魅惑のスリランカ7日間 旅行記 その1. 2016年5月29日~30日 [海外のはなし]
魅惑のスリランカ7日間 旅行記 その1. 2016年5月29日~30日
紀元前3世紀にインド仏陀の成道の地・ボード・ガヤーから菩提樹の小枝が運ばれた
スリ・ランカは、光り輝く国(島)の意で、輝くのは宝石ではなく、仏と法と僧の三宝のこと。インド半島コモリン岬の東南に、ポツンと散在する島がスリランカ。スリランカとなったのは、1972年5月、バンダラナイケ政府の改称による。本来はサンスクリットノシンハラ・ドヴァーパ(獅子族)の国という意味。それが貿易に来たアラブ人によって、サラン・デイープと呼ばれ、ポルトガル人が更に訛ってサイランと呼び、セイロンとなった。島住民の最大多数は、シンハラ人で紀元前6世紀頃にこの島に渡来定住した。島の宗教分布は、仏教70%、ヒンドゥー教10%、イスラム教8.5%、キリスト教11.3%となる。仏教は紀元前3世紀にこの島にインドのアショカ王の時代、この島ではディーヴァーナンピア・テイッサ王の時代に伝来した。
インド北部のブッダ生誕から涅槃までの聖跡巡礼をしたいと思ったが、スペインサンティアゴ巡礼とは格段の困難さが予想されるので、ブッダがスリランカへ三度訪れたという伝説があり、紀元前1世紀以降の仏跡遺構が残るスリランカへ一度様子見に行こうと思い立った。旅物語の主催で参加者は、3名だった。
5月29日(日) 9時20分集合 第二ターミナル 11時20分出発
スリランカ航空(UL)455便 コロンボへ。座席は横2、4、2列の中4列の通路側で4席を独り占めだった。エメラルドブルーのサリーに身を包んだCAは皆体格が良く、2010年の情報で①身長が5フィートインチ(約159㎝以上)②体重は一定以下 ③英語堪能 ④容姿端麗 ⑤健康状態良好・・・の②が破られている。
コロンボ着 同日スリランカ時間16時42分。下界は緑一色のまさに緑の島。拙句「万緑の島丸ごとやスリランカ」「
着後バスで、ネゴンボへ。約15㎞/約30分 ガイド氏は「水路」と「水道」、「洪水」と「香水」の区別が分からないようでガイドの資質に不安がよぎる。
拙句「濁音でガイド質問ふ若葉風」
ネゴンボ:ペガサス リーフ ホテル
LTI PEGASUS HOTEL 011-2930205
部屋から見たプール
ペガサス リーフ ホテル
部屋着後、インド洋に面する庭園散策。すぐにガイドヘルプをしているという男に声をかけられる。「1mものトカゲがいるから」とついて来いという。海沿いに歩きホテル隣接の教会前に池に行った。そのトカゲを見ることはできなかった。帰り際にココナッツジュースはいらないか?と聞きココナッツの木に登ろうとする。「これはまたココナッツ獲りとジュース代を要求されるかと思い、お断りいした。
ホテル海岸側から、コロンボ市街を望む
「バッタン」という草
インド洋の夕景
部屋の設備は、浴槽のバスタブはあったが、湯を入れると蓋が浮き出て用を足さない。シ
ャワーを上に架かると水圧が弱いのか湯が出てこない。洗面の水はちょろちょろしか出ない。洋服ダンスの取っ手の枠が落下する。冷蔵庫の台が外れて、右下へ落ちて形向いた。我慢の限度を超えたので、部屋を変えてもらった。
5月30日(月) 朝食 7時 出発 8時
アヌラーダプラへ。約180km/5時間 12時30分にアヌラーダプラ到着後、カレーのランチ。バール(豆)、茄子、インゲン、目に良いというゴトガラ(苦心菜)、ザッパラ(魚)、パリズリパパラのカレー7種の具を白米でこねて食べる。
世界遺産 アヌラーダプラ観光の最初の観光地は、
途中でパイナップルを露店で
昼食レストラン
7種類のカレーがメイン
○イスルムニア精舎:8月の干ばつ時に雨乞いをした場所として造られた紀元前3世紀の建物が一部残される。岩肌に造られたダーガバ、極彩色に塗られた仏像のある本堂、貴重な発掘物を展示した宝物館。下の池には水浴びをする象の彫ものは4世紀のもの・・・。洞窟の金箔の仏像は14世紀のもの。
イスルムニア精舎
守護神像
水浴び象
階段の彫刻
柱の彫刻
極彩色の本堂
宝物館
岩山へ登る
仏陀の足跡
ここから北へ1.2㎞移動すると
○スリーマハー菩提樹:アヌダーダプラ大塔―釈尊はインドのブッタガヤにおいて、菩提樹の下で悟りを開いた。その枝がこの聖都アヌラーダプヤに移植されて2000年余大きくなった菩提樹は人々の礼拝の対象となる。今から2500年前、紀元前5世紀にまでさかのぼる。セイロン史の初代王ヴィジャヤ(前483~前455年)の大臣名あるいは、第4代王パンドゥカーバヤ(膳377~307年)の義理の兄であるアヌラーダの名をとったという。プラは、都の意。此の都に君臨した王たちは、だれも仏教に帰依した。特にドゥタ・ガーマニー王(第14代)―ルワンヴァリサーヤ大塔、ヴァッタガーマニー・アバヤ王(第19代)―アバヤギリ塔、マハーセナー王(第57代)―ジェータバナ塔 参考:中国の仏僧法顕著「法顕伝」
守護神像
スリーッマハー菩提樹
スリーッマハー菩提樹は、左横へ延び、支えによって守られている。入り口両側にはガードストーニフ(守護神像)が一対。七つ頭の蛇を頭の後ろに見せ、手に吉祥のつぼを持つ。
○ルワンウェリサーヤ仏塔:菩提樹の石門を抜け、長い石畳を歩くと左側に見える。参道には、猿、犬、水牛が、ガジュマルの木にはリスが走り回っている。生き物の共存だ。純白の大塔は、高さ55m、完成時には110mもあったという。
参道から見た大塔
A9号線でダンブッラへ。約65㎞/約1時間30分 途中、マンゴスチンを食べる。ホテルの部屋で飲むお酒も購入。
203号室と204号室の間に集中配水管が通っているようで、深夜ずっと放水の音で騒がしい。19時30分に夕食。
☆温泉夜話 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
☆高野山麓の天然水「月のしずく」http://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/
☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01
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紀元前3世紀にインド仏陀の成道の地・ボード・ガヤーから菩提樹の小枝が運ばれた
スリ・ランカは、光り輝く国(島)の意で、輝くのは宝石ではなく、仏と法と僧の三宝のこと。インド半島コモリン岬の東南に、ポツンと散在する島がスリランカ。スリランカとなったのは、1972年5月、バンダラナイケ政府の改称による。本来はサンスクリットノシンハラ・ドヴァーパ(獅子族)の国という意味。それが貿易に来たアラブ人によって、サラン・デイープと呼ばれ、ポルトガル人が更に訛ってサイランと呼び、セイロンとなった。島住民の最大多数は、シンハラ人で紀元前6世紀頃にこの島に渡来定住した。島の宗教分布は、仏教70%、ヒンドゥー教10%、イスラム教8.5%、キリスト教11.3%となる。仏教は紀元前3世紀にこの島にインドのアショカ王の時代、この島ではディーヴァーナンピア・テイッサ王の時代に伝来した。
インド北部のブッダ生誕から涅槃までの聖跡巡礼をしたいと思ったが、スペインサンティアゴ巡礼とは格段の困難さが予想されるので、ブッダがスリランカへ三度訪れたという伝説があり、紀元前1世紀以降の仏跡遺構が残るスリランカへ一度様子見に行こうと思い立った。旅物語の主催で参加者は、3名だった。
5月29日(日) 9時20分集合 第二ターミナル 11時20分出発
スリランカ航空(UL)455便 コロンボへ。座席は横2、4、2列の中4列の通路側で4席を独り占めだった。エメラルドブルーのサリーに身を包んだCAは皆体格が良く、2010年の情報で①身長が5フィートインチ(約159㎝以上)②体重は一定以下 ③英語堪能 ④容姿端麗 ⑤健康状態良好・・・の②が破られている。
コロンボ着 同日スリランカ時間16時42分。下界は緑一色のまさに緑の島。拙句「万緑の島丸ごとやスリランカ」「
着後バスで、ネゴンボへ。約15㎞/約30分 ガイド氏は「水路」と「水道」、「洪水」と「香水」の区別が分からないようでガイドの資質に不安がよぎる。
拙句「濁音でガイド質問ふ若葉風」
ネゴンボ:ペガサス リーフ ホテル
LTI PEGASUS HOTEL 011-2930205
部屋から見たプール
ペガサス リーフ ホテル
部屋着後、インド洋に面する庭園散策。すぐにガイドヘルプをしているという男に声をかけられる。「1mものトカゲがいるから」とついて来いという。海沿いに歩きホテル隣接の教会前に池に行った。そのトカゲを見ることはできなかった。帰り際にココナッツジュースはいらないか?と聞きココナッツの木に登ろうとする。「これはまたココナッツ獲りとジュース代を要求されるかと思い、お断りいした。
ホテル海岸側から、コロンボ市街を望む
「バッタン」という草
インド洋の夕景
部屋の設備は、浴槽のバスタブはあったが、湯を入れると蓋が浮き出て用を足さない。シ
ャワーを上に架かると水圧が弱いのか湯が出てこない。洗面の水はちょろちょろしか出ない。洋服ダンスの取っ手の枠が落下する。冷蔵庫の台が外れて、右下へ落ちて形向いた。我慢の限度を超えたので、部屋を変えてもらった。
5月30日(月) 朝食 7時 出発 8時
アヌラーダプラへ。約180km/5時間 12時30分にアヌラーダプラ到着後、カレーのランチ。バール(豆)、茄子、インゲン、目に良いというゴトガラ(苦心菜)、ザッパラ(魚)、パリズリパパラのカレー7種の具を白米でこねて食べる。
世界遺産 アヌラーダプラ観光の最初の観光地は、
途中でパイナップルを露店で
昼食レストラン
7種類のカレーがメイン
○イスルムニア精舎:8月の干ばつ時に雨乞いをした場所として造られた紀元前3世紀の建物が一部残される。岩肌に造られたダーガバ、極彩色に塗られた仏像のある本堂、貴重な発掘物を展示した宝物館。下の池には水浴びをする象の彫ものは4世紀のもの・・・。洞窟の金箔の仏像は14世紀のもの。
イスルムニア精舎
守護神像
水浴び象
階段の彫刻
柱の彫刻
極彩色の本堂
宝物館
岩山へ登る
仏陀の足跡
ここから北へ1.2㎞移動すると
○スリーマハー菩提樹:アヌダーダプラ大塔―釈尊はインドのブッタガヤにおいて、菩提樹の下で悟りを開いた。その枝がこの聖都アヌラーダプヤに移植されて2000年余大きくなった菩提樹は人々の礼拝の対象となる。今から2500年前、紀元前5世紀にまでさかのぼる。セイロン史の初代王ヴィジャヤ(前483~前455年)の大臣名あるいは、第4代王パンドゥカーバヤ(膳377~307年)の義理の兄であるアヌラーダの名をとったという。プラは、都の意。此の都に君臨した王たちは、だれも仏教に帰依した。特にドゥタ・ガーマニー王(第14代)―ルワンヴァリサーヤ大塔、ヴァッタガーマニー・アバヤ王(第19代)―アバヤギリ塔、マハーセナー王(第57代)―ジェータバナ塔 参考:中国の仏僧法顕著「法顕伝」
守護神像
スリーッマハー菩提樹
スリーッマハー菩提樹は、左横へ延び、支えによって守られている。入り口両側にはガードストーニフ(守護神像)が一対。七つ頭の蛇を頭の後ろに見せ、手に吉祥のつぼを持つ。
○ルワンウェリサーヤ仏塔:菩提樹の石門を抜け、長い石畳を歩くと左側に見える。参道には、猿、犬、水牛が、ガジュマルの木にはリスが走り回っている。生き物の共存だ。純白の大塔は、高さ55m、完成時には110mもあったという。
参道から見た大塔
A9号線でダンブッラへ。約65㎞/約1時間30分 途中、マンゴスチンを食べる。ホテルの部屋で飲むお酒も購入。
203号室と204号室の間に集中配水管が通っているようで、深夜ずっと放水の音で騒がしい。19時30分に夕食。
☆温泉夜話 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
☆高野山麓の天然水「月のしずく」http://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/
☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆海外温泉入浴珍道中 http://www.a-spa.co.jp/junyoku/matsuno.htm
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☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
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