「源泉かけ流し宣言」高湯温泉に泊まり、裏磐梯、二本松菊人形展に行く! [温泉巡浴]
「源泉かけ流し宣言」高湯温泉に泊まり、裏磐梯、二本松菊人形展に行く!
2012.10.17~18
裏磐梯 五色沼
老人会の団体の添乗で福島県高湯温泉へ出かけた。途中、猪苗代湖畔・長浜にある中華料理「西湖」で朝食をとる。ここは野口英世博士ゆかりの宿「レークサイドホテルみなとや」のレストランでもある。野口英世博士は、大正10年(1915年)15年ぶりで翁島駅に降り立ち、翌日村の人々が港屋旅館(現在のレイクサイドホテルみなと)で歓迎会を盛大に開いたという。
野口英世博士ゆかりの宿「レークサイドホテルみなとや
昼食
猪苗代湖畔 長浜
昼食後は明治21年に磐梯山が爆裂した時にできたという桧原湖など湖沼群のうちの一つ五色沼へ立ち寄る。紅葉はまだ始まったばかりで、見ごろは10月20日過ぎという。中ノ沢、横向、土湯峠を経由して磐梯吾妻スカイラインを走る。天候は上々、山の眺望は見事で1200m以上は紅葉の真っ盛り。浄土平で休憩。吾妻小富士(標高1705m)へ登る観光の姿が小人のように見える。気温は15度で以外に暖かいと感じる。
五色沼
五色沼
吾妻小富士
磐梯吾妻スカイラインの下り
硫黄臭のする高湯温泉は永く安達屋、ふじ屋(旧信夫屋)、吾妻屋、玉屋(玉子湯)の四軒(昭和5年刊 温泉案内)だったが、昭和41年に13軒、昭和55年には20軒を数えた。昭和39年9月に飯坂温泉の姉妹店だったという「花月」が転売され「花月ハイランドホテル」としてオープンした。バブル崩壊後、平成2年をピークに一時減少傾向、平成14年以降増加傾向に転じ、ピーク時に並ぶ宿泊数を記録している。(高湯温泉400年史)
多くの温泉地が、レジオネラ菌対策と称して循環式に塩素殺菌で塩素臭がぷんぷんする利用者軽視の温泉地の中で、「源泉を守る」意気のある温泉地10ヶ所が「源泉かけ流し宣言」を行い、高湯温泉も全国で八番目に東北で初めて宣言をした。こうした源泉を大切にする姿勢、薬効高い自噴硫黄泉という泉質が長く人気を保ってきたのだと思う。
高湯温泉花月ハイランドホテルの部屋は、本館3階の和室で10畳に障子仕切りの周りを広い縁側で囲まれる。洗面所とトイレ室は感知式照明で同じ姿勢でいると照明が消えてしまう。室内の内装はリニューアルしたばかりのようだ。
浴室はフロントのある2階フロアから長い廊下を通って行く。大浴場と露天風呂に分かれる。双方を移動するには、浴衣を着替えて行かなければならない。露天風呂は木の湯船縁に石造り。源泉は透明で吐き出されるが、浴槽内は乳白色で、自分の体は全く見えない。源泉掛け流しというので湯船から湯があふれでるのかと思いきや湯船の中にある排出口からあふれる前にでていくので、湯船縁からは溢れないのだ。視覚的に私はとても不満である。あえてそうする合理性があるのだろうか? 露天風呂に隣接して洗い場が用意されているのは評価できる。ただ本館・新館の収容(70室298名)にしては洗い場が狭いかな。大浴場はL字型の湯船でとても広く、最大値4×9mくらいか。効能は高血圧症、動脈硬化症、切り傷、やけど、皮膚病、痔疾、慢性婦人病、糖尿病など。
花月ハイランドホテル全景(パンフレットから)
客室
露天風呂
大浴場
大浴場(パンフレットから)
夕食は1階の宴会場でいただいた。陶板焼き、鮪・甘海老・鰤のお造り、うどん、茶碗蒸し、煮物、香の物、ご飯にデザートはぶどう。老人会料金8,400円でお酒が1本付き。朝食は二の膳重ねでかまぼこ、焼き海苔、烏賊刺身、なめこの蕎麦の実和え、温泉玉子、鮭塩焼き、山菜味噌付けなど。
夕食膳
朝食膳
翌朝、散策に出かける。花月ハイランドホテルは一番標高の高いところで、下ると右手に温泉公園があり湯溜りの足湯がある。反対側に温泉神社が、石造りの祠は苔むしている。道路を隔てて吾妻屋、その下が薬師堂と安達屋、右側対面に平成15年にできた共同浴場「あったか湯」がある。年間約9万人の利用があるという。薬師堂入り口には、「吾妻山」銘の石碑(明治34年)があり、吾妻山信仰の印で吾妻山参拝に頂上まで行くことができない人々がここで参拝することで同じ功徳が得られるという。40段の階段を登ると薬師堂、右手に庚申塔や首無し地蔵様がある。戊辰の役の際、新政府軍に侵攻に備えて、米沢藩が国境の警備をやりやすくするために高湯温泉を焼き払ったという。残ったのは薬師如来のみだった。駐車場下には自家源泉の滝の湯があり、木樋による自然に湯を冷ます「源泉かけ流し」の仕掛けを見ることができる。
温泉公園
温泉神社
薬師堂と「吾妻山」石碑
高湯温泉・共同浴場 あったか湯(パンフレットから)
駐車場下には自家源泉の滝の湯
2日目の観光は、二本松菊人形展に行く。昨年、今年と被災地福島観光誘致策として無料で公開している。規模は従来の5分の一ほどで人員配置も人件費削減のためか少なく、何度か行ったことのあるものにとっては、無料だから仕方がないかとの印象だ。今回初めて城址内に残る唯一の江戸期の建築物「洗心亭」に行き会場の全景を眺めた。「洗心亭」は空いていなかった。
途中、フルーツ街道沿いでりんご園に寄る
二本松菊人形展パンフレット
二本松城址前の二本松少年隊像
江戸時代の建築 洗心亭
エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
旧街道をあるく旅 http://aaspa.web.fc2.com/index-tabi.html
2012.10.17~18
裏磐梯 五色沼
老人会の団体の添乗で福島県高湯温泉へ出かけた。途中、猪苗代湖畔・長浜にある中華料理「西湖」で朝食をとる。ここは野口英世博士ゆかりの宿「レークサイドホテルみなとや」のレストランでもある。野口英世博士は、大正10年(1915年)15年ぶりで翁島駅に降り立ち、翌日村の人々が港屋旅館(現在のレイクサイドホテルみなと)で歓迎会を盛大に開いたという。
野口英世博士ゆかりの宿「レークサイドホテルみなとや
昼食
猪苗代湖畔 長浜
昼食後は明治21年に磐梯山が爆裂した時にできたという桧原湖など湖沼群のうちの一つ五色沼へ立ち寄る。紅葉はまだ始まったばかりで、見ごろは10月20日過ぎという。中ノ沢、横向、土湯峠を経由して磐梯吾妻スカイラインを走る。天候は上々、山の眺望は見事で1200m以上は紅葉の真っ盛り。浄土平で休憩。吾妻小富士(標高1705m)へ登る観光の姿が小人のように見える。気温は15度で以外に暖かいと感じる。
五色沼
五色沼
吾妻小富士
磐梯吾妻スカイラインの下り
硫黄臭のする高湯温泉は永く安達屋、ふじ屋(旧信夫屋)、吾妻屋、玉屋(玉子湯)の四軒(昭和5年刊 温泉案内)だったが、昭和41年に13軒、昭和55年には20軒を数えた。昭和39年9月に飯坂温泉の姉妹店だったという「花月」が転売され「花月ハイランドホテル」としてオープンした。バブル崩壊後、平成2年をピークに一時減少傾向、平成14年以降増加傾向に転じ、ピーク時に並ぶ宿泊数を記録している。(高湯温泉400年史)
多くの温泉地が、レジオネラ菌対策と称して循環式に塩素殺菌で塩素臭がぷんぷんする利用者軽視の温泉地の中で、「源泉を守る」意気のある温泉地10ヶ所が「源泉かけ流し宣言」を行い、高湯温泉も全国で八番目に東北で初めて宣言をした。こうした源泉を大切にする姿勢、薬効高い自噴硫黄泉という泉質が長く人気を保ってきたのだと思う。
高湯温泉花月ハイランドホテルの部屋は、本館3階の和室で10畳に障子仕切りの周りを広い縁側で囲まれる。洗面所とトイレ室は感知式照明で同じ姿勢でいると照明が消えてしまう。室内の内装はリニューアルしたばかりのようだ。
浴室はフロントのある2階フロアから長い廊下を通って行く。大浴場と露天風呂に分かれる。双方を移動するには、浴衣を着替えて行かなければならない。露天風呂は木の湯船縁に石造り。源泉は透明で吐き出されるが、浴槽内は乳白色で、自分の体は全く見えない。源泉掛け流しというので湯船から湯があふれでるのかと思いきや湯船の中にある排出口からあふれる前にでていくので、湯船縁からは溢れないのだ。視覚的に私はとても不満である。あえてそうする合理性があるのだろうか? 露天風呂に隣接して洗い場が用意されているのは評価できる。ただ本館・新館の収容(70室298名)にしては洗い場が狭いかな。大浴場はL字型の湯船でとても広く、最大値4×9mくらいか。効能は高血圧症、動脈硬化症、切り傷、やけど、皮膚病、痔疾、慢性婦人病、糖尿病など。
花月ハイランドホテル全景(パンフレットから)
客室
露天風呂
大浴場
大浴場(パンフレットから)
夕食は1階の宴会場でいただいた。陶板焼き、鮪・甘海老・鰤のお造り、うどん、茶碗蒸し、煮物、香の物、ご飯にデザートはぶどう。老人会料金8,400円でお酒が1本付き。朝食は二の膳重ねでかまぼこ、焼き海苔、烏賊刺身、なめこの蕎麦の実和え、温泉玉子、鮭塩焼き、山菜味噌付けなど。
夕食膳
朝食膳
翌朝、散策に出かける。花月ハイランドホテルは一番標高の高いところで、下ると右手に温泉公園があり湯溜りの足湯がある。反対側に温泉神社が、石造りの祠は苔むしている。道路を隔てて吾妻屋、その下が薬師堂と安達屋、右側対面に平成15年にできた共同浴場「あったか湯」がある。年間約9万人の利用があるという。薬師堂入り口には、「吾妻山」銘の石碑(明治34年)があり、吾妻山信仰の印で吾妻山参拝に頂上まで行くことができない人々がここで参拝することで同じ功徳が得られるという。40段の階段を登ると薬師堂、右手に庚申塔や首無し地蔵様がある。戊辰の役の際、新政府軍に侵攻に備えて、米沢藩が国境の警備をやりやすくするために高湯温泉を焼き払ったという。残ったのは薬師如来のみだった。駐車場下には自家源泉の滝の湯があり、木樋による自然に湯を冷ます「源泉かけ流し」の仕掛けを見ることができる。
温泉公園
温泉神社
薬師堂と「吾妻山」石碑
高湯温泉・共同浴場 あったか湯(パンフレットから)
駐車場下には自家源泉の滝の湯
2日目の観光は、二本松菊人形展に行く。昨年、今年と被災地福島観光誘致策として無料で公開している。規模は従来の5分の一ほどで人員配置も人件費削減のためか少なく、何度か行ったことのあるものにとっては、無料だから仕方がないかとの印象だ。今回初めて城址内に残る唯一の江戸期の建築物「洗心亭」に行き会場の全景を眺めた。「洗心亭」は空いていなかった。
途中、フルーツ街道沿いでりんご園に寄る
二本松菊人形展パンフレット
二本松城址前の二本松少年隊像
江戸時代の建築 洗心亭
エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
旧街道をあるく旅 http://aaspa.web.fc2.com/index-tabi.html
コメント 0