奥の細道を歩く 第37回 村上~石船神社~新潟 2008年10月16~18日 [奥の細道を歩く]
海岸沿いの田畑には、砂地対策のポンプが・・・。
奥の細道を歩く 第37回 村上~石船神社~新潟 2008年10月16~18日
1ヵ月半ぶりの奥の細道歩きになる。池袋から新潟駅まで夜行ハイウエイバスで行く。白新線・羽越本線で移動し、村上駅を出発したのが8時07分。明治36年に入寂された仏海上人、日本最後のミイラ仏のある観音寺を通る。無住寺か?玄関に拝観料200円の張り紙が。
観音寺
即身仏といえば、芭蕉はこの先700年前に行基が開いたといわれ、室町時代の僧弘智上法印の即身仏のある弥彦山の中腹にある西生寺を訪ねている。瀬波温泉の入り口に着く。瀬波グランドホテルの裏山あたりが源泉口か?湯煙が立ち上っていた。夕日が美しいといわれる海岸、汐美荘、大観荘を右手に見ながら、通過する。
通りにある足湯
9時、岩船鮮魚センターでトイレを借りる。
左手に桜の名所でもある諸上寺公園を見ながら、9時13分に石船神社へ。
石船神社入り口
10月18~19日は祭礼で、神社入り口では地元の方たちが、祭礼の準備をしているところだ。芭蕉の句碑を訪ねると、神社入り口階段右にある「ここではないのかな?」というが、句碑の内容が異なるようだと資料を改めてみると「石船神社の柵跡碑の右前方にある」と記載。
柵跡碑
芭蕉句碑
石船神社本殿
丁度作業をしていた方の衣服が碑にかけられていた。芭蕉句碑「文月や 六日も常の 夜には似ず」確かにあった。本殿に上ると本殿脇で落ち葉を清掃していた小母さんたちが、方言で笑い声が耐えない世間話中。こうした行事が地域のコミュニケーションになっているんだなと得心した。「秋祭り 準備に土地の 笑いたち」
9時45分、国道345号線に合流し幕場へ、右手にお幕場大池公園。奥のほうに白鳥が沢山飛来している。通り過ぎてから、時々白鳥がきれいに群れて飛翔する。
白鳥が飛来
しばらくは砂地に野菜畑を見ながらの歩き。ねぎ畑にポンプがいくつかある。砂地との戦いは今でもすざましいのだろうか。
10時40分、塩谷(旧塩屋)入り口を過ぎて荒川を渡る。塩屋は、村上藩の番所があったところで、旅人はすべてこの番所を通らなければならなかった。11時36分、信号「乙(きのと)」を右折し、200m奥にある乙宝寺を参拝する。「俳聖芭蕉の通った道」の標識が立つ。
本堂の脇にある観音堂の階段の左手にあった。「うらやまし 浮世の北の 山桜」この寺は昔から桜の名所として知られていたらしい。
「うらやまし 浮世の北の 山桜」
仁王門は延享2年(1745年)に改修。仁王門をくぐって右手にある三重塔がすばらしい。
慶長19年(1614年)に起工、元和6年(1620年)に竣工された。釘一つ使用していない江戸初期の建築で国の重要文化財。塔内安置仏普賢菩薩を拝観しようと入り口に身を寄せると、中から強い冷気が漂ってくる。
12時15分、名水「どっこん水の里」で昼食をとる。
13時30分、井上醸造所(味噌・漬物)で休憩し、今日の宿を決定。深層湯温泉「紫雲の郷」が1人での宿泊は受けないので、民宿「松原荘」に宿泊予定。
13時48分、胎内川を通過、15時47分、「築地」を通過し新発田市内へ入る。築地から新潟まで船便があった。新発田藩は、蔵米を敦賀まで回送するために、水路を利用して8里の距離を運んだという。芭蕉も築地から水路で新潟へ移動したのではないかという説がある。だから、ここからは芭蕉の歩いた道とはかかわりがないことになる。とにかく、新潟へ向かう。100m右奥に入り、十一面観音堂を参拝。安政5年額銘あり。
16時10分、県道3号線信号「稲荷岡」まで、松原荘の若主人に迎えに来てもらう。紫雲の郷と松原荘の位置確認をしてから、紫雲寺記念公園内にある「紫雲の郷」で降ろしてもらう。
「紫雲の郷」
「紫雲の郷」の温質はすばらしい。源泉が51.7度のナトリウム12,420mg/㎏、カルシウム418.2、カリウム361.9、マグネシウム126.3、塩素20280、炭酸水素502.2、臭素178.5、ヨウ素101.1、メタケイ酸140.2、メタホウ酸231.1と高濃度の温泉。淡黄褐色で湧出口からでる湯を口に含むと塩辛い。これは腰痛や神経痛、切り傷に効きそうだ。松原荘までは歩いて5分ほど。多きな民宿で、ビジネス客が十数人泊っている。2階の部屋は8畳テレビ、エアコン付き。トイレは出てすぐ前にある。18時には食堂で夕食膳。むつの煮物とほっけの塩焼き、松葉かに、塩辛、鮪・あま海老などの刺身、鶏肉・がんも・蒟蒻・こぶなどの煮物、みかん、ご飯と味噌汁。翌日は6時には出るので、夕食付きで6,300円にしていただいた。
翌日、若主人に前日の場所「稲荷岡」まで送っていただく。6時10分に出発し、6時40分紫雲寺に到着する。右手にいくと垣根が続く。整然とした格式のありそうな境内と本殿。晴天で、左前方上に月がくっきりと浮かんでいる。つい一句を詠む。「紫雲寺や 秋晴れの月 借景に」
紫雲寺
この間、道端に「紫雲寺潟 開拓史」の説明文が設置され、興味を注がれる。
7時42分、国道7号線のガードをくぐり、突き当り新発田川を渡り右折、すぐ右に太子堂がある。
境内に句碑が並ぶ「幼日の 遠くなるなり 秋祭 佐多子」「
「日本三太子」とは大阪四天王寺、八尾市勝軍寺とここの佐々木聖徳太子を指す。本堂に隣接するお堂には、俳句を奉納する額が掲げられる。境内に句碑が沢山並ぶ。「幼日の 遠くなるなり 秋祭 佐多子」「手引する 妻を待たせて 夏の海 寛一」とか・・・。この地区は俳句が盛んなのだろうか。8時40分、西部工業団地を抜けて新潟市内「笠柳」に入る。内島見を過ぎ、10時42分、阿賀野川にかかる泰平橋を渡る。
昨日30キロほど、今日は25キロほど歩いたか、くたびり果てて11時19分、大形本町からバスに乗る。新潟駅まで5キロを残してしまった。
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sak さんniceとコメントをありがとうございました。
by hide-m (2008-12-03 22:26)