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奥の細道を歩く第29回 尾花沢~山寺、大石田 2007年11月12日~14日 [奥の細道を歩く]

奥の細道を歩く第29回 尾花沢~山寺、大石田 2007年11月12日~14日

 ハイウエイバス、東京から山形県JR村山駅までの乗車券を購入した。バスに乗り込んでから、行き先に尾花沢バス停留所があることがわかって、行き先を変更した。翌日5時45分に到着し、まだ暗い道を歩きはじめた。旧羽州街道を20分も歩くと「おもだか温泉鈴の湯」を通過する。6時26分村山市に入り、あと1㎞でバイパス道13号線に合流し、大石田への分岐点に出る。山寺

への帰りは、ここから大石田へ歩くことになる。

 昨年7月20日~21日に黒羽から雲巌寺へ片道12kmを歩いた時、「往復同行程の場合、片道のみ歩く」というマツノ特別ルールを適用した。その例に倣って、今回は尾花沢・追分からの山寺のルート(片道25㎞ほど)を第二回目の適用とすることにした。芭蕉は尾花沢から楯岡(村山)まで馬で行ったという。

このあたり、さくらんぼの産地で、ビニールハウスの骨格が残り、時期の過ぎた風情を見せている。六面幢(六角石幢)を右手に見る。中国唐時代に広まり、日本では六面又は八面の柱状石に仏像・梵字をあらわしたもの。高さが台座を含め170㎝、幅は40センチほど。

7時45分、東から太陽の日差しを強く浴びて、頬に熱く感じながら、樹齢600年という「尾上の松」に着く。

相生マツとして雌雄二株だったが、大正12年の雪で折れ、枯れた。樹木周り3.15m、高さ20m。8時34分、楯岡大市姫神、

すぐ右側が愛宕神社で神社の岩石の割れ目から生えている12本のケヤキ株で有名。

ご神木のケヤキは樹齢220年と言うから芭蕉が来た頃はまだ無かった。8時50分、JR村山駅前を通過。30分で温泉町2丁目のコンビニを左折して東根温泉街に着く。湯量が豊富で街のあちこちに「東根温泉由来記」の表示と湧出口から59.1度の湯がほとばしっている。

弱い硫黄臭がある。足湯もあり地元のおじさんたちがわいわい楽しんでいる。さくらんぼ東根温泉郵便局を探しあて、預金をする。

六田の観音様に出る。元禄時代白水川の上流から流れ着いた石仏を祀ってから宿場町として栄えた六田村の氏神様だ。コロリ観音と慕われる。10時25分、興次郎稲荷神社に珍しい石鳥居があるというので行ってみる。

慶長年間の石鳥居だそうだ。東根の松並木跡、何本かの見事な松が残る。JRさくらんぼ東根駅前を通過。11時25分讃岐うどんの「うどん市」でざる天丼セットを賞味。


オーナーの渡辺さんが「私の家内の実家の軒下を芭蕉が通ったんだよ」と話す。あとで奥さんも顔を出してくれ写真も撮らせてくれた。天童温泉を過ぎて、13時25分舞鶴公園の南側、一日(ひといち)町一丁目で床屋「とら床」の角に「奥の細道ゆかりの地翁塚参道」の柱標に到着。

ここが「うどん市」の奥さんの実家だ。突き当たりに1879年(明治12年)建築の洋風建築物「天童市立旧東村山郡役所資料館」が周りの紅葉に映えている。

県道111号線山寺街道に合流してから、足の歩みがのろくなる。いよいよ足腰に来たか?果樹園でラ・フランス一個皮を剥いていただいて、水分と糖分を補給する。大きなラ・フランスで一個2百円。14時34分、原町から山寺に至る分岐点にあった高さ2.4m、幅75㎝の追分碑。宝暦8年(1,758年)6月10日建立。250年前の人の肌を感じられるか石碑を触ってみる。

 15時26分、ついに山寺の入り口、瀧不動に到着。

10分で登山口正面の根本中堂を参拝する。左手に芭蕉の句碑「閑かさや 岩にしみ入 蝉の声」が鎮座。

力こんにゃく売りの茶店のお姉さんの声が飛び交う。いよいよ登山開始だ。入り口で入山料を支払うと、休憩所のお母さんが「荷物を預けなさい」と声をかけてくれた。雨が心配だったので「傘は大丈夫かな?」「大丈夫よ!」というので荷を全て預けて登り始める。山寺(宝珠山立石寺)は、貞観2年(860年)慈覚大師によって開かれた天台宗の霊場で、奇岩怪石の宝珠山に建てられたもの。


姥堂から登りに行くと極楽浄土へ近づくという。一気に石仏や杉木立、奇岩怪石を横目にしながら・・・。尾花沢から30kmも歩いたので、どこまで持つかな?と思ったが、意外といける。1015段上りきって奥の院に着く。

 眼下の景色を見るまもなく、雨粒が落ちてきた。「しまった。頂上でゆっくり紅葉あざやかな景観を楽しもうと思っていたのに・・・」山寺随一の展望を誇る五大堂まで登り、

そこから戻ってどんどんと石段を駆け下りる。
一句「山寺や 石段蹴散らし 秋時雨」

 山寺は十数年前に3月下旬に、老人会旅行の添乗で来たことがある。その時は途中から上にはまだ雪が積もっていて参加者の内10人ほどしか頂上まで行くことができなかった。でもすがすがしい感慨を持ったことを覚えている。雪に覆われていたので、奇岩怪石や杉木立などの印象は無かった。四季によりこれほど印象が異なるかと思った。

山寺から大石田へ戻るのに、「マツノ特別ルール」の「往復同ルートで片道は歩かなくとも良い」ルールで、とりあえず天童温泉へ向かうことにするが、足がない。土産店の方に教えていただいた「ワンコインタクシー」に電話すると、2名からの営業とかで断られる。天童温泉の「古代檜風呂のつるや」に宿泊することにし、バスの便も無く、結局タクシーでの移動となった。つるやは、2階建ての肌に優しい落ち着いた旅館で、部屋のお風呂も天然の温泉だった。




平日で空いていたので、古代檜大浴場は、貸しきり状態で贅沢な入浴。三十数キロを歩いて頑張った足腰を揉み解した。お料理はお部屋でいただく。庄内豚と山形牛のしゃぶしゃぶ、黒酢あんかけの焼き物、麩の煮物など初めて賞味するものがあり、うれしい。


 翌日、歩いて15分ほどのJR天童駅へ。

流石に天童は将棋の産地

 8時20分発の列車で移動し袖崎駅で下車。昨日の尾花沢と大石田の分岐点「追分」まで歩く。9時33分、追分を左折し大石田へ向かった。しばらく行くと穏やかな最上川を左側に見ながらの歩きとなる。JR奥羽本線のガードを過ぎて、大石田の市街地へ入る。郵便局を過ぎ、左手に折れると大石田河岸、舟役所跡へ行く。

芭蕉が訪れた当時、大石田は最上川を行き来する交易船で賑わっていた。1日に大石田船は290余隻、酒田船は250余隻を数えたという。戻って、浄願寺山門に立ち寄ってから、

元禄7年に京都から運ばれた乗舩寺の釈迦涅槃像を見に行く。

寺の外観はもう冬支度で青いテントに包まれている。市内の道路の中央は融雪口からちゃんと水が出るか点検中だった。芭蕉の句碑があるという西光寺に向かう。

観音堂の裏に新しい句碑が、さらに奥には小さなお堂に入れられた明和6年(1769年)建立の古碑「五月雨を あつめて早し 最上川」があった。

もう足が持たないので、JR大石田駅12時04分発で山形へ向かう。JR山形駅で新幹線へ乗り換える。昨日の尾花沢から山寺、さらに山寺の1015段の登り下りは芭蕉並みの歩きだった。

奥の細道を歩くhttp://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/
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コメント 2

hide-m

hiro163hiroさん ご訪問をありがとうございます。徳川展の記事を見ました。ぜひ私も見に行きたくなりました。
by hide-m (2007-11-19 19:33) 

toshi

ご訪問ありがとうございました。慶長年間の石鳥居の柱は太いですね。
by toshi (2007-11-20 03:23) 

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