奥の細道を歩く 木の芽峠のTV放送「新日本風土記 奥の細道・新潟・北陸」を見て。 [奥の細道を歩く]
奥の細道を歩く 木の芽峠のTBS放送「新日本風土記 奥の細道・新潟・北陸」を見て。
2014年10月3日、TBS放送「新日本風土記 奥の細道・新潟・北陸」を見た。芭蕉は今から1689年8月、奥の細道の途次、越後と若狭の国境の木の芽峠を超えた。

奥の細道の芭蕉と曽良
この峠は、芭蕉だけでなく親鸞聖人、道元禅師が、又幾多の戦場となり朝倉一族や織田信長、豊臣秀吉、源義経なども通ったといわれる。放送では芭蕉の道をたどり、木の芽峠を管理していた前川家20代目、前川永運氏が登場した。前川家は、平安時代中期の武将平貞盛を祖とする前川永運氏は第43代目。前川家には、天正元年(1573年)に羽柴秀吉が朝倉討伐の際、立ち寄りこの茶屋で兵たちを休ませた。その時、秀吉から拝領したという陣中釜(重さ40㎏、高さ39㎝、直径44㎝、口径23㎝)が安置されている。前川家26代義次の時、木の芽峠に定住し、茶屋番・山回り役として峠に残った。

木の芽峠にある前川家

家の前に元気に吠えていたワンちゃんがいた

囲炉裏におわす前川氏

私が2010年7月18日に奥の細道を歩いて、朝に菓子を食べて以来食べるものが無く、木の芽峠にさしかかり、築550年の茅葺屋根の峠の茶屋・前川家に所望して、味噌汁、胡瓜の一夜漬け、大椀のおかゆ、永運氏手作りのラーメンをいただいたことのある懐かしの映像だった。参考:奥の細道を歩く第50回 今庄~木の芽峠、敦賀、色の浜http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2010-07-22
この放送では、264年前から続く木の芽峠を越えた蓮如上人御影道中(合掌の道)を取り上げていた。京都東本願寺第8代蓮如上人(1415年~1499年)の没後、1752年・宝暦2年、北陸での教化のご苦労とその徳を偲んで吉崎御坊での御忌法要に、上人の御影を本山よりお迎えして勤められたという。今年で341回目となる。5月17日、御影をリヤカーで引く神輿に載せ、「蓮如上人様、東本願寺おたちー」の掛け声を合図に東本願寺を出発、上人が歩かれたという吉崎別院までの約240㎞の道程を目指した。6泊7日をかけ、木の芽峠で休憩に立ち寄った後、23日に吉崎別院で法要を営み、5月2日に出発、9日に東本願寺に戻る。


峠道は狭いので、御影は、背負って運ぶ

前川家を立つ

峠からの幻想的な風景
木の芽峠は、標高628mの勾配のきつい最大の難所。リヤカーが通れないので、御影を交代で担いだり背負ったりして運ばれる。木の芽峠の前川家の接待を受け、下山する。約140ヶ所の会所に立ち寄られるという。道々、蓮如上人の御影を目のあたりにする人々は、合掌して見送られる。
何百年前からの歴史や伝統を継承して残されたこれらの儀式や、古の残された道や代々のそれぞれに任せられた人たちの生きざまを見ることができるのは、幸せなことだと改めて実感させられた思いだ。前川家や前川永運氏のますますのご健勝を祈らずにはいられない。
☆高野山麓の天然水「月のしずく」http://www.a-spa.co.jp/onsen-shop/
☆旅と温泉の情報室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆スペイン「聖地サンティアゴ巡礼」の旅 初日サン・ジャン・ピエ・ド・ポーから
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2013-06-19
☆スペイン「聖地サンティアゴ巡礼」の旅 モンテ・デ・ゴソ 7.22
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2013-07-23
☆旅と温泉の思い出ショップ http://aaspa.web.fc2.com/shop/
☆温泉夜話 オーストラリアの温泉入浴に挑戦する!http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2013-04-23
☆おんせん県おおいたで、生活費1ヶ月6~7万円で過ごせるか挑戦中!第2弾
http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-01

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2014年10月3日、TBS放送「新日本風土記 奥の細道・新潟・北陸」を見た。芭蕉は今から1689年8月、奥の細道の途次、越後と若狭の国境の木の芽峠を超えた。
奥の細道の芭蕉と曽良
この峠は、芭蕉だけでなく親鸞聖人、道元禅師が、又幾多の戦場となり朝倉一族や織田信長、豊臣秀吉、源義経なども通ったといわれる。放送では芭蕉の道をたどり、木の芽峠を管理していた前川家20代目、前川永運氏が登場した。前川家は、平安時代中期の武将平貞盛を祖とする前川永運氏は第43代目。前川家には、天正元年(1573年)に羽柴秀吉が朝倉討伐の際、立ち寄りこの茶屋で兵たちを休ませた。その時、秀吉から拝領したという陣中釜(重さ40㎏、高さ39㎝、直径44㎝、口径23㎝)が安置されている。前川家26代義次の時、木の芽峠に定住し、茶屋番・山回り役として峠に残った。
木の芽峠にある前川家
家の前に元気に吠えていたワンちゃんがいた
囲炉裏におわす前川氏
私が2010年7月18日に奥の細道を歩いて、朝に菓子を食べて以来食べるものが無く、木の芽峠にさしかかり、築550年の茅葺屋根の峠の茶屋・前川家に所望して、味噌汁、胡瓜の一夜漬け、大椀のおかゆ、永運氏手作りのラーメンをいただいたことのある懐かしの映像だった。参考:奥の細道を歩く第50回 今庄~木の芽峠、敦賀、色の浜http://hide-tabi.blog.so-net.ne.jp/2010-07-22
この放送では、264年前から続く木の芽峠を越えた蓮如上人御影道中(合掌の道)を取り上げていた。京都東本願寺第8代蓮如上人(1415年~1499年)の没後、1752年・宝暦2年、北陸での教化のご苦労とその徳を偲んで吉崎御坊での御忌法要に、上人の御影を本山よりお迎えして勤められたという。今年で341回目となる。5月17日、御影をリヤカーで引く神輿に載せ、「蓮如上人様、東本願寺おたちー」の掛け声を合図に東本願寺を出発、上人が歩かれたという吉崎別院までの約240㎞の道程を目指した。6泊7日をかけ、木の芽峠で休憩に立ち寄った後、23日に吉崎別院で法要を営み、5月2日に出発、9日に東本願寺に戻る。
峠道は狭いので、御影は、背負って運ぶ
前川家を立つ
峠からの幻想的な風景
木の芽峠は、標高628mの勾配のきつい最大の難所。リヤカーが通れないので、御影を交代で担いだり背負ったりして運ばれる。木の芽峠の前川家の接待を受け、下山する。約140ヶ所の会所に立ち寄られるという。道々、蓮如上人の御影を目のあたりにする人々は、合掌して見送られる。
何百年前からの歴史や伝統を継承して残されたこれらの儀式や、古の残された道や代々のそれぞれに任せられた人たちの生きざまを見ることができるのは、幸せなことだと改めて実感させられた思いだ。前川家や前川永運氏のますますのご健勝を祈らずにはいられない。
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こんな山路を行脚して見たいですね。
by 旅爺さん (2014-10-12 07:13)