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旧街道歩き閑話 3. 現存する本陣と参勤交代のはなし [旧街道を歩く]

旧街道歩き閑話 3. 現存する本陣と参勤交代のはなし
大名行列と寒さ対策.jpg
金森 達 画

 本陣は、江戸時代の寛永12年(1635年)に将軍徳川家光公の上洛の折、宿場の宿泊予定の邸宅の主人を本陣役、本陣職に任命したのが起源とされ、翌年の参勤交代導入時から制度化された。大名や幕府役人、勅使、宮、門跡など位の高い宿泊所として指定された名主などの家である。本陣が使われているときなどの次善の格式の宿としては、脇本陣がある。
東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道の五街道で現存する今、公開されている本陣は9ヶ所ある。東海道の「草津宿本陣」、同「二川宿本陣」、同「由比宿本陣」、中山道の「和田宿本陣」、同「下諏訪宿本陣」、同「桶川宿本陣」年に5回公開、甲州街道の「日野宿本陣」、同「小原宿本陣」、奥州街道の「有壁宿本陣」。東海道の箱根湯本温泉郷では、11月3日に箱根大名行列が行われる。旧東海道や箱根温泉街を総勢170名の大名行列が、約6kmにわたって練り歩く。甲州街道の小原宿でも、昔を再現して毎年11月3日に大名行列が行われる。江戸時代の行列人数は大名の石高によって異なるが、通常150~300名だが、加賀藩前田家は2,000~4,000人の行列だったという。元禄4年(1691年)と翌年に、長崎から江戸参府へオランダ商館付ドイツ人医師ケンペルが同行したときの記録「江戸参府旅行日誌」で、「2日間にわたって荷物を運送する部隊が続いた後、3日目になって殿様の籠がやってきた」という。
参勤交代 大名行列.jpg2..jpg
金森 達 画

 私は、これらの本陣を旧街道歩きで見るにつけ、板張りや障子の仕切りで、寒さはいかほどだったろうと気になった。それで参勤交代の時期を調べると、親藩大名(徳川家康の男系男子が始祖となっている藩)は3月、譜代大名(関が原の戦い以前より徳川家に臣従して取り立てられた藩)は6月か8月、外様大名(親藩、譜代大名以外)は、4月、又関八州(上野国・下野国・常陸国・安房国・上総国・下総国・相模国・武蔵国)の大名は、半年交代で2月と8月と決められていた。少なくとも2~3月の寒さがとても厳しかったはず。宿泊費を浮かすために相当早足で歩いたという記録がある。朝は七ツ時(午前4時)発で本陣に着くのは暮れ六ツ(午後6時)で、江戸から大津まで庶民の足より早い11泊12日、1日に30~45kmくらい歩いたという。寒さ対策は、とにかく動き回る、懐にアンカ(石を囲炉裏で暖めた)や足袋に唐辛子を入れる、室内では綿入れを着込む、火鉢を使うことぐらいだったようだ。天保9年(1838年)加賀藩十三代斉泰の帰国の際、信濃の柏原宿で購入した品のうち、温石(おんじゃく・軽石、蛇文石などを火で焼いて布に包んで体を温めるのに用いた)があった。これは腹痛や胃痙攣に効果があるとされた薬用として当時使われたようだが、暖房用にも使われたのではないか。大名は行列に持参のお風呂に入ることもできたが、お供の武士はそうは行かない。
江戸時代の庶民は、一日に6万歩を歩いたという。現代人はせいぜい3~6,000歩位だと思う。江戸時代の日常的に歩くことと寒さに耐えることは、現代の日本人とは相当の体感差があるように思われる。

エッセイ「温泉夜話」 http://www.a-spa.co.jp/yawa/index.htm

温泉巡浴紀行http://www.a-spa.co.jp/junyoku/index.html

旧街道をあるく旅 http://aaspa.web.fc2.com/index-tabi.html
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