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三浦哲郎著「少年讃歌」と天正遣欧少年使節のはなし [海外のはなし]

三浦哲郎著「少年讃歌」と天正遣欧少年使節のはなし
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 「少年讃歌」は、大友宗麟こと大友ドン・フランシスコらの名代として、伊東マンショら4人の天正遣欧少年使節の7年にわたる苦難の使節の旅を描いた小説である。大分市に住んで、初めて大友宗麟が大分市民にとって偉大な先人であるかを遺跡や宗麟を讃え顕彰するイベントに参加する中で知らされた。興味を持ちこの著を紐解いたという訳だ。

 大分市府内公園お一角に「天正遣欧少年使節正使 伊東マンショ」の馬に跨る銅像がある。
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信長時代に来日した宣教師ヴァリニヤーノの勧めで九州キリシタン大名大友宗麟、有馬晴信、大村純忠は、少年使節をローマ教皇に派遣することになり、宗麟は姪の子13歳の伊東マンショを主席正使、有馬・大村は13歳の千々岩ミゲルを正使、13歳の原マルチニヨを正使、14歳の中浦ジュリアンを副使とした。松田毅一著「南蛮資料の発見」で、伊東マンショの出自について、「宗麟は自分の使節・伊東マンショのことは預かり知らなかった。宗麟の書状には、自分と伊東マンショの関係を『吾等のいとこのいとこ』と平仮名で書いているが、現代の研究は宗麟の『姪の子供のいとこ』にあたる伊東裕青の子供が伊東マンショであることを明らかにしている。著書「少年讃歌」の終盤に、大友氏が自分の使節派遣という認識がなかったことから、この遣欧少年使節を主導した目的が垣間見る場面を設定している。現代言われている歴史の内実は、もっと複雑でいずれかの強い思惑で実行されていると疑ってみるのもありかと思う。

 1582年(天正10年)2月20日、長崎港を出帆、途中の暴風雨、海賊、疫病、船の故障と戦いポルトガルのリスボンに上陸したのは2年半後の1584年8月11日(天正12年7月6日)だった。その後、ポルトガル、スペイン、イタリアの各地で熱狂的な歓迎を受けながらローマへ。1585年7月27日(天正18年6月16日)じつに出帆後8年半の月日がたっていた。
以下は「少年讃歌」の記述による。バッカノの丘を越えて、サン・パオラの天主堂を見ながら、ローマ・ポポロの門をくぐった。イエスズ会の200人近くの司祭や修道士、群衆が待ち構えていた。待ちわびていた84歳のご老体の教皇グレゴリオ十三世には翌日公式謁見された。160発の祝砲などに迎えられ、3㎞にもその行列が続き、サンピエトロ広場から接待の殿堂でアルサーラ・レジアでの公開枢機卿会に列席する。中浦ジュリアンは熱病で別の計らいで教皇に謁見したことになっている。

 生前の信長が当時の最高権威者(東インド管区の総長派遣巡察師)だったヴァリニヤーノに贈ったとされる正親町天皇に観覧・所望されたが献上しなかったという天下の逸品という秘蔵の屏風「安土城之図」を贈呈し、少年使節とともに持ち帰ったとされる。少年使節がローマ教皇に献上してバチカン宮殿に収められたが今は伝存しないという。(「南蛮資料の発見」より)

 さて、ローマに到着するまでのさまざまな苦難を乗り越えた場面で、彼らの運の良さを思わずにはいられない。文中でもよく語られている「慈悲深い神の思し召し」だったとしか思えない。それには高名な神父達や現地の権力者や教会関係者による政治的、宗教的な思惑によって「キリスト教の世界的な布教を成功させたい」という少年遣欧視察への法外な援助だった。国を超えてキリスト教関係者の総力を挙げての熱狂的な雰囲気を感じる。各地での根狂的な歓迎の一つに儀礼的な高価な山ほどの贈り物の場面がよく出てくる。美術品、象牙の十字架や黄金額にはめ込んだ鏡、インドのゴアを出立するときの描写で「秀吉殿への献上品で、私たちが供出したマントヴァ公の武具、豪華な馬具と二頭のアラビア馬、印刷機具」など。著者がどれほどの真実をこの物語に込められたのかは、知る由もない。無事日本に届けられたのだろうかと下賤な心配をしてしまう。是非、見てみたい。

 帰路も各地で熱狂的な歓迎ぶりは変わらず、ヴェネツィアの後のミラノのドゥオモ(大司教大聖堂)についての記述で「最初の礎石は1386年に置かれ、・・・・いまだに(今年は1585年)は未完成で、第一祭壇の一隅にミケル・アンジェロの設計で・・・」「おそらくヨーロッパではローマのサン・ピエトロ寺院以外にはこれに及ぶものがないだろう」
ヴェネツィア、ミラノ、ローマはいずれも過去に観光に出かけたことがある場所だが、こうして天正遣欧少年視察を通して各地のドゥオモの歴史を立体的?に感じることができたことに特別の思いがこみ上げてくる。ローマを目指すポルトガル、スペイン、イタリアの旧市街の石畳を歩く場面でも、昨年スペインサンティアゴ巡礼で行き来した各地の石畳街を歩いた時の感覚を思い出す。時代を超えて同じ体感をしていたのだなととても感慨深い。
 昨年、世界一周船旅もしたいと「ピースボート活動」にもかかわったことがあるが、少年使節が荒れ狂う船旅や陸路での苦難を思いながら、また世界一周船旅で体験したいものだ。

参考:世界一周船旅「ピースボート」ボランティアスタッフ登録へ!
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2013-10-26

ちなみに、仙台藩主伊達政宗がイスパニア(現在のスペイン)国王およびローマ教皇の下に支倉常長らを派遣した慶長遣欧使節は天正遣欧少年使節の31年後の慶長18年(1613年)10月28日~元和6年(1620年)8月24日だった。

☆第6回豊後街道を歩く 宮路~的石~肥後大津② http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-01-18
☆高野山麓の天然水「月のしずく」http://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/
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コメント 2

yakko

お早うございます。
少年使節のはなしは初めて知りました。
by yakko (2014-02-25 09:22) 

セイミー

ご訪問いただき有難うございます
by セイミー (2014-03-02 17:18) 

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