熊本・大分県境 九州・福岡の奥座敷だった杖立温泉「葉隠館」を訪ねて。 [温泉巡浴]
熊本・大分県境 九州・福岡の奥座敷だった杖立温泉「葉隠館」を訪ねて。
杖立温泉街
杖立温泉は、古くから湯治宿として知られ、1800年の歴史を持つ良質の温泉ゆえに今だに療養・湯治客が訪れる温泉地である。昭和初期から中期にかけて最盛期を迎えた。博多どんたくを終えたお大尽が芸子衆を引き連れて杖立温泉に流れてきたほどだという。昭和33年(1958年)売春防止法が施行される前まで、40余軒あった旅館は、22~23軒(現在は19軒)に(穴井昭二元郵便局長86歳による回顧)なった。
当時の芸妓20人と酌婦20名ほどが置屋に登録され、団体客で賑わっていた。穴山氏によると背戸屋と呼ばれる狭い階段の路地には宴会後の客が三味線や太鼓を鳴らして行列をなしていたという。杖立川の河畔には共同浴場は散在(現在は元湯、薬師湯、御前湯の三か所のみ)している。
昭和初期の温泉街の写真
狭い路地の背戸屋
共同浴場「御前湯」
あちこちにある蒸し場
JR日田駅から路線バス45分ほどで杖立温泉に到着。観光案内所へ立ち寄り、「杖立温泉の歴史資料がないか」を尋ねるが、「何度かの大水害で流失したなどでない。郵便局の元局長さんなら知っているかも」というのでさくら橋を渡った突き当たりにある杖立温泉郵便局へ行く。橋の袂に俳人高野素十の句碑「こんにゃくも秣草も茸も温泉に茹でて」あり。この郵便局で預金をするとマークの付くスタンプが押印されることを知り預金する。そこへ局長の父上の穴山昭二氏が来ていただきお話を伺った。過去に三度の大水害や山崩れ(昭和28年、昭和57年、平成5年)や昭和30年代の最盛期の様子を興味深く伺った。
郵便局
穴山昭二氏(元郵便局長)
温泉街
火野葦平は滞在して執筆した宿・不老閣は、昭和47年から経営が権藤芳春氏に代わり宿名は葉隠館になった。木造4階建てと聞いていたが、表から見ると外側に鉄筋の補強がされている。
杖立川左岸にある一角に葉隠館
葉隠館の団欒室
玄関を入ると左手の間は懇談室、正面がフロント。奥は厨房と男女別浴室。部屋数は11室。私が案内された2階の和室「きくの間」は、杖立川に面した7.5畳で縁側・ベランダ付の部屋。トイレは共用。火野葦平が滞在した部屋は4階の和室6畳の「はぎの間」。
二階和室「きくの間」
火野葦平執筆の4階和室「はぎの間」
実際に使用された机
火野葦平の額
明るいうちに共同浴場へ行こうと下駄ばきで紅葉橋を渡って、杖立温泉源泉だった河岸にある「元湯」へ行く。応仁天皇産湯の地として知られ、「湯に入って病治ればすがりてし、杖、立て置いて帰る諸人」の碑あり。着物を脱いで入らんとすると冷たい!36度くらいか?
紅葉橋から見た元湯
元湯
これでは無理と階段を登り、「薬師湯」へ。入り口に200円をお賽銭箱へと案内があるが、生憎手ぶらで来てしまった。入浴中のお年寄りに許しを乞うて入浴にありつける。穴山氏の話題を出すと「ああ~老人会の会長だよ。俺も会員だ」杖立温泉の歴史の話を聞くと浴場の上が湯鶴薬師堂その上の集会場に資料があるというので案内をしていただいた。それは大きな額で、昭和15年の大水害の被害状況を書き連ねたものだった。
薬師湯
薬師湯の浴室
宿の大浴場「浪漫の湯」は更衣室から4段下がったところに鍵型の浴槽、中央に幼児が寄り添う湯壺を持つビーナス像が美しく湯けむりの中に立つ。湯は無色透明。泉質は弱アルカリ性食塩泉。とくにメタケイ酸が1リットル中に225.5mgと目立ち、肌に強いつるつる感がある美肌の湯。奥にむし湯の入り口(50×60㎝)がある。腹ばいで入ると床に敷かれた簀の子の下から噴出する蒸気が熱すぎて、1分といられない。早々に飛び出した。冷たい水でも撒くのだろうか?女性用の浴室はもっと小ぶりで、ビーナス像はないという。
大浴場「浪漫の湯」
夕食膳は2階の部屋に仲居の大場さんが運んでくれる。健康志向の体にやさしい地元有機野菜や漢方生薬を活かした和・洋・漢折衷の器も美しい美味しい夕食膳であった。馬刺し、鮎の塩焼き、藻屑酢、蕎麦、鰈の唐揚げのバジルソース和え、牛筋、小国ジャージ牛乳の洋風茶碗蒸し、里芋、オレンジソースを使った赤身魚のポアレ、牛と野菜の陶板焼き、漢方生薬スープ、赤米ごはんに香の物。1泊2食付8,950円の料金にしては大感激!
夕食膳の品々
朝食膳
満室の折は、2階の2つの宴会場を使用する。囲炉裏座敷の山季楼は天井の水彩画、壁の浮世絵がこの宿の名物。大宴会場の天井絵も見事だ。
囲炉裏座敷の山季楼
大場さんは翌日、日田駅行のバスに同乗した。1年ほど前に膝を温泉治療のために杖立温泉の葉隠館に来て、驚くほど改善したという。女将さんから、「ここで働きながら治療を続けたら」と誘われ、階段の多い旅館がリハビリになったのかも知れないという。療養温泉地ではこうした話は珍しくない。それだけ病状と温泉の泉質が合えば、温泉療養の効果があるということだ。
帰りに観光案内所に立ち寄り、1年間の宿泊数は約12万人で下り気味で、日帰り客数は約25万人で横ばいだそうだ。昔の面影はない。4月1日から5月上旬にかけて杖立川畔に約3,500匹の鯉のぼりが泳ぐ。今、そのための鉄塔とワイヤー張りの準備が行われている。
約3500匹の鯉のぼり
☆第6回豊後街道を歩く 宮路~的石~肥後大津② http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-01-18
☆高野山麓の天然水「月のしずく」http://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/
☆旅と温泉の相談室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆スペイン「聖地サンティアゴ巡礼」の旅 初日サン・ジャン・ピエ・ド・ポーから
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2013-06-19
☆温泉夜話 オーストラリアの温泉入浴に挑戦する!http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-23
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01
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杖立温泉街
杖立温泉は、古くから湯治宿として知られ、1800年の歴史を持つ良質の温泉ゆえに今だに療養・湯治客が訪れる温泉地である。昭和初期から中期にかけて最盛期を迎えた。博多どんたくを終えたお大尽が芸子衆を引き連れて杖立温泉に流れてきたほどだという。昭和33年(1958年)売春防止法が施行される前まで、40余軒あった旅館は、22~23軒(現在は19軒)に(穴井昭二元郵便局長86歳による回顧)なった。
当時の芸妓20人と酌婦20名ほどが置屋に登録され、団体客で賑わっていた。穴山氏によると背戸屋と呼ばれる狭い階段の路地には宴会後の客が三味線や太鼓を鳴らして行列をなしていたという。杖立川の河畔には共同浴場は散在(現在は元湯、薬師湯、御前湯の三か所のみ)している。
昭和初期の温泉街の写真
狭い路地の背戸屋
共同浴場「御前湯」
あちこちにある蒸し場
JR日田駅から路線バス45分ほどで杖立温泉に到着。観光案内所へ立ち寄り、「杖立温泉の歴史資料がないか」を尋ねるが、「何度かの大水害で流失したなどでない。郵便局の元局長さんなら知っているかも」というのでさくら橋を渡った突き当たりにある杖立温泉郵便局へ行く。橋の袂に俳人高野素十の句碑「こんにゃくも秣草も茸も温泉に茹でて」あり。この郵便局で預金をするとマークの付くスタンプが押印されることを知り預金する。そこへ局長の父上の穴山昭二氏が来ていただきお話を伺った。過去に三度の大水害や山崩れ(昭和28年、昭和57年、平成5年)や昭和30年代の最盛期の様子を興味深く伺った。
郵便局
穴山昭二氏(元郵便局長)
温泉街
火野葦平は滞在して執筆した宿・不老閣は、昭和47年から経営が権藤芳春氏に代わり宿名は葉隠館になった。木造4階建てと聞いていたが、表から見ると外側に鉄筋の補強がされている。
杖立川左岸にある一角に葉隠館
葉隠館の団欒室
玄関を入ると左手の間は懇談室、正面がフロント。奥は厨房と男女別浴室。部屋数は11室。私が案内された2階の和室「きくの間」は、杖立川に面した7.5畳で縁側・ベランダ付の部屋。トイレは共用。火野葦平が滞在した部屋は4階の和室6畳の「はぎの間」。
二階和室「きくの間」
火野葦平執筆の4階和室「はぎの間」
実際に使用された机
火野葦平の額
明るいうちに共同浴場へ行こうと下駄ばきで紅葉橋を渡って、杖立温泉源泉だった河岸にある「元湯」へ行く。応仁天皇産湯の地として知られ、「湯に入って病治ればすがりてし、杖、立て置いて帰る諸人」の碑あり。着物を脱いで入らんとすると冷たい!36度くらいか?
紅葉橋から見た元湯
元湯
これでは無理と階段を登り、「薬師湯」へ。入り口に200円をお賽銭箱へと案内があるが、生憎手ぶらで来てしまった。入浴中のお年寄りに許しを乞うて入浴にありつける。穴山氏の話題を出すと「ああ~老人会の会長だよ。俺も会員だ」杖立温泉の歴史の話を聞くと浴場の上が湯鶴薬師堂その上の集会場に資料があるというので案内をしていただいた。それは大きな額で、昭和15年の大水害の被害状況を書き連ねたものだった。
薬師湯
薬師湯の浴室
宿の大浴場「浪漫の湯」は更衣室から4段下がったところに鍵型の浴槽、中央に幼児が寄り添う湯壺を持つビーナス像が美しく湯けむりの中に立つ。湯は無色透明。泉質は弱アルカリ性食塩泉。とくにメタケイ酸が1リットル中に225.5mgと目立ち、肌に強いつるつる感がある美肌の湯。奥にむし湯の入り口(50×60㎝)がある。腹ばいで入ると床に敷かれた簀の子の下から噴出する蒸気が熱すぎて、1分といられない。早々に飛び出した。冷たい水でも撒くのだろうか?女性用の浴室はもっと小ぶりで、ビーナス像はないという。
大浴場「浪漫の湯」
夕食膳は2階の部屋に仲居の大場さんが運んでくれる。健康志向の体にやさしい地元有機野菜や漢方生薬を活かした和・洋・漢折衷の器も美しい美味しい夕食膳であった。馬刺し、鮎の塩焼き、藻屑酢、蕎麦、鰈の唐揚げのバジルソース和え、牛筋、小国ジャージ牛乳の洋風茶碗蒸し、里芋、オレンジソースを使った赤身魚のポアレ、牛と野菜の陶板焼き、漢方生薬スープ、赤米ごはんに香の物。1泊2食付8,950円の料金にしては大感激!
夕食膳の品々
朝食膳
満室の折は、2階の2つの宴会場を使用する。囲炉裏座敷の山季楼は天井の水彩画、壁の浮世絵がこの宿の名物。大宴会場の天井絵も見事だ。
囲炉裏座敷の山季楼
大場さんは翌日、日田駅行のバスに同乗した。1年ほど前に膝を温泉治療のために杖立温泉の葉隠館に来て、驚くほど改善したという。女将さんから、「ここで働きながら治療を続けたら」と誘われ、階段の多い旅館がリハビリになったのかも知れないという。療養温泉地ではこうした話は珍しくない。それだけ病状と温泉の泉質が合えば、温泉療養の効果があるということだ。
帰りに観光案内所に立ち寄り、1年間の宿泊数は約12万人で下り気味で、日帰り客数は約25万人で横ばいだそうだ。昔の面影はない。4月1日から5月上旬にかけて杖立川畔に約3,500匹の鯉のぼりが泳ぐ。今、そのための鉄塔とワイヤー張りの準備が行われている。
約3500匹の鯉のぼり
☆第6回豊後街道を歩く 宮路~的石~肥後大津② http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-01-18
☆高野山麓の天然水「月のしずく」http://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/
☆旅と温泉の相談室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆スペイン「聖地サンティアゴ巡礼」の旅 初日サン・ジャン・ピエ・ド・ポーから
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2013-06-19
☆温泉夜話 オーストラリアの温泉入浴に挑戦する!http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-23
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01
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hide-m さん
訪問&nice!有り難う御座いました。
by ミスター仙台 (2014-03-15 20:41)
杖立温泉は,福岡と久住を行き来していた頃に,
よく日帰り入浴していました.5月の鯉のぼりは壮観でした!!!
by 唐津っ子 (2014-03-16 00:57)
ご来訪ありがとうございます。
お時間のある時に、拙ブログ「140130」の
「圧迫骨折について」をご一読下さると嬉しいです。
宜しくお願いします。
by 向日葵 (2014-03-16 03:33)
nice&ご訪問ありがとうございます。
群馬にいるのに最近温泉行ってないです><
こうやって温泉街の写真を見ると
入りにいきたくなります。
by 風花六花 (2014-03-16 19:48)