「大友氏顕彰会フォーラム 親子で語ろう大友宗麟」に参加する!2013.12.01 [おんせん県おおいた]
「大友氏顕彰会フォーラム 親子で語ろう大友宗麟」に参加する!2013.12.01
会場のコンパルホール入り口で
大分市に住んですぐ、大手町の一角で「聖フランシスコ・ザビエル像」に出会った。なぜここに?フランシスコ・ザビエルは(1506~1552年)は、天文16年(1547年)マラッカで日本人ヤジローと出会い日本に行くことを決意し、二年後鹿児島に到着し布教活動を許された。その後、平戸、博多を経由して京都に行くが天皇や将軍に会えず引き返し、山口を経由して大分に入った。天文20年(1551年)9月、大友宗麟と会見しインドへ帰った。
大手町の一角にある「聖フランシスコ・ザビエル像」
大友宗麟の名は知ってはいたが、戦国時代どれほどの人物かはほとんど知なかった。
12月1日、図書館に行った時、たまたま当日「大友氏顕彰会フォーラム」を知り、13時からのフォーラムに最前列で講演を聞いた。
来賓には元総理大臣村山富市氏、釘宮磐大分市長などが参列。
第一部の講演は「次世代に伝える大友氏城下町」で大分市教育委員会文化財課特別顧問の玉永光洋氏、
第二部のパネルデスカッションでは作家の櫻田啓氏、臼杵市教育委員会文化財課神田高士氏、歌舞伎・舞台脚本家岩豪友樹子氏、NPO法人大友氏顕彰会事務局次長佐藤弘俊氏。
21代当主大友宗麟は、戦国時代の400年前に早くもアジアとの交流に目を向け、国際交易で域内の経済力を高めキリシタン大名として特異な存在だった。
当時、豊後で南蛮文化が花開き、日本で初めてという西洋音楽(1557年、日本人による聖歌隊、日本人少年によるビオラの演奏)、西洋演劇(1560年、アダムとイヴの演劇)、西洋式病院の建築・西洋式外科手術(1557年)、ボランティア精神の発祥、孤児院の建設など・・・。これらは長崎が最初かなと思っていたが。
別府湾に沈んだといわれる「瓜生島伝説にもなった沖の浜」調査のお話も興味が尽きない。是非海底発掘調査を喫緊に実施してもらいたいものだ。
第三部はアトラクションとして、大友宗麟ゆかりの「鶴崎踊」が披露された。
最後はNHK大河ドラマ誘致を目指して、エイ、エイ、オー!
フォーラムでの学習に触発されて、翌日早速大友氏ゆかりの史跡見学に出かけた。JR日豊本線とJR久大本線の別れ口の大分川周辺に散在している。県道21号線、錦町2丁目の交差点を南へ。右側に「大友館跡」が発掘調査中で、今日はお休みのようだ。
発掘されたのが、プレハブ小屋の中に見える
館跡地に柱の基礎岩が平地に置かれている。ビニールシートで覆われているのは、庭園・池のようだ。
線路ガードを越した左手に「旧万寿寺跡」その一角に「大友氏遺跡体験学習館」があり大分市職員が4名配置されている。ここで15分間の映像学習、発掘出土品や発掘の様子などを職員に聞くことができる。
10年余にわたる発掘・調査分析は途上で成果発表はまだまだのようだ。ごく一部の発掘品がショーケースに収められているが、写真撮影が禁止でとても残念。
近くの帆秋病院の近くで発掘調査をしているところへ行く。旧万寿寺跡の発掘で、病院の敷地内には五重塔があったといわれる。
旧万寿寺跡の発掘
大友氏ゆかりの商売の神様・稲荷社、
江戸時代に移転・再建された万寿寺、
1501年建立の来迎寺、
1387年大友氏11代親著が創建した大智寺を参拝・散策した。
万寿寺の境内に芭蕉句碑「花にあそふ虻な喰いそ友雀」1825年(文政7年)があった。大雄堂での修行僧か座禅の警策(きょうさく)「バシ!バシ!バシ!」の音が響いていた。大智寺入り口にある祠の小仏は生い茂る万両で覆われ、覗き見るようだ。「万両や小仏隠し覗き見よ」来迎寺境内に小仏群の脇に桃色の菊が咲いていた。来迎寺の境内の小仏群に寄り添うようにピンクの小菊が咲いている。
☆高野山麓の天然水「月のしずく」http://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/
☆旅と温泉の相談室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆スペイン「聖地サンティアゴ巡礼」の旅 初日サン・ジャン・ピエ・ド・ポーから
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2013-06-19
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会場のコンパルホール入り口で
大分市に住んですぐ、大手町の一角で「聖フランシスコ・ザビエル像」に出会った。なぜここに?フランシスコ・ザビエルは(1506~1552年)は、天文16年(1547年)マラッカで日本人ヤジローと出会い日本に行くことを決意し、二年後鹿児島に到着し布教活動を許された。その後、平戸、博多を経由して京都に行くが天皇や将軍に会えず引き返し、山口を経由して大分に入った。天文20年(1551年)9月、大友宗麟と会見しインドへ帰った。
大手町の一角にある「聖フランシスコ・ザビエル像」
大友宗麟の名は知ってはいたが、戦国時代どれほどの人物かはほとんど知なかった。
12月1日、図書館に行った時、たまたま当日「大友氏顕彰会フォーラム」を知り、13時からのフォーラムに最前列で講演を聞いた。
来賓には元総理大臣村山富市氏、釘宮磐大分市長などが参列。
第一部の講演は「次世代に伝える大友氏城下町」で大分市教育委員会文化財課特別顧問の玉永光洋氏、
第二部のパネルデスカッションでは作家の櫻田啓氏、臼杵市教育委員会文化財課神田高士氏、歌舞伎・舞台脚本家岩豪友樹子氏、NPO法人大友氏顕彰会事務局次長佐藤弘俊氏。
21代当主大友宗麟は、戦国時代の400年前に早くもアジアとの交流に目を向け、国際交易で域内の経済力を高めキリシタン大名として特異な存在だった。
当時、豊後で南蛮文化が花開き、日本で初めてという西洋音楽(1557年、日本人による聖歌隊、日本人少年によるビオラの演奏)、西洋演劇(1560年、アダムとイヴの演劇)、西洋式病院の建築・西洋式外科手術(1557年)、ボランティア精神の発祥、孤児院の建設など・・・。これらは長崎が最初かなと思っていたが。
別府湾に沈んだといわれる「瓜生島伝説にもなった沖の浜」調査のお話も興味が尽きない。是非海底発掘調査を喫緊に実施してもらいたいものだ。
第三部はアトラクションとして、大友宗麟ゆかりの「鶴崎踊」が披露された。
最後はNHK大河ドラマ誘致を目指して、エイ、エイ、オー!
フォーラムでの学習に触発されて、翌日早速大友氏ゆかりの史跡見学に出かけた。JR日豊本線とJR久大本線の別れ口の大分川周辺に散在している。県道21号線、錦町2丁目の交差点を南へ。右側に「大友館跡」が発掘調査中で、今日はお休みのようだ。
発掘されたのが、プレハブ小屋の中に見える
館跡地に柱の基礎岩が平地に置かれている。ビニールシートで覆われているのは、庭園・池のようだ。
線路ガードを越した左手に「旧万寿寺跡」その一角に「大友氏遺跡体験学習館」があり大分市職員が4名配置されている。ここで15分間の映像学習、発掘出土品や発掘の様子などを職員に聞くことができる。
10年余にわたる発掘・調査分析は途上で成果発表はまだまだのようだ。ごく一部の発掘品がショーケースに収められているが、写真撮影が禁止でとても残念。
近くの帆秋病院の近くで発掘調査をしているところへ行く。旧万寿寺跡の発掘で、病院の敷地内には五重塔があったといわれる。
旧万寿寺跡の発掘
大友氏ゆかりの商売の神様・稲荷社、
江戸時代に移転・再建された万寿寺、
1501年建立の来迎寺、
1387年大友氏11代親著が創建した大智寺を参拝・散策した。
万寿寺の境内に芭蕉句碑「花にあそふ虻な喰いそ友雀」1825年(文政7年)があった。大雄堂での修行僧か座禅の警策(きょうさく)「バシ!バシ!バシ!」の音が響いていた。大智寺入り口にある祠の小仏は生い茂る万両で覆われ、覗き見るようだ。「万両や小仏隠し覗き見よ」来迎寺境内に小仏群の脇に桃色の菊が咲いていた。来迎寺の境内の小仏群に寄り添うようにピンクの小菊が咲いている。
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