し、今日の宿を決定。深層湯温泉「紫雲の郷」が1人での宿泊は受けないので、民宿「松原荘」に宿泊予定。
13時48分、胎内川を通過、15時47分、「築地」を通過し新発田市内へ入る。築地から新潟まで船便があった。新発田藩は、蔵米を敦賀まで回送するために、水路を利用して8里の距離を運んだという。芭蕉も築地から水路で新潟へ移動したのではないかという説がある。だから、ここからは芭蕉の歩いた道とはかかわりがないことになる。とにかく、新潟へ向かう。100m右奥に入り、十一面観音堂を参拝。安政5年額銘あり。

16時10分、県道3号線信号「稲荷岡」まで、松原荘の若主人に迎えに来てもらう。紫雲の郷と松原荘の位置確認をしてから、紫雲寺記念公園内にある「紫雲の郷」で降ろしてもらう。

「紫雲の郷」
「紫雲の郷」の温質はすばらしい。源泉が51.7度のナトリウム12,420mg/㎏、カルシウム418.2、カリウム361.9、マグネシウム126.3、塩素20280、炭酸水素502.2、臭素178.5、ヨウ素101.1、メタケイ酸140.2、メタホウ酸231.1と高濃度の温泉。淡黄褐色で湧出口からでる湯を口に含むと塩辛い。これは腰痛や神経痛、切り傷に効きそうだ。松原荘までは歩いて5分ほど。多きな民宿で、ビジネス客が十数人泊っている。2階の部屋は8畳テレビ、エアコン付き。トイレは出てすぐ前にある。18時には食堂で夕食膳。むつの煮物とほっけの塩焼き、松葉かに、塩辛、鮪・あま海老などの刺身、鶏肉・がんも・蒟蒻・こぶなどの煮物、みかん、ご飯と味噌汁。翌日は6時には出るので、夕食付きで6,300円にしていただいた。
翌日、若主人に前日の場所「稲荷岡」まで送っていただく。6時10分に出発し、6時40分紫雲寺に到着する。右手にいくと垣根が続く。整然とした格式のありそうな境内と本殿。晴天で、左前方上に月がくっきりと浮かんでいる。つい一句を詠む。「紫雲寺や 秋晴れの月 借景に」


紫雲寺
この間、道端に「紫雲寺潟 開拓史」の説明文が設置され、興味を注がれる。

7時42分、国道7号線のガードをくぐり、突き当り新発田川を渡り右折、すぐ右に太子堂がある。



境内に句碑が並ぶ「幼日の 遠くなるなり 秋祭 佐多子」「
「日本三太子」とは大阪四天王寺、八尾市勝軍寺とここの佐々木聖徳太子を指す。本堂に隣接するお堂には、俳句を奉納する額が掲げられる。境内に句碑が沢山並ぶ。「幼日の 遠くなるなり 秋祭 佐多子」「手引する 妻を待たせて 夏の海 寛一」とか・・・。この地区は俳句が盛んなのだろうか。8時40分、西部工業団地を抜けて新潟市内「笠柳」に入る。内島見を過ぎ、10時42分、阿賀野川にかかる泰平橋を渡る。

昨日30キロほど、今日は25キロほど歩いたか、くたびり果てて11時19分、大形本町からバスに乗る。新潟駅まで5キロを残してしまった。
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第36回奥の細道を歩く あつみ温泉~村上 2008年9月4~6日 [奥の細道を歩く]
今回は、JR東日本の大人の休日倶楽部3日間 乗り放題プランを利用しての歩きに挑戦である。交通費が3日間JR乗り放題の12,000円は魅力だ。時間の乗り継ぎがうまくいかずに時間のロスが多い。ホームのベンチで短パンでの足を投げ出して、「秋風や 投げ出す足に さざ波の」の一句を作る。
12時30分、あつみ温泉駅前から歩く。

6月26日に芭蕉はあつみに着き、中村(今の北中)に27日(陽暦で8月11日)、28、29日に村上に泊っている。前方に50~60km先にぼんやり見える粟島を望みながらの徒歩。13時16分、住吉神社を左手に見る。社叢タブノキの純林が1.2ヘクタールという。13時23分、小宮川駅前を通過。13時45分、早田のお葉付いちょう入り口まできたが、

「左折1.4km」の表示であきらめる。晴天で直射日光が照りつける。
14時05分、いよいよ念珠関(ねずがせき・昔は鼠ヶ関)跡に到着。


芭蕉は、馬に乗って鼠ヶ関を通過した。鼠ヶ関は勿来、白河とともに東国三古関に一つ。景勝地鼠ヶ関弁天島には行かなかった。15時40分、府屋第一トンネルを通過、トンネル内は車の響く騒音で騒然としているが、涼しいのが助かる。15時57分、国道6号線に合流して、勝木(かつぎ)交差点を右折して、勝木駅へ向かう。老人ホームを右手に見ながら16時05分到着、無人駅だ。

駅のホームでたまたま観光地案内板の中に「ゆり花温泉」の案内があった。駅前の通行人に尋ねると、先ほど通った老人ホームなどの建物の一角だ。徒歩10分戻って山北町福祉センターゆり花会館「勝木・ゆり花温泉」に着く。55度のナトリウム・カルシウム-硫酸塩泉でタイル張りの浴室と隣接して露天岩風呂がある。無色透明・無味無臭。効能は特に動脈硬化症、切り傷、やけど、慢性皮膚病など。入浴料は350円。


今日は国道7号線を村上市へ向かう途中の「朝日まほろば温泉」の朝日村体験交流センターに予約を取っていたので、村上市から北上するルートで行く。列車とバスの便が悪く、宿に着いたのが19時30分だった。
朝日村みどりの里(道の駅:朝日)の一角にある体験交流センターは、一戸建ての建物が10軒ほどあり、平屋と二階建てがある。私は二階建ての「柏木」になった。一軒家を半分に仕切った形。





一階はフローリングで、リビング、厨房、食器棚、冷蔵庫、トイレ、一部6畳の間にテーブル、テレビ。二階にベットが5台、天然温泉の浴室がある。これで素泊まり一人5,900円(税込)、夕食は同敷地内にある食堂で食べる。鯵のフライ定食に刺身をいただいた。天然の温泉は蛇口をひねると65度の熱湯がどっと噴出す。水で薄めての入浴。ナトリウム-硫酸塩・塩化物・炭酸水素塩温泉で毎分250リットルという湧出量をもつ。近くには温泉スタンドもあった。

翌9月5日、バス停近くにある大満虚空蔵菩薩に参拝。日本三大虚空蔵菩薩だそうだ。

7時18分発のバスに乗り、村上駅へ。ところが9時24分まで秋田方面への便がない。時刻表でこのバス便が一番早いと見たのに、実はもっと早い便が合ったらしい。現地の事前の確認が必要だった。今日は昨日の勝木駅から、国道7号線にだいたい沿う旧道を歩き、再び「朝日まほろば」温泉まで来る予定。本館大浴場浴室のロッカーに重い荷を預けて出た。リュックの中は、温泉水と折り畳み傘くらいで相当軽くなった。特急列車で府屋駅下車、国道7号線勝木交差点までタクシーで行き、そこから左折し旧道を歩く。

村上で有名な鮭の酒びたし造り?
10時40分、ドライブイン峠の茶屋清流を過ぎる。トンネルを抜けてすぐ下大鳥。10時52分、菅原神社及び柳泉寺跡、

安政2年「湯殿山」碑あり。香積寺、階段を登った門の両脇に苔むして原型をとどめない阿吽の坐像がある。

香積寺
国道7号線に合流したり、集落のある旧道を歩いたりを繰り返す。上大鳥トンネルの手前を左折、渓流に沿った有名な桜並木のようだ。

中津原で昼食をとろうと、バイクで郵便配達の女性に聞いた「ドライブインフジ」に寄ろうとすると、先ほどの女性が戻ってきて、「12時で出ないと開いていないかも知れない」とわざわざ知らせに来てくれた。確かにまだ閉店だったので、持参のおにぎりを一個ほおばる。芭蕉も泊ったという宿場だった中村(山北町北中)に着き。食事場所を訪ねたよろずや大滝小太郎商店で「食堂はないから・・・。ここにパンがあるよ」と言われ薦められるまま、パンとジュースを飲みながら、長話で1時間も居ついてしまった。四代目の小滝広明氏は「北海道開拓に出た後に、初代がここ魚屋を開いた」という。13時05分に発ち、芭蕉公園に立ち寄る。「さはらねば 汲まれぬ月の 清水かな」の句碑が立つ。


芭蕉句碑
その後、名水で有名な大毎へ。流石に湧水豊かなのか、水路の流れが心地よい。吉祥清水で名水を口に含む。

13時27分、如意山満願寺、左手に地蔵坐像。

大沢へは登り坂が続く。14時、大沢の中心地で左折、出羽街道に入る。「芭蕉が歩いた出羽街道」の表示板がある。




13分で「峠の茶屋のあった跡」標柱。苔むした石畳が見え隠れする道が続く。矢葺明神まで1.2km。古道から脱して、砂利道に突き当たり、右折すると14時45分、漆山神社に出る。ここが矢葺明神らしい。

左折してアスファルトの道へ。葡萄峠へ向かって一目散。集落を眼下に見下ろす場所へ到着。

国道7号線へ合流し、16時43分に大行バス停前を通過する。ここからは足腰が痛く、休憩間の間隔が狭くなり、習っている自彊術で足のケアをする。18時30分、ようやく7号線と旧道を行き来しながら、朝日村にたどり着く。素泊まりの宿なので、今日はコンビ二で食品を買い求める。
前日と違い、平屋の離れを借りる手続きをし、前日預けたロッカーから荷を戻し、部屋へ入る。

酒と酒のつまみにお蕎麦で夕食。洗濯も済ませて、天然温泉に入る。
翌9月6日6時30分出発、ここから村上へ歩けばよいので気分が楽だ。7時08分、三面川に架かる374mの水明橋を渡る。

もう日差しがきつい。小川を右折し、市街地へ進む。山辺里橋を渡り、左折すると上片町信号手前に延命地蔵尊、境内で移動式(車)八百屋さんに近所の人が3人。声をかけられて、「芭蕉を訪ねて歩いている」というと「ここに芭蕉句碑があるのよ」という。句碑は「今日ばかり 人も年よる 初時雨」とあるようだが、明治2年建立で、はっきりとは読めない。


芭蕉句碑
肉屋の女将さんが、元区長さんが詳しいから案内すると先をすたすたと歩く。元区長の佐藤誠治さんに資料をかり、今度は電気屋の大滝甲子郎さんにコピーをしていただく。84歳の彼は俳句を長く詠んでいて、新潟県の芭蕉句碑の資料があるからとそれも見せていただいた。地蔵堂には、俳諧を納めた大額が奉納されている。芭蕉の影響でこの地にも俳句が盛んだったらしい。
筆頭家老だった榊原帯刀の父榊原吉兼(一燈)の墓がある光栄寺、榊原家の菩提寺だった泰叟寺を探す。おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)で資料「芭蕉と曾良と村上」を購入する。光栄寺は宝永元年(1704年)榊原氏の移封で姫路に戻り、その後高田に移っている。泰叟寺は浄念寺と名を変えて寺町にあった。国指定文化財で旧藩主本多家、榊原家、間部家の菩提寺だ。本堂は1818年建立の白壁土蔵造り。

芭蕉の関係資料がないか、ご住職に聞いたが何も残っていないという。寺町は1635年当時27寺あった。
村上のすぐ近くの海岸には、夕日で有名な瀬波温泉があり、よく添乗の仕事で来ていた。村上はサーモンパーク鮭公園にあるイヨボヤ会館(鮭の博物館)、村上堆朱工芸館、豪農の若林家住宅、町屋造りの家々に展示する「町屋の人形さま巡り」(3月1日~4月3日)、などの観光を組み入れていた。
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第35回奥の細道を歩く鶴岡・大山~あつみ温泉 2008年8月19~20日 [奥の細道を歩く]
前回、月山、湯殿山をなんとか歩き通して、鶴岡市大友まで繋がった。8月19日仕事を終えて、新宿・工学院大学前のバス停で寝転がって、出発時間を待つ。22時頃、すでにバスを待つ人、ホームレスらしい人達がいる。深夜なので近くのバスの排気音が響くが、昼の時間と違って静かだ。天を仰ぐと、高層ビルがにょきにょきと広角レンズで見るような光景が迫る。ビル風なのか、秋風が肌を抜けていく。「寝転んで 広角ビルに 秋の風」
山形県鶴岡市の天気予報は、19日夜は大雨、翌20日は曇りのち雨だった。早朝、バスの窓外には、雨上がりの山峡が見える。山形自動車道の寒河江、月山、湯殿山のあたりは、すばらしい墨絵の世界だ。峰峰の間にもやが、さーっとあがったり、流れたり・・・・。雲の流れも速い。麓にはススキが揺れている。

中山の延命地蔵尊
JR鶴岡駅に着き、羽越本線で羽前大山駅に移動する。昨日の豪雨で、下り線秋田方面が通行止めでバスの振替輸送が行われていた。大山は江戸初期から酒造りが行われ、一時は40軒以上の造り酒屋があったが、今では4軒のみという。駅から北へ中心地まで戻り、左折する。旧西田川郡大山町役場跡地(明治18年築の安良町公民館)

明治18年築の安良町公民館
を過ぎ、専念寺に立ち寄る。山門の牡丹の透かし彫り?が見事だ。


専念寺の山門と牡丹?透かし彫り
左折し、県道38号線へ。下小中を過ぎ、国道7号線を交差し、400m直進し水沢を右折する。左手に洞雲寺を見ながらY字路を左折。9時50分に羽越本線ガードをくぐり、矢引から登り坂となる。天候は快晴で、日が照り付けるが、強い風に助けられる。9時20分ようやく峠に着くと湧き水を汲んでいるご夫婦に出会う。

峠の湧き水
「昔からある湧き水で、いつも汲みにくるんだよ」カップが二個置いてある。中山の延命地蔵尊にお参りする。高さ2.3m、肩幅1m、台座1.7mという大きなもの。半跏像で右手に錫、左手に宝珠を持つ。寛政10年・・・の棟札記録ありと案内板があった。

延命地蔵尊
ここから三瀬川沿いに歩く。11時23分海岸へ突き当たる。手前左手に「笠取峠へ」の標柱があった。

笠取峠への案内板
芭蕉はこの山道を歩いたらしい。地図に記述がないので海岸を歩くことにする。

三瀬海岸
第二笠取トンネルが工事中で、通行人は通行止め。工事車両で400m先の出口まで送るという。11時45分、小波渡(こばと)海岸のドライブインで昼食をとる。

小波渡(こばと)海岸
テレビでは北京オリンピック女子ソフトボール準決勝の試合が行われていた。カツカレーとモツ煮をいただいて精をつける。新五十川トンネルの手前に大岩を見る。14時、鈴跨線橋をわたると左手に滝と祠がある。

海上の雲が厚くなり、雷が轟く。赤地蔵尊菩薩のあたりでは、だんだん陸地に近くなり、稲妻が真近にはっきりと見える。
「絵のような 金の稲妻 迫りおり」
大粒の雨がぽつぽつと降ってきたと思うまもなく、どっと降り出した。上下の雨合羽をリュックから出して、急いで着ようとするが、下を着るまもなくずぶぬれになる。400mほど先に見える立岩海岸温泉の看板目指して、突進する。二階の受付で入浴料400円を支払い、浴室へ。海底とはいうものの海の底ではなく、窓外からは海上が見える。入浴前に「もう今日は歩くのは無理だ。JR温海温泉駅までバスで行こう」とバスの時間を調べていたが・・・・。5分もしないうちに海岸は雨が上がってしまった。なんという天気だ。


立岩海底温泉
地元の方が「今年は雷が多いよな」と話していた。
立岩海底温泉の源泉は、45.2度でナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物泉。肌につるつる感がある。温泉巡浴1361ヶ所目となる。14時55分、さっぱりして、温海温泉まで歩くことにする。300m行くと暮坪の立岩が鎮座。

暮坪の立岩
さらに2kmもいくと温海温泉の入り口かY字を左折する。海岸渡折りに平行した街中の雑貨屋の角に、「奥の細道 芭蕉宿泊の家」の標柱がある。

「奥の細道 芭蕉宿泊の家」の標柱
奥まったところに「鈴木惣左ェ門」の表札がある。ご子孫が同じ場所に住まわれていた。不動岩バス停の名が気になり、海岸へ行くと、社と不動岩が眼前に見える。海中に大岩に注連縄が張られている。

注連縄がはられた不動岩
JRあつみ温泉駅に着いたのは、15時50分。

JRあつみ温泉駅
隣接して、温海郵便局がある。あつみ温泉街には温海温泉郵便局がある。温海温泉は仕事で何度か来たことがある。1989年6月24日に最初に泊った宿がホテル萬国屋で、私の温泉巡浴488湯目の宿。
芭蕉はあつみ温泉には行かず、海岸の通りを新潟へと足を進めた。曾良はあつみ温泉に立ち寄り、後で芭蕉に追いついて合流した。今回は鶴岡・大友を午前8時に出発、7時間30分、30kmほどの歩きだろうか。ほぼ晴天で日が照り付けて消耗したが、海風が強かったので歩きやすかったほうだ。突然の豪雨には参った。
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