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文学を訪ねる温泉紀行 熊本県 杖立温泉 火野葦平ゆかりの宿・不老館改め葉隠館 [文学を訪ねる温泉紀行]

文学を訪ねる温泉紀行 熊本県 杖立温泉 火野葦平ゆかりの宿・不老館改め葉隠館
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火野葦平氏

火野葦平は、日中戦争を体験し、戦時、戦後に「糞尿譚」「麦と兵隊」「土と兵隊」「花と兵隊」「青春の泥棒」「花と龍」「革命前夜」などを著した。昭和21年、「文芸」12月号に「幻燈部屋」第四部を発表。その中に杖立温泉を舞台にした悲恋物語「花扇」が掲載された。戦後二回にわたり杖立温泉の河岸の木造4階建て旅館、不老館(現・葉隠館)の4階「はぎの間」に1ヶ月余滞在し執筆した。
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火野葦平が滞在した葉隠館の「はぎの間」

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このんで描いた河童の挿絵

「花扇」は、実直な金貸業の久賀国蔵と遊び人新見一策の二人の男の間を行き来する生花師匠・寺岡紀美の悲恋物語である。生花師匠を生活の基盤としながら退廃的な新見の妾の紀美は、純朴で美男の国蔵に近づきついに関係を結び、数か月が過ぎた。そして、懐胎という「肉体の遊戯に対する刑罰」が与えられた。しかも一策から悪い病気を移されたことを知り、「死刑の宣告を受けたかのような切羽つまった」決断を迫られる。湯能見嶽(現・湯乃美岳)に国蔵を誘う。「自分の鬼のようなこころが肉体の清浄へあこがれる人間のせっぱつまった祈りであることを確信し、しっかりと世にまれなつよい愛情で結び合わされた美しい二つの肉体を亡(ほろぼ)して、いっさいの汚濁に決別すること」にしたのだった。

 第二次世界大戦によって石炭の生産量が半分になったが、急速に復興の兆しを見せる時代背景の中、杖立温泉は鉱夫達の憩いの場として活況を呈していた。昭和33年(1958年)売春防止法が施行される前まで、40余軒あった旅館は、22~23軒(現在は19軒)に(穴井昭二元郵便局長86歳による回顧)なった。当時の芸妓20人と酌婦20名ほどが置屋に登録され、団体客で賑わっていた。穴山氏によると背戸屋と呼ばれる狭い階段の路地には宴会後の客が三味線や太鼓を鳴らして行列をなしていたという。杖立川の河畔には共同浴場は散在(現在は元湯、薬師湯、御前湯の三か所のみ)している。作品で描かれた芸娼妓をかかえた検番や置屋、ビリヤードやコリントゲームはもうないが、「蒸し場」の竈はいまも残り、風情を残している。

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昭和初期の杖立温泉街
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今の杖立温泉街

 JR日田駅から路線バス45分ほどで杖立温泉に到着。観光案内所へ立ち寄り、「杖立温泉の歴史資料がないか」を尋ねるが、「何度かの大水害で流失したなどでない。郵便局の元局長さんなら知っているかも」というのでさくら橋を渡った突き当たりにある杖立温泉郵便局へ行く。そこへ郵便局長の父上の穴山昭二氏が来ていただきお話を伺った。過去に三度の大水害や山崩れ(昭和28年、昭和57年、平成5年)や昭和30年代の最盛期の様子を興味深く伺った。

 火野葦平が滞在して執筆した宿・不老閣は、昭和47年から経営が権藤芳春氏に代わり宿名は葉隠館になった。表から見ると外側に鉄筋の補強がされているが、内部は昔の木造4階建てである。玄関を入ると左手の間は懇談室、正面がフロント。奥は厨房と男女別浴室。部屋数は11室。火野葦平が滞在した部屋は4階の和室6畳の「はぎの間」で、杖立川には面していない。縁側にトイレがあり、外へ身を乗り出して左手を覗くと何とか杖立川が見える。室内には唯一机が当時のまま残されている。壁には葦平が好んで描いた河童の挿絵の額が三つ。「花扇」に「不老閣を見ると三階の角の部屋に紀が国蔵を見つけて手をふっていた」とあり、滞在の部屋から1階降りた河岸に面した部屋に舞台を想定している。杖立川の流れは強く、川音は耳障りと感じてくる。私はエアコンの音と思っていたのが、停止しても変わらない騒音に改めて川音の激しさを思い知った。火野が4階の一間引き下がった「はぎの間」に滞在した理由はそこにあるのかもと思った。
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河岸にある「元湯」

 「元湯」は、応仁天皇産湯の地として知られ、「湯に入って病治ればすがりてし、杖、立て置いて帰る諸人」の碑あり。注がれる湯量が少なく湯温は36度くらいか?これでは無理と階段を登り、「薬師湯」へ。入り口に200円をお賽銭箱へと案内があるが、生憎手ぶらで来てしまった。入浴中のお年寄りに許しを乞うて入浴にありつける。杖立温泉の歴史の話を聞くと浴場の上が湯鶴薬師堂その上の集会場に資料があるというので案内をしていただいた。それは大きな額で、昭和15年の大水害の被害状況を書き連ねたものだった。
 宿の大浴場「浪漫の湯」は更衣室から4段下がったところに鍵型の浴槽、中央に幼児が寄り添う湯壺を持つビーナス像が美しく湯けむりの中に立つ。湯は無色透明。泉質は弱アルカリ性食塩泉。とくにメタケイ酸が1リットル中に225.5mgと目立ち、肌に強いつるつる感がある美肌の湯。奥にむし湯の入り口(50×60㎝)がある。腹ばいで入ると床に敷かれた簀の子の下から噴出する蒸気が熱すぎて、1分といられない。早々に飛び出した。冷たい水でも撒くのだろうか?女性用の浴室はもっと小ぶりで、ビーナス像はない。

 夕食膳は2階の部屋に仲居の大場さんが運んでくれる。葉隠館では、健康志向の体にやさしい地元有機野菜や漢方生薬を活かした和・洋・漢折衷の器も美しい美味しい夕食膳であった。馬刺し、鮎の塩焼き、藻屑酢、蕎麦、鰈の唐揚げのバジルソース和え、牛筋、小国ジャージ牛乳の洋風茶碗蒸し、里芋、オレンジソースを使った赤身魚のポアレ、牛と野菜の陶板焼き、漢方生薬スープ、赤米ごはんに香の物。1泊2食付8,950円の料金にしてはと大感激!満室の折は、2階の2つの宴会場を使用する。囲炉裏座敷の山季楼は天井の水彩画、壁の浮世絵がこの宿の名物。大宴会場の天井絵も見事だ。

 大場さんは翌日、日田駅行のバスに同乗した。1年ほど前に膝を温泉治療のために杖立温泉の葉隠館に来て、驚くほど改善したという。女将さんから、「ここで働きながら治療を続けたら」と誘われ、階段の多い旅館がリハビリになったのかも知れないという。療養温泉地ではこうした話は珍しくない。それだけ病状と温泉の泉質が合えば、温泉療養の効果があるということだ。

 
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☆旅と温泉の相談室 http://www.a-spa.co.jp/
☆旧街道を歩く旅 http://www.a-spa.co.jp/tabi/nikko/index.html
☆スペイン「聖地サンティアゴ巡礼」の旅 初日サン・ジャン・ピエ・ド・ポーから
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