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旧街道歩き閑話 6. 大名行列の殿様の駕籠と峠みちのはなし [旧街道を歩く]

旧街道歩き閑話 6. 大名行列の殿様の駕籠と峠みちのはなし
殿様の駕籠 親不知超え 旧道歩き閑話.jpg
難所だった親不知 金森 達 画

 甲州街道の笹子峠を越えたときに、「大名行列の殿様は、本当に駕籠で峠を越えたのか?」と疑問を持った。軽身の単身でさえも下りは大変な思いをするのに50㎏前後の駕籠に60~80kgの殿様を乗せて急坂を担ぐのである。殿様の駕籠は、豪華なものでは塗り物で重いものだと前後14人で担ぐ、または8人で担ぐという記録がある。ちなみに現代の箱根大名行列では、85㎏の空駕籠を4人で担ぎ、総勢8人で交替して約6km、午前10時から休憩を挟み14時まで行進をする。江戸時代の駕籠かきと素人の現代人とは比較にはならないが・・・。急坂の峠道では、角度からして、駕籠の中の殿様は足を踏ん張ってほぼ仰向けの状態で過ごすことになる。果たして本当に殿様は、駕籠で峠を越したのか?

 広島県と山口県境の峠の難所に「代官おろし」の碑があるという。代官や殿様でも難所を越えるのにここで駕籠を降りたのだろう。峠には「駕籠建場」または「駕籠立場」と呼ばれる旅人や駕籠担ぎを休ませる場所があった。殿様も同じ姿勢で長時間揺られて大変な思いをしたことだろう。ここで駕籠を降り、背伸びして展望を楽しんだのだろう。なお、トイレの用は、トイレ駕籠がするすると殿様の駕籠に近づき、平行して歩き、乗り換えてトイレ駕籠の中で用を足し、また殿様の駕籠に戻ったという。
 馬は急坂が苦手で、急坂を殿様が馬に乗って下るとは思えない。江戸初期に伊勢の国と紀伊の国の国境、ツヅラト峠(標高357m)から荷坂峠に街道が移っていった理由は、殿様駕籠が上り下りの激しい峠道をどのように通ったかのヒントになる。その理由とは、殿様が駕籠にのって街道を行き来するのに、上り下りのある道では駕籠かきは前後に駕籠を担ぐと、駕籠が傾いて、中の殿様が大変な格好になる恐れがある。そこで駕籠を横に向け左右から担ぐ。そのため道幅は、5尺以上必要になる。ツヅラト峠は九十九折りの坂であるので5尺の道幅がとれない。だから荷坂峠を参勤交代の街道に変更したとのことだ。

東海道の箱根の峠道は、雨が降るとぬかるんで膝まで泥に浸かったという。1680年に1500両もの大金を投じて石畳の道を作った。それでも急な坂道を馬で通るには危険だったようで、駕籠に乗って進み、急坂では殿様も駕籠から降りて歩いたようである。

峠のほかに断崖絶壁の難所もあった。越後の「親不知・子不知」は、日本海に切り立った断崖に日本海の荒波が打ち寄せ人を寄せ付けない、加賀藩最大の難所であった。「特に大フトコロから大穴までの長走りを通る時は、越中新川郡の波除け人足500~700人が麻縄を持ち、人垣を造って藩主を守り、馬は荷物をつけたまま通ることができないので人間が馬に代わって荷を担ぎ、馬は空荷で通していた」忠田敏男著「参勤交代道中記」より。

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404

以前から駕籠の中でも掴まっていたりしてるのは大変だろうと思っていました。
by 404 (2012-08-30 19:15) 

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