中国東北部の温泉巡り その2 鞍山湯崗子(とうこうし・タンガンズーウェンチュエン)温泉 [海外のはなし]
その2 鞍山湯崗子(とうこうし・タンガンズーウェンチュエン)温泉
ラストエンペラー溥儀が入浴した「龍池」
鞍山湯崗子(とうこうし・タンガンズーウェンチュエン)温泉は、旧満州時代に日本人が好んで利用された有名な温泉地で、当時から高級な温泉地として施設が整っていた。旧満州国皇帝溥儀も「自伝わが半生」で日本風洋館で施設が豪華で、料理も美味しかったとの記述を残している。温泉の歴史は古く、貞観18年(644年)に太宗の東征時に湯崗子温泉で座湯をしてたいそう悦んだと記録に残る。
昭和初期の湯崗子温泉「対翠閣」(昭和6年版 温泉案内から)
1904年、帝政ロシアに接収され軍の療養所が設けられ、1905年には日露戦争に勝利した日本がその権益を引き継ぎ、陸軍はここに総司令部と転地療養所を設けた。温泉は旧満鉄の所有となり大開発し日本旅館龍宮温泉対翠閣を建設した。昭和6年の「温泉案内」によると、当時旅館対翠閣の他に玉泉館と日帰り入浴の清林館があった。この頃には日露戦争時の療養所だった清林館の浴槽が存在していた。
湯崗子温泉街入り口
荷花湖遊歩道の一角
1931年、満州皇帝になる前のラストエンペラー溥儀は、湯崗子温泉対翠閣に1週間滞在し、新聞記者に「我は満州皇帝になろうと思う」と表明したことで有名。ラストエンペラー溥儀が入浴したという浴室が今でも残っている。溥儀を迎えるため、対翠閣が溥儀風呂「龍池」と皇后風呂「鳳池」を造った。対翠閣は1997年に宿名を「龍宮」と改称し、龍宮城を模した建物にリニュアルし観光客を誘致した。泉温は57~65度のカルシウム・ナトリウム・硫黄・マグネシウムを含む温泉、アルカリ性の肌がつるつるする温泉。現在は大きな池「荷花湖」を中心に宿泊施設が整っていて温泉街をかたどっている。熊岳城から湯崗子温泉へは、長距離バスで行くことにした。三輪車(4元)でバスターミナルへ行き、出発の13時20分までに食事をとる。薄い手袋をつけてダイナミックに食べる太骨、蚕を揚げた蚕踊、牡蠣・ホタテ・ホッキ貝を焼いたものなど75元。ここは食材を指さして調理してもらうのだ。
蚕を揚げた蚕踊、なかなか美味しい。
食材の魚が陳列
熊岳城から鞍山駅までの長距離バス
バスは2列目に乗る。最初は2人だけ。1時間ほどしてどっと乗ってきたが、窮屈なのに皆前の方に座っている。そのうちに時代のもののDVDが上映され、皆その画面に釘付け。バスの前方に座る理由はそこだった。日本の観光バスのように中間にテレビ画面が無いので、前に来ないと見えないのだった。鞍山近くになると何キロメートルものデントコーン畑だ。飼料用に牧場でもあるのか。実は湯崗子温泉は、日本で玉泉館の予約を取っていたが、熊岳城で知り合った日本語がちょっと話せる人が、「龍宮温泉は、日本人は泊まることができないそうで、やむなく玉泉館にした」というと「私の知り合いが湯崗子温泉にいるから予約を取らせる。大丈夫だから」というので「玉泉館」の予約をキャンセルした。ところが、ロシア人の客で毎日満室だと・・・。それでどうしてくれる?といったら、「大丈夫、400元のいいホテルを予約したから」という訳でそのホテルにタクシーで行った。
鞍山駅
湯崗子温泉「七病区」というホテル
「七病区」のロビー
客室
客室のバストイレ
「七病区」というホテルで、ロシア人を誘致するために治療用のお客を受け入れているホテルの一つだった。ここでは九病区までのホテルがあるから、昔からある竜宮温泉、玉泉館、日帰り対応の清林館に迎賓楼、七号楼、全泥宮、友誼宮、官庁区この九ヶ所の療養所やら宿泊施設があるらしい。皮膚科という棟もあった。宿のフロントには看護婦帽子をかぶった女性がいた。温泉地には医者が常駐し、各療養所で必要があれば療養施設にある処置室で、治療も行われるようだ。療養目的の宿泊施設のようだが、部屋はバストイレ付きの一般のホテルと変わらない。結局、宿泊料金は230元だった。龍宮温泉は260元、玉泉館は260元だった。湯崗子温泉は、外国人の誘致に熱心で、ハバロフスクなど国境に近い各都市から腰痛、関節痛、糖尿病などロシア人の観光客が年間5,000人、1週間から1ヶ月湯治とレジャーを兼ねて滞在するという。最近では女性の不妊治療目的が注目されている。
中心の池「荷花湖」の中に島があり展望台がある。周りは煉瓦を敷き詰めた遊歩道が整備されていて、ロシア人たちの散策の姿が目立つ。
龍宮温泉に入浴に出かけた。皇帝の「龍池」に入浴したいとガイドブックを示してようやく通じた。ただ予約が必要で18時以降に来なさいという。出直して、18時30分に行きなおした。
荷花湖にある島の遊歩道
龍宮温泉正面
龍宮温泉のロビー
龍宮温泉の客室への廊下
龍宮温泉「龍池」への入り口
「龍池」の更衣室・休憩用のベットがある。
「龍池」浴室
浴室の天井
浴室の左側のタイル絵
浴室の奥の部屋・マッサージ室か?
温泉プール(パンフレットから)
皇后用の「鳳池」(パンフレットから)
レストラン(パンフレットから)
一般客室(パンフレットから)
龍宮温泉の豪華客室(パンフレットから)
入浴料金240元を支払う。通常の浴室・温泉プールの入り口と分かれて、地下へ降りたところ。階段正面に浦島太郎のタイル絵が描かれている。更衣室には鍵がかかり、ダブルサイズのベット、鏡台、洋服ダンスがある。浴室は10畳敷きほどの広さ。大理石造りで浴槽は直径3mの円形。底は5角型の台形で8個、中心に排出口をふさぐ木の栓がついている。足にひっかけてはずしてしまい、あわてて栓をねじ込む。側面の下の穴から湯がでてくる。天井は鉄骨に支えられた帽子型に龍の絵が何十個と描かれている。側面は煉瓦壁で左側には大海原に五艘の帆船が描かれ、右側には長方形の窓が二つ。奥の部屋には、水と温泉の蛇口があり、その下に大きなバケツと洗面器。籐造りのベット二台にシャワーが三ヶ所。入浴後はここでマッサージや垢すりなどをして優雅に過ごしたのだろう。この二時間の意味は大きい。ヨーロッパ風の感覚でこの時間なのだ。日本人なら、1回1時間にして回転効率を早めた方がよいのにと思ってしまうのでは。ここでもパンフレットをいただくのに苦労をした。ここで拙句「皇帝と湯屋で語らふ十六夜」
「七病区」での夕食は25元、朝食は宿泊料金に含まれていた。観光客はほとんどがロシア人で皆恰幅がよい老人達だ。朝食は7時~8時までで、7時40分くらいからお客が食事中に片づけや掃除を堂々としている。入り口では残飯をどんどん所定の入れ物に放り投げ、お皿も乱暴に積み上げる。とても騒々しくて近くでは食べてはいられない。8時までに従業員は片づけや掃除を終えて、昼食の用意もすませるつもりのようだ。これでは日本人観光客の誘致は成功しないだろう。
「七病区」のレストラン
バイキングの料理の一部
翌日、朝食前の散歩で、温泉街を散策する。予約を一旦しながら、キャンセルをしてしまった「玉泉館」にも足を運んだ。歴史を感じさせる豪華なホテルでキャンセルを後悔する。
ところどころに源泉口があり、湯気を立てている。
荷花湖の遊歩道
玉泉館の全景
玉泉館
玉泉館のロビー
玉泉館のロビーに掲げられた額
玉泉館の温泉プール(パンフレットから)
玉泉館の客室(パンフレットから)
朝食後に 全泥館に行き、泥湯を体験した。この泥は、数億年前に火山が噴火した時の花崗岩の灰を採取して、温泉を混ぜて蒸しあげて作られたもので結構硬い。100元を支払うとバスタオルとフェイスタオル、サンダルと旧式の鍵を受け取る。更衣室で着替えて、泥湯の体育館のような大会場に移動する。四方には泥湯の場所があり、すでに7~8人のお客に泥土をかけている従業員がいる。一人分横たわる用の穴を堀り、土の塊をスコップでどんどんと全身にかける。胸の部分は避けている。スコップを振り上げる音が耳元で聞こえる。スコップの裏で身体に乗せられた塊の泥を砕く。まだかまだかと15分間がすぎるのを待つ。重い、熱い・・・・。その後はシャワーで泥を流し、温泉に入る。この後から、どうも体が熱く、だるい症状を感じる。
全泥館のドーム全景
全泥館の正面
全泥館の受付フロント
全泥館の更衣室
ドームの中に温泉浴槽と泥湯室
泥湯のスコップで泥をかけている様子
湯崗子駅に戻り、ここで乗り合いの知り合いの友人達3人が落ち合い、大連までタクシーで一人100元の約束で、11時30分発移動する。途中で1人乗り込み計4名になる。運転手は若い人。大連の直前の三十里保PAで大連から来る普通自動車を20分ほど待つ。安く運行するのに渋滞を避けて、やりくりをしているようだ。結局3時間30分かかって大連駅まで来た。
エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
旧街道をあるく旅 http://aaspa.web.fc2.com/index-tabi.html
温泉グッズ 譲ります、譲ってください。http://www.a-spa.co.jp/mania/index.html
ラストエンペラー溥儀が入浴した「龍池」
鞍山湯崗子(とうこうし・タンガンズーウェンチュエン)温泉は、旧満州時代に日本人が好んで利用された有名な温泉地で、当時から高級な温泉地として施設が整っていた。旧満州国皇帝溥儀も「自伝わが半生」で日本風洋館で施設が豪華で、料理も美味しかったとの記述を残している。温泉の歴史は古く、貞観18年(644年)に太宗の東征時に湯崗子温泉で座湯をしてたいそう悦んだと記録に残る。
昭和初期の湯崗子温泉「対翠閣」(昭和6年版 温泉案内から)
1904年、帝政ロシアに接収され軍の療養所が設けられ、1905年には日露戦争に勝利した日本がその権益を引き継ぎ、陸軍はここに総司令部と転地療養所を設けた。温泉は旧満鉄の所有となり大開発し日本旅館龍宮温泉対翠閣を建設した。昭和6年の「温泉案内」によると、当時旅館対翠閣の他に玉泉館と日帰り入浴の清林館があった。この頃には日露戦争時の療養所だった清林館の浴槽が存在していた。
湯崗子温泉街入り口
荷花湖遊歩道の一角
1931年、満州皇帝になる前のラストエンペラー溥儀は、湯崗子温泉対翠閣に1週間滞在し、新聞記者に「我は満州皇帝になろうと思う」と表明したことで有名。ラストエンペラー溥儀が入浴したという浴室が今でも残っている。溥儀を迎えるため、対翠閣が溥儀風呂「龍池」と皇后風呂「鳳池」を造った。対翠閣は1997年に宿名を「龍宮」と改称し、龍宮城を模した建物にリニュアルし観光客を誘致した。泉温は57~65度のカルシウム・ナトリウム・硫黄・マグネシウムを含む温泉、アルカリ性の肌がつるつるする温泉。現在は大きな池「荷花湖」を中心に宿泊施設が整っていて温泉街をかたどっている。熊岳城から湯崗子温泉へは、長距離バスで行くことにした。三輪車(4元)でバスターミナルへ行き、出発の13時20分までに食事をとる。薄い手袋をつけてダイナミックに食べる太骨、蚕を揚げた蚕踊、牡蠣・ホタテ・ホッキ貝を焼いたものなど75元。ここは食材を指さして調理してもらうのだ。
蚕を揚げた蚕踊、なかなか美味しい。
食材の魚が陳列
熊岳城から鞍山駅までの長距離バス
バスは2列目に乗る。最初は2人だけ。1時間ほどしてどっと乗ってきたが、窮屈なのに皆前の方に座っている。そのうちに時代のもののDVDが上映され、皆その画面に釘付け。バスの前方に座る理由はそこだった。日本の観光バスのように中間にテレビ画面が無いので、前に来ないと見えないのだった。鞍山近くになると何キロメートルものデントコーン畑だ。飼料用に牧場でもあるのか。実は湯崗子温泉は、日本で玉泉館の予約を取っていたが、熊岳城で知り合った日本語がちょっと話せる人が、「龍宮温泉は、日本人は泊まることができないそうで、やむなく玉泉館にした」というと「私の知り合いが湯崗子温泉にいるから予約を取らせる。大丈夫だから」というので「玉泉館」の予約をキャンセルした。ところが、ロシア人の客で毎日満室だと・・・。それでどうしてくれる?といったら、「大丈夫、400元のいいホテルを予約したから」という訳でそのホテルにタクシーで行った。
鞍山駅
湯崗子温泉「七病区」というホテル
「七病区」のロビー
客室
客室のバストイレ
「七病区」というホテルで、ロシア人を誘致するために治療用のお客を受け入れているホテルの一つだった。ここでは九病区までのホテルがあるから、昔からある竜宮温泉、玉泉館、日帰り対応の清林館に迎賓楼、七号楼、全泥宮、友誼宮、官庁区この九ヶ所の療養所やら宿泊施設があるらしい。皮膚科という棟もあった。宿のフロントには看護婦帽子をかぶった女性がいた。温泉地には医者が常駐し、各療養所で必要があれば療養施設にある処置室で、治療も行われるようだ。療養目的の宿泊施設のようだが、部屋はバストイレ付きの一般のホテルと変わらない。結局、宿泊料金は230元だった。龍宮温泉は260元、玉泉館は260元だった。湯崗子温泉は、外国人の誘致に熱心で、ハバロフスクなど国境に近い各都市から腰痛、関節痛、糖尿病などロシア人の観光客が年間5,000人、1週間から1ヶ月湯治とレジャーを兼ねて滞在するという。最近では女性の不妊治療目的が注目されている。
中心の池「荷花湖」の中に島があり展望台がある。周りは煉瓦を敷き詰めた遊歩道が整備されていて、ロシア人たちの散策の姿が目立つ。
龍宮温泉に入浴に出かけた。皇帝の「龍池」に入浴したいとガイドブックを示してようやく通じた。ただ予約が必要で18時以降に来なさいという。出直して、18時30分に行きなおした。
荷花湖にある島の遊歩道
龍宮温泉正面
龍宮温泉のロビー
龍宮温泉の客室への廊下
龍宮温泉「龍池」への入り口
「龍池」の更衣室・休憩用のベットがある。
「龍池」浴室
浴室の天井
浴室の左側のタイル絵
浴室の奥の部屋・マッサージ室か?
温泉プール(パンフレットから)
皇后用の「鳳池」(パンフレットから)
レストラン(パンフレットから)
一般客室(パンフレットから)
龍宮温泉の豪華客室(パンフレットから)
入浴料金240元を支払う。通常の浴室・温泉プールの入り口と分かれて、地下へ降りたところ。階段正面に浦島太郎のタイル絵が描かれている。更衣室には鍵がかかり、ダブルサイズのベット、鏡台、洋服ダンスがある。浴室は10畳敷きほどの広さ。大理石造りで浴槽は直径3mの円形。底は5角型の台形で8個、中心に排出口をふさぐ木の栓がついている。足にひっかけてはずしてしまい、あわてて栓をねじ込む。側面の下の穴から湯がでてくる。天井は鉄骨に支えられた帽子型に龍の絵が何十個と描かれている。側面は煉瓦壁で左側には大海原に五艘の帆船が描かれ、右側には長方形の窓が二つ。奥の部屋には、水と温泉の蛇口があり、その下に大きなバケツと洗面器。籐造りのベット二台にシャワーが三ヶ所。入浴後はここでマッサージや垢すりなどをして優雅に過ごしたのだろう。この二時間の意味は大きい。ヨーロッパ風の感覚でこの時間なのだ。日本人なら、1回1時間にして回転効率を早めた方がよいのにと思ってしまうのでは。ここでもパンフレットをいただくのに苦労をした。ここで拙句「皇帝と湯屋で語らふ十六夜」
「七病区」での夕食は25元、朝食は宿泊料金に含まれていた。観光客はほとんどがロシア人で皆恰幅がよい老人達だ。朝食は7時~8時までで、7時40分くらいからお客が食事中に片づけや掃除を堂々としている。入り口では残飯をどんどん所定の入れ物に放り投げ、お皿も乱暴に積み上げる。とても騒々しくて近くでは食べてはいられない。8時までに従業員は片づけや掃除を終えて、昼食の用意もすませるつもりのようだ。これでは日本人観光客の誘致は成功しないだろう。
「七病区」のレストラン
バイキングの料理の一部
翌日、朝食前の散歩で、温泉街を散策する。予約を一旦しながら、キャンセルをしてしまった「玉泉館」にも足を運んだ。歴史を感じさせる豪華なホテルでキャンセルを後悔する。
ところどころに源泉口があり、湯気を立てている。
荷花湖の遊歩道
玉泉館の全景
玉泉館
玉泉館のロビー
玉泉館のロビーに掲げられた額
玉泉館の温泉プール(パンフレットから)
玉泉館の客室(パンフレットから)
朝食後に 全泥館に行き、泥湯を体験した。この泥は、数億年前に火山が噴火した時の花崗岩の灰を採取して、温泉を混ぜて蒸しあげて作られたもので結構硬い。100元を支払うとバスタオルとフェイスタオル、サンダルと旧式の鍵を受け取る。更衣室で着替えて、泥湯の体育館のような大会場に移動する。四方には泥湯の場所があり、すでに7~8人のお客に泥土をかけている従業員がいる。一人分横たわる用の穴を堀り、土の塊をスコップでどんどんと全身にかける。胸の部分は避けている。スコップを振り上げる音が耳元で聞こえる。スコップの裏で身体に乗せられた塊の泥を砕く。まだかまだかと15分間がすぎるのを待つ。重い、熱い・・・・。その後はシャワーで泥を流し、温泉に入る。この後から、どうも体が熱く、だるい症状を感じる。
全泥館のドーム全景
全泥館の正面
全泥館の受付フロント
全泥館の更衣室
ドームの中に温泉浴槽と泥湯室
泥湯のスコップで泥をかけている様子
湯崗子駅に戻り、ここで乗り合いの知り合いの友人達3人が落ち合い、大連までタクシーで一人100元の約束で、11時30分発移動する。途中で1人乗り込み計4名になる。運転手は若い人。大連の直前の三十里保PAで大連から来る普通自動車を20分ほど待つ。安く運行するのに渋滞を避けて、やりくりをしているようだ。結局3時間30分かかって大連駅まで来た。
エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm
温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html
旧街道をあるく旅 http://aaspa.web.fc2.com/index-tabi.html
温泉グッズ 譲ります、譲ってください。http://www.a-spa.co.jp/mania/index.html