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旧街道歩き閑話9. 江戸時代建築の旅籠屋に泊まるはなし [旧街道を歩く]

旧街道歩き閑話9. 江戸時代建築の旅籠屋に泊まるはなし
旧東海道 赤坂宿 大橋屋.jpg
画 金森 達

 旧東海道を歩いた人たちが一度は泊まってみたい宿の一つに赤坂宿の「大橋屋」がある。赤坂宿の旧東海道沿いで江戸時代慶安2年(1649年)創業、宝永6年(1709年)の大火で類焼し正徳6年(1716年)建築の旅籠屋が唯一今も現役で営業している。この旅籠は296年の歳月を旅人が行き来したのだ。大橋屋のパンフレットには、「芭蕉が一夜の宿をとり句を詠んだといわれる部屋・・・」とある。33才の芭蕉が延宝4年(1676年)6月、東海道を上るときに詠まれた句「夏の月御油より出でて赤坂や」は関川神社の境内にある。大橋屋が創業して27年後に赤坂宿を芭蕉が訪れ、40年後に現在の旅籠が建築されたことになる。安藤広重が描く「東海道五十三次 赤坂図」は、大橋屋を描いたものという。中庭の樹齢約270年の大蘇鉄は、明治20年頃道路拡張のために後に浄泉寺の境内に移植されたのだといわれる。私は旧東海道歩きで2000年8月27日に赤坂宿の大橋屋を訪ねて十九代当主青木氏に話を伺ったことがある。

 東名高速道路が造られた昭和39年以前はこの辺りは、まだ昔の景観が残っていたそうだ。国道1号線が引かれる昭和25年頃は、砂利道で道路幅も今の半分で、当時「こんな広い道路を造ってどうするんだ」と思っていた。路上でよく野球をして遊んだものだ、といろいろ語ってくれた。街道側の建物は、昔のまま保存され、外観、広い土間と帳場、太い梁に高い天井、長火鉢のある2階の障子戸でつながった3間の客間、調度品など江戸時代そのまま現役で使われている。その時に私が子供の頃、五右衛門風呂の体験をしたことを思い出し、「五右衛門風呂があったらいいですね」と話したことがある。

 一度は泊まってみたいと思い、その後旧中山道、旧日光街道、それに続く奥の細道、旧青梅街道、旧甲州街道を歩き終えて、ようやく12年たって思いが実現した。2012年9月30日、台風が接近した夜だった。街道沿いの古い部屋に泊まりたかったが、宿の都合か時代が後年造られた部屋に泊まった。何度も街道側二階の客室3間を案内していただき、当時の大工の設計図無しの建築法や粋な障子戸など建築職人の技に感心させられた。

 翌日、台風一過の浄泉寺を訪ねると銀杏の集荷と葉っぱの清掃をしていた祖父江住職と話をする機会があった。正法寺にも大蘇鉄があったこと、大橋屋の中庭にあった大蘇鉄がなぜ道路拡張に支障があるのか疑問だという話を向けると「旅籠屋の清須屋(後に廃業)、村木屋(後に新城へ移転)にも蘇鉄があった」となぜか大蘇鉄がそこかしこにあったようなのだ。安藤広重は赤坂宿には泊まっていないとか聞いたが、安藤広重にとって当時賑わっていた赤坂宿の旅籠、飯盛女と大蘇鉄は、切っても切れない題材だったのだろう。

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エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm

温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html

旧街道をあるく旅 http://aaspa.web.fc2.com/index-tabi.html





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ゆうくん

ナイス及び訪問ありがとうございます。
温泉大好きなのでこれからも遊びに来ます。

by ゆうくん (2012-11-30 20:32) 

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