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添乗奇談快談9.東武ワールドスクェアでお客が行方不明! [添乗奇談快談]

添乗奇談快談9. 東武ワールドスクェアでお客が行方不明!

夏の快晴で旅行日和、那須温泉サンバレー那須に行く途次、東武ワールドスクェアでの観光・昼食をとった時の話である。栃木県鬼怒川温泉の手前、藤原村には日光江戸村、ウエスタン村、日光猿軍団、東武ワールドスクェアなど大型の観光スポットが集中している。東武ワールドスクェアは、世界の遺跡と建築文化を守ろう!をテーマに世界各国の有名な建築物を25分の一に縮小した精巧な建築物を展示した日本で初めての観光施設だった。

観光バスが10時30分頃に到着して1時間の観光後、園内のレストランで昼食が用意されていた。45人のお客様は、昼食時間までそれぞれ自由に6つのゾーンに分けられた世界一周の旅へと出かけた。約8万㎡の広大な敷地に東武の名にちなんで「102(とうぶ)」の建築物、万里の長城、凱旋門、エッフェル塔、タージマハール、アンコールワットなどを見て廻っていた。そして昼食時間に全員が集まっていると思ったら、1人分だけ席が空いていた。そのうちに来るだろうと思っていたが、昼食時間が過ぎてもまだ来ない。

それで案内所に幹事さんと出かけて「昼食に来ない行方不明の人がいるので、園内放送をして欲しい」と頼むと受付嬢は「当社の規定で、緊急事態以外放送はしておりません」という。幹事さんはとっさに「人間が一人行方不明なのが、なぜ緊急事態で無いんだ!」と怒鳴りつけた。受付嬢はようやくしぶしぶ放送をしてくれた。それでも彼は出てこなかった。

仕方が無いので、彼の顔を知っている数人に園内のトイレの中や建築物周辺を見てもらったが、それでもわからなかった。それではとベンチかどこかに寝ているのかも知れない、と再度私も
彼の友人と探索に行った。

友人は「あの人かも知れない!」とベンチに横になって寝ている人の顔を覗き込んだ。「おい!吉野君!」彼は寝ぼけ眼で起き上がり「酒に酔ってしまいここに到着してすぐにベンチで寝込んでしまった・・・・」酔ってベンチで寝ていたのでは、放送をしても効果が無かったわけだ。彼がどこの国のベンチで寝ていたのかは、私も覚えていない。浅草など屋外で迷子や行方不明事件はよくある話だが、園内での不明事件は珍しい。

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温泉夜話 前川千帆著「版画浴泉譜」に出会う! [温泉マニア]

 2005年9月、東京神田神保町の三田アート画廊を訪ね、版画家川瀬巳水(かわせ はすい)の原画を探した折に、前川千帆(まえかわ せんぱん)の存在を知った。明治21年生まれの漫画家・版画家で後年、全国の温泉地を描いた作者である。インターネットで浴泉譜シリーズ「版画浴泉譜」「版画續浴泉譜」「版画續續浴泉譜」、さらに戦後それらを本で紹介した「版画浴泉譜」を知った。図書館で探して、本の「版画浴泉譜」は手元に取り寄せることができたが、版画の方は国会図書館にしかないことが判った。
 10月12日、国会図書館に行き、「版画浴泉譜」にようやく出合った。「續浴泉譜」や「續続浴泉譜」は、残念ながらなかった。
 
 昭和16年発刊の「版画浴泉譜」は、木版画摺りの大画集で、七寸×七寸に収めて、全国の温泉場の情景二十景を版画で描き、前川千帆のコメントを添えている。第一集の「版画浴泉譜」は、北から洞爺湖、定山渓、赤湯、遠刈田、青根、松之山、黒薙、日光湯元、川治、梨木、伊香保、法師、四万、戸倉、上諏訪、野沢、別所、伊豆山、土肥、式根島の20ヶ所を収録している。第三集が完成したのは、十数年後という。63年前の版画で幾らか色あせているようだが、有名温泉地の他に、湯治宿のマイナーな温泉地も取り上げていて、昭和中期の温泉事情を垣間見ることができる。ちなみにこの作品は、前川千帆が47歳の時(1941年)の作品で、1961年に72歳でなくなったので、意欲的に製作していた版画の円熟期といえようか。特に第二集は、戦時中の製作で、連日空襲警報のなる中、製作資材に難渋した時代だったと彼は後に語っている。この後、1954年頃まで「朝の浴場」「温泉宿」など、温泉や温泉場にこだわった作品を作り続けている。
 
 それぞれの作品に付けられたコメントがなかなか面白い。「洞爺湖」では「此処で始めてザリガニを教えられる。宿で始めて試食してみた。蝦のやうでもなく蟹のやうでもなく、不味くて食べなかった」私は道産子で、子供のころ川でザリガニを採って、よくストーブの上で焼いて食べたものだった。「遠刈田」では、「蔵王山の山麓にある田舎臭い湯治場・・・一つの共同湯に床屋が寄生している。一つの共同湯にうどんやが同居している。一つの共同湯には、先年の大火以来廃屋になっていて、空きの浴槽の溜まり場で婆さんが洗濯をしている」又、梨木温泉は、今でも静かな一軒宿だが、「部屋部屋の鉄瓶が何百と廊下に並ぶという大所帯の宿。近在の湯治客で賑わう。・・・開墾地に熊が出没するという噂。・・・夏になると1000人に近い客がきたらしい」など時代を映す資料としても貴重な作品である。
 昭和29年に第三集にわたる「版画浴泉譜」大画集を龍泉閣から書籍として発行された。

北海道洞爺湖


法師温泉

四万温泉

浅間温泉

湯涌温泉

城崎温泉

箱入りの立派な装丁で、最初の「洞爺湖」、四万、浅間、湯涌のみがカラーで、後の56ヶ所は単色である。著者は原画を単色にすることで原画と異なった印象になることを心配したが、「単色は単色なリに相当面白く見てもらえる事が判って安心した」とあとがきに語っている。われわれにとっては、書籍によって真近かに手にとって知ることができたわけで、改めて、原画の第二、第三集の発見に夢をつなげて行きたい。(2005.10記に訂正加筆)

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添乗奇談快談8.東都観光バス、廃車寸前の「だるま型」バスが来た! [添乗奇談快談]

添乗奇談快談8. 東都観光バス、廃車寸前のバスが来た!

1980年(昭和55年)頃、私は1泊2日の練馬豊玉地区老人会旅行の添乗員として、バスの配車場所で観光バスを待っていた。東都観光バスが来て、車内に入って驚いた。車内のあちこちが錆びて、天井には扇風機が下がっている。こんなバスはしばらく見たことがない。三菱の通称「だるま型」と呼ばれる当時でも古い型のバスだった。観光バスの前方から見ると上部が円形で「だるまさん」の顔に似ているから名づけられたと思う。「だるま型」の前の型は、「ボンネット型」だったと思う。

行き先は覚えていないが、当日は何とか故障もしないで一泊し、翌日たまたま運転手の前にある速度計をじっと見ていると、速度計の針が動いていないことに気がついた。休憩時間に運転手に「速度計の針が動いていないよ。大丈夫か?」と訪ねると、運転手は「や~気がつきましたか?実はこの観光バスはこの仕事が終わったら、廃車することになっているんです」という。「え~っ廃車寸前のバスなんかもってくるなよ」
でも故障や馬力が無くて、お客に降りてもらって観光バスを後ろから押してもらうなんてことが無くてよかった。もっと昔は、お客に観光バスを押してもらったなんていうことを聞いたことがある。

当時は観光バスにときどき故障があった。道路事情も悪く、アスファルト舗装がされていない道路も多かった。車のパンクは時間がかかるが、運転手が直していたと思うが、エンジン系や電気系統の故障は、専門の整備士がいないと無理で、代車が来るまでお客を乗せたまま待っていなければならなかった。そんな車が道路を行き来していたのだから、坂道になると、黒い排気ガスがぼうぼう出ている車も多かった。

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大徳川展と旧東京音楽学校吹楽堂を見る! [東京・青梅周辺]

大徳川展と旧東京音楽学校吹楽堂を見る!

 東京国立博物館で、この先もうないだろうと言われている「大徳川展」に行ってきた。

260年続いた徳川将軍家、尾張・紀伊・水戸御三家をはじめ久能山や東照宮などの保管されている門外不出の美術品・歴史的資料が展示されている。
国立近代美術館、

国立科学博物館

の前を通過して、東京国立博物館へ。

11月21日(火)10時20分頃、すでに入場券売り場は混み始め、第一展示場に入るともうガラスケース側の人並みはなかなか動かない。係員はしきりに「先頭の方は止まらずに、前へお進みください」と叫んでいる。

家康が愛用した品々展示し、将軍の実像を紹介する「将軍の威光」、名物茶道具や絢爛豪華な能装束や王朝絵画「源氏物語」など武家の美意識を伝える「格式の美」、姫君の華麗な婚礼調度と工芸品など「姫君のみやび」の三つのテーマ構成となっている。
私の感想は、400年前以降の展示物がいまだに色彩あざやかで、しっかり保存されていることだ。徳川家の関係者によるものが中心だろうが、散逸させずに保存できたことに賞賛したいと思う。当時の職人の粋を極めた作品の数々・・・どれだけの労力と財力が費やされたのか・・・そこのところを知りたいと思った。

1時間20分ほど見て館外へ出ると、入場者は続々と押し寄せ、30分待ちの列ができるほどの混みようだ。上野公園の手前で、大道芸を囲んで拍手が沸いている。ジャグリングをやっている大道芸人のTOMI(とみ)。


筒を三つ重ねた上でジャグリングをやる。最後に募金箱を回す。高校生の頃であった大道芸に感動し、練習を重ねて10年という。遠巻きに見ている修学旅行生にまた夢を伝えているのかなと私も小さな感動をもらった。
TOMIhttp://www.tomi103.com/

上野公園の一角に、グログで知り合った高田京子・清澤謙一著の「ニッポン最古巡礼」に触発されて「旧東京音楽学校吹楽堂」へ立ち寄ってみた。

木造2階建ての明治23年築、日本最古の洋式音楽ホールで、パイプオルガンは紀伊徳川家16代目徳川頼貞候がイギリスから購入したものだ。団体旅行の見学地に何度か行程に組んでみたが、なかなか採用されずに、これまで見学をしたことが無かった。入り口前に立つと「ホールが貸切予約で使用中のため、本日は見学できません」との張り紙が・・・。その右手に「関係者の通用門」とある。諦めずにそこから中に入る。管理人室に声をかけ「パイプオルガンの写真を撮りに来たので、何とか見せて欲しい」と懇願。「仕方ないわね」と通行許可をいただいた。

パイプオルガンは2月の寒さで皮がちぢんで故障が時々あり、音が鳴りっぱなしと言うこともあるそうだ。主催者にはその旨事前にお断りをしているとか。いつかここでのコンサートを聴いてみたい。

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和服来場でお徳!第17回青梅宿フェスティバル2007 11月25日まで [東京・青梅周辺]

和服来場でお徳!第17回青梅宿フェスティバル2007

東京都青梅市で恒例の第17回青梅宿フェスティバル2007が11月23日(金)~25日(日)にかけて開催されます。「昭和浪漫の青梅宿」としてマスコミでも取り上げられ、「映画看板の街」としても有名です。

開催期間中、着物を着て来場された方にお得な情報です。青梅宿商店街10%OFF SALE、昭和が楽しめる4館(津雲邸、青梅赤塚不二夫会館、

昭和レトロ商品博物館、

昭和幻燈館)の入場が無料、お茶屋でのおもてなしサービスなどがあります。

又、国会議員だった故・津雲国利氏がくらしていた「津雲邸」を一般公開している。

歌舞伎役者市川団十郎さんんの協力で、歌舞伎衣装展が開催されている。



期間中、着物のファッションショー、音楽ライブ、


大道芸、妖怪が通りを歩くなどの企画が目白押し。

またDVDによる名作映画上映会が、11月24日(土)に「シャレード」、25日(日)に「ローマの休日」が和光ビル2階の懐かし映画茶屋で上映されます。時間は初回11時から3回、入場は無料です。

キネマ通りの一角に週末のみ営業の「妖怪本舗」があった。妖怪の小物を販売している。


また、市内をたまバスのボンネットバスが期間中、運行している。

第17回青梅宿フェスティバル2007http://www.ome-juku.net/artfes2007/
旧青梅街道を歩く http://a-spa.hp.infoseek.co.jp/oumekaido/
奥多摩・青梅 松乃温泉 水香園 http://www.a-spa.co.jp/spa/suikouen/index.html
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添乗奇談快談7.大雪で大渋滞1km2時間!当日の宿・昼場所も変えた! [添乗奇談快談]

添乗奇談快談7. 大雪で大渋滞1km2時間!当日の宿・昼場所も変えた!

 例年2月の中旬には大雪が降ることが多く、大雪で各地の高速道路が通行止めで、大渋滞を引き起こすことがあった。15年前、関東地区で大雪が降り、観光地から観光バスが予定時間に帰ることができず、夕方6時の帰着予定が翌日の1時、2時だったということもあった。
大雪の翌日の出発で、行き先が日本海側の新潟県瀬波温泉汐美荘で、ある地区の交通安全協会の研修旅行の添乗のことだった。関越自動車道が前橋インターまでしか開通していなかった頃で、群馬県側の関越自動車道がしばらく通行止めだった。11時頃、前橋の手前でようやく開通したが、予定されていた新潟市内の昼食場所にとてもいけそうにないのでキャンセルし、関越トンネルの先湯沢インターで降りてすぐの「越後レストハウス」に予約を入れた。関越トンネルを抜けると新潟は大雪だった。

湯沢インターを降りると大渋滞で全く動かない。昨日と当日の大雪で、上越のスキー客がいっせいに湯沢インターと塩沢インターに殺到していたのだ。「越後レストハウス」まではわずか1kmほどの近距離だったが、遅々として進まない。仕方なくお客を吹雪の中を歩かせて昼食場所へ行き着いた。お客はお昼場所でお酒も入りドンちゃん騒ぎをしている。観光バスはまだはるかかなた。仕方なく乗務員2名分の弁当を持って、吹雪の中を観光バスまで届けてまた戻った。

これではとても予定の宿泊場所瀬波温泉まで行きつかないと判断し、お客様の幹事に相談し、瀬波温泉行きを断念した。ここから近い宿泊場所を探すことにした。六日町温泉「ほてる木の芽坂」を探し当てた。それから吹雪の中を何とか走らせて、夕方5時頃宿に到着した。

何らかの理由があって、当日になって宿泊先や昼食場所を全てキャンセル、変更して旅行して帰ってきたという例は、私の30年の添乗経験でも初めてだ。お客も我慢して付き合ってくれたものだ。宴会にコンパニオンが用意でき、無事宴会ができればよいと言う客層?だったから、不満も無く無事帰ってこられたのかも知れない。

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瀬波温泉 汐美荘 http://www.a-spa.co.jp/spa/shiomi/index.htm
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奥の細道を歩く第29回 尾花沢~山寺、大石田 2007年11月12日~14日 [奥の細道を歩く]

奥の細道を歩く第29回 尾花沢~山寺、大石田 2007年11月12日~14日

 ハイウエイバス、東京から山形県JR村山駅までの乗車券を購入した。バスに乗り込んでから、行き先に尾花沢バス停留所があることがわかって、行き先を変更した。翌日5時45分に到着し、まだ暗い道を歩きはじめた。旧羽州街道を20分も歩くと「おもだか温泉鈴の湯」を通過する。6時26分村山市に入り、あと1㎞でバイパス道13号線に合流し、大石田への分岐点に出る。山寺

への帰りは、ここから大石田へ歩くことになる。

 昨年7月20日~21日に黒羽から雲巌寺へ片道12kmを歩いた時、「往復同行程の場合、片道のみ歩く」というマツノ特別ルールを適用した。その例に倣って、今回は尾花沢・追分からの山寺のルート(片道25㎞ほど)を第二回目の適用とすることにした。芭蕉は尾花沢から楯岡(村山)まで馬で行ったという。

このあたり、さくらんぼの産地で、ビニールハウスの骨格が残り、時期の過ぎた風情を見せている。六面幢(六角石幢)を右手に見る。中国唐時代に広まり、日本では六面又は八面の柱状石に仏像・梵字をあらわしたもの。高さが台座を含め170㎝、幅は40センチほど。

7時45分、東から太陽の日差しを強く浴びて、頬に熱く感じながら、樹齢600年という「尾上の松」に着く。

相生マツとして雌雄二株だったが、大正12年の雪で折れ、枯れた。樹木周り3.15m、高さ20m。8時34分、楯岡大市姫神、

すぐ右側が愛宕神社で神社の岩石の割れ目から生えている12本のケヤキ株で有名。

ご神木のケヤキは樹齢220年と言うから芭蕉が来た頃はまだ無かった。8時50分、JR村山駅前を通過。30分で温泉町2丁目のコンビニを左折して東根温泉街に着く。湯量が豊富で街のあちこちに「東根温泉由来記」の表示と湧出口から59.1度の湯がほとばしっている。

弱い硫黄臭がある。足湯もあり地元のおじさんたちがわいわい楽しんでいる。さくらんぼ東根温泉郵便局を探しあて、預金をする。

六田の観音様に出る。元禄時代白水川の上流から流れ着いた石仏を祀ってから宿場町として栄えた六田村の氏神様だ。コロリ観音と慕われる。10時25分、興次郎稲荷神社に珍しい石鳥居があるというので行ってみる。

慶長年間の石鳥居だそうだ。東根の松並木跡、何本かの見事な松が残る。JRさくらんぼ東根駅前を通過。11時25分讃岐うどんの「うどん市」でざる天丼セットを賞味。


オーナーの渡辺さんが「私の家内の実家の軒下を芭蕉が通ったんだよ」と話す。あとで奥さんも顔を出してくれ写真も撮らせてくれた。天童温泉を過ぎて、13時25分舞鶴公園の南側、一日(ひといち)町一丁目で床屋「とら床」の角に「奥の細道ゆかりの地翁塚参道」の柱標に到着。

ここが「うどん市」の奥さんの実家だ。突き当たりに1879年(明治12年)建築の洋風建築物「天童市立旧東村山郡役所資料館」が周りの紅葉に映えている。

県道111号線山寺街道に合流してから、足の歩みがのろくなる。いよいよ足腰に来たか?果樹園でラ・フランス一個皮を剥いていただいて、水分と糖分を補給する。大きなラ・フランスで一個2百円。14時34分、原町から山寺に至る分岐点にあった高さ2.4m、幅75㎝の追分碑。宝暦8年(1,758年)6月10日建立。250年前の人の肌を感じられるか石碑を触ってみる。

 15時26分、ついに山寺の入り口、瀧不動に到着。

10分で登山口正面の根本中堂を参拝する。左手に芭蕉の句碑「閑かさや 岩にしみ入 蝉の声」が鎮座。

力こんにゃく売りの茶店のお姉さんの声が飛び交う。いよいよ登山開始だ。入り口で入山料を支払うと、休憩所のお母さんが「荷物を預けなさい」と声をかけてくれた。雨が心配だったので「傘は大丈夫かな?」「大丈夫よ!」というので荷を全て預けて登り始める。山寺(宝珠山立石寺)は、貞観2年(860年)慈覚大師によって開かれた天台宗の霊場で、奇岩怪石の宝珠山に建てられたもの。


姥堂から登りに行くと極楽浄土へ近づくという。一気に石仏や杉木立、奇岩怪石を横目にしながら・・・。尾花沢から30kmも歩いたので、どこまで持つかな?と思ったが、意外といける。1015段上りきって奥の院に着く。

 眼下の景色を見るまもなく、雨粒が落ちてきた。「しまった。頂上でゆっくり紅葉あざやかな景観を楽しもうと思っていたのに・・・」山寺随一の展望を誇る五大堂まで登り、

そこから戻ってどんどんと石段を駆け下りる。
一句「山寺や 石段蹴散らし 秋時雨」

 山寺は十数年前に3月下旬に、老人会旅行の添乗で来たことがある。その時は途中から上にはまだ雪が積もっていて参加者の内10人ほどしか頂上まで行くことができなかった。でもすがすがしい感慨を持ったことを覚えている。雪に覆われていたので、奇岩怪石や杉木立などの印象は無かった。四季によりこれほど印象が異なるかと思った。

山寺から大石田へ戻るのに、「マツノ特別ルール」の「往復同ルートで片道は歩かなくとも良い」ルールで、とりあえず天童温泉へ向かうことにするが、足がない。土産店の方に教えていただいた「ワンコインタクシー」に電話すると、2名からの営業とかで断られる。天童温泉の「古代檜風呂のつるや」に宿泊することにし、バスの便も無く、結局タクシーでの移動となった。つるやは、2階建ての肌に優しい落ち着いた旅館で、部屋のお風呂も天然の温泉だった。




平日で空いていたので、古代檜大浴場は、貸しきり状態で贅沢な入浴。三十数キロを歩いて頑張った足腰を揉み解した。お料理はお部屋でいただく。庄内豚と山形牛のしゃぶしゃぶ、黒酢あんかけの焼き物、麩の煮物など初めて賞味するものがあり、うれしい。


 翌日、歩いて15分ほどのJR天童駅へ。

流石に天童は将棋の産地

 8時20分発の列車で移動し袖崎駅で下車。昨日の尾花沢と大石田の分岐点「追分」まで歩く。9時33分、追分を左折し大石田へ向かった。しばらく行くと穏やかな最上川を左側に見ながらの歩きとなる。JR奥羽本線のガードを過ぎて、大石田の市街地へ入る。郵便局を過ぎ、左手に折れると大石田河岸、舟役所跡へ行く。

芭蕉が訪れた当時、大石田は最上川を行き来する交易船で賑わっていた。1日に大石田船は290余隻、酒田船は250余隻を数えたという。戻って、浄願寺山門に立ち寄ってから、

元禄7年に京都から運ばれた乗舩寺の釈迦涅槃像を見に行く。

寺の外観はもう冬支度で青いテントに包まれている。市内の道路の中央は融雪口からちゃんと水が出るか点検中だった。芭蕉の句碑があるという西光寺に向かう。

観音堂の裏に新しい句碑が、さらに奥には小さなお堂に入れられた明和6年(1769年)建立の古碑「五月雨を あつめて早し 最上川」があった。

もう足が持たないので、JR大石田駅12時04分発で山形へ向かう。JR山形駅で新幹線へ乗り換える。昨日の尾花沢から山寺、さらに山寺の1015段の登り下りは芭蕉並みの歩きだった。

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添乗奇談快談6. 大渋滞で女性のトイレはどうする? [添乗奇談快談]

添乗奇談快談6. 大渋滞で女性のトイレはどうする?

連休や年末年始、旧盆などの特別日で、高速道路での大渋滞で困るのはトイレである。連休の日、大型観光バスで東京環状八号線方面から小田原厚木有料道路の厚木インターまで来て、トイレを我慢できないという数人の女性客がいたので、下り線の料金所でお願いすると「トイレは上り線の料金所にしかないので、むこうに渡って!」大型バスを端に止めて、女性客8人が私についてきて、地下にある巨大なマンホールの中を走った。100mはあろうか。女性客は走りながら、「刑事ものテレビドラマの刑事みたい!」と叫んでいた。

これほど大規模なトイレでなくとも、有料道路の料金所にはたいてい緊急用に男女1ヶ所以上はあるから、頼んでみたらいい。

関越道路の藤岡ジャンクションから長野・新潟上越方面へ上信越道路がつながった年に、私は添乗員として、保育園の保母さんたち25名の中型バス旅行で新潟方面に行った。帰りの15時頃、新潟方面から東京方面への上り線、前橋インターあたりから、大渋滞が始まった。次の休憩場所は、埼玉県に入ってすぐの上里パーキングを予定していた。上里パーキングまであと5kmというところで全く動かなくなった。この先、上信越自動車道からの合流地点が近いためだ。5kmというと通常だとバスで3分の距離だが、優に1時間はかかるだろうと思った。

かなり前からトイレに寄りたいといわれていたので、もうだめかな?と丁度バスに用意しておいた女性用の簡易トイレ(最近ではコンビにでも450円ほどで販売している)があるので、これで済ませて欲しいと提案した。が、それはいやだと断られた。スカートをはいている女性だと、腰を少し浮かせながら、周りの客に気づかれずに済ますことができるという。
彼女はいよいよだめだと悟り、高速バスの停車場付近にバスをつけて停車した。10人ほどの女性が一緒に降りて、我慢できない彼女を真ん中でしゃがませて用をさせている。その周りを外側に向けて彼女を隠していた。

一般道路であれば、最近はコンビニでトイレを気持ちよく貸してくれるので、ずいぶんと便利になった。

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添乗奇談快談5. 観光バスの運転手も居眠りする! [添乗奇談快談]

添乗奇談快談5. 観光バスの運転手も居眠りする!

幽霊も怖いが、生きた人間がすることに怖いこともある。昔の話だが、観光バスで千葉県南房総の国道128号線和田町あたりを通過中のことだ。午後の時間でお客は昼寝の真最中、運転手は居眠り運転なのか赤信号で突っ走ってしまった。ガイドさんも気づかなかったらしい。車の通行量がほとんどない国道だったので、事なきをえた。私は一瞬、客席を振り返ってしまった。添乗員は最前列の補助椅子に座ることが多かった。補助席は背当てが硬いが、前方の見晴らしは最高の席である。運転手が右手前によく見える。昔は今のように運転席をガードする通路側のカバーが無かったので、私からは運転席が丸見えだった。

運転手が眠くなる兆候がよくわかった。左足がぶるぶると震えてくる人。ハンドルを握る両手を踏ん張っている人。ガムをやたらかみ始める人。ハンドルを握る手を離したり握ったりを繰り返す人。運転席の右側のガラス戸を少し開けて、タバコを吸い始める人・・・。今眠いんだなと思うと怖いものがある。ガイドさんはそうした雰囲気を察知して、運転手に何かと話しかける。

数年前の大型バス事業の規制緩和により、従来2名乗務だったのを1名乗務でも可となり、大型バス運行でガイドをつけずに運転手1名乗務でも良いことになった。宮城交通共闘の業界の運転手へのアンケート調査で、眠くなることがありますか?の質問に、ある43%、時々ある15%、まれにある32%、ない0%の結果が発表されていた。

誰でも昼食後は眠くなる。業務で運転手をしていても「万が一あってはならない」と思っていても眠くなり居眠り運転がないとはいえないのが実情だ。そうした時に近くに運転手をよく知る身近で目を光らせる立場のガイドや助手が必要になる。大型バス事業規制緩和がされて以来、バス事故が増えている実態に注目して欲しい。

今生きている我々が、近い将来幽霊に出なくとも良いように警鐘を乱打したいのものだ。

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文学を訪ねる温泉紀行2.  湯ヶ島温泉 [文学を訪ねる温泉紀行]

文学を訪ねる温泉紀行2. .湯ヶ島温泉

伊豆地方の温泉は、交通の便に比例して発展してきた。明治37年に天城隧道が開通、修善寺から下田へバスが通ったのが大正8年頃だった。以来、横光利一、北原白秋、若山牧水、与謝野晶子、梶井基次郎、三好達治ら文人たちが湯ヶ島温泉に逗留し、作品を輩出することになる。川端康成は大正7年から昭和2年にかけて湯本館に滞在し、「伊豆の踊り子」(大正15年)を執筆した。「伊豆の踊り子」は、孤独に悩む主人公が、心身を癒すために伊豆に旅に出る。天城峠を越え下田に向かう旅芸人一座と道連れとなり、少年の淡い恋と旅情を描いている。少年時代を湯ヶ島で過ごした井上靖は、その頃の思い出を描いた自伝的小説「しろばんば」(白い綿毛をつけた虫、または白い髪の老婆のこと)を、昭和35年から連載された作品である。大正4年から9年頃の伊豆の山村の素朴だが豊かな魅力的な生活を描いている。

追記 
明治14年にドイツのフランクフルトで開催された万国鉱泉博覧会出展のための調査記録によると、伊豆地方の温泉地は21ヶ所で1年平均の浴客数は熱海が三万四千人、修善寺が1万人、吉奈が三千五百人、伊東、湯ヶ島、蓮台寺、河内、谷津、伊豆山が後に続く。湯ヶ島は交通の便が悪く、明治37年に天城隧道が開通、修善寺から下田へバスが通ったのは大正8年頃だった。

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