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第10回 甲州街道を歩く 韮崎宿~穴山(台ヶ原宿の手前) 2012.6.17 [旧街道を歩く]

第10回 甲州街道を歩く 韮崎宿~穴山(台ヶ原宿の手前) 2012.6.17
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信甲斐武田家の祖・信義公の菩提所願生寺ご本尊の阿弥陀三尊像を納めた御霊殿

約2ヶ月ぶりに甲州街道歩きに挑戦した。挑戦とは大げさだが、この間、2年余前の前立腺肥大症・膀胱頚部硬化症の後遺症なのか膀胱に繋がる尿道が狭くなり、一時2週間にわたって狭いところを拡張する目的で膀胱から太い管を通したままだったので、動くと痛みが走るのでつい歩いたりする運動を避けるようになっていたのだ。

 2~3日前から天気予報とにらめっこで、雨天ならやめようと思っていたが、当日の9時ころには雨が上がりそうというので出かけた。前回の到着地の韮山宿に9時5分に戻ったころにようやく雨が上がったばかり。甲斐武田家の祖・信義公が平安時代末に中興開基した菩提所願生寺に立ち寄る。旧道の県道17号線より武田橋を渡って1.5kmほど西へ外れる。細い道を訊ねながらようやく参道入り口に。仏足跡、ご本尊の阿弥陀三尊像を納められた御霊殿、本殿、信義公廟所を詣でる。弘仁13年(822年)に創建され、武田信義公から武田家の氏神として崇められた武田八幡宮(国指定重要文化財)へはさらに1.5km西になり、遅くなるのでそこまで行くのは諦めた。
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甲斐武田家の祖・信義公が平安時代末に中興開基した菩提所願生寺

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信義公の廟所

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武田八幡神社(パンフレットから)

 10時、武田橋へ戻り道、前方に七里岩が横たわり、平和観音が顔をのぞかせる。七里岩は、八ヶ岳の噴火による岩屑流が釜無川と塩川によって侵食されてできた約30kmにも及ぶ台地で、韮崎市を二分している。東端の台上には真っ白な平和観音が姿を現している。七里岩は武田家の天然の要害でもある。
韮崎 約30キロに及ぶ七里岩の秋.jpg
七里岩(パンフレットから:秋にはこのような景色)

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七里岩台地に立つ平和観音(パンフレットから)

 12分も歩くと右手3kmに甲斐武田家の祖・信義公が平安時代末に中興開基した菩提所願生寺が出る。武田信玄公が治水に力を注ぎ、天文12~13年頃の堤防の根がために使った巨石「十六石」のひとつが残っている。10時38分、祖母石下バス停で休憩。右手は石垣で組んだ田圃があり雨後のためか放水路には、急流の水が放たれている。
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甲斐武田家の祖・信義公が平安時代末に中興開基した菩提所願生寺

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信玄公時代、堤防の根がために使った巨石「十六石」

 10時50分、お腹がすいて「和食処佳幸」の看板に引き寄せられて、桐沢橋を右折、城前寺では法要が行われ、安永7年刻の念仏供養塔が鎮座。和食処は予約のみの受付でだめだった。七里岩の脇に旧道らしき道があるのであぜ道を歩いてみるとあごを支えている婆に似ているという「姥婆石(うばいし)」がある。これが後に「祖母石(うばいし)」の語源になったのではといわれる。昭和53年刊今井金吾著「今昔三道中案内」に「下祖母石の中ほどにある茅葺の武家門と家は宮方文男氏宅。武田家時代からの旧家で当主は29代目とか。」の記述があり、田圃で出会った農家の方に聞くと、通り過ぎた七里岩側の小森を指差して、「あの神社の向いに宮方家が今でもあるよ。門だけが残っている」との証言を聞いた。
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城前寺入り口

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安永7年刻の念仏供養塔

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あごを支えている婆に似ているという「姥婆石(うばいし)」

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大神塔・首無し石仏群

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JR穴山駅への途中、能見城跡

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JR穴山駅

 JR穴山駅の先は、旧道からとおざかり、交通の便は一日1本のバスの便だけでは戻ることができないので、まだ早いがJR穴山駅に向うとする。ローソンでJR駅の方向に食堂がないことを聞いたのでビールと中華蕎麦を買う。JR穴山駅までの時間を聞くと「七里岩の九十九折の道を突き当たって右へ5分です」という。七里岩を越えた突き当たりで、大神塔・石群に出会う。首無し仏像が4体あった。どんな事情で首を切り取られたのか・・・・。JR穴山駅への標識に沿って歩いたが、道に迷ったりして結局1時間かかってしまった。JR穴山駅着は13時10分。本来の旧道は国道20号線沿いの桐沢橋から南下して釜無川に沿った道らしい。

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コメント 3

song4u

こんにちは。
台風が過ぎ去った割には、何ともスッキリしない空模様の福岡です。
スカッと行かないモンですかねえ。(笑)

さて、冒頭の数行、痛々しいですね。
だけど、これだけの行程を踏破できるということは、もうほとんど影響が
ないほどになっておられる?・・・と勝手に解釈いたしました!^^
by song4u (2012-06-21 12:47) 

ちゃーちゃん

こんにちは‼
台風が過ぎ去り、こちらは青空が気持ちいいです・・・hide-mさん家は
如何だったでしょうか?  被害がなかったですか?   又、 体調は大丈夫ですか?・・・随分歩かれた様子ですが、歴史のある素敵な所の様ですネ。
by ちゃーちゃん (2012-06-22 12:14) 

yakko

お早うございます。
大変な病気をなさったんですね〜 でも回復されて良かったです。
「武田信玄の4男である「武田勝頼」は織田軍からの敗走後、当時の土佐の武将・香宗我部氏を頼ってこの土佐に落ちのびたという事です
名前を「大崎玄蕃(おおさきげんば)」と変名し、この地で25年ほど活躍し、慶長14年(西暦1609年)8月25日64歳で逝去 以後鳴玉神社に葬ると記録という伝説があり、鳴玉神社も存在します。


by yakko (2012-06-24 10:24) 

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