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寒さについて。60年前の子供のころの思い出。

寒さについて。60年前の子供のころの思い出。
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金森 達 画

12月18日の朝6時、東京都青梅市の気温は零下2度だった。都内とは2~3度の差はあると思う。エアコンは北海道の寒冷地対応出ないので、30分は過ぎないと暖かくならない。冬だから、「まあこんなものだ!」と言い聞かせるしかない。1980年3月頃に稲城市から青梅市に転居した。旅行業の営業で訪ねた家の暖房は、炬燵だけで火の気がなかった。炬燵の中だけは、ぬくぬくと暖かいが部屋の中は、スーツ姿で震えていたのを思い出す。北海道北見の開拓農家育ちの私は、外は厳寒の零下10度前後の朝が毎日だった。家の中は薪ストーブで室温は、多分20度以上だったはず。
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金森 達 画

15歳までは、北見市の郊外の開拓農家で過ごした。田畑、山や川など見えるところは、皆所有地だったので、隣家は見えず歩いても20分はかかったと思う。母屋は木造の大きい家で、周りは縁側で囲まれていた。隙間からは、風や雪が吹き込む。冬の布団はいつも湿っていて、重かった。目が覚めると、耳の辺りまで隙間風が作った雪が届いていたこともある。
母屋の周りに、豚小屋、馬や牛小屋、鶏小屋があり、便所や風呂は母屋から60~100m離れていた。風呂は五右衛門風呂で、近くの川の水を天秤棒にバケツを二つ下げて汲んで取り換えていた。

60年前の北見市は、日本でも最も寒く雪が深い地方だった。今は上川のほうが寒くなった。1981年から2010年の間の最高気温は、38.1度、最低気温は零下31.4度、降雪量は118センチ。小学校と中学校が併設で私の学年は、同級生は9人から12人だった。吹雪になれば道は消えてしまい、スキーで学校へ通っていた。うろ覚えだが、朝の気温が零下20度で始業時間が一時間遅れ、零下30度で休校になった。積雪も深く、夕方から降り続けて朝6時には4mも積もり、玄関が開けられなかった。トンネルを掘って外に出たのか記憶にはない。屋根からそりで滑って遊んだ記憶はある。母屋から100m先の風呂に行くのに、入浴後タオルを振りまわしながら帰るとカチカチの棒になっていた。五右衛門風呂の湯が熱いと、外の雪をスコップでかいて湯船に入れて、湯温を調節していた。

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トモミ

青梅でも充分寒いと思いますが、北海道の比ではないですね(笑)!

by トモミ (2020-12-18 14:21) 

yokomi

大変な暮らしでしたね(>_<) それにしても風呂まで100mも有るとは広すぎますね(^_^;) 分校は無かったのですね。北海道に比べれば気仙沼は雪も寒さも大したことはないのですが、山間部には冬だけの分校が有り、子等が寝泊まりして学んでいました。除雪が進んで何年も前から既に廃校となり、以後は地域の集会所として利用されていましたが、今年解体されました。北海道の大変な暮らしに頭が下がりますm(_ _)m
by yokomi (2020-12-19 15:48) 

hide-m

トモミさん、 yokomiさんありがとう。もう60年前の話しです。100年前は、五右衛門ぶろっただ風呂小屋は、川の側に建てられ、戸口は解放されていて、夏場は快適でしたが冬場は最悪でした。入浴はセルフで、入浴途中に温いと感じては、裸で追い焚きをし、熱すぎては雪をスコップでかいて風呂釜に入れて調整していました。
100年前の同じ川には、秋には鮭が手づかみできるほど登ってきたそうです。入植当時は原始林で太陽の陽が根元まで当たらず、木を伐り根っこを堀り、開墾したといいます。
by hide-m (2020-12-19 20:04) 

mayu

零下30度とは、想像もつかない世界です。
たまの観光ならいいけれど、日々の暮らしは大変でしょう。
それに加えて昔の家は、水回りが母屋から離れていることが多かったものです。
by mayu (2020-12-20 15:06) 

青い森のヨッチン

TVドラマ「北の国から」の冬の暮らしのワンシーンみたいですね。青森の我が家も高断熱高気密住宅なので真冬でも日差しが入れば日中はパネルヒーターを使わずに炬燵だけで過ごせます。
東京生まれの自分としてはこれで十分温かいのですが地元の人にとってはこのくらいの温かさでは寒いと感じるようで北国の人って結構寒さに弱い(寒さに敏感)だなぁと思っています。

by 青い森のヨッチン (2020-12-21 15:18) 

hide-m

mayuさん、青い森のヨッチンさんありがとう。ヨッチンさんのおっしゃる通り、道産子は寒がりだと思います。寒くないような格好にすればよいのですが。それにしても昔に比べ、薄手でも暖かいものが手に入ります。
by hide-m (2020-12-22 16:51) 

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